第3話 外の世界

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「な、なんだよ、これ?」


 クロードだって人里離れた僻地、というのは覚悟していた。周り中、樹木だらけ、とか、一面の草原、とか。そういう環境だったら、疑問に思わなかっただろう。

 洞窟の中は怪物がのし歩く危険地帯だ。周囲に居住地があったら、危なっかしくて仕方がない。

 ……だが、朝日に照らされたのは真っ赤な大地しかない、というのはクロードにとって衝撃だった。


「領主様、ご無事で何よりです。儀式の成功をお慶び申し上げます」


 鳥打ち帽を被った御者らしい年配の爺さんが、クロードとファヴニルに向かって声をかけてくる。

 老人の言葉に、同じ顔の男、クローディアスは何か特別な儀式を行おうとしていたのだろうかとクロードはいぶかる。


「護衛の皆様は……?」

「死んだよ、ボー。儀式は失敗した。領主様も少し記憶に混乱があるみたいだ。屋敷へ戻る前に、ちょっと領内を案内してくれる?」

「は、はい」


 ボーと呼ばれた初老の御者はファヴニルに対し、ひどく怯えているように見えた。視線をひたすら地面に向けて、クロードともまったく視線を合わせようとしない。


「ほら、クローディアス。替えの服はここにある。いつまでも汚れた服じゃ気持ち悪いでしょ?」


 ファヴニルに声をかけられて、クロードは自分の学生服を見た。袖口は虫に噛まれてほつれているし、ズボンも思った以上に泥やモンスターの体液が染み付いてしまっている。何より、元の世界とは異なる外の世界で、この学生服は目立つだろう。

 悪魔のアドバイスに従うままに、クロードは馬車の客席に乗り込んで、キャリーケースらしき箱に入っていた金糸銀糸がちりばめられた高級そうな衣装に袖を通そうとしたのだが……。


(男なのにコルセットとか信じられない。あと重い、動きにくい)


 クロードは、胴から腹を覆う金属製のコルセットを取り出すなり衣装ケースに戻した。

 こんなものを着た日には歩くのだってひと苦労だろう。クロードから見て、シャツは無駄にフリルや刺繍が多すぎたし、キュロットパンツとタイツを履くのは違和感しか感じない。日差しがガンガン照りつけてくるのに毛皮のコートとか勘弁してほしいし、じゃらじゃらと貴金属や宝石をあしらったアクセサリも、旅行先でひんしゅくを買うマナーのなってない成金みたいで不要だ。

 ともあれクロードが重たいコスプレシャツとパンツ&タイツに着替え終わると、御者のボー爺さんが、未確認飛行物体UFOかネス湖の恐竜でも目撃したかのように呆然としていた。


(あ、いけない。失敗したか?)


 ファヴニルがわざと間違った服を渡した可能性もあるが、死んだ本物の遺体を思い返すに、全部身につけるのが正解なのだろう。

 だったら、いっそ、毒を喰らえば皿までと覚悟を決めて、クロードはボーという老人に向かって問いかけた。


「なあボーさん。僕は、誰だ?」


 ボー老人は、ヒッと怯えるように身体をすくませ、うつむいて答えた。


「恐れながら、領主様はマラヤディヴァ国十賢家がひとつ、レーべンヒェルム家の棟梁、クローディアス・レーべンヒェルム辺境伯でございます」


 どうやら、完全に領主だと誤解されているらしい。

 クロードにとって、これは朗報でもあり、同時に悲報でもあった。

 もしも、ファヴニルが望むように彼が領主とすり替わるならば、露見し難いだろう。同時に、もしもファヴニルの目を盗んで彼が逃亡を試みるなら、その成功率は低いものとなるだろう。


(伯爵か。中堅貴族だな。守護大名みたいなものだったか。辺境の県知事にしちゃあ、随分羽振りのいい……)


 ファヴニルの翻訳魔術は正常に機能していた。だから、『辺境の伯爵』と勘違いしてしまったのは、ほかでもない彼のミスだ。『辺境伯』が、日本で例えるなら広範な執行権をもつ探題職か、数カ国を束ねる大大名に相当することに気付かなかった。つまり、この時、クロードは状況を甘く見積もった。


「馬車を出してくれ」


 馬がいななく。土を踏み固めた道は凹凸が激しく、ひどく揺れた。覗き窓から見える外の景色は、ずっと変わらず、荒地のまま続いてゆく。太陽が高く昇った頃、ようやく遠くに村落らしい影が見えて、赤い大地にもいくつかの小さな掘っ立て小屋がぽつぽつと建っているのが確認できた。誰も住んではいないようだ。当然だろう。あんな小屋では荷物は保管できても、人が住むには適さない。

 クロードは、悪い予感に、背筋が冷たくなった。

 目の前をよぎった何かが、農具の残骸ざんがいに見えたからだ。


「ファヴニル、まさか外の荒地は、元は畑だったとか」

「そだよ。良く気づいたね。イモを植えるんだけど、すぐ駄目になるんだ」


 当たり前だ! と喉の奥まで出かかった怒鳴り声を、クロードは必死で飲み干した。連作障害という概念はこの世界にないのか?


「でも大丈夫。あっちの方を見て、燃えてるでしょ。ああやって森を焼いて畑を広げると、たくさん芋がとれるんだ。ひょっとして知らなかった? 勉強になったでしょう」


 大丈夫じゃない、と、クロードは惑う。なにドヤ顔キメているのか。度を越した焼畑農業なんて百害あって一利もない。


(先輩たちが以前言っていたはずだ。黒い土は肥沃ひよくな証拠。だけど、赤い土は良くない。酸化した金属が混じってる)


 それを埋め合わせるための焼畑農業か。

 荒野ばかりが続くわけである。森を失えば、水もまた失われ、不毛の大地が広がるだけ。

 行き着く果ては、砂漠……。黒々とした噴煙と微小粒子状物質PM2.5を背にレポーターが「なんとこの国では花粉症がないんです!」と驚き、「それは森も山もつるっぱげなだけだよバカヤロー」と視聴者がツッコむような、荒廃した国土の一丁上がりだ。


「もうちょっと行ったら大きな農場も見えてくる。きっと驚くよ!」


 ファヴニルが楽しそうに声をあげた瞬間、馬車が乱暴に停まった。

 窓から外を伺うと、いつの間にか人の住む村に入っていたようだ。どうやら年端もない女の子が、母親を追いかけて道に飛び出したらしい。


(村には信号も横断歩道も見当たらないし、こういうこともあるか)


 あれは領主様の馬車だ、殺されるぞ! といったざわめきが聞こえた。

 遠巻きに見守る群衆の中から、母親らしき顔色の悪い痩せた女が手負いの獣が如き形相で歩み出て、娘を庇って身を伏せた。


「りょ、りょうしゅ様、おゆるしください」


 クロードは、殺すとか殺されるとか大袈裟なと苦笑して、御者に呼びかけた。


「ボーさん。娘から目を離しちゃダメだよって伝えて。……ファヴニル!?」


 ほかならぬ彼自身が目を離した隙に、客席から悪魔が村へと降り立っていた。


「許せない。ボクとクローディアスのデートを邪魔するなんて、これは無礼討ちだね」

「『甲子夜話かっしやわ』の、明石藩のバカ殿かよ!」


 クロードは思い出す。思えばいつだってそんな役回りだった。演劇部員が無意識のうちに巻き起こすボケの嵐を止めるのは、常に自分の役目だったのだ。


(だからって、異世界でまで、命をかけてツッコミを入れろなんて割に合わないだろうっ!)


 元の世界に戻ったら、絶対に新入部員を勧誘しよう。もちろんツッコミ担当だ。異論は認めないっ。

 手を振りかざすファヴニルを目掛けて、クロードは客席から跳躍した。体当たりで体勢を崩そうとしたのだ。


(――やばい。これって死亡フラグ)


 そんな間抜けな思考が脳裏をよぎった瞬間、彼の頬は大きく切れ、耳の下半分が吹き飛んだ。


「ぎっ」


 い、痛いなんてものじゃない。トびそうになる意識を必死でこらえ、親娘に向かって叫ぶ。


「いけ。僕は何も見ていない」

「ひ、あ、あ」

「行くんだっ」

「あ、ありがとうございます」


 親子は転がるようにして駆け出し、固唾を飲んで見守っていた群衆もまた、蜘蛛の子を散らすように四散した。

 急激に出血したからか、寒気が酷く、頭が重くて身体がうまく動かせない。

 クロードは危うさを自覚する。自分はあまりにも弱い。これじゃあ、この悪魔を止めるどころか、この世界で生き延びることすら難しい。

 ファヴニルは、きょとんとした顔で緋色の瞳を見開き、尋ねてきた。


「死にたいの? クローディアス」

「ま、まさか。僕は死にたくない。だから、あの子が死ぬのを見過ごせない」


 それは、和を重んじる故国だけでのみ通じる価値観かもしれない。――だが、それがどうした。これが僕だ。自分に害を為す相手でないのなら、助けたいと願って何が悪い。


「ファヴニル。人を無闇に殺すな」

「えー、どうしてキミに、そんなことを言われなきゃいけないのさ」

「僕が見たくないからだ」

「アハ。キミは本当に面白いね。自分が見たくない? 正義がどうたらー、とか、法律がどうのーとか言わないの?」

「お前がそんな説教で止まるかよ」


 もう限界だった。足から力が抜けて、そのまま崩れ落ちる。

 ファヴニルは、クロードを受け止めるように抱きしめて顔を近づけ、傷口をぺろりとなめた。


「!?」


 痛みが消えた。クロードはとっさに手を傷口に添えて、かさぶたすら残さずに癒えているのを知った。再生した耳をついばむようにファヴニルが告げる。


「忘れないでね。契約を交わす相手は、キミじゃなくてもいいんだ」

「お、覚えておく」


 クロードは客席に戻り、座椅子に身体を沈めた。

 再び馬車が走り出す。酷く傷んだ、木造建築の数々が流れるように過ぎてゆく。

 しかし、それ以上にクロードが、気にかかったのは村人たちのことだった。


「この村の住人、みんな妙な表情だったな」


 妙に大きくてギラギラした瞳と、病的に落ち窪んだ頬が印象的だった。食料が足りていないのか? そうだとしても、不自然なまでにどこかおかしい――。


「うん。お腹がすいて最近出回ってる薬でもキめてるんでしょ? 西部連邦人民共和国の商人がもちこんだやつ。一服すると幸せになれるんだって。クローディアスも試してみる?」

「麻薬中毒患者? ファヴニル、西部連邦人民共和国って何だ」


 確かここは、マラヤディヴァ国レーべンヒェルム領ではなかったか。


「知りたいの? ボー。十竜港へ馬車を回して」


 太陽はやがて南中へと至る。

 クロードはまだ気づいていなかった。自分を取り巻く環境を、レーべンヒェルム領の現状を。

 ファヴニルさえどうにかすれば、何とかなる。そんな甘っちょろい幻想を抱いていた。


 そして幻想は、彼に残されたモノサシの残滓もろともに、砕け散ることになる。

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