第五部 悪徳貴族と異世界の秘密

第五部/第一章 終焉世界

第363話(5-1)新たなる戦いの幕開け

363


 血のように紅く染まった夕日が、紫紺の空から西の山脈へと沈んでゆく。

 黄昏の中、痩せぎすの青年クロードは、生首を腰につけた小太りの男ブロル・ハリアンと向かい合った。

 戦場は先程までの喧騒が嘘のように、しわぶきひとつたたなかった。

 誰もが息を潜めていた。知っていたからだ。この静寂が嵐の前触れに過ぎないと。


「……ブロルさん、御家族と故郷の仇を討ったんですね」

「見ての通りだ。これで、ようやく皆の墓前へ花を手向けることができる」


 クロードが沈黙を破ると、ブロルは腰に括り付けた生首を乱暴に掴んで、どこか寂しそうな笑みを浮かべた。


「感謝するよ、クローディアス・レーベンヒェルム。大同盟との不戦も今夜までだ。次に会うときは、敵として雌雄を決しよう。彼らを引き取っても構わないね?」


 ブロルの問いかけに、クロードは首を横に振った。

 戦が続けば、敵味方にチョーカーのような犠牲が出るだろう。きっとこれが最後の機会だから、どれだけ細い糸であろうとも見逃すわけにはいかなかった。


「……もう止めませんか。貴方の望みは果たされた。国主グスタフ・ユングヴィ大公は開明的です。十賢家という枠組みは崩れ、貴族政治も過去のものになる。ブロルさん、邪悪な存在に操られて戦う必要なんて、もうないでしょう」


 クロードの誘いに、ブロルは頬を緩ませ、感極まったように鼻を鳴らす。


「辺境伯、寛容に感謝するよ。そうだ、私の宿願は果たされた。君は、私が成し遂げたかったことを、すべて実現してくれた」


 ブロルの意外な反応に、ゴルト・トイフェルは肩を大仰にすくめ、レベッカ・エングホルムは噛みついた。


「ちゃ、茶番はやめなさい、ブロル・ハリアン。今すぐあの化け物どもを使って、うすらバカを殺すのよ。それがあの方の――」

「黙りたまえ、レベッカ・エングホルム。あの方の願いを、全く理解していないのは貴女の方だろう」


 ブロルにぴしゃりといいすくめられて、レベッカは鼻白んだ。


「だいたい辺境伯が、私と〝私の家族〟の介入を予想していなかったとでも思うのかね? まだ遊撃部隊を伏せてあるようだし、この包囲された状況では戦闘再開と共に貴女は死ぬぞ?」

「……くううっ。ろくでなしの間男、泥棒の雄猫がっ」


 ブロルに正論を返されたレベッカは、ぎゃんぎゃんと吠え猛った。

 ソフィは「あの、わたしもレベッカちゃんを好きだけど、幼馴染みとしてだからね」と火に油を注ぎ、アリスは「じゃあ、お姉さんは負け犬たぬ?」と珍しく急所に一撃を加え、同陣営であった筈のゴルトまで「所詮、こいつは振られたことすら受け入れられない、臆病者じゃからの」と煽り立てて、酷いことになった。


「だ、誰が臆病者ですってえ!?」

「また安い挑発にのって……。あちらは放っておこう。辺境伯よ。私は彼女とは違い、約定を守りたい」

「それは僕も同じです。兵を伏せているのは、あくまでも緋色革命軍マラヤ・エカルラートに備えてのこと。今日、ブロルさんと戦うつもりはありません」


 クロードはそう断言したものの、彼も大同盟の他の幹部達も、ネオジェネシスが干渉してくることを予測していた。

 ブロル・ハリアンの背後では、ゴルト・トイフェルやレベッカ・リードホルムと同様、邪竜ファヴニルが糸を引いている。

 ――故に、ヒトならざる組織であるネオジェネシスが横槍を入れてきた場合を想定し、狙撃手であるミズキと、『人類の守護者』ショーコが率いる伏兵を山中に潜ませていた。

 クロードとブロルが言葉を交わす中、コンラードとセイは伏兵を投入するべきかどうかを迷っていた。


「……これはいったいどういうことでしょう? セイ司令、ネオジェネシスの代表は、これまで耳にした風聞とは随分違う人物ですね」

「油断しないでくれ、コンラード隊長。まだ戦いは終わってないんだ」


 彼も彼女も、冷静沈着な敵大将の態度をいぶかっていた。

 なぜならブロル・ハリアンは、統治下にあったユーツ領の住民を怪物のエサにした男として、マラヤディヴァ国中に悪名が轟いていたからだ。

 同じような悪徳貴族という看板を背負ったからこそ、クロードはブロルの心中をおもんばかることができた。


(そうだ。ブロルさんは善人とは言えない。けれど、巷で言われるほど邪悪なわけでもない)


 実のところ、ブロルが処刑した人物は、賄賂や汚職で法律を曲げて罪を免れた大罪人ばかりだった。クロードが公安情報部に命じて行った追跡調査でも、裏付けは取れている。

 マルグリットらの殺害未遂についても、彼女が婚約者であるラーシュとの合流を図っていた以上、ブロルの立場からすれば追撃するのは当然のことだろう。


「ブロルさん、矛を収めることはできませんか? 貴方の御家族の、食人衝動を抑える方法だって見つけてみせます」

「辺境伯。過去の私が望んだものは果たされた。だが、今の私が求めているのは〝新人類ネオジェネシス〟による新しい時代を切り開くことなんだ。人間は醜く不完全な存在だ。容易に個々の感情に流される。それは、君も実感しているんじゃないかい?」


 クロードは、口を噤んだ。違うのだ、一人一人が違う感情を持つからこそ人間なのだと心が叫ぶ。


「相互理解は難しい。古き人類は争い続ける。だから互いに共感し、ただひとつの思想、ただひとつの意思に統一された新しい人類、ネオジェネシスへと進化しなければならないのだよ」

「それは、心の暴力だ! 貴方が憎む腐敗した独裁者達と何も変わらない」


 クロードの弾劾だんがいに、ブロルはうつろな瞳で唇を歪めた。


「わかってはくれないかね? 人類の進化なくば、次の黄昏を乗り越えられない。もう数年を経ずして、世界は滅んでしまうんだ……」

「ブロルさん、アンタは騙されている。冷静になってくれ。今の言い分はデタラメなカルト宗教みたいだぞ!」

「残念だよ、辺境伯。だから、君たちにも見せてあげよう。ドクター・ビーストが集めた資料、並行世界が辿った運命の一端を」


 ブロル・ハリアンが懐からなにか輝くものを取り出して手をかざした。


「何をする気だ。……あれって、テルが見せてくれた映像の記録媒体か?」


 小太りの男の掌には、千年前のラグナロクを刻んだものに似た、赤黒い宝石が握られていた。そして、クロード達は――破滅――を見た。

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