第4話 領主館へ
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クロードは、港と大農園への見学を終えた。
太陽は西に大きく傾いている。もうすぐ茜色の綺麗な夕焼けが見えることだろう。
(逃げよう)
クロードは心に決めた。
未だ記憶の大半は霧に包まれているが、なんとなく思いだしたことがある。
かつてクロードは、何もかもが規格外だった先輩たちに追いつくため、死に物狂いで知識を追い求めた。歴史のような学問から、サブカルチャーじみた雑学まで、先輩達から学び、吸収したテーマは多岐にわたる。
その経験が示していた。――これは、無理だ。
死んだクローディアス・レーべンヒェルムは、実にユーモアセンス溢れる働き者の領主だったらしい。
十竜港は、クロードの目から見ても、なかなか立派で巨大な港だった。
防波堤が整えられ、岸壁には大型クレーンが並びたち、敷地内には広大な荷捌き用のヤードや
貨物船だけでなく、大小さまざまな大砲を積んだ帆船も停泊していて、彼もこの世界の船を間近で観察できると若干心が弾んだのだが……入れなかった。
クローディアス・レーべンヒェルムが、近隣の大国である西部連邦人民共和国に対し、五○年間の租借権を売り渡したのだという。
ファヴニルによると、他にも領内の金鉱山、スズ鉱山、などを大金と引き換えに
「どうしたの? クローディアス。口をパクパク開けて。金魚の真似? アハハ。おっかしい♪」
「……」
気が遠くなった。マラヤディヴァ国と西部連邦人民共和国は長きに渡り、比較的友好な関係にあったそうだが、国土と資源を切り売りするなんて馬鹿げている。マラヤディヴァ国はどうして止めなかったのか、小一時間といわず問い詰めたい。
次に訪れた大農園は、西部連邦人民共和国の企業が運営する典型的なプランテーションだった。
クロードは赤い荒野をまぶたの裏に浮かべて納得した。連作障害は脅威だ。栄養が枯渇し、病虫害も多発する。だが、芋を植えただけでああも土地が枯れるはずがない。
なるほど、これはやりすぎだ。森を焼いて作り上げたという広大な農園区画では、アブラヤシやサトウキビが一面に並んでいて、痩せ細った大人だけでなく幼い子供たちまでが働かされていた。
(僕の故郷とは、モノサシが違いすぎる)
本来、伝統的な焼き畑農業とは、土地の休眠を兼ねた輪作だ。収穫力の落ちた畑を放置し、十年近い休閑期間を置いて該当区画に火をつける。土地を焼くことで、雑草の駆除、病原菌の消毒、草灰による土壌改良を行い、再利用する。そして、収穫力の落ちてきた畑を再び放置して、と繰り返すのだが……。
帝国主義の時代、欧州が主体となってアジアや南米で行った焼き畑農業は、土地が死ぬまで収穫を繰り返し、何も穫れなくなったら熱帯雨林を焼いて、畑として再び何も穫れなくなるまで利用するというものだった。
当然、こんなやり方を続ければ土壌の生態系は崩壊してしまう。
(事前の約束もなしに強引に見学を申し出たのは僕たちだ。非礼は承知しているが……)
クロードには、大農園の監督者達が、まるで作業員たちを同じ人間として見ていないように、高圧的な態度で振る舞っていたのが気にかかった。
(
そもそも、クロードが元いた世界においてさえ、「人権」という概念は、近代まで限定された一部の国にしか適応されなかったのだ。
悪魔が堂々と闊歩するこの異世界では、そもそも存在しているかどうかすら疑わしい。
「そろそろ街か。ファヴニル、あの工場は何を作っているんだ?」
「あれは、すず合金の工場だね。オーナーはさっきの農園と同じだよ」
「じゃあ、あっちのは?」
「あれはヤシ油の工場で……」
馬車は荒野を越えて、街へと入ったものの、そこでは黒煙をまき散らす西部連邦人民共和国の工場が溢れていた。
道行く人々は少なく、閑散とした商店街に並ぶ衣服や家具もまた、ほぼ全てが彼の国からの輸入品だった。
ボー爺さんの思い出話によれば、かつては他領から訪れた行商人たちが屋台を出し、村人達が内職で作った衣料などを売買することもあったそうだが、安価な輸入品によって駆逐されたのだという。
恐ろしいことに、町には学校も、図書館もなかった。西部連邦人民共和国の言語を教える学校の看板は見かけたのだが、自国の言語も読み書きできないのに、外国の言語を習ってどうしようというのか。
「わからない。どうしてこんな領から逃げださないんだ?」
「バカだなあ。クローディアス。そんな真似をする不届きモノがいたら、殺しちゃうに決まっているじゃないか」
道理だった。もしも人口がやたら多い国から来た留学生や従業員が知り合いにいたら、聞いてみればいい。『貴方の国では自由に引っ越しができますか?』と、おそらく『できない』か『場所による』という答えが返ってくるだろう。
憲法第二十二条第一項『何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する』――これは必ずしもすべての国で認められているわけではない。
何より異なる時代、たとえば『封建制』が機能している頃の国家なら、洋の東西を問わず、そんな権利は認められていない。
「ボーさん、今年って何年だっけ?」
「り、領主様。恐れながら、今年は復興暦一一○九年。い、いえ共和国暦一○○三年にございます」
ファヴニルが補足したところによると、復興暦というのは大昔にあった戦争から人類が立ち直ったと東方の王国が宣言した年を基準とした暦で、共和国暦というのは西部連邦人民共和国の元となった国が成立を宣言した年を基準とした暦らしい。
「せんひゃくきゅうねん。せんひゃくきゅう、いいくに、じゃなかった、いいはこつくろう……かまくらばくふ」
クロードの脳内で、カチリと外されていた歯車が噛み合った気がした。鎌倉幕府、日本初の武士政権、源氏、平氏など、いくつかの固有名詞を芋づる式に思い出す。
「ちきゅう、にっぽん、せいれき、……僕の名前や学校は、くそっ、だめか」
考えろ。
考え続けろ。閉ざされた記憶の先に手を伸ばせ。
(西暦なら一一○九年はいつごろだ? まだ源平合戦さえ始まっちゃいないはず)
日本では荘園制が崩壊し、御恩と奉公による封建時代が幕を開ける頃だ。大陸では北宋が
(中世だって? 馬鹿な。文明の成熟速度が早すぎる。ファヴニルは大昔に戦争があったと言った。スタートが違うのか? これまで僕以外に落ちてきた異世界人の影響か? ……ここを単純に中世文明と判断するのは危険過ぎる)
そもそも、港に停泊していた軍艦や設備を見るに、文明水準は、ほぼ十九世紀から二十一世紀と同レベルに達しているように見える。
(それなのに、交通手段に車ではなく馬車を用いて、船も外輪船と帆船を併用する意味はなんだ?)
魔法の存在によって根本的な自然法則が異なっているのか、技術ツリーに著しい変化が生じたのか。
答えは見つからないまま、時間だけが過ぎてゆく。不意に馬車の速度が緩んだ。窓を覗けば、石造りの柵と水堀に囲まれた小高い丘の上に、白亜の館が堂々と立っているのが見えた。
(欧州のモットアンドベイリー式に似ているな。でも、あまり戦闘は意識していないのか?)
遠目から眺めた限り、最低限の防備こそあるものの、あくまで華美な館であって、戦争に耐えられるとは思えない。
(日本では、
斜陽となった徳川幕府の威信をかけて築城された
が、この場合一般人に加藤清正公並の築城手腕を求める方が酷だろう。先輩の一人は、『星型城塞は十五世紀中頃、戦国以前の室町時代の設計だから、小銃・大砲装備の官軍にそもそも勝てるわけがない』と身も蓋もないことを言っていたが、そんな城塞でも戦い抜いた幕府軍と、彼らを慕う佐幕派ファンに謝るべきである。むしろ僕に謝れ!
(記憶の先に手を伸ばせ。と考えたけど、そんなツッコミには手を伸ばさなくていいっ。……よし! 悪くない。結構な量の知識を回収できた。僕のいた世界の名前は地球。僕は、日本人だ)
クロードは思う。マラヤディヴァ国レーべンヒェルム領だか、西部連邦人民共和国だか知らないが、こんな異世界の外国のことなんて自分には関係ない。なんとしても逃げ出して、元の世界へ帰るのだ。
水堀に掛けられた跳ね橋が落ちて、風格ある豪壮な門を抜けて、馬車は城内へと入った。兵士の訓練場らしいスペースと見張り台、馬小屋、倉庫などが目に付いた。若干の、違和感を禁じえない。
(どういうことだ。まるで人の気配がない……)
クロードは迷ったものの、ファヴニルと会話することが
館へと続く階段の前で馬車を降り、二人で昇り始める。元々あった丘を利用したのか、傾斜は緩やかだったが、徹夜明けの身体にはきつかった。
ファヴニルが館について喋っていたようだが、意識も
「クローディアス。屋敷にはさ、可愛いメイドだっているんだよ)
(メイドねえ。メイド喫茶って、キョロ充の僕には敷居が高いんだってば。普通に入ってゆく痴女先輩、アンタの神経はどっかおかしい)
「領主様!?」
出迎えたのは、長く青い髪をヘッドドレスでまとめた少女。格好は確かにメイドだった。赤く澄んだ瞳、柔らかそうな頬筋、艶めく小さな唇が可愛らしい。
きっと部長なら即座に口説き始め、痴女先輩はどうやってお持ち帰りしようかいらぬ策謀を巡らすことだろう。
「……ご無事でよかった」
メイドの応対には、一瞬だけ間があったようだが、仕方あるまい。クロードだって、こんな領主には無事に帰ってほしくない。
(髪も綺麗だけど、青に染めるなんて凄まじいセンスだな。クローディアスの趣味か?)
ぼんやりしたクロードと対照的に、ファヴニルは見かけだけは愛らしい柳眉を逆立てていた。
「レア。他の使用人はどうしたの? まさか、逃がしたのかい?」
ファヴニルに問いかけられたメイド、レアは、無言で頷いた。
「勝手なことをっ!」
「ファヴニルっ!」
手をあげるファヴニルと、みじろぎもしないレアの間に、クロードは両手を広げて割って入った。
蛮勇もいいところだ。まるで成長していない。クロードは心の中で悲鳴をあげた。
(死んだ。今度こそ死んだ。なに勝手に動いているんだ僕の体。動くなら更衣室の前だけにしろって、くそ、それじゃまるで部長みたいじゃないか)
しかし、覚悟していた痛みはこなかった。
「……あれ?」
「領主さ、ま?」
レアは赤い目を見開いて、困惑しているようだ。ファヴニルは手を下ろし、怒りに燃える緋色の瞳を閉じて、息を吐いていた。
「……フン。いいや、どうせニンゲンなんていくらでも代わりがきく。クローディアス、遊ぼうよ。地下に面白いものがあるんだ」
「そ、そうか」
どうやら命の危機は過ぎ去ったらしい。いったい、一日のうちに何回危機に遭遇すれば良いのだろう。
(いっそお祓いに行きたいくらいだよ。憑いている悪魔は、目の前にいるけどさ)
クロードはファヴニルに促されるまま、ふかふかして馴染めない絨毯を踏んで、屋敷の奥へと進んでゆく。
領主館は、迷子になりそうなくらいに広くて、地図や観光順路を明記してほしいくらいに部屋で溢れていた。
しばらく歩いて、やっと階段を降りはじめたが、クロードの心は振るわなかった。
(どうせワインとかだろ。鉄道模型だったらいいのになあ)
確か部長の家を訪ねた時は、「これが俺のおたからだ」とダンボール箱いっぱいに入ったエロ本&エロ動画を見せられて、高校生らしいがちょっと慎みを持てと内心思ったものだ。
(お、おい、まさかモンスターを飼ってるとか言わないよな。全然面白くないんだけど)
階段が終わって、廊下に並んでいたのは、妙に剣呑な代物だった。鞭とか、籠とか、ハンマーに杭、車輪や万力といった金属製器具だ。ろくでもない予感がぷんぷんする。
そう、ファヴニル達は地下牢とでも言うべき施設で、鎖につなげて、飼っていたのだ。
「さあ、遊ぼうよ。クローディアス。どの子がいい? 最近は反応が薄いけど、これはこれで楽しいよ。それとも、お祝いに新しいの攫ってこようか」
二○人を超える、人間の女の子を。
「どういうことだよ、これっ。法律とかどうなってんの!?」
「領主様は、国主たる資格をもったマラヤディヴァ国十賢家がひとつレーべンヒェルム辺境伯でございます。法律には縛られません」
いつの間にか、ついてきたのか、レアが感情のこもっていない言葉で告げた。
クロードは自分の拳を握りしめた。爪が皮と肉を裂いて、あかい血が滴る。
(なんでっ、たかが凡百の伯爵、それも辺境の領主にそんな権力があるんだよっ)
貴族だって暴挙が過ぎれば裁かれる。他の貴族は何をやってるんだ。叩き潰せよ。介入の口実なんて山ほどあるだろうが!
「……辺境伯」
痛みで冷静になったのだろうか。クロードは、ようやく間違いに気がついた。
勘違いしていたのだ。辺境の「伯爵」じゃない。「辺境伯」とは、異民族、異国との戦争・折衝を担当する武闘派の貴族に与えられる称号だ。日本ならば侯爵。旧清華家に相当する大貴族だ。
(勘弁してくれ。貴族ってのは、こんなんじゃないだろう。いや先輩達に言わせれば貴族とは元山賊の親玉だったか。だからって、こんなのはあんまりだっ)
性的虐待によって壊れた子供たちは、みんな目の焦点があっていなかった。ぼんやりとどこでもない空間を眺めているだけ。
否、ひとりだけ。仲間たちをかばおうとしているのか、赤毛のおかっぱ髪の女の子が、ファヴニルの前で両手を広げてたち塞がった。
一糸まとわぬ裸体。クロードは、彼女のたおやかな胸と腰まで伸びる優美な曲線から目をそらそうとして、逆に吸い付けられ、縫われたかのように目が離せなくなった。彼女の右目は失われ、両の手のひらには穴が空いている。
(なにを、なにをした!? ファアブニルッ! クロォオオディアスッ!)
クロードの視界が急に下がった。下半身から力が抜けてしまっている。これじゃあ、助けにいくことすら叶わない。
「か、帰せ。彼女たちを帰せ!」
「わかりました。領主様がそう仰るなら処分します」
レアが、再び感情のこもっていない声で告げる。
「違うっ! 聞こえなかったのか? 彼女たちを親元に帰せといったんだ」
「恐れながら領主様。あの子達が何事もなく社会復帰できるとお考えですか?」
「……っ」
領主お手つきの娘が帰っても、口減らしの対象になる可能性が高すぎる。村や町を見る限り、領民の栄養状況は極めて良くない。
比較的マシな場合でも春を売るか、納戸に幽閉。想像もしたくないことだが、どこかの働き者の独裁者が治める半島国家のように、飢えたので子供を茹でて食べちゃいましたテヘペロなんて展開すらありえるかもしれない。
「レア、すぐに医者に看せてくれ。手伝いに人を呼んでもいい。全員風呂に入れて、清潔な布団で寝かせてやってくれ」
「クローディアス。なにを勝手に決めてるのさ」
「だまれファヴニル。今は僕がクローディアス・レーべンヒェルムだ」
思い出せとばかりに、領主の証しという黄金の指輪を、ファヴニルの顔めがけて投げつけた。
「ふうん。今は、ね。明日からはどうするの?」
片手で指輪を受け止めた悪魔、その口元は半月のような笑みを形作っている。
(……そういうことかっ!?)
クロードは理解した。理解してしまった。地下牢へと案内した悪魔の狙いがなんなのか。
「ファヴニル。僕の部屋はどこだ?」
「三階の中央だよ、行けばわかる」
クロードは抜けた腰を無理矢理に動かして階段を上ろうとするも、まったく力が入らなかった。廊下は長く、柔らかい絨毯はまるで底なし沼のようだ。
ようやく辿り着いた部屋も無駄に広く、ベッドは遠かった。ダブルどころかキングサイズはあるだろう寝具に倒れ込みながら、彼は吐き出すように呻いた。
「これが狙いか。ファヴニルっ」
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