第27話 冒険者と邪竜の円舞曲(ワルツ)
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復興暦一一○九年/共和国暦一○○三年 晩樹の月(一二月)九日未明。
冒険者ニーダル・ゲレーゲンハイトは、マラヤディヴァ国首都クラン近郊にある
紅い外套をまとったニーダルが、束ねた黒い長髪を振り乱し、右手に握った十文字鎌槍で金属扉を切り裂いて滑りこむと、朽ち果てた広間の中央で、亜麻色の髪と緋色の瞳をもち、金糸銀糸で織られたシャツを着たファヴニルが、二人の人間を鎖で引いて待っていた。
首輪のみをつけられ、全裸で犬のように引かれていたのは、妙齢で
妙齢の女は悲鳴をあげて、年若い少女はうっとりとした横顔で、ファヴニルの汚れた靴を舐めるように口づけた。
肉体が変わる。溶けるように融合し、
獅子と山羊の双頭がはえて、馬や犬や
「ファヴニル、この子達に何をした?」
ニーダルの顔から、不敵な笑みが消えた。
オオオオ! と、哀しげな咆哮をあげて、合成獣が飛びかかってくる。
ニーダルは
巨躯の重量と跳躍力をのせた鋭い爪は紅い外套をかすめて、広間に打ち捨てられた金属扉の残骸を直撃し、ズタズタに引き裂いてしまう。
「失礼だなあ。ただ可愛がってあげただけだよ」
獅子の顔が、梔子色の髪をもつ白い肌の女に変わる。
女は、合成獣から生えた蠍の尾を槍のように操って、ニーダルへ向け突き込んでくる。
「その女はイルヴァ。元は領主に仕える騎士の家系だったんだけど、ボクとクローディアスがレーベンヒェルム領を掃除した時に、父親が死んじゃったみたいでさ。残された妹や弟のために身体を売って生計立てたみたいだよ。泣けるよね。でも、ここまではよくあるお涙頂戴話。笑えるのは、ここからだ」
ファヴニルの
「この淫売さぁ、よりにもよってボクを逆恨みして、汚れた体で君と同じ冒険者をつなぎ止めて復讐しようなんて考えたんだ」
一方のニーダルは捌く。槍の刃と石突を当てて尾をいなし、チャンスをうかがう。
「失敗した挙句、ペットになればもうひとりを助けてあげると言ったら、仇のボクに抱かれて腰をふったんだぜ。骨の髄まで色狂いとはこの女のことさ!」
イルヴァの突きが、ほんのわずかに力んで崩れた。
瞬間、ニーダルが、十文字鎌槍をはねあげるように繰り出して、蠍の尾を切り落とす。
肉体と痛覚を共有しているのか、合成獣が苦痛の声をあげた。
しかし、山羊の頭が黒髪の少女へと姿を変えて、彼女の手のひらから流れた黒い泥のような何かが、半ばから断ち切られた尾を包みこんで再生させてしまった。
「治癒の魔術か!」
「そっちの子は、カロリナ。辺境に伝わる宗教団体の巫女で、大事大事に育てられた箱入り娘さ。純粋過ぎて、伝統ある宗教団体が、外国人に乗っ取られてることにも気付かなかった。だから、用済みとばかりに騙されて、人々のためなんて歯の浮くようなお題目で、そこのイルヴァ達とボクに戦いを挑んだわけだ」
カロリナが、黒い泥をばらまく。
泥は、まるで生きているかのように、広間の人工物を溶かして飲み込み、沼のように広がってニーダルをも喰らおうとする。
「返り討ちにした後も、話し合えばわかりあえるって
ニーダルは、ただ無言で槍を振るい、泥を微塵に刻んだあと、魔術文字を綴って火球を飛ばし、焼却した。
「宿主ッ。彼奴ノ言葉ハ、攻撃ヲ鈍ラセル為ノ策ダ。惑ワサレルナ」
背の焔が警告する。
ニーダルは、明らかに攻撃する意欲を失っていた。
イルヴァが繰り出す蠍の尾による刺突を槍で捌き、カロリナが鞭のように振り回す蛇を掻い潜り、胴から飛び出した犬のあぎとを左手でいなし、馬の後ろ足による蹴りを避けて……、しかし、徹底して防御を固めるだけだ。
そんな消極的な戦闘を長く続けられるはずもない。
遂には、巨大な獅子の前足によって、ニーダルは捉えられてしまう。
「宿主ッ。呆ケルノモ、大概ニセヨッ」
「ころせ、ころしてくれ」
「かみひゃま、かみひゃま、ほめてくだしゃいますか? わらひはお役にたてまひゅよ」
ニーダルは、手を伸ばして、イルヴァの梔子色の髪と、カロリナの黒髪を、すくようにやわらかく撫でた。
「大丈夫だ。俺が必ずどうにかする」
「おま、え」
「ふれりゅなっ」
圧迫されて肉と骨が軋む。放り投げられたニーダルは、床に左手を添えて受身をとり、バク転するようにして着地した。
「宿主ッ。馬鹿ナコトハ考エルナ。必要ナ犠牲ダ、障害ハ即刻排除セヨ。アノ邪竜サエ討テバ、コノ娘タチモ報ワレルッ」
「じゃかましいっ。糞邪竜の方に集中しろ」
ニーダルは重心を下げて走り、合成獣の足元をくぐるようにして、ファヴニルへと挑みかかった。
「ファヴニルっ。てめぇなんぞに、この子達の一生をっ、台無しにする資格なんざぁ、あるものかぁあっ」
ニーダルは、右手で十文字鎌槍を突き込みつつ、左手にも炎の槍を生み出す。
「あるとも! ボクにはその資格がある」
しかし、ファヴニルが親指と人差し指で、軽く音を鳴らすと、炎槍は、飴玉に変わって散ってしまった。
「……っ」
「なぜならボクは強いから!」
ファヴニルの右手が、巨大な爬虫類に似た異形のものへと変化する。
「この国はボクの玩具箱さ。きっと誰もが望んでいる。強くなりたい、強い力が欲しい」
きんきんと耳障りな音を立て、ニーダルの槍とファヴニルのウロコに覆われた右手が交錯して、火花を散らす。
「そうさ、ボクは結果だよ。他者をねじ伏せるに足る絶大な力さえあれば、なにもかもが思い通りだ。人も、街も、国さえもっ」
更にファヴニルの左手も異形化、ハンマーのように振り下ろされた一撃を避けて、ニーダルは跳躍し、うずたかく積まれた遺跡の残骸を蹴って方向転換を繰り返す。
「ニーダル・ゲレーゲンハイト。忌まわしいレヴァティンの後継よ。ボクはキミを殺し、レーベンヒェルムの地で力を蓄えて、いずれは第一位級契約神器へと至る。ボク自身が、七つの鍵となって、この世界を正しく変える」
「クソ喰らえっ。てめぇのような生き方は
奇しくも、後輩のクロードが盟約を交わす直前に、ファヴニルへ抱いた印象と同じ言葉を口にして、ニーダルは閃く爪と、巨大な腕の中へ飛び込んだ。
「ファヴニル。てめぇは、ここで殺す」
「死ぬのはキミだ」
レヴァティンが、ファヴニルの防御魔術と加護を打ち破り、ニーダルの槍が右肩、異形と化した腕の付け根へと突き刺さる。
同時に、ファヴニルの口腔から吐き出された熱線が、ニーダルを外套ごと灼いた。
「まずは腕一本」
「上半身ト引換デハ割ニ合ワヌッ」
着地後、炭化した外套が剥がれ落ち、大ヤケドを負った半裸で、転がるように間合いを離れたニーダルは、大きく目を見開いた。
落としたはずの、異形化した腕が、まるで動画の巻き戻しでも見るかのように戻って、元通りに戻ってしまったのだから。
「治癒や、再生って次元じゃないぞ、あれ」
「異邦人の盟約者って便利だよね。時空間への干渉さえ、可能にするんだから!」
「クロードのちからかよっ」
合成獣が巨躯を生かした突進で、ニーダルをひき潰そうと突っ込んできた。
慌てて跳躍しようとしたニーダルに、熱線が雨あられと浴びせられ、再び墜落する。
ファヴニルは、まるでフィギュアスケートかアイスダンスでも踊るかのように、中空を滑走した。
彼が舞うたびに、空中に火が踊り、明滅する魔法陣が描かれて、時間差で熱線や火球、拘束鎖などをニーダルめがけて撃ちだしてきた。
当然のことながら、射線など一切考慮していない。盲目的にニーダルを追う合成獣は、焼かれ、裂かれ、瞬く間に半身が炭化した。
「あああああああっ」
「かみひゃまかみひゃまっ」
イルヴァとカロリナの悲鳴が、ニーダルの意識を白く染める。
「て、めぇええっっ」
「宿主ッ、愚カナ!」
合成獣を庇うような隙だらけの突撃は、ファヴニルによって容易く見切られた。
ニーダルは髪を掴まれて、異形化した腕で、腹部に強烈な一撃を受け吹き飛んだ。
「もういいっ。ころせ、おねがいだからころしてよぉお」
「さすがはかみひゃま。あひゃひゃひゃ」
広間の端まで吹き飛ばされ、追撃のガラス化の魔法こそ背のレヴァティンで無効化したものの、ニーダルはずるずると落下して、ガラスまみれの床へと崩れ落ちた。
「格闘ですら手も足も出ないかよ。今回の俺、いいとこなしじゃないか」
「無駄ナ情ヲカケテ窮地ニ陥ル、イツモノ悪癖ダ。向コウハ、千年ノ鍛錬ヲ積ンデイル。格闘技術ガ失ワレタ、現代ノ軟弱ナ神器ドモトハ比較ニナラン」
「めぇんどおくせぇ」
ニーダルが立ちがあろうとした瞬間、何か遠くで赤い光が見えた気がした。
直後、大きく体勢を崩してしまう。両足が足首まで石化していた。
「こ、こいつは!」
「邪眼ダ。ガラスノ反射ヲ利用シタノカ」
「炎の守りから漏れてたのかよ。耳なし芳一じゃあるまいしっ」
ここに、ニーダル・ゲレーゲンハイトの機動性は失われた。
上半身には大やけどを負って、殴られた腹は臓物がひっくりかえったかのように痛む。
先程まで握っていた槍も、吹き飛ばされた衝撃で取り落としてしまったようだ。
ついに、万策は――尽きたのか?
「まだだ! まだ終わっちゃいない。レヴァティン、防御は任せる」
「了解シタ」
「いいや、終わりだよ」
ファヴニルが、カン、と音を立てて、ニーダルの前方に降りたった。
「感情の壊れているキミに言っても無駄だろうけど、キミの娘はちゃあんとボクが可愛がってあげる。安心して、黄泉路へ堕ちろ。これが、邪竜と恐れられたボクの爪牙だ」
刹那、赤い球状の魔法陣がニーダルを覆った。
あらゆるものを蒸発させる数千度の業火と、世界そのものを切り裂く空間の断裂が、球体内を文字通り地獄へと変えた。
「思いあがるなよ。たかがニンゲンが、ボクに届くわけがないだろう? 忌々しい汚物、道端の石ころも、これで消えた」
球状の魔法陣が消えたあと、その場には何も残らない。
「さあクローディアス。邪魔モノは片付けた。いますぐ会いに行こう」
「阿呆がっ。こいつは、てめぇに踏みにじられた領民たちの分!」
否――。
ニーダル・ゲレーゲンハイトは健在だ。
まるで獣のような歯をむき出しにした笑いを浮かべて、ニーダルは背の焔に支えられて滑空し、振り返ろうとしたファヴニルの腹に、突撃槍を連想させる直蹴りを叩きつけた。
「え、がっ」
「これは、首都クランでテロリズムの犠牲になった人々の分!」
石化した足を砲弾のように受けて、痛みに顔を歪めながら
「ごっ」
「これは、お前に辱められたイルヴァの分!」
浮き上がったファヴニルの上半身に、ニーダルが浴びせた後ろ回し蹴りのかかとが直撃する。
「ぎっ」
「これは、お前に弄ばれたカロリナの分!」
白目をむいたファヴニルの金髪を掴み、彼の顔面を、ニーダルは自身の膝に思い切りぶつける。
よろめいた邪竜へ向かって、冒険者の最後の一撃が放たれた。
「ぐっ」
「そして、これが、てめえなんぞにつきまとわれた、クロードの分だ。熱止!」
なんの変哲もない、開かれた手のひらによる掌底は、伸びやかに手首がそらされて、インパクトの瞬間に握りこまれて拳となった。
空手の腕がめっぽう立つ親友、赤枝基一郎に対抗すべく学んだ日本拳法の技の一つ、波動突きだ。
ファヴニルは、顔面が歪むほどの拳を受けて無言で崩れ落ち、直後、全身に魔術文字が刻まれて、肉骨が爆ぜるように吹き飛び、炎に包まれた。
「……我々ノ分ハ?」
「要らん。殴る価値もねえよ」
波動突きに込めて、放った魔術の名は『熱止拳』。
千年前に、『神剣の勇者』と呼ばれた男が遺した、必滅の奥義だ。
確殺するが故に、ニーダルにとっては使い勝手の悪い魔術だが、今回ばかりはこれで滅すると、広間に入った時から決めていた。
「い、痛いじゃないか。でも、ね。むだだ。無駄なんだよ。
ファヴニルの肉体は、時間が巻き戻るように復元し、あるいは膨大な魔力による治癒魔術によって再生した。そして、再生した端から、黒い灰のようになってさらさらと崩れていった。
「ありえない。なんなんだよ、これは!?」
「誰にだってありふれたもの、お前にとって、忌々しい汚物で道端の石ころだよ」
手が、足が、崩れてゆく。
腕が、脚が、灰になり風に吹かれて消える。
「こ、こんなもの、すぐに治して」
「再生力を活性化させようが、時間を遡って復元しようが無駄だ。すべてを終わらせる、……死とは、そういうものだ」
ニーダルと、レプリカ・レヴァティンは知っている。
かつて、宇宙の根源である世界樹に至るための秘宝、第一位級契約神器、いわゆる『七つの鍵』が生み出されたとき、抑止策として、残り六つの鍵を討ち滅ぼすための神器が作られた。――終わらせるもの。それこそが、オリジナルの、第一位級契約神器レーヴァティン。
「このボクが死ぬ? これだけの力を得たのに!」
「旅人は悪いドラゴンを退治して、平和がおとずれました。物語は、幕引きだ」
ファヴニルの手足は失われ、残すは胴と頭のみ。内蔵を失えば、話すことも叶わなくなるだろう。
「またボク達に邪悪を押し付けるのか? 人間風情が、正義の味方を気取って」
「知るか。俺は、後輩の味方だよ」
「宿主ッ!?」
万感をこめたニーダルの呟きは、ファヴニルにとって、つけこむべき最大の弱点に他ならなかった。
天啓のような閃きにしたがい、ファヴニルは、治癒と再生を止めて、全魔力をつぎ込んで精神操作魔術を放った。
超高熱の炎獄と空間切断に耐えたニーダルの魔力は枯渇寸前であり、弱まった防御魔術は破られてしまう。
ニーダル・ゲレーゲンハイトは、邪竜ファヴニルによって、クローディアス・レーベンヒェルムに関する一切の記憶を封印された。
同時に、ファヴニルの体も燃え尽きて、一瞬だけ泥人形となって、これも灰になって消えた。
「ヤラレタ! コイツハ本体ジャナイ。ふぁぶにるノ分身ダ。宿主!?」
ニーダルは、一瞬、意識を失っていた。
戦う理由を、ここにいる理由を、奪われてしまったのだ。
目を瞬かせ、石化した両足によろめきながら――
「ああ、そうか、俺は」
ニーダルは、発狂したかのように襲いかかってくる、合成獣と化した少女達を見た。
「あの子たちを助けに来たんだった」
レヴァティンは、
ファヴニルの放った魔法陣、炎獄と空間切断の嵐は、あの瞬間、第三位級どころか、第二位級を超えて、第一位級契約神器に迫る力をもっていた。
それを耐えしのぐことにばかり気をとられ、張り詰めた緊張の緩みから、ニーダルに託された防御を疎かにしてしまった。
攻撃を担当した宿主は、最小規模の魔力消費を以て、ファヴニルを討ちとる寸前まで追い込んだにも関わらず!
「魔力切レダ。一度退ケ!」
「断る」
「逃ゲロトハ言ッテイナイ。マズ息ヲ整エ、石化ヲ解呪セヨ。我ニ飲ミ込マレタイノカ?」
「……ちゃんと助けて帰るからな」
「大丈夫ダ。女ヲ前ニシタ宿主ニ負ケハナイ」
「そうとも。いい男ってのは無敵だ」
ニーダルとレヴァティンは、相変わらずの口喧嘩を続けながら、合成獣へと変えられたイルヴァとカロリナを救うべく、戦闘を続行した。
☆
復興暦一一○九年/共和国暦一○○三年 晩樹の月(一二月)九日明け方。
レーベンヒェルム領辺境、ペナガラン要塞地下格納庫――。
全身の八割が灰化した巨大な機械竜、その頭部視覚素子が緋色の光を放っていた。
「死ねない。あいつなんかに殺されてやらない。ボクを殺すのはクローディアスだ。でも、まだその時じゃない」
分身体が受けた熱止拳から侵入した呪詛レヴァティンは、魔力経路を通じて、外部魔力貯蔵炉を全基消滅させ、本体をも焼き尽くした。
最後の一瞬、記憶を奪われたニーダルがコントロールを喪失しなければ、ファヴニルは完全に破壊されていただろう。
「引き分け、と、言いたいところだけど、修復に二年、改良に一年は必要か。やられたね」
要塞に据え付けた観測装置にアクセスすると、手駒のテロリスト団体「赤い
彼女もまた、今日中にはクローディアスによって狩られるだろう。
「死ねない。ボクは死なない。アレは、呪詛レヴァティンは危険すぎる。ひたすら命を奪い続けるだけの存在、生まれてから死ぬまで殺す事だけを目的とした生命なんて、あっちゃあいけないんだ」
たとえ、苦渋の決断を迫られようとも。
――そう覚悟して、ファヴニルは意識を手離した。
「ボクは生きて、生きて世界を変えてみせる」
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