第303話(4-32)ユーツ領防衛線崩壊

303


 復興暦一一一一年/共和国暦一〇〇五年 涼風の月(九月)二五日。

 ユーツ領領都ユテスは未曾有みぞうの大混乱に陥っていた。

 地区委員長、オットー・アルテアンは、謹慎中の女男爵バロネスことマルグリット・シェルクヴィストを執務室へ呼び出した。


「楽にしていいよ、シェルクヴィスト男爵。他には誰もいないし、この部屋の監視魔道具はすべて切ってある。もっとも、今更盗聴などしても意味はないだろうけどね」

「アルテアン委員長。先の敗北は、すべて私の責任です」

「いいんだよ。意味は無いといっただろう。ユーツ領を巡る戦は、緋色革命軍の敗北だ」

「そんな。弱気になるのはやめてください。まだ戦いは始まったばかりでは無いですか?」


 オットーは煙草を灰皿に押しつけて紫煙を吐き出し、マルグリットの顔を正面から見た。


「我々が高山都市アクリアに異変アリという情報を掴んでからわずか一週間だ。この七日の間に、ローズマリー・ユーツが率いた解放軍はオトライド渓谷で君を破り、エカルド・ベックが支配したヘルバル砦を攻略し、ぼくが連れて行った河川警備の砲艦隊を壊滅させ、電光石火の進軍で防衛線を突き破りユーツ領の七割を制圧した。今、緋色革命軍が支配しているのは、領都ユテスと炭鉱町エグネを繋ぐ街道と、最終防衛線である港町ツェアだけだ。他の町や村、収容所はすべて奪われている」


 マルグリットの顔から、色が消える。思考が現実に追いついていないのだろう。

 オットーだって、叶うならばこれが夢だと信じたかった。

 解放軍は、悪路を踏破可能な自転車に乗って進軍し、挙げ句に空まで飛んだという。


「マラヤディヴァでもっとも非常識な男、とはよく言ったものだ。アンドルー・チョーカーは、最初から防衛など考えてもいなかったらしい。投入できる全戦力で攻撃し、物資が尽きる前に攻略できるだけの拠点と町を攻略する。このユーツ領が敵地ならば大馬鹿の愚策だろうが、あいにくと領民達が敵視しているのは緋色革命軍の方だ」


 一般的な尺度で考えるならば、解放軍の戦略は非常識な上に大間違いだ。

 かつてマグヌスがソーン領軍を引き連れてレーベンヒェルム領に攻め入ったとき、伸びきった補給線と兵士達の疲労に大いに苦しんだ。

 しかし、領民に愛されるローズマリー・ユーツを錦の御旗に掲げた解放軍と、外部からの侵略者に過ぎない緋色革命軍の場合、この事情がそっくりそのまま反転する。

 奪回された町は喜び勇んでロースマリーに協力し、収容所に閉じ込められていた旧臣たちはこぞって解放軍に馳せ参じる。ゲリラ戦で進軍を遅滞させようにも土地勘が無いのは緋色革命軍で、むしろ地の利を得た解放軍の奇襲を受けて、ほうほうのていで逃げ出した先で恨み骨髄の領民達の落ち武者狩りに遭う始末である。

 そこまで計算の上で速攻をかけた解放軍のアンドルー・チョーカーと、それを許可したクローディアス・レーベンヒェルムに対し、いまだ侯爵邸から出ようともしない緋色革命軍のブロル長官。将の差がくっきりと明暗を分けた。

 

「で、ですが、アルテアン委員長の武名はマラヤディヴァ国に響き渡っています。領都ユテスは未だ健在なのです。貴方ならここから巻き返すことだってっ」


 マルグリットは救いを求めるように声を絞り出したが、オットーはゆっくりと首を横に振った。


「自慢じゃないが、ぼくは机上戦でチョーカーに負けたことはないよ。けれど、今の彼には頼れる仲間がいるらしい。ぼくは、お飾りの委員長だ。艦隊を率いてヘルバル砦の救援に駆けつけたとき、兵士達は誰一人として命令を聞かなかった。これではどうにもならない」


 力なくうなだれるマルグリットに、オットーは本題を切り出した。


「マルグリット、君を炭鉱町エグネの防衛指揮官に命じる。元シェルクヴィスト男爵家の兵士たちも護衛につけよう。ラーシュ君の、婚約者の元へ行くといい」

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