第235話(3-20)悪徳貴族と予期せぬ遭遇

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 太陽が昇り、水中にも穏やかな光が射す。

 遺跡周辺の海底はエメラルドグリーンに染まり、洞窟の中も生い茂るコケが薄い光を灯す。

 クロードとソフィは、頬を赤らめながら布団から這い出して、手早く朝食を終えた。


「ね、クロードくん。ガブリエラさん達は大丈夫かな?」

「マルク侯爵が指揮を執っているはずだ。彼を信じよう」


 クロードが知るマルク侯爵は、英雄行為への過剰な憧憬が目を曇らせているものの、実績を鑑みれば優秀な為政者だ。

 戦場で彼と肩を並べて知ったことだが、剣の腕も立つし土壇場の胆力だってある。

 だからこそクロードはマルクに指揮を預け、全員の生還を託した。

 仲間の命が楔となれば、彼は決して蛮勇に溺れることなく、パーティを外界へと導いてくれるだろう。


「そうだ! 海がこれだけ近ければ、転移魔法だって使えるんじゃないか?」


 クロードはさっそくソフィの手を握り締めて、テレポートによる海面への脱出を試みた。

 しかし、転移魔法はダンジョンの中では無力化されるのが一般的だ。海に面したこの遺跡もまた例外ではなかった。


「ぐぬぬ。テレポートトラップは機能しているのに……」

「たはは。ちょっとずるい気もするね」


 二人はテントを出て、周囲を見渡した。

 最初に目に入るのは、海底に鎮座する朽ちかけた沈没船だ。

 穴の空いた木造の船体は、岩壁から伸びた無数のツタが絡まって、遺跡と一体化するかのように石化していた。


「ソフィ。沈没船って言えば金銀財宝を連想するけど、マラヤディヴァ国には、そういう伝説ってあるのかい?」

「うーん、財宝じゃないけど、エーデルシュタイン号っていう有名な伝説があるよ」

「へえ、どんなの?」


 クロードが興味津々きょうみしんしんとばかりに身を乗り出すと、ソフィは人差し指を唇に添えて語り始めた。

 

「遠い昔、神焉戦争ラグナロクが終わった頃に、マーヤちゃんっていう利発な少女がいたんだ。彼女はひとりの男性と出会って、燃えるような恋に落ちたの」


 神焉戦争ラグナロクとは神々と巨人の最終戦争であり、転じて、この世界の文明をリセットした一大戦役を指す。

 およそ千年前、七つの鍵の一つ、魔槍ガングニールを手にした”黒衣の魔女”とその軍勢が数多の国々を滅ぼして、遂にはこの世界すらも無に還そうとしたという。

 追いつめられた人類は、もう一つの鍵、神剣レヴァティンを抜いた”神剣の勇者”を旗頭に逆襲し、魔女の一党を討ち果たした――というのが、おおまかな伝説の流れである。

 ただし、”神剣の勇者”の正体は現代まで伝わっておらず、例えばアメリア合衆国では民主主義を提唱した祖とされ、ルーシア帝国では建国の英雄、西部連邦人民共和国ではパラディース教団開祖の盟友……と、国々によってまったく異なる伝承が残されている。

 そして、マラヤディヴァ国では。


「マーヤちゃんが結ばれた男性こそ、神剣の勇者様だったんだ。二人は争いに満ちた大地を悲しんで、新しい国を作ろうと船で旅立つの」

「その船の名前が、エーデルシュタイン号?」


 クロードの問いに、ソフィは頷いた。


「うん。でも、愛し合う二人は引き裂かれたの。勇者様を追いかけてきた悪しき軍勢が、船を沈めてしまったから」


 仮にも世界を救った勇者というくらいだから、きっと恐ろしく強かったのだろう。

 ファヴニルは部長を討つためにホテルを吹き飛ばし、クロードは乱の早期終息のため要塞を水で沈めた。

 勇者を乗船もろともに葬り去ろうとした勢力がいたとしても、不思議はない。


「浜にひとり打ち上げられたマーヤちゃんは気付くんだ。お腹の中に、愛する人との子が宿っていたことに。彼女は勇者様との間に生まれた子供こそが、ユングヴィ大公家を築くんだよ。離れ離れになっても、マーヤちゃんと勇者様の愛は、確かに未来へと繋がったのです」


 ソフィの熱弁が終わって、クロードはペチペチと手を叩いた。


「ごめん、ソフィ。なんかその、箔付けっぽい」

「もうクロードくん。そういうこと言っちゃ駄目なの。ロマンスは大切なんだよ」

「知ってるよ、ロマンスならソフィと、ゴホッ」


 クロードは、とんでもないことを言いかけたことに気づいて、むせて咳き込んだ。


「行こっか」

「ああ、一緒に」


 クロードはソフィの手を取って、遺跡最下層の探索を始めた。

 ふと、彼の脳裏をかすかな疑問がよぎる。

 部長ことニーダル・ゲレーゲンハイトは、神剣の劣化複製たる呪詛、レプリカ・レヴァティンに憑かれたらしい。


(だったら、その呪詛はいったい誰が作り出したんだ?)


 クロードは迷いを振り払うように、鋳造――と唱えた。

 二人の装備は火竜との戦闘で壊れていたため、魔法で武器と防具を生み出して身にまとう。

 歩くと水がはねてびしゃびしゃと音が鳴る。

 海水が洞窟の中にまで入り込んでいるようで、足の甲まで水にひたされていた。

 ソフィが捕ってきたのはこれか、太った魚までが悠々と泳いでいた。

 奇妙なことに、少し温かい。

 いくら夏といえど、海水が冷たくないというのは気にかかった。


「ん? なにか臭うな。奥の方から卵がくさったみたいな匂いがする。硫黄いおうかな?」

「海底火山が近いから、ガスが流れこんでるのかも。解毒の術を使おうか」

「安全調査用の護符に異常はないんだろう。もう少し様子を見てからにしよう」


 二人が異臭について話しながら、洞窟の中にある玄室をひとつひとつチェックしていると、通路の奥から奇妙なものが流れてきた。

 それは、黒くて薄いレースの下着ショーツだった。デザインは上品なのだが、透けるような縫い方がやたらと艶っぽい。


「……?」


 クロードが目配せすると、ソフィは無言で首を横に振った。

 続いて胸当てブラジャーも流れてきたが、サイズが明らかに小さい。

 どうやら彼女の下着ではないらしい。


(クロードくん、他に誰かいるのかな?)

(まさか、あの火竜が住み着いている遺跡の最下層だぞ。きっと何かの罠だ)


 クロードとソフィは玄室の中で息を潜めつつ、海水に濡れた際どい下着を覗きこんだ。

 下着を罠に使うモンスターがいるかという疑問はあるが、この世界の場合、知性のあるモンスターは珍しくもない。

 ファヴニルのような契約神器は例外としても、遺跡表層を歩くオークやゴブリンだって徒党を組み、奇襲や伏兵といった戦術を駆使して冒険者に襲いかかるのだ。

 下着だからシュールなだけで、折れた剣や砕けた鎧など犠牲者の遺品が囮に使われた例は、これまで幾度となく報告されていた。

 パシャパシャと、遠方から水のはねる音が近づいてくる。


(ともかく制圧しよう。まずは鎖で拘束する)

(うん、強化するね。いちにのさんで、タイミングを合わせるよ)

(わかった。じゃあ、いち、にの……さんっ)


 数えながら、クロードはある種の予感を覚えていた。

 この遺跡に入ってから、ずっと物足りないと感じていたのだ。

 奴だ。きっと奴が来た。クロードと百度以上にも渡る激戦を繰り広げたライバル、青く輝くスライムがやってきたに違いない。


「今だっ。待っていたぞ好敵手!」


 クロードが玄室から飛び出し、ソフィの支援を受けて強化された鎖を解き放った。


「みぎゃあああっ!?」


 通路を埋め尽くす鋼の蜘蛛糸は、哀れ素裸のモンシロチョウに絡みつき厳重に縛りあげてしまう。

 囚われた蝶は、見憶えのある紫色髪の愛らしい少女だった。

 幸い大事な部分は隠されていたが、白い肌に鎖が食い込んで紅葉のように赤く染まるのは、ある種の倒錯的とうさくてきな色気があった。


「あ、れ。ショーコさんじゃないか。こんなところで何やってるの?」

「それはこっちの台詞よ。何するのよ、この痴漢、変態、女の敵!」

「そこまで言うことないだろ。ソフィ、ちょっときてくれ」

「クロードくん!」

「――いたいっ」


 悲鳴を聞いて飛び出してきたソフィに、クロードが思い切り頬をつねられたのは、当然の成り行きだった。 

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