第9話 夜宴の始末(前編)
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開いた窓から差し込む風に吹かれて、厚い絨毯の敷きつめられた廊下のカーテンが翻った。
金糸銀糸で織られたきらびやかな薄衣をまとい、無駄にバレエの野鳥めいた決めポーズをとっている美少年、ファヴニルはおそらくあの窓から入ってきたのだろう。ちゃんと出入り口を使いなさいと、躾けられなかったのだろうか?
クロードは、レアとソフィを背中で庇うようにして、ファヴニルに問いかけた。
「こちらは四人、無力化したよ。そっちはどうだ? “暴動”は終わったのか?」
「とっても楽しかったよ。クローディアスも見てみる?」
ファヴニルが、妖精のように愛くるしい笑顔で親指をぱちんと鳴らすと、空中に大きなディスプレイが浮かび、屋敷の丘下にある訓練場の様子を映し出した。
「うぷっ」
クロードは、こみ上げてきた吐き気を、胸に手を当てて必死でこらえた。
エリックが絶望したかのように項垂れ、ブリギッタは悲鳴をあげて泣き崩れ、アンセルは腰が抜けたかのように座り込み、緑の蔦から這い出ようとしていたヨアヒムの手が止まった。
酷すぎる惨状だった。襲撃者たちは、何処からか現れた
「ころせ、ごろじでぐれ」
ある者は黒い獣に腹や胸を噛みちぎられて、介錯を求め……。
「くっしない、くっしないんだから」
ある者は半身を大蛇に呑まれ、溶かされながら悲痛に叫び……。
「……」
ある者は物言わぬ石像として転がされ……。
「たしゅけて、ころしゃないで」
ある者は四肢を昆虫に似たナニカへと変えられ、豚鬼達のオモチャになっていた。
クロードは、失禁しそうな恐怖に耐えて、映像を見続けた。今、彼に出来る事は、それだけだった。ファヴニルと戦うことを選んだ以上、眼前の風景はいずれ来る未来だ。
(あの怪物は遺跡で見たやつだ。ファヴニルが連れてきたのか? どこか変だ。……服だっ。あいつら、人の服を着てるんだ)
映像を細部に注意して見れば、瀕死の襲撃者たちと、彼らを痛めつける豚鬼の装備は似通っていた。ひょっとしたら、あの怪物たちは、元は自分達と同じ人間だったのではないか?
戦慄するクロード達を気にも留めず、ファヴニルはあいかわらずの芝居がかった格好で、両手を天に掲げて勝ち誇った。
「どうかな、クローディアス? これこそボクの芸術。エンタァーテイメント!」
率直に言って悪趣味過ぎて、クロードには批評不可能だ。
「ファヴニル、彼らはどうなる?」
助けてやれ、なんて偽善者じみた台詞を、クロードは言えなかった。どんな正当な理由があろうとも、彼らは自分の命を狙った相手だ。法に照らせば、武装蜂起した犯罪者として裁かれるだろうが、せめて治療して人間らしい最期を迎えさせてやりたかった。
「マラヤディヴァ国法および、レーベンヒェルム領法に基づいて、領主殺害を企んだ犯人は死刑だね♪」
「レア?」
青い髪のメイドを見ると、無言で頷いた。おそらく正しいのだろう。中世において、領主殺害未遂や大規模暴動は一般的には極刑だ。
「わかった。念のため襲撃者たちは拘束、治療して裁判をしよう。死刑が決まったら、仔細はファヴニルに任せる」
「ちぇっ。面倒だなあ。どうせ結果は同じなんだから、今すぐボクが、……あれ、クローディアス、処刑はボクにやらせてくれるの? ほんとに? 好きにやっちゃうよ?」
「構わない。法律の範囲内でやってくれよ」
この世界の法律、マラヤディヴァ国の刑法もレーベンヒェルム領の刑法も、クロードは知らないため、消去法による決断だったが、ファヴニルは上機嫌でステップを踏んで踊り始めた。やっぱり、この悪魔とはわかりあえそうにない。
「じゃあ、その子たちも連れてくよ」
ファヴニルの呼びかけに、クロードの背筋が凍る。だが、動揺を顔に出す前に、アンセルという小柄な少年が金切り声で叫んでいた。
「待ってくれっ! ぼくが主犯だ!!」
クロードは呆気にとられ、ファヴニルは害虫でも見るように綺麗な顔をしかめ、他の三人が「何を言うんだ」「違う!」などと否定の抗議をあげる中で、アンセルは自らの頭を廊下に叩きつけ、声もかれよとばかりに叫び続けた。
「ぼくの名前はアンセル・リードホルム。領主、貴方と、ファヴニルによって殺された、ボリス・リードホルムの子だ。他の三人は、ぼくが復讐のために金で雇ったんだ。だから、無関係なんだっ」
そのりくつはおかしい。
クロードは、喉まで出かかったツッコミを噛み殺した。
金で雇われたから無関係、なんてスジが通るわけもなし、だいたい復讐の為だなんて初めて聞いた。
エリック達が散々怒鳴っていたじゃないか。四人は、拉致された仲間、ソフィを奪い返すために来たのだ、と。
「ボリス・リードホルム? ああ、あの口うるさい出納長か。代々の名士だかなんだか知らないけど、税金下げろ、無駄遣いやめろって、うざかったやつだ。そういえば、二人息子がいるとか言ってたね」
ファヴニルは、赤い瞳を爛々と輝かせ、蛇のように舌を伸ばして唇をちろりと舐めた。
「ねえ、クローディアス。戦闘はまだ終わってないよね? こいつら、ひきつぶして家畜のえさにしちゃおうか。ねえ、ボリスの息子、それともお前、食べてみる? おともだちはどんな味がするのか、教えて欲しいなあ?」
朝の陽ざしに照らしだされたファヴニルの影から、無数の黒い手が浮かび上がる。
「や、やめろっ。おねがいだ、やめてくれぇっ」
アンセルが絨毯に顔を押しつけるようにして許しを請うも、ファヴニルは一顧だにせず、影より生まれた黒手がエリック達へと伸びて、クロードは思わず制止の声をあげていた。
「待て、ファヴニル。この子たちは、友人を助けに来ただけだ。僕を殺そうとはしていない。だから、極刑じゃない」
ファヴニルの赤い瞳が、頭にこぶをつくり、裂けてよれよれになった外套をまとった惨めなクロードを写し出す。
「ふぅん? クローディアスがそう言うならいいよ」
「あ、ありが……」
エリック達が息を吐き、アンセルが涙ながらに感謝の言葉を口にした瞬間――。
「なーんちゃって♪」
無情にも、再び影から黒い手が伸びた。
「っぐあ」「ひっ」「うおおっ」
無数の手に掴まれてエリックの右腕が不自然な方向にねじれ、ブリギッタの左肩関節が外れ、ヨアヒムの右脚が嫌な音をたてて折れるのをクロードは見た。
「ファヴニル、止せと言った!」
わかっていた。わかっていたのだ。この悪魔が、こういう相手だということは。
だから、クロードは準備していた。脳裏に浮かんだ言霊をつむぎ、二四種からなるルーン文字をつづり、現実を魔の力によって書き換える。
最初は爪だ。遺跡で見た豚鬼を引きちぎった魔法、空間を断ち割る爪を呼び出して、ファヴニルの足元から伸びた黒い手を半ばからぶった斬った。
「全部だ! もってけ」
続くのは焔だ。クロードの手のひらから、あかあかと燃え盛る炎の渦が噴き出して、ファヴニルを焼き焦がさんと
「なまあたたかいね」
しかし、巨大ネズミやナメクジを蒸発させた焔も、悪魔の竜を相手取るには力不足だったらしい。ファヴニルが左手で扇いだだけであっさりと消失し、しかし、クロードの本命は、意識を焔に逸らせた上での鎖による拘束だった。
蔦ではない、頑丈な鋼鉄の鎖が四方八方からファヴニルを絡みとり、
やったか! なんて心の中でガッツポーズを決めたのが間違いだった。
「悪い冗談はよしなよ、クローディアス」
ゆらりと、湯気のような白い煙がたち昇ると、ファヴニルを縛る鎖が砂のように崩れ去った。
「……」
恐怖で頭の中が真っ白になる。
「いけないっ。領主様、鏡を!」
ファヴニルの赤い目が光ったような気がした。
その寸前、背後に控えていたレアが、小さな何かを手に飛び出して、クロードが眩しさにまばたきをした直後、廊下の隅に飾られた銅像が、透明なガラス像へと変わり果てていた。
「が、ら、す、だって?」
思わず背後から彼女の肩を抱き寄せて覗きこむと、レアの手の中には、小さな化粧鏡が握られていた。
(なんだよ、それ? 神話のメドゥーサとかバロールの、邪眼?)
今こそクロードは確信できた。外の訓練場に転がっていた石像も、暴れまわっていた
レアが、庇ってくれなかったら、どうなっていたか? まるで
「本気で喧嘩したら、クローディアスがボクに敵うはずないだろ」
離れていた距離が一瞬にして詰められ、レアは邪魔だとばかりに振り払われ、クロードは喉首を掴まれてファヴニルに吊りあげられた。
心はもう折れていた。土下座して泣きながら許しを請いたかった。でも、そんな真似をすれば悪魔は自分を見限って殺すだろう。だから、クロードは、からっぽの心でクローディアス・レーベンヒェルムの演技を続けるしかなかった。
「ひとのエモノを、よこどりするのは、趣味が悪いぞ。ファヴ……ニル……」
「それもそうか」
どこまで本気なのか、ファヴニルは手を離し、クロードは咳きこみながら廊下に崩れ落ちた。
目眩が酷い。酸欠のせいか頭ががんがんと痛む。情けないことに、悪魔にしがみつかなければ、立つことすらままならなかった。
「さ、さいばんの後、下の連中は刑に従って好きにしろ。だけど、この四人をどうするかは、僕が決める」
クロードの宣言を聞いて、ファヴニルはしばらくの間、瞳を閉じて沈黙を続けた。
「残念だよ、クローディアス。キミはもっと頭のいいヤツだと思ったのに」
(あ、死んだ)
クロードは、何度目かになる死の恐怖に、ついに耐えきれなくなった。
しかし、彼が尻餅をついて意識を手放しかけたその瞬間、ファヴニルはあいまいな笑みを浮かべて窓を開け、出て行ってしまった。
張り詰めた空気のまま、どれだけの時間がたったことだろう? 最初に口を開いたのは、あまり空気の読めそうにないエリックだった。
「かえせよ! ソフィ姉を返せっていってんだ。この悪党」
ブリギッタとアンセルが身ぶり手ぶりで制止を試みているが、まるで通じていないようだ。
……部長や会計も彼に似たタイプだった。無駄な虚言を弄さないエリックの直情的な性格には、多少の好意を覚えもする。
「いいだろう。だが条件がある。裁判が終わったら、つぐなう為に僕の下で働け。そうすれば、彼女の命を保証し、いつかお前達に返してやる」
「いつか、だって。ふざけるな。何がつぐなうだっ。殺してやる。いつか必ず俺がお前を殺してやる!」
ブリギッタとアンセルとヨアヒムが、その前に殺されちゃうでしょ、気持ちはわかるけど今すぐだまって、死刑になりたいのかあほー、と、やんややんやとボディランゲージに勤しんでいて、こんな時だというのに噴き出しそうになった。
「言われなくとも、僕はきっと、地獄へ落ちる」
今のままでは、絶対にクロードはファヴニルに勝てない。
戦いを挑み、敗れた人間の末路は、襲撃者達が身をもって示してくれた。
そして、戦いを挑まずとも、クロードの場合、飽きられた時点で同じ未来へと収束するのだ。
「その角を曲がった先に地下へ降りる階段がある。牢屋に入ってじっとしてろ」
「牢屋? なんで俺たちが!? ……ってイタイイタイ、ひっぱるんじゃない」
「いいから立って。本当にもう、そんなんじゃ命がいくつあっても足りないわよ。ヨアヒムは立てる?」
「無理だ。肩を貸してくれ」
「ぼくが行くよ。つかまって」
お互いの怪我を庇い合い、歩いてゆくエリックたちを、クロードは座り込んだまま見送った。
腰が抜けてしまったのだ。
(俺YOEEE……)
馬鹿だった。与えられた力に酔っ払い、自分がちょっとでも強くなったのだと誤認した。
自分自身は、無力貧弱意気地なしのもやし男のまま、なにひとつ変わっちゃいなかったのに。
「ちくしょう、ぼくは、なんで、こんなによわい」
クロードの目から熱い雫が滴り落ちた。涙はとまらず、あとからあとから溢れ出てくる。
くやしかった。みじめだった。こわかった。非力な自分が憎くて憎くてたまらなかった。
「ちくしょう。ちくしょうっ、ちくしょう……」
「領主様。だいじょうぶです。もう、だいじょうぶですから」
レアが小さな身体でクロードを抱きしめて、あやすように背中を何度もさする。
彼女から伝わってくる体温が温かくて、いま生きていることが嬉しくて、情けない自分が恥ずかしかった。
「……。強くなってやる。……ならず、必ず!」
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