第197話(2-150)悪徳貴族の拳

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「き、きさまっ」

「共和国に二領を割譲しろ? 金を貢げ? 女を差し出せ? 特権階級と認め奴隷のように奉仕しろ? アルフォンス・ラインマイヤー、楽園使徒よ。寝言を言っているのか。お前たちに必要なのは、法を犯した罪に対する罰だけだ」


 厳格な顔で断言したクロードに対し、アルフォンスが見せた反応は意外にも笑みだった。


「ふひっ。ふひひっ。辺境伯様よぉ、なぁにカッコつけてんだ。ひょっとして俺サマたちが、そうすることを、予想していなかったとでも思っているのか?」


 アルフォンスは近づいてきた部下から通信端末を受け取り、小さな魔法陣に指を当てた。そして、もう耐えられないとばかりに身体をくの字に折って奇声を発し始めた。


「さすがは愚かな悪徳貴族。戦略と戦術の違いも知らないようだな? 戦術は所詮、一戦場の有利不利を左右するだけだ。戦略とはすなわち戦う前に有利な盤面を創り上げ、勝利を決めることに他ならない。俺サマのような、神算鬼謀しんさんきぼうの知恵と圧倒的な力でなあ!」


 クロードは笑い転げるアルフォンスを黙って見ていた。


「ああ、なんだ。その目、さては信じてないな。いいだろう。見せてやるよ。燃える領都レーフォンと、楽園使徒が蹂躙じゅうりんする領境界線をなあっ」


 クロードは思い出す。

 かつて、ファヴニルと赤い導家士どうけしによって、レーベンヒェルム領は深い傷を負った。

 彼らのテロに備えることさえ出来なかった自分は、確かに戦略家にも戦術家にも程遠いと理解している。

 だが――。


「そら、ご自慢の町が火に包まれて……え?」


 アルフォンスが魔術投光機で映し出した映像には、変わり映えのない平穏で普段通りの市街地が映し出されていた。


「今朝方指示を出しておいた。領内に潜んでいたテロリストを一斉検挙しろって。当然、元締めにも連絡がいったと思っていたんだけどね」


 レジスタンスが楽園使徒の拠点から押収した資料を元に、ハサネとミズキが拠点を探し当てた。

 今頃は、ヴィゴが指揮する公安とイェスタたち領警察が、爆破や放火を目論んでいたテロリストたちを拘束しているはずだ。


「バッキャロー。戦場ってのは一点じゃないんだよ。知ってるんだぜ。レーベンヒェルム領軍は先の内戦で再編中、ろくに動くことも出来ないカカシ同然だ。今から死ぬ領民たちは、皆お前の浅はかな考えでくたばるんだ」


 投光機が次に映し出したのは、ルクレ領とソーン領の旗を掲げた大軍に打ち破られ、散り散りに逃走する楽園使徒の軍勢だった。

 レ式魔銃を手にした兵士たちの陣頭に立ち、鬼神の如き面構えで追撃する白髪の参謀こそは、レジスタンス指導者アマンダの父にして、ドーネ河会戦で気を吐いた老将アーロン・ヴェンナシュだ。

 声は聞こえずとも、口元を見ればクロードにもわかる。我らが故郷を取り戻せ。彼は遂に望んでいた戦場を得たのだ。


「おかしいだろ。ありえないだろ、どうなってるんだよ、これは!?」

「確かに我が領軍は動ける状態じゃない。だから捕虜として拘禁こうきんしていたルクレ領海軍と、ソーン領陸軍の兵士たちを解放したんだ」

「ふざけんな。ずっと捕まってた兵士がこんなに動けるものか。銃を使っているってことは、悪徳貴族、貴様は最初からこうやって使うつもりだったな!」

「さあ、想像に任せるよ」


 種を明かせば、クロードはたとえ楽園使徒との和平が成立したとしても、続く緋色革命軍戦に備えてルクレ領とソーン領の兵士たちに協力してもらうつもりだった。

 その為にわざわざ茶番劇を演じて、兵站へいたんに長じるアンセルと優秀な指揮官であるヨアヒムを表向き解雇して、二領軍を訓練させたのだ。

 実際のところは、むしろ二人がアーロン老にしごかれていたようで、クロードは訓練の悲鳴を思いっきり愚痴られた。


「クローディアス・レーベンヒェルム、悪党め……。わかったぞ、貴様は戦うのが好きなんじゃねえ、勝つのが好きなんだな! だが、その短慮が命取りだ。人質の命が惜しければ今すぐ降伏しろぉ」

「人質というのは、この二人のことか?」

「え?」


 会議場の扉が開かれて、正装した幼い鳶色髪の少女と、落ち着いた栗色髪の女性が現れた。


「エステル! クローディアス・レーベンヒェルムを殺せぇ!」


 反射的に叫んだのであろうアルフォンスの指示を無視して、エステルはアネッテと共に壇上へとのぼり、クロードの横に立った。


「だぃっキライ!」

「貴方は人間として最低ですわ!」


 パチンと乾いた音が重なる。

 エステルとアネッテが、アルフォンスの頬を平手打ちにしたのだ。


「この売女ども。よくも俺サマに恥をかかせたなあっ!」


 奴隷支配の効果がなかったことにも気付かず、アルフォンスは激情に駆られて通信端末で殴りつけようとしたものの、クロードがとっさに左手で腕を掴んで止める。


「悪徳貴族め。俺サマこそは、邪悪なる秩序に一条の閃光を刻む正義の執行者。その深遠なる策謀を、偉大なる戦略による勝利を、誰の許可があって台無しにする!?」

「策謀だの戦略だの関係あるか。アルフォンス・ラインマイヤー。貴様はこの娘に何をした? 腐れ外道ッ!」


 クロードは右拳を、アルフォンスの顔面へと叩きつけた。

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