第8話 酩酊の夜

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 クロードは、自分に襲いかかり、吹き飛んでゆく少年を見送って、呆けたように口をあけ、手のひらを見つめた。


(今、僕はいったい何をしたんだ?)


 素手で触れた瞬間、剣を真っ二つに叩き割って、鎧も粉砕したように見えたが、そんなこと出来る筈がない。


(ありえない。僕だぞ。無力貧弱意気地なしと三拍子そろったもやし男の僕が、ファヴニルと契約したらこんなに強くなれました? 怪しいショッピングの折り込みチラシみたいじゃないか?)


 クロードの目と耳に輝く文字が浮かび上がり、スッと意識がクリアになる。

 視界が広がり、耳の可聴域が拡大し、レーダーやソナーを視覚化したかのように、周囲の様子が認識できた。

 侵入者は三人じゃない、四人だ。玄関から広間へ続く廊下の角に、もう一人潜んでいる。


「このクソヤロウっ、ソフィ姉ちゃんの目を、かえしやがれっ」


 剣は折れ、鎧は砕け、額からまっ赤な血をだくだく流しながら、それでも少年は立ち上がった。


「エリック、駄目っ」


 少年の仲間の一人、白い鎧を着た少女が、片目を奪われた赤毛の少女を背負って、広間の方から制止の声をあげるも、少年は聞く耳をもたないようだ。


「エリック?」


 クロードは、はじめて少年の顔をちゃんと見た。短く刈った黒い髪、血に染まった額、整った鼻筋、日に焼けた頬、怒りと憎しみでぎらついた黒い瞳。

 彼は……知っていた。窮地において覚悟をきめた目だ。かつて演劇部で、部長や会計がほんの数回だけ見せた、肝の据わった男の視線。

 クロードが欲しくて欲しくてたまらなかった輝きを、眼前の少年は持っていた。


(エリックと言ったな。お前、むかつくぞ)


「くたばりやがれぇ」


 エリックが血走った目を大きく見開いて、折れた剣を薙ぐようにして、斬りかかってくる。

 しかし、渾身の一撃は亀のように鈍く、あるいはコマ送りにした動画のように、クロードには遅く見えた。


(思い出すんだ。さっきの一瞬を)


 クロードの、唇が半月を描く。

 こいつを踏みにじってやると、そう決めた。

 感触は、もう掴んでいる。例えるなら水鉄砲だ。大切なのは引き金を引くイメージ。

 攻撃の意思をこめて、決して殺さぬよう加減しながら、契約したファヴニルから魔の力を引き出す。


「バキューン」


 クロードは、止まって視える折れた剣の下をかいくぐり、胴の真ん中に手のひらを添えて突き飛ばした。

 エリックの金属鎧は、今度こそ粉みじんに吹き飛んで、身体もまた廊下でバウンドして、壁へと派手な音を立てて叩きつけられた。


「ぐぁっはっ。ちくしょうめっ。俺は、身体の丈夫さには自信があるんだっ」


 上半身を引き起こし、エリックが悪態をつく。だが、それは、命までは奪わないよう、クロードが慎重に威力を調整したからだ。それを丈夫だなんて思い上がりも甚だしい。


「だったら、こうだっ」


 クロードは、まるでサッカーかラグビーのボールでも蹴るように、エリックの顔面を蹴飛ばしてやった。


「ごぁああっ」


 クロードは再び跳ねて、廊下を転がってゆくエリックの身体を見送った。

 さすがにもう動けないだろう。追撃の必要はなかった。いや、その余裕もなかったというべきか。

 空気を割いて、少女が繰り出すレイピアの刺突が、クロードの頬をかすめていたからだ。


(牽制かっ?)


 まるで弾幕のようにレイピアを繰り出してくるが、ファヴニルの魔力で動体視力の強化されたクロードには、いまひとつ少女の技はぬるいというか、避けやすかった為、逆に警戒して足を止めてしまった。


(あぶない、油断は厳禁!)


 戦いの経験なんて無いのだ。エリックを蹴飛ばした瞬間に、こちらの首を落とされていても不思議ではなかった。

 少女は嵐のような刺突を繰り返して跳躍し、後から追いついてきた小柄な少年の傍へと着地する。


「アンセル、さっきヨアヒムがかけた弱体化魔法はきいているんでしょ?」

「うん。ブリギッタには加速呪文をかけるから、エリックを回収して。ぼくはソフィをなんとかする。もう手段は選べない。さっきの広間の窓から逃げよう」


 どうやら今のクロードは、視覚だけでなく聴覚も強化されているらしい。本来なら聞こえるはずのない小声をバッチリ聞き取ることができた。


(ああ、強化魔法/バフ と弱化魔法/デバフ は、RPGの基本だものな)


 火かき棒を盾で弾かれたときに、妙な脱力感を覚えたのは、それが理由かとクロードは納得する。

 同時に、彼らの目論見が外れたことを理解した。


(ブリギッタと言ったか。悪いけど、もうこの戦場じゃ意味がない)


 ファヴニルの魔力は、常人の十万倍らしい。隠れたヨアヒムとやらが、どんな弱体化魔法をクロードにかけようと、あと九万九千人以上いなければ効果はないに等しいだろう。

 小柄な少年、アンセルとやらが呼び出したツタが足元から生えるも、クロードは問答無用で踏み潰した。

 侵入者たちの行動を顧みるに、重装備の少年エリックが切り込み役、突剣を振るう少女ブリギッタが遊撃役、玄関に続く退路を確保したヨアヒムが支援役だろう。

 ならば今、もっとも優先すべき標的は――。


「指揮官は早めに落とさないと、ね」


 クロードは、トン、と廊下を蹴って、弓を引き絞ろうとするアンセルに接近し、切りそろえられたトウモロコシ色の髪を右手で掴んだ。

 そばかすの浮いた頬がひきつり、緑の目が驚きで丸くなる。彼の顔を、容赦なく自分の右膝に叩きつけた。

 運動部の試合なら反則かもしれないが、あいにくクロードに武道の心得など無いのだ。確実に落とす手段を使わせてもらう。


「アンセル!」


 ブリギッタが細い喉を震わせて叫ぶ。山吹色の長い髪を振り乱し、灰色の瞳に憎悪の炎を燃やし、凛とした顔を般若のように歪めてレイピアを繰り出してくる。

 だから、クロードは痛みに呻くアンセルの身体を盾にした。


「この! ひきょう、ものっ」


 彼女の動きが一瞬止まる。そのまま無力化しようとクロードが踏み出そうとした瞬間、玄関へ続く角から大声が響いた。


「もう駄目だ。やってられるか。オ、オレは逃げるぞ、逃げるからなっ」


 仲間が倒されて、怖じ気づいたのだろうか? ヨアヒムは、まるで犬が吠えるようにギャンギャンと騒ぎ始めた。

 クロードは思わず呆気にとられて、反撃のタイミングを失ってしまう。やむを得ずアンセルの身体をブリギッタへと突き飛ばし、わずかな時間を稼いだ。


(違う。あいつ、逃げる気なんてない)


 今まで隠れていたのだ。逃げるなら黙って逃げればいいものを、わざわざ声を上げたのは、何のためだ? こちらを動揺させて隙を作るためだろう。仲間思いなことだ。


(そういうの、腹の底から、むかつくんだよっ!)


 クロードの顔にかっと朱が射して、血が燃えたぎるほどに熱くなった。

 この世界には、産み育ててくれた親はいない。共に学び遊んだ友達もいない。巻き込まれただろう先輩たちだって生きてるかどうかわからない。

 記憶はあやふやで本名さえも不明なままだ。悪魔にからまれ、お前たちには殺されそうになって、なんでそんな友情を見せつけられなくちゃならないのか。

 心のどこかで、こまっしゃくれた赤い瞳の少年が笑っている。


『ああ、だから、クローディアス。わかるよね。キミが今何をするべきなのか?』

(こいつらの、その黄金きずなを奪ってやる!)


 これもファヴニルから与えられた魔法の力だろうか?

 クロードは、なぜか背後を振り返る必要すらなく、退路を確保していた少年、ヨアヒムの姿を視認できた。

 斜に構えたような、どこか険のある風情の少年だ。朽葉色のソフトモヒカンと青錆色の目にかけたサングラスが妙に似合っていて、言葉を選ばず言えば、そこはかとない下っ端っぽさに親近感を覚える。


「こんな感じ、だったか?」


 とはいえ、クロードだって命がかかっている。

 手をぬくつもりなどささらなく、彼は先ほど己を絡め取ったツタを再現しようと、脳裏に浮かんできた魔法の言葉を紡ぎ、指で文字を綴った。


「ぐわああああっ」


 ちょっと多すぎた。なんか廊下の一角が森みたいになって、ヨアヒムはツタの塊に押しつぶされている。命に別状はないようだし、放っておこう。


(弱い。よわっちいじゃないか、貝殻や流木を拾うより簡単だ)


 クロードが思わず漏らした笑みを、ブリギッタは侮辱と受け止めたらしい。


「死ね! 悪党」


 ブリギッタは、受け止めたアンセルを抱き下ろして、歯を噛み締めるようにレイピアを構えてステップを踏んだ。


「スピードなら負けないっ」


 彼女の踏み込みも、剣の鋭さも、常人では対応不能なほどに疾かった。

 だが、この時のクロードは、身体能力も動体視力も非常識なほどに強化されていた。


(充分だ。やれる)


 刺突の狭間を縫うようにして身体を割り込ませ、ブリギッタの鎧を素手で引きちぎり、馬乗りになって廊下へと組み伏せる。勢い余って鎧下の服まで裂いたか、淡い水色の下着が見えた。


「俺TUEEE!」


 クロードは感極まったように喝采をあげた。


「最高だ。この力! 先輩たちなんていらんかったんや!」


 終わってみれば圧勝だった。一対四で完全に相手を無力化した。


「こ、ころしなさい」


 眼下には、凹凸の薄い胸を抱いて震える少女がいる。触れた喉頚のどくびは細く、肌は吸いつくようになめらかで、肉は柔らかい。


「はなして、さわらないで」


 クロードの中で嗜虐心がもたげてくる。もてあそんでやってもいいだろう。こちらは命を狙われたのだ。それくらいの役得はあってもバチはあたるまい。


「おねがい、やめて」


(え?)


 ブリギッタとは異なる、記憶にない声が、沸騰したクロードの胸中を凍てつかせた。

 その声は、エリック達にソフィと呼ばれていた。赤毛の、片目を奪われた少女のものだ。視神経がおかしくなっているのだろうか? まるで暗闇の中を探るように、おぼつかない足取りでこちらへ歩いてくる。痛めつけられたのは、穴を穿たれた手と片目だけではないのだろう。すぐに体勢を崩し、転んでしまう。


「おい!」


 せっかく奪った圧倒的優位のマウントポジションを捨てて、クロードは走りより、ソフィを抱きとめていた。

 最後の気力を使い果たしたのか、彼の腕の中で少女は気を失った。

 クロードの胸の中を、白く爆発するような感情が満たした。


(この子に助けられた。本物のクローディアスと同じ間違いを踏むところだった)


 今なら、少しだけわかる気がした。見送ったレアの寂しそうな瞳も、彼女が自分を守るなどと言い出した理由も。ファヴニルの力は甘美な毒だ。使う者の心を堕落させ、畜生へと変える。


(だいたい、冗談抜きで女の子襲ってた日には、部長にフルボッコにされる)


 クロードは、さきほどの気の迷いを思い返して、背筋が寒くなった。

 そうだ。たとえファヴニルから得た力があっても、あの人に勝てる気なんてまったくしない。ぶちのめされて転がるのがオチだ。


(なんてね、嘘だよ。いくらおかしい部長たちでも、そこまで人間やめちゃいないだろ)


 それでも、と、クロードは決めた。この嘘を信じると。今だけは、信じ抜こうと。

 腕の中で眠る少女を抱き上げる。鼓動を感じる。生きている、僕たちは生きているのだ。


(だから、僕は大丈夫。情けないけど、怖いけど……。ソフィ、きみが助けてくれたから、ファヴニルとだって戦える)


 藁のような偽りの希望にすがっても、人間の心を失わず、悪魔と正面から向き合っていける。


(この力に溺れるな。これは人を惑わす毒だ。この力を必要としない領を、僕は創る)


 戦意喪失した四人に背を向けて、クロードはソフィを抱いたまま広間へと歩き出した。

 夜はもう明けたらしい。窓から射す曙の光が、クロードの進む道を白く照らす。

 赤毛の少女の鼓動が聞こえる。温かい、いのちの音だ。

 エリック達によって開け放たれたままの広間のドアから、青い髪の少女が出迎えるように現れた。

 彼女、レアは、ほんの少し驚いているように見えた。


「領主様。彼らを、殺さなかったのですか?」

「人が人を殺すなんてことは、本来あっちゃいけないんだ」


 それが許されないのもまた世界というものだけど。


「それに、この力は僕のモノじゃない。戦いは避けられないとしても、気に食わないやつから恵んでもらった力で強がるなんて、カッコ悪いじゃないか」


 いつか耳をそろえて熨斗のしをつけて叩き返してやる。そう、心に誓う。


「領主様。あなたは……」


 レアはクロードに何かを告げようとして、けれど、悪意ある気配によって阻まれた。


「やあ、クローディアス。パーティは楽しんでくれた?」

「ファヴニルか」


 クロードはソフィをレアに預け、悪魔へと振り返った。”夜”はまだ終わっていない。

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