第69話(2-27)反問之計
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復興暦一一一〇年/共和国暦一〇〇四年 涼風の月(九月)二五日。
領都エンガと城塞エングフレートを制圧した
首魁ダヴィッド・リードホルムは、侯爵夫妻を
名君であったエングホルム侯爵の親族は、反乱首謀者の一人でもあったレベッカを除き、老人から赤子に至るまで殺害されて、遺体は見せしめに広場中央に三日の間さらされた。
処刑されたのは、侯爵の一族だけではない。伯爵以下の貴族、政治家、官僚、軍人、警察官、エングホルム領の行政を担い、あるいは社会秩序を守っていた人々がことごとく殺害されて、遺体はゴミ捨て場にうず高く積み上げられた。また、彼らの妻子は競売にかけられ、革命軍参加者や協力する商人達に奴隷として売り払われた。
緋色革命軍による電光石火の進撃と、それに伴う時代錯誤な蛮行はマラヤディヴァ国全土を震えあがらせることになる。
そして、この革命騒動は、余人がまったく予想もつかない形で悪徳貴族クローディアス・レーベンヒェルムが治める辺境伯領に飛び火した。
革命政権が発表した閣僚名簿に、ダヴィッド・リードホルムの実弟、アンセルと、幼馴染であるソフィ、更には無関係なはずのヨアヒムの名前があったのだ。
――時を同じくして、以下のような怪文書が出回った。
曰く、出納長アンセル・リードホルムは、
曰く、女執事ソフィは領主であるクローディアスを骨抜きにして贅沢三昧の挙げ句に、緋色革命軍に財宝を盗み渡して、テロルに苦しむ民衆の前で「ご飯がなければお菓子を食べればいいじゃない」と言い放つ悪女である、とか。
曰く、軍参謀長ヨアヒムは、影の薄さを活かして軍の武器を緋色革命軍に流出させたのだ、とか、だ。
共和国資本である人民通報も、
噂は噂を呼び、
ただし、”レーベンヒェルム領以外では”であるが……。
☆
涼風の月(九月)三〇日。
クロードが役所の執務室から窓を覗くと、領都レーフォンを練り歩く四つのデモ隊の姿が見えた。
「セイ将軍はお前の愛人なんかじゃない」
「アリスちゃんのモフモフを独占するな」
「毎日レアさんにお茶入れてもらってムカつく」
「ソフィさんが他領で悪く言われるのもお前のせいだ。責任をとれ」
「「「「クローディアス・レーベンヒェルムの馬鹿野郎っ!!」」」」
彼女達のファンクラブによるデモ行進だった。
これデモじゃないよね、ただの罵倒だよね。と言いたい所だが、クロードの知る元いた世界でも終始個人攻撃に明け暮れる自称デモ隊とか、絶食をしない自称ハンガーストライキとかが実在したので、ツッコミを入れるのも徒労かつナンセンスだろう。
しばらく様子をうかがうと、先ほどの集団よりも規模に劣るものの、小規模な集団がシュプレヒコールをあげるのが聞こえた。
「ブリギッタさんといちゃつくな、エリックのおたんこなす」
「あのデモ隊、見る目あるな。僕も参加しよう」
クロードが右拳を握り締め、ぐっと掲げた瞬間、執務室のドアが侍女のレアによって開かれた。
「領主様、執務時間中です」
「じょ、冗談だよ。皆は揃ったかい?」
「はい」
クロードは頷くと、レアが閉ざしたドアへと向かった。
侍女は扉を開くのではなく、すれ違う瞬間に、領主の手を引いて背中を抱きしめた。
「領主様、たとえ世界のすべてが敵に回っても、私は貴方の味方です」
クロードは伝わってくるレアの体温に、思わず涙が出そうになって奥歯を噛み締めた。
ファヴニルによって古代遺跡から連れ出され、この屋敷にやってきたその日から、彼女の存在がどれほど救いとなったことだろうか。
始まりは彼女だった。それからクロードは多くの仲間と出会って、しかし、結んだ絆は悪意によって引き裂かれようとしている。
「ありがとう、レア」
「忘れないでください。きっとセイさん、アリスさん、ソフィさんたちも、同じ気持ちです」
クロードは、レアの頬をそっと撫でると、役所の会議室へと向かった。
公安情報部長であるハサネが火をつけていない葉巻を口に咥え、アンセル、ソフィ、ヨアヒムは不安そうな顔で待っていた。
「忙しいところをすまない。もう気づいていると思うが、何者かがレーベンヒェルム領で、悪意あるデマを流している」
クロードは、アンセルの切りそろえられたトウモロコシ色の髪と緑の瞳、そばかすの浮いた顔を見た。ヨアヒムのソフトモヒカンに固めた朽葉色の髪と、青錆色の瞳を視た。そして、ソフィの赤いおかっぱ髪と、わずかに濡れた黒い瞳を見つめた。
「承知の通り、まったく根拠のないデタラメだ。アンセルが領の税金を横流ししようにも、余分なお金なんてありはしない。ヨアヒムが武器を流出させたのだとしたら、鉄砲が使われていないのはおかしい。ソフィが赤い
「ま、待って、クロードく、クロード様はなにも悪くなんて……」
ソフィが思わず否定したように、クロードが告げた事実は、ちょっと取材すればわかることだった。
現にギルド新聞などは、無節操な噂が一人歩きしていると、根拠付で分析した記事をあげている。
人民通報が載せているのは、もはや記事なのか、舞文曲筆による虚構なのかわからない、ジャーナリズムとしては末期的な有様だった。
「公安情報部でも調べてみましたが、レーフォンで飛び交っている流言飛語を扇動しているのは、
「なんですって?」
「十賢家のお偉方がどうして?」
アンセルとヨアヒムが驚いたのも、もっともだろう。彼らからすれば、十賢家といえば雲の上の殿上人であり、大貴族に疎まれる理由なんて想像もつかなかったからだ。
「我らが辺境伯様の部下だからですよ。他の十賢家にとって今までのレーベンヒェルム領は、使い勝手のいいハサミ、いえバカでした。邪竜ファヴニルと、共和国企業連の意のままに操られる頭空っぽの傀儡は、大貴族達にとって都合が良かったのです」
昨年までは、軍事大国西部連邦人民共和国の暴威に晒されるサンドバッグ役を、レーベンヒェルム領の領民が一手に引き受けていたのだ。
いくつかの国では半ば黙認されているものの、表立っては困難な人身売買や、麻薬・覚せい剤、武器兵器の取引場所として、レーベンヒェルム領は重宝されていた。
他の十賢家がクローディアス・レーベンヒェルムの独裁を黙認していたのは、ファヴニルという絶対戦力への恐怖だけでなく、実利的な側面もまたあった。
あるいは、もっと単純に考えればいい。いじめっ子の論理だ。西欧列強による植民地支配の論理だ。併呑した少数民族に圧制を強いる軍事国家の論理だ。
『地獄を這いずる最底辺の住人が隣にいるなら、多少の不幸だって我慢できるだろう?』
しかし、いまやろくでなしの
復興暦一一一〇年/共和国暦一〇〇四年 芽吹の月(一月)の新年演説から九ヶ月。
領都レーフォンは、クロードが打ち出した数々の政策によって
再編された領軍は、セイという十倍の敵を打ち破った名将を総司令官に迎え、レ式魔銃のような新兵器の配備も進んでいる。一方、
レーベンヒェルム領は、他十賢家にとって、いつの間にか恐怖の対象となっていた。
『クローディアス・レーベンヒェルムは、親族を抹殺して領主の座を簒奪したばかりか、用済みとなった共和国勢力すら排除した、恐るべき
そのように解釈されたからだ。――事実? そんなものは意味を成さない。
少なくとも意図的にプロパガンダを発信する側にとっては、百千万の証拠よりも、辻褄の合わない聞き取り証言や合成した念写真の方が何倍もの価値を持つのだから。
「御三方には、十賢家の連名で首都クランへの出頭命令が出ています。ソーン家や、メーレンブルク家に忍び込ませた間諜の報告を分析する限り、大人しく出て行ったが最後、適当な冤罪をでっちあげられて処刑されますね。辺境伯様と会えば角つき合わせて喧嘩するエリック殿と、ブリギッタ殿が流言の対象から外れたのは、ブリギッタ殿のご実家が共和国企業連の重鎮だからでしょう。黒い話です」
「そういうわけだ。皆には悪いけど、六ヶ月の間謹慎してもらう。それで手打ちしてもらえるよう、話し合いに行って来るよ」
「クロードくんはいいの? 行ったら酷い目に……」
クロードは、ソフィの額に自らの額をこつんと当てた。
「いいんだよ。領主は、領民を守るためにいるんだ。任せておいてくれ」
出納長アンセル、領軍参謀長ヨアヒム、試験農園監督官ソフィ。
クロードの懐刀として、領運営を牽引していた三人の謹慎によって、こののち半年の間、レーベンヒェルム領の改革は停滞する。
折りしも、ゴルト・トイフェルの策によって、エングホルム領から大量の難民がなだれ込んだこともあり、レーベンヒェルム領は対応に追われた。
☆
復興暦一一一〇年/共和国暦一〇〇四年 紅森の月(一〇月)一日。
マラヤディヴァ国首都クランの中央通は、異様な気配に包まれた。
道行く者は、ある者は戦慄して膝をつき、ある者はドアと窓を固く閉じて家に閉じこもった。
赤い導家士の鎮圧によって、機動隊大隊長に出世したヴィンセント・ブラーエに護衛され、一人の貴族が拘束服に身を包んで馬車に乗せられていたからである。
まるで市中引き回しの重犯罪者の如き扱いを受ける貴族の名前を、クローディアス・レーベンヒェルムという。
「辺境伯様、御戯れは程々にしてください」
「気にしないでくれ。今から審問会に行くんだ。これは……言ってみれば正装だろう?」
後年、法務大臣をつとめることになるヴィンセント・ブラーエだが、この日の日記には以下の一文だけが記された。
吾輩、もうやめたい――もっともであろう。
首都クランの議事場で開かれた、十賢家による審問会は紛糾した。
嫌がらせに部下を処罰しようとしたら親玉が出頭して来た、なんて事態は、会議を主導したソーン侯爵も、メーレンブルク公爵も想定外だった。
彼らは西部連邦人民共和国と強い繋がりがあり、アンセル、ソフィ、ヨアヒムの命さえも、あくまでもカードの一つとして考えていた。
クロードにとっては、そうではない。私人としては彼らは大切な仲間であり、公人としては彼らを失ったが最後、レーベンヒェルム領が転覆するのだから。
「拘束服で出席したのは、侯爵たちが為されようとしたことを、わかっていただくためです」
ソーン侯爵も、メーレンブルク公爵も、今のクローディアス・レーベンヒェルムが”領民達による罵声を許す”程の軟弱者だと考えていた。それが過ちであることを、彼らはようやく認識した。
「舐めるなよ。こっちだって十賢家の辺境伯だ。相応の対策をとらせてもらう」
クロードは、他ならぬファヴニルにすら牙を剥く、鋼の如き芯の持ち主であったのだから。
「双方、落ち着け。お主の部下を呼ぼうとしたのは、
ライオンのように豊かな口ひげを揺らして、仲裁に入ったのは、レーベンヒェルム領の隣領を治める大貴族ヴァリン公爵だ。
実を言えば、あらかじめ根回しをしてあった。無為無策で罠に飛び込むほど、クロードだって恐いものなしではない。むしろ臆病だ。
「そ、そうだ。ヴァリン公爵の仰られるとおりだ。勘違いされては困る」
ソーン侯爵は、急速に掌を一八〇度反転させて。
「部下を思う気持ち、あっぱれなり。若いのう」
メーレンブルク公爵もまた、若干の冷や汗をかきつつ、
「では、本題である
現国主であるグスタフ・ユングヴィ大公が議題を転換した。ここに、審問会は終わり、アンセル、ソフィ、ヨアヒムの安全は確保された。
(よし、でも、ここからが本当の戦いだ)
会議を舞台に、クロードの戦いは続く。
しかし、それは彼が想像する以上に、過酷なものとなった。
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