第40話 改革の先にあるもの

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 復興暦一一○九年/共和国暦一○○三年 晩樹の月(一二月)一六日。

 クロードは、ソフィやブリギッタ、そして暫定役所職員と一緒に、テロリスト集団”赤い導家士”の襲撃を受けた領内の炊き出しに護衛として参加した。

 が――。


「悪徳貴族が食料を恵んでくれるなんて有り得ない」

「住人にテロリストがいると疑っているに違いない」

「もし家を出て顔を見られたら殺される」


 事前に食糧配給を伝えたにも関わらず、それはもう、散々な反応だった。

 辺境のある村に至っては、村長が直々にひとりの若い娘を連れてきて――。


「辺境伯様。もうこの娘以外、我が村に差し出せるものは御座いませぬ。どうかお慈悲を!」


 なんて言い出す始末だった。


「いや、だから、食料をもってきた……」

「賊徒に数少ない蓄えを奪われ、もはや冬を越せぬのです。どうか、どうかお慈悲を。必要とあらば、この老いぼれの命を差し上げます」


(だから、なんで僕は悪代官か、世紀末救世主漫画のモヒカン扱いなんだっ?)


 娘は涙をこらえておっかあなんて呟きながら震えているし、母親らしい人を村人が必死で押さえつけてるし、村はまさに悲劇の真っ最中だ。

 今にも正義の味方が「待たせたな!」とか「悪党に名乗る名前はない」とか言って突撃してきそうな光景だ。もちろん真っ先に斬られるのはクロードだろう。


「待ってください、村長さん。クロード様は、この村のために食料を持ってきたんです」

「お、お嬢さん。それは本当かね?」

「はい。レーベンヒェルム辺境伯家執事のソフィと申します。すぐに炊き出しの準備に入ります」

「あの人ってリードホルム家のぼっちゃんのパーティにいた冒険者だよな」

「確かグリタヘイズの、古い巫女家の出身だって聞いた……」

「じゃあ、信じてもいいのかな?」


 ソフィがどうにか村人達を説得し、本当に助けに来たのだとわかってもらえたものの、クロードの心はぽっきりと折れてしまっていた。


「ぼっちに神はいない。ソフィはまだわかる。でも、アリスと僕の違いは何なんだ」


 ちょっと前の町で別れたアリスは、魔物と誤解されて怖れられるかと思いきや――。


『かぁいい』

『さわりたい』

『モフモフゥ』

『まつたぬ。優しくするたぬ。ちょ、そんな大勢で何するたぬ、たぁぬぅうううっ』


 ぬいぐるみみたいな格好が子供達に大受けで、もみくちゃにされていた。


「だってさ、アリスちゃんは可愛いけど、辺境伯様はわかり辛いっていうか、ねえ」


 炊き出し用天幕の下で、スープ用の根菜を包丁で切っていたブリギッタが、近くで薪を割るクロードの横腹を言葉の刃でぶっすりと刺す。


(欝だ、死のう)


「ブリギッタ、もう少し言い方を考えて」

「なんでソフィ姉、アタシ間違ってないよ。え、辺境伯様、自分の首にロープなんてかけて何するつもり? ちょ、やめてよね、アンタに死なれたら困るんだけどっ」


(いつか絶対リア充を爆殺する法律をつくってやる。秘密結社”カップルは地獄へおちろ”を組織してやるぅうう)


 ファヴニルが聞いたら、「やっぱり人間って面白いけど駄目駄目だね♪」と笑顔で嗤うような愚痴を胸の中でさめざめとこぼしつつ、クロードは自殺を止めて薪割りを続けた。 

 だから、そのアイデアを閃いたのは、半ば偶然だった。

 薪割りを終えてかまどに火を入れたクロードが、水を飲みながら一息ついた時、炊き出し会場の隅で、顔色の悪い幼い男の子がひとり座り込んでいるのを見つけたのだ。

 周りでは他の子供達が喋ったり、遊んだりしながら待っているのに、彼一人だけ居心地悪そうに俯いている。


(あー、うん)


 気持ちはわかる。可能ならここになんて来たくない。来たくないけど、来ざるを得ないから来て、しょうがないから時間が過ぎるのを待っているという顔だ。


(部長が以前やった隠し芸……これと、これで、できるか?)


 クロードは、豆の入った缶詰の蓋を半分だけ開くと、中身を皿に移した。

 缶の中を水洗いし、下側面に錐で無数の穴をあけ、上から砂糖を少し注いだ。


(あとは、細い枝の切れ端と金属製のボウルを用意して、電動ドリルとロウソクは魔法で代用しよう)


「クロードくん、あとはスープを煮込むだけだよ。あっ」

「ちょっと辺境伯様、遊んでないで指示してよ。えっ」


 ソフィとブリギッタが見つめるのも知らず、クロードは村の少年にボウルを抱えたまま近づいて、砂糖入りの缶を熱しながら回転させた。

 ボウルの中に吹き出した、わたのような何かを、器用に枝に絡みつかせる。


「へ、へんきょうはく様」

「ほら、食べろ」

「は、はい」


 少年は、恐る恐る綿菓子を口にした。

 彼からすれば、伝説上の魔王が呪われた食物を押し付けてきたようなものだった。

 といっても、材料は砂糖なので、普通に甘かった。


「あまくて、おいしいです」

「それは良かった」


 クロードは、望んでいた反応とちょっと違ったので、肩を落として炊き出し場まで戻ることにした。

 部長が実演した時のように、まさかこんな手近なもので綿菓子を作るなんて! といった驚きや喝采かっさいを期待していたのだ。

 しかしながら、そもそも綿菓子自体がレーベンヒェルム領ではまず見ない希少品である。むしろそのことにまず、彼は気づくべきだった。


「おい、だいじょうぶか?」

「けがはない?」


 いくら普段関わりの少ない孤立しがちな子供でも、さすがに心配になったのだろう。

 たむろしていた少年少女達が、綿菓子をもらった少年の周りに集まってくる。


「おかし、もらった。おいしい」

「「「え?」」」


 これが大人であれば、ためらったかもしれない。されど彼や彼女は子供であり、何より空腹だった。


「おれももらってくる」

「あたしも」


 こうして、クロードもまた子供たちに取り囲まれることになった。


「ハハハ。成功っ。これだよ、これ! どうだアリス。お前のようなイケメンには負けないっ」


 ――だから、アリスは女の子なのだが、クロードが気づくのはいつの日か。


「辺境伯様。最後がなかったら、格好良かったのにっ」

「クロードくんは格好良いよ?」

「エリックには負けるけどね。そうだ、ソフィ姉。アタシ達ももらおう」

「うん」


 こうして、滑り出しこそ危うかったものの、この日の炊き出しとクロードの綿菓子は好評のうちに終わった。


__

____



 日が暮れて、星の瞬く夜がやってくる。

 クロードは、村はずれの丘で、赤い導家士に焼かれた家の代わりに設置されたテントを見て、ため息を吐いた。 

 領を回って改めてわかった。レーベンヒェルム領における交通網は酷すぎる。大きな街道は盗賊が荒らし放題、獣道そのままの細道が数知れず、川に至っては橋がかかっている方が珍しい。

 道路なんて石礫いしつぶてでも敷いておけばいい、なんて無茶を敢行した共産主義国や、同様に軽視したスローガンを掲げた政党が日本にも実在するが、頭を冷やして冷静に考えれば、インフラストラクチャの整備は商工業の振興だけでなく、人命の安全にだって直結する。

 都会であれば有り難味なんてないだろうが、道や橋が整備されていなければ、救援物資を届けることすらままならないのだ。


(資金はどうにかなる。イスカちゃんがダンジョンから持ち帰った財宝は、農園を再建して工場建てて道路を整備しても余りある)


 クロードは、部長に借りを作ってしまったと悩んだが、返す方法は後で考えるしかないと覚悟を決めた。 

 三年だ。停戦で条件が改善されたとはいえ、わずか三年でファヴニルと戦える水準まで領の力を引き上げなければならない。


(問題は時間だ。街道を敷いて、トンネルを開通させて、橋を築いて、工場と溶鉱炉を作って、……無理だ。とても土木建築業を最初から組織している余裕はない。どこかに師事しないと)


 指導役として、王都や他の領から職人衆を借りるのはどうだ? ――果たして、悪名高いクローディアス・レーベンヒェルムに、自領の貴重な職人を貸し与えるか?


「クロードくん。こんなところにいたら風邪をひくよ。テントへ戻ろう?」


 遅いから心配をかけたのか、ソフィが外套と明かりを手に迎えに来た。


「ソフィ、持ち込んだ食料と合わせて、この村はどれだけ持つと思う?」

「雨季の間は大丈夫。乾季になると厳しいかも」

「そうか」


 交通網も問題山積みだが、それ以上に状況がひっ迫しているのは農業だ。農園がテロリスト達に焼かれた今、一から再建せざるを得ない。

 しかし、草も生えない荒地という、スタートラインが酷すぎる。ノーフォーク式農園はすでに半ば以上再建し、先日契約した家畜も畜舎に移動済みだ。

 徐々に大地は生き返るだろう。だが、現状のやり方では、作物の栽培に適した地味土ができるまで何年かかるかわからない。


「最悪は輸入でまかなうとしても、商業もなし、工業もなしじゃ、ジリ貧だな」

「大丈夫。皆でアイデアを出し合ったら、きっと乗り切れるよ」

「ありがとう。なにか手を打たなきゃ、な」


 ソフィの言葉に、かつての演劇部を思い出す。

 きっと部長も、彼女と同じように呼びかけて、部員の意見を募るだろう。

 そして、皆が好き勝手に喋って、いつの間にやらまとめてしまうのが部長の手腕だった。


(痴女先輩なら、自信満々で『パンが無ければ、御菓子ブリオッシュを食べればいいじゃない?』なんて言うんだろうなあ)


 フランス革命でギロチンの露と消えた、王妃マリー・アントワネットの言葉だと――捏造された台詞を、わざわざ口にするところが彼女らしい。

 痴女先輩は、そもそも大地を豊かにしようなんて考えまい。土地を適当に売り払うか、別の利用手段を探ることだろう。

 だが、そんな手段が簡単に思いつけば苦労はない。


「ソフィ。それ、ランタンじゃなくて、鏡か?」


 ソフィが手の平にのせているのは、ロウソクでも松明でもなく、薄い手鏡だった。


「うん、油も貴重だし、魔術文字を彫りこんで、月と星の光を集めて反射させてるんだ。ほんの小さな明かりだって、集まったらちょっとしたものなんだよ」 

「凄いな。ランタン以上に明るい」


 ソフィは、きっとクロードの帰りが遅いだけでなく、一人で抱え込んでいることを心配して来てくれたのだろう。


(そうだ。僕一人で出来たことなんて、ほとんどないじゃないか。皆と一緒なら、きっとこの困難だって乗り切れる。あの光のように――)


 瞬間、クロードの脳裏に閃光が走った。

 昼に綿菓子を作ったことを思い出す。あの時、クロードは意図せずに踏み込んだのだ。当たり前すぎて忘れていた事実に。


(まてまてまて待てっ! 貝殻粉、干鰯、スライム……)


 この世界に来てからずっと、半ば迷走しながらも試してきた数々の手段を思い出す。

 これらのアプローチは、農業の補助策として用いることで役立てたはずだった――が。


「僕はパンの作り方しか考えていなかった。どうして気づかなかった? お菓子や、別のものを作っていいんだ」


 固定観念に縛られていた。

 自分は農家ではない。ただの学生で、今は領主を演じている身だ。

 ならば学生らしく、領主らしくやればいい。


「僕だけじゃ無理だ。ソフィ、力を貸してくれ!」





 復興歴一一○九年/共和国歴一○○三年 晩樹の月(一二月)三〇日。

 大晦日おおみそかを前に、クローディアス・レーベンヒェルムは、彼が仲間と頼むものたちを集め、ノーフォーク式農園につづく、第二の農業実験場を公開した。

 旧式の要塞を大幅に改装した新農園、仮称”セミラミスの庭園”。

 訓練場跡に用意された大区画には、魔法陣を描いたアルミ反射シートが敷き詰められ、袋入りの芋の苗が五段重ねで吊り下げた、ピラミッド型の竹を組み合わせた構築物が延々と並んでいた。


「へ、辺境伯様。苗が地面じゃなくて、空中に並んでるっス」


 ヨアヒムが呆然として、サングラスをずりおとした。

 彼の価値観においては、芋は地面に植えるものであって、間違っても袋詰めにされて空中でぶらぶらしているものではなかった。


「ああ、そういうものだから。収穫も楽になるだろう? あの袋に入れた土は、砕いたヤシガラと貝殻粉と毒抜きした好敵しゅ……、スライムを配合して混ぜ込んだものだ。大学で芋用にばっちり調整した自信作だぞ」

「さすがに想定外です。あの袋に種芋を入れて育てるのですか?」


 アンセルも冷や汗を書きながら、見たこともない農園を見ながら慎重に歩き回った。


「いいや、あっちの棟に、発光、保温、水浄化のマジックアイテムと、王国から購入した魔導演算機を組み合わせて、レアが魔改造した育苗機を用意したんだ。発芽までの時間が短縮できるし、何より種や種イモではなく、苗の状態から定植することで安定した収穫が可能になる」


 クロードは説明を始めた。反射シートに描かれた魔法陣はほんの少しだけ光をずらして葉に当てやすくしていること、ピラミッド型に組んだ竹にもごくわずかに風通しを変化させる魔術文字を刻んで、適温を維持できるように工夫したこと。

 この新式農園は、ソフィの助力とレアの知識、そして多くの学者達の支援と、イスカがもたらしたマジックアイテムがあってこそ完成したのだと伝えた。


「豊作祈願の魔術と違って、作物や大地の生命力を消費したり、微生物の命に影響を与えることはない。むしろ作物が育ちやすい状況を整えること、施設園芸農業への入り口を切り開くことが、この農場の骨子だ」

「辺境伯様。俺は納得できない。作物は大地で生まれ育つものだ」

「違うよ、エリック。必要なのは栄養と日光だ。大地よりも適した生育環境があれば、植物はちゃんと応えてくれる。予知魔術でも収穫はほぼ確実視されている。立体化したことで、単位面積当たりの収量は、ノーフォーク式試験畑の更に3倍以上」

「3倍以上!? 凄いっ」


 驚きを隠さないヨアヒム達だったが、エリックの不機嫌は直らなかった。


「芋だけ毎日焼いて食えってか?」


 クロードは育苗棟とは別の、まだ工事中のフロアを指し示した。


「三ヵ月後には拡張工事が終わって、食品加工の工場が完成する。芋のまま全部売るわけじゃない。これなんて薄くスライスした芋を油で揚げただけのオヤツだけど、きっと人気が出るぞ」

「たぁぬぅうっ」


 大皿に盛ったスナック菓子に、アリスが待っていたとばかりに被りついた。幸せそうに喉を鳴らしながら、バリバリと食べてゆく。


「ふむ、さすがはレア殿の料理。揚げただけなのに絶品だ」


 セイも、上品に口に運んで、美味しそうに微笑んでいた。

 ヨアヒムやアンセルも、こいつは美味いとばかりに、次々に口いっぱいにほうばってゆく。


「他にもクロケットやポタージュ、麺なんかを作って領の独自ブランド化して売り出すんだ。その収益で他領との取引を拡大する。もちろん、領の流通が優先だけど、計算では1年以内に領の食料状況は大幅に改善する。今は人力に頼らざるを得ないけど、いずれは給水設備も整えたい。あっちのガラスハウスは、芋以外の緑黄色野菜を栽培する予定だ」

「すっごい! たまにはやるじゃない。辺境伯様。きっとこの農園は、歴史を変えるよ!」


 ブリギッタが歓声をあげて、皆が喜ぶ中、エリックだけは真っ青になっていた。


「このクソ辺境伯。なんてことを考えやがる」


 彼は百姓の息子であり、冒険者となった今でも、畑への愛情があった。


「空中で栽培だ? ガラスの家で栽培だ? こんなの、農業でもなんでもないぞ」

「そうだ、エリック。農業と工業、商業を掛け合わせた。1×2×3で、六次産業とでもいうべきものだ」

「言い方なんてどうでもいい。こいつが成功すれば、レーベンヒェルム領で餓える者はなくなるかもしれない。でも、俺達の知る農業だって、消えてなくなっちまう。アンタは最悪の破壊者だ」

「それでも、領民達が餓えて死ぬよりはいい」

「アンタは正しいかもしれない。だから俺はついていく。でも俺はアンタのこのやり方が大嫌いだ」


 以前より取り組み済みだったノーフォーク式の輪栽式農法に加え、空中栽培とガラスハウスを導入した新式農園は一定の成果をあげて、レーベンヒェルム領における食糧事情は急激に改善された。

 だが、それは食糧供給を一手に握ったと慢心した共和国企業連の一部に壊滅的な打撃を与え、爆発的な収量増大がマラヤディヴァ国の零細農家を圧迫して農業ギルドが再編されるなど、新しい混迷を生むこととなった。


____

__



 近年、彼に協力したヴァリン大学の、ニコラス・トーシュ教授へのインタビュー動画が発見された。貴重な資料を文字に書き起こし、ここに記す。


「クローディアス・レーベンヒェルムを狂信的な独裁者だった、あるいは、保守的な貴族主義者だったと論じるグループがいますが、私に言わせれば正反対です。彼ほどにリベラルだった政治家を、私は他に知らない」


 ――トーシュ教授は、最新の農業研究者として辣腕を振るったことで有名です。そんな教授から見て、悪徳貴族であったクローディアス・レーベンヒェルムがリベラルであったというのでしょうか?


「……はい、私の研究テーマは農村と都市の共存と融合でした。農業収量を向上させ、一次産業の地位を引き上げることで、理想郷を作れると信じていた。だから彼に協力したんです」


 ――農業改革は、トーシュ教授の指導の下で達成された画期的な政策だったと評判です。 


「私はブレーンの一人に過ぎません。クローディアス・レーベンヒェルムが主導して、成し遂げました。輪栽式農法、空中栽培、ガラスハウス式農業……、これらの新しい農業へのアプローチで食料自給率は大幅に改善され、都市の中に植物工場が点在し、主要産業の一つとして確立しました。結果、ご存知のように、牧歌的な農業は姿を消して、農家がまるで企業のように収益を競う時代になってしまった」


 ――農業における弱肉強食時代の始まりですね。意図して導いたのならば、やはりクローディアス・レーベンヒェルムは、新自由主義者だったのではないでしょうか?


「私はそうは思いません。クローディアス・レーベンヒェルムは、市場が、神の見えざる手が、万能だと信じていなかった。だからこそ積極的な公共事業と経済政策でフォローしています。領民の賃金を向上させ、安全で安価な食料を増産し、商業を盛り立て、工業化を進め、識字率と教育水準を引き上げた。その政治手法は間違いなくリベラルで、レーベンヒェルム地方の民だけでなく、マラヤディヴァ国全体にとっても良い影響を与えたと言えるでしょう」


 ――それは、結果論に過ぎず、独裁者としての強権を振るっただけという意見が大勢です。 


「否定しません。あんな強硬手段は、今の民主主義制度では困難極まりない。けれど、クローディアスはわずか数年で、当時の進歩主義者リベラルを自称していた者達が、実現することのなかった複数の改革を成し遂げました。証明してしまったんです。私達が、かくあれかしと信じていた理想がまったく別の手段で達成可能だと」


 ――トーシュ教授……。


「彼は、ほんの数年だけ存在した革新者イノベイターだった。だからこそ、当時リベラルを名乗った者たちは、その後継者達は、自らの思想の優位性を守るために決してあの青年を認めることができないのです。なんと狭量で、なんと保守的なのか。それでも、私自身もまた、郷愁きょうしゅう慙愧ざんきをこめて、クローディアス・レーベンヒェルムをこう呼ばずにいられない。悪徳貴族、とね」


 クローディアス・レーベンヒェルムを語る上で、農業改革の試みは、最大の功績のひとつであり、同時に最大の害悪とも呼ばれ、後の世になっても議論が尽きず、半世紀を経た後も評価は定まっていない。

 ただ、レーベンヒェルム領における餓死者が、彼の改革以後無くなった。それもまた事実である。

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