第7話 蹂躙の夜

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「暴動だって!?」


 他に誰もいないはずの部屋から聞こえた返答に、クロードは周囲を慌てて見渡した。

 いつの間にか部屋へ入ってきていたファヴニルが、ベッド脇の椅子に腰掛けて、背伸びをしながら欠伸を噛みころしている。寝る前にちゃんと鍵をかけたはずだったが、この悪魔相手では無駄だったのだろう。


「ファヴニル、暴動って、いったいどういうことだ!?」

「おはよう。クローディアス。屋敷が襲撃を受けているんだ。一昨日、港と農園で、護衛が全滅したって大げさに吹き込んでおいたから、近いうちに来ると思っていたけど、随分と早いお客さんだね」


 なに余計な真似をしてるんだ、この悪魔!?


乾坤一擲けんこんいってきの奇襲。命を賭けたギャンブルが失敗した時の表情って最高なんだよ。一度見たらきっとクローディアスもやみつきになるはずさ」


 なりたくないっ。というツッコミを空唾と一緒に飲みこんで、クロードは寝巻を脱ぎ捨てた。急いでシャツとズボンに着替えつつ、ファヴニルに状況の確認を始める。


「護衛や警備員は?」

「一昨日ダンジョンで全滅したね」

「館の防衛設備は?」

「非常ベルが鳴ってるね」


 廊下をのぞき見ると、壁に掛けられた鐘がひとりでに鳴っていた。これも魔法かと感心するが何の役にも立ちそうにない。

 クロードは頭を抱えた。いったいどうなってるんだ、この館は? クローディアスは死にたかったのか? もしそうなら、多くの領民や自分を巻きこむ前にもうちょっと早く逝ってくれと歯噛みする。


「クローディアス。今から外の連中と遊んでくるよ。怖いならレアの傍にいるといいよ」

「なっ」


 クロードの返答すら聞かず、ファヴニルは窓を開け、金糸銀糸で織られた薄衣を羽のようにはためかせて、外へと飛び降りた。慌てて駆け寄って窓下を覗き込むと、片足と片手を重ねて天へと向けた、フィギュアスケートの演者みたいなポーズで、無駄にスタイリッシュな着地を決めている。


(ツッコまない。ツッコまないからな、僕は)


 しかしクロードが固めた決心は、直後に部屋を訪れたレアによって揺さぶられ、まるで絹こし豆腐に化けたかのように柔らかくなった。


「お迎えに上がりました領主様。メイドとして御身の為、盾となり、剣となりて御守り申し上げます」


 もう限界だ。耐えられない。


「そんなメイドがいてたまるかぁ!」

「え?」

「レアは広間にいる子たちを看ていて。誰か来たら隠れるか、逃げるんだ。自分の命を一番に考えて。僕は賊を迎え撃つ」


 着けたくもない金属製コルセットだが、無いよりはマシだろう。クロードはシャツの上に着込み、更にぶ厚い毛皮のコートを羽織った。鎧は着方がわからない。武器は、ダンジョンで拾ったナイフをベルトで吊って、暖炉から火かき棒を掴みだした。


「失礼ながら領主様、おみ足が震えています。そんなナイフや棒きれでは闘いになりません。戦われた経験など無いのでしょう?」


 クロードはレアに言われて鏡を見た。なるほど顔は病人も驚くくらい真っ青で、三白眼は倒れかけの独楽こまのように忙しくなく回り、足どころか全身がひきつけを起こしたかのように震えていた。 

 不良と喧嘩したことはあるが、殺し合いなんてもちろん初めてだ。今すぐ逃げ出したい。でも、地下牢の惨状が、今朝聞いた悲鳴が、目の前にいるレアが、クロードの胸にちっぽけな勇気の火を灯す。


「だってしょうがないじゃないか」


 こんな時になんだが、クロードは昔のことを思い出した。

 先輩のひとりが、ある劇のビデオを見ながら駄弁っていた。

『女の子に戦わせて、後ろでガタガタ震えているような男は、去勢されて死ね』と。

 また別の先輩は、違う劇を録画したビデオを見た時、こう言っていた。

『戦う力も無いくせに、女の子は戦っちゃ駄目とかダダこねて戦況を悪化させる馬鹿は、脳みそポン酢漬けにして死ね』

 つまり、どっちにせよ、僕に死ねということか。なんだこの演劇部? 実は修羅部とかシグルイ部の間違いじゃなかろうか。


「領主ってのはそういうものだろ。責任を取れないなら、男だろうと女だろうと、臆病だろうと蛮勇だろうと、トップになんてなるべきじゃないんだ。僕にはレア、君と、ボー爺さんと、屋敷にいる女の子達を守る責任がある」


 レアは赤い目を見開いて、台詞だけは一丁前に勇ましいクロードを見つめた。ほ、と、小さな息を吐く。


「御指示に従います」

「そうだ。レア、髪飾り、つけてくれたんだ。か、可愛いよ、すごく似合ってる」


 精一杯の背伸びした声で、クロードはレアに別れの口上を述べた。

 八つ当たりの償いにと、部長の真似ごとをしたが、桜色の貝殻はレアの青い髪にとても映えていた。

 クロードが何一つ為せずに、ここで死んだとしても、きっと、これだけは意味のあることだと思ったから。


「行ってくる」

「領主様、御武運を」


 そうして、クロードはよたよたと廊下を走り始めた。



 レアは、彼の初陣を領主部屋で見送った。


「領主様は、格好をつけたいのでしょうか?」


 違う気がする。動悸、頻脈、体温の低下。彼は間違いなく恐怖していた。

 そもそも、先ほどの目も当てられない戦仕度を見ても、彼はちっとも格好良くなんてない。

 レアは貝殻で装飾された髪飾りに触れた。手作りのプレゼントをもらったのは、いつ以来のことだろうか?


「責任……。今だけのことでしょう。きっと彼もファヴニルの力に溺れてしまう」


 続く言葉は、窓から吹き込む風の音にかすれて消えた。


「兄さまのように」


 屋敷の外ではもう戦いが始まっていた。



――

――――


 ファヴニルはクロードを茶化したが、たとえ私兵や護衛が全滅していたとしても、仮にも辺境伯の屋敷だ。まったくの無防備というわけではなかった。

 百名近い襲撃者が、門を破って跳ね橋を落とし、あるいは水堀を越えて丘陵下へと侵入すると、訓練場の周囲に建てられた武器庫や馬小屋、見張りやぐらの中から、兵士や猛獣を象った銅像が動き出して、大地を震わせながら迎撃に向かった。

 銅像は動きこそ鈍かったが、襲撃者が放つ矢も礫弾も金属製の体躯によってたやすく弾かれてしまう。一トン近い体重から繰り出される剣や槍、牙や爪も脅威で、触れるだけで容易く人間の身体をひしゃげさせるだろう。

 しかし――。


「”隼の勇者”アラン、見参!」


 無数の矢を弾き飛ばした兵士像を、羽根付き帽子を被った見目麗しい青年が、闇夜を照らす光の剣で真っ二つに両断する。


「クローディアス辺境伯! 人間は、貴様たちの家畜なんかじゃない。家畜であっていいはずがないんだ」


 アランを驚異と見たか、三体の獅子像が一斉に牙を突き立てようと低い姿勢から突進するも、白銀に輝く鎧をまとった勇壮な乙女の槍によって阻まれた。


「“白銀の乙女イルヴァ”。父母の仇、邪竜ファヴニル、お前の首をもらいうけるっ」


 旋風一閃、三つの頭部がまとめて落ちて、獅子像は動きを止めた。その瞬間、彼女の隙を突くかのように、見張り櫓上の兵士像が大型機械弓バリスタを引き絞る。だが、矢の放たれることはなかった。彫りの深い男が青い宝石の嵌められた杖を掲げると、巨大な燃え盛る火球が中空に出現し、櫓もろとも兵士像も機械弓も、焔の中へと焼けきえた。


「“論理の導き手”ブルーノ。これよりレーベンヒェルム領は新しい夜明けを迎える。古い暴力と支配を打倒し、真に人間的で平等な社会秩序を打ち立てるのだ」


 アラン、イルヴァ、ブルーノの活躍に勇気づけられたか、侵入者たちは一斉にときの声をあげ、屋敷へと続く階段を死守する銅像の一群に挑みかかる。

 銅像に若干の損傷を与えるものの、多くの襲撃者たちには、先の三人が如き超常の力はなく、次々と傷つき倒れてしまう。


「“湖の巫女”カロリナ。汚される故郷の地を守るため、助力致します」


 葉枝を服に縫い込んだ独特の衣装を着た少女が、人の頭ほどもある大きな杯を手に、負傷者たちに柔らかな光を帯びた水を浴びせかけると、彼らの傷は瞬く間に癒えていった。

 最初は拮抗していたかに見えた戦況だったが、じりじりと襲撃者側に傾き、遂には屋敷を守る銅像達はことごとく破壊されてしまった。


「さあ、出てこい。悪徳貴族クローディアスと邪竜ファブニル。今日が貴様たちの命日だ!」

「ブラボー!」


 歓声が、襲撃者たちではなく、屋敷の方角からあがった。

 ぱちぱちと手を叩きながら、金糸銀糸を織り込んだ羽衣をまとった愛らしい少年が階段を降りてゆく。


「ブラボー、ブラーヴォーッ。カッコイイ! いい。いいよ。キミ達。最近はこういう演出がなくてさ。盛り上がるよね。正義の味方、邪悪を討つためにここに参上! って」


 アランが、イルヴァが、ブルーノが、カロリナが……、悪徳領主と彼に与する悪魔を葬るために集結した勇士たちが、畏怖と憎悪の視線を少年へと向けた。


「街でも噂になってるよ。

 弱きを助け強きをくじき、いくつもの盗賊団やはぐれモンスターを単身で打ち破った誉高き”隼の勇者”アラン!

 有名冒険者パーティ『黄金の翼団』のアイドルで、その美貌と実力から領内でも知らぬ者のいない”白銀の乙女”イルヴァ!

 首都の国立大学で新しい魔術理論を発表し、斬新なアプローチで海外からの評判も高い新進気鋭の魔術師、”論理の導き手”ブルーノ!

 古の龍神を祭る地元宗教の巫女で、わけへだてない献身的な治療と奉仕活動から村では聖女として崇められる”湖の巫女”カロリナ!

 そして、このファヴニルを倒すためにはせ参じた勇士たち。素晴らしい! キミたちの正義に、ボクの胸は感動でいっぱいだ」


 訓練場。否、戦場へと降り立ったファヴニルは拍手を止めて、天を仰いだ。彼は思う。最近の自分はひどくツイている。新しいクローディアスという、最高の玩具を手に入れ、今日もまたこんなサプライズパーティを愉しめる。


(美しい愛は悪意で穢し、気高い勇気は絶望へと堕とそう。これこそがボクの力、ボクの渇き、ボクののぞみ。生きとし生けものは、誰だって心の中に竜を飼っているんだ。秘めたる悪意を、欲望を、下劣さを、ニンゲンの醜さをボクに見せてくれ。千年前の、あのクソッタレなホンモノの勇者のように!)


 ファヴニルの賞賛に、襲撃者たちは、ありったけの敵意と憎悪をこめた咆哮で応えた。

 まるで獣じみた彼らの叫びは、みなぎる闘志の発露だろうか、正義に殉ずる意思の具現だろうか? 否、――それは狩られる獲物の、断末魔の悲鳴だった。


「くたばれファヴニルっ!」

「第六位級契約神器ルーンソードか。なんて弱々しい」


 右側から斬りかかったアランは、ファヴニルの指一本で吹き飛ばされ、整った顔面を掌から噴き出す焔で炙られた。ケロイド状に溶けた顔を両手で覆い、悲鳴をあげる”隼の勇者”を、嗜虐的な笑みを浮かべた少年がせせら嗤う。


「勇者か。カッコイイよね♪ キミたちニンゲンにとって、その称号は特別らしいけど、要はただの鉄砲玉だろう? アラン、キミは千年前の戦いで勝利を盗み取った、あの愚者と同じだよ。醜い権力者の、ただの飼いイヌだ。家畜はイヤだ? 思いあがるなよ。飼われることを望むニンゲンなんてゴロゴロいる。キミもその一人だろうに。このレーベンヒェルム領は、ボクの言葉が、ボクの法が律する平和な領じゃないか? 家畜には家畜らしい未来を与えてあげる。それが、かつて救済を否定したニンゲンには当然の報いだ」


 ファヴニルは愛剣もろともアランの身体を蹴り飛ばした。輝く剣は全身が影のように黒い狗へ変わり、顔を焼かれたかつての主の身体へと牙を立て、噛みちぎる。


「う、うわぁあああ。やめろ、やめろぉおお」


 戦友への無惨な仕打ちを見て、絶句するイルヴァに、ファヴニルはこぼれるばかりの笑顔でほほ笑みかけた。左側から突き込んだイルヴァの槍はぐねぐねと粘土細工のようにねじ曲がり、彼女の鎧の首元は悪魔の左手によって掴まれていた。


「は、はなせっ。この外道めっ」

「第六位級契約神器ルーンメイルか、こんなアバズレに着られて可哀そうに。両親を殺した? それは悪いことをしたね、イルヴァ。でも知ってるよ、売女。キミが淫売だったのはボクのせいじゃないよね? むしろ復讐ってタテマエを得て、嬉しそうに男の上で腰を振ってたみたいじゃないか。冒険者パーティ『黄金の翼団』もスキモノの集まりだよね。キミのような共有娼婦をゴテゴテかざりつけて、白銀の乙女なんて偶像アイドルとして売り出すんだからさ」

「だ、だまれ、だまれぇ」


 きらびやかな白銀の装束に隠されたイルヴァの肌を、女を見せつけるように、ファヴニルは鎧を砕いてはぎとり、衣服を剥いた。衆目に素肌を晒し、それでも髪に隠した小刀で切りつけようとしたイルヴァに向けて、ファヴニルはぱちんと指をひとつ鳴らした。瞬間、砕かれた彼女の愛鎧が醜い大蛇に変わり、元の着用者を頭から飲み込んだ。


「キミのようなアバズレは服を着るより、裸で呑まれる方がお似合いさ」


 そして、ファヴニルは、魔力のこもった目でひとにらみされ、魔法ひとつ唱えること叶わず首から下を石へと変えられたブルーノへと歩みより、蹴り倒した。


「……」

「第六位級契約神器ルーンロッド。過ぎた玩具を手にして勘違いしちゃったの? 論理の導き手? 新しい魔術理論の実践者? 古代の遺失魔法にかすりもしない稚拙な理論だ。わかってるよ、ブルーノ。キミは理性じゃなくて嫉妬でここに来たんだ。いるんだよねぇ、ちょっとでも新しそうなものを見ると過去も学ばずに革新だとか言って舞い上がるおまぬけさん。あ た ら し い? とんでもない。キミの理論なんてあぶくだよ、泡沫。そんな考えなしだから、容易く共和国人の甘言に乗るんだよ。オバカサン」

「……ひゅう」


 ブルーノは声すらでない喉から小さな息をひとつ吐いて、ファヴニルによって自慢の頭を踏みつけられ、全身を石へと変えられてしまった。青い宝石の嵌められた杖は放り投げられ、中空でくす玉へと変化する。パパンっと、場違いなクラッカー音が響き、風船や紙吹雪が舞い踊る。中央の垂れ幕に書かれていた言葉は、ばかの像。

 そして、ファヴニルは、狗に食いちぎられ、顔を抑えてのたうちまわるアランを癒やそうと、必死で水をかけるカロリナを平手で打って馬乗りになり、もがく彼女から杯を奪った。


「返して。返してください! どうして? どうしてあなたはこんな酷いことができるのですか? わからない。わたしにはあなたがわからないっ」

「第六位級契約神器ルーングレイル、主に恵まれなかったね。ねえ、小さな郷土信仰の箱入り娘さん。共和国企業がガンガン毒撒いて湖が死んじゃった? でも知らなかったでしょ、カロリナ? キミを送り込んだ優しいおじさんやおばさんがたっぷりワイロを受け取ってること。つまり、キミはもう用済みなの。皆の笑顔が大好きです? どんな病気も怪我も治します? ざぁんねぇんでしたっ。キミが大好きな村人たちは、みんなキミを裏切っちゃった。お優しいせいじょさまぁ、今度は自分自身を癒やして救ってみちゃどうだい? その手で出来るなら!」


 ファヴニルの手の中で杯が黒く染まり、零れた毒々しい水はカロリナの細い腕と脚にしたたりおちて、それらをカマキリのものに似たナニカへと変えてしまった。


「わ、わたしの、て、あし、い、いやああああっ!」


 勇者の顔を焼いて狗に食わせ、戦乙女を裸に剥いて蛇に呑ませ、導き手の頭をふみしだいて石に変え、巫女の杯を奪って手足を昆虫のものに変えた悪魔を、襲撃者たちは固唾を飲んで見守るばかりだった。領主打倒、邪竜討伐に集まったはずの彼らは、主力たる四人を助けようと試みることすらなくガタガタと震え、中には失禁するものまでいた。


「アハハッ。最っ高っ。以前とは段違いじゃないか。五倍以上の魔力エネルギーがある。使い切れないよ、クローディアス♪」


 ファヴニルが右手を扇ぐと、一陣の風が吹いて、大地に真っ赤な鮮血がほとばしった。


「お、お、お、俺の耳があっ」

「ひいいいいいっ」

「ぐわああああっ」

「いたいっいたいよぉおおお」


 ファヴニルは、襲撃者たち全員の片耳を切り落としたのだ。

 もはや彼らに屋敷に踏み入った時の面影は全くなく、半数は泣き叫びながらその場に崩れ落ち、もう半数は同じように絶叫しながら外へ通じる門へ向かって逃げ出した。


「震えるよね。怖いよね」


 でも、クローディアスは、レアを庇ったのだ。

 臆病なくせに勇敢で、冷静なようで妙に熱い、いとおしい愛しい僕のオモチャ。


「ああ、なんて愚かで愛らしいクローディアス。ボクはキミが大好きだっ」


 領主のなり代わりを引き受けたのも、どうせ領を復興して自分と戦おう、なんて甘いことを考えているに違いない。

 素晴らしい! 人生には遊戯が必要だ。


「こんなにも脆いニンゲンが、反逆してボクを殺す? やれるならやってみろ。あのお方を、真なる救世主を弑し、魔女へと貶めた愚者のように。ニンゲンの中の竜を、その醜さを、下劣さを、強さを見せてくれ! それができないなら」


 そのような汚物は、もはや飼う必要すら感じない。

 ああ、遺跡で見たモンスターなんて丁度いい。ぴったりだ。

 ファヴニルは、宣告する。


「堕ちろ」


 朗々とした悪魔の声が響き渡ると、戦意喪失して崩れおちた半数の襲撃者たちが豚鬼オークに変化し、逃げ出したもう半分の同志たちへと襲いかかった。彼らが心に抱いたのが、正義感だったのか、欲望だったのかは、もうわからない。ただまっ黒な絶望の中で、真っ赤に染まる共食いが始まった。


「このマラヤディヴァ国で、ボクを討てるモノなんていないのさ」


 ファヴニルの勝利を祝福するかのように、真っ白な朝日が昇る。

 悪魔は自身の絶対的な勝利に酔いしれて、ふと余計な”モノ”を思い出した。


(いや、ひとり、居たね)


 満面の笑みから一転、まるで苦虫を噛んだかのように顔をしかめる。

 共和国からの来訪者。人間性という幻想の『否定』に突き抜けた呪詛と、それを担う『肯定』に突き抜けた亡霊。あのコンビは、もはやニンゲンとは呼べず、”狂っている”から煽り甲斐がない。何より一手ヘタを打てば、こちらが狩られかねない天敵だ。


(でも、今のクローディアスから得た力があれば、やれるかも。ボクと敵対するもよし、ボクと一緒にあの話の通じない邪魔者を討つもよし。クローディアス、選ぶのはキミだよ。……なんて、ね)


 問いかけるまでもなく、選択の結果はわかっている。

 ニンゲンは欲深い。お金が欲しい。地位が欲しい。名誉が欲しい。力が欲しい。支配したい。奪いたい。……その根源的な原罪から、心に秘めた竜から自由になれる者などいないのだから。


――――

――


 ファヴニルが襲撃者たちの大半を蹂躙していた一方、外壁を乗り越え、階段を使わずに丘陵をよじ登って屋敷に侵入した一団があった。

 ファヴニルは当然気付いていたが、あえて見逃した。なぜなら彼にとってこれはパーティだ。自分だけ楽しむのなら、一人遊びと変わらない。主催者として、クローディアスにも充実した時間を過ごしてもらおうという、彼なりの心配りだった。巻き込まれた当人には迷惑千万、余計なお世話もいいところだったろうが。


(ギャー。来た。本気で来た。どうしよう? マジでピンチじゃないか、コレ)


 クロードが、廊下で視認できた侵入者は三人だった。

 一人は、大きな凧型の盾カイトシールド金属片をあんだ鎧ラメラーアーマーで武装し、やたら長い大剣バスタードソードを背負った野性味あふれる顔の少年。

 一人は、うってかわって軽装で、白く染めた皮の鎧を着て、細い突剣レイピアを抜いた気品のある少女。

 最後の一人は、それなりに丈夫そうな服を着て、小さな機械仕掛けの弓を手にした小柄な少年。

 斬られても、刺されても、撃たれても死んじゃうよなあ。と、クロードは全力で逃げたくなったが、この先は地下牢から救出した女の子とレアがいる大広間に通じている。もはや後はないのだ。とりあえず警告してみた。


「あーあーあー。ぶ、武器を捨てて投降しろ。できれば戦いたくない。僕は強いぞ、たぶん、その、十万人分くらいは強いんじゃないかなあ。本当だぞ。嘘じゃないぞ」

「おいっ、辺境伯がなんでこんなところに!?」

「護衛はいないよっ。斬り捨てる?」

「ダメだ。目的を間違えないで、それは、ぼく達の役目じゃない」


 警告にも関わらず、三人はまったく足を止めようとしない。


「武器を捨てて投降しろ。……ああ、もう、知らないからなっ」


 あっという間に間合いを詰められ、クロードはへっぴり腰で火かき棒を振りかざすも、不自然なくらい力がはいらず、容易く盾で受け止められた。そのまま邪魔だとばかりに振り払われて、壁に頭を打ちつけた。


「ぎゃぱっ」


 目の前で星が散り、ひよこがくるくる回ってる様を幻視する。


「おかしいだろぉ」


 クロードは、混乱しながら嘆く。

 契約とはいったいなんだったのか。こういうイベントって、いきなりステータスがカンストしたり、未知なる必殺技に目覚めたりするものじゃないのか? 『永遠軍勢氷嵐……相手は死ぬ』みたいな感じで俺TUEEEタイムが始まるんじゃないのか?


「よわっ。こんなやつに俺たちは!」

「やっぱりここで討つべきよ。せめて縛りあげましょう」

「ぼくがやる。だから無視して。ぼく達の目的は彼女の奪還だ。ファヴニルに見つかるまでに館を出るんだ」


 怒りを露わにした野性味あふれる少年と、やたら物騒な令嬢を、小柄な少年がなだめすかして先を急ぐ。


「い、行かせないぞ。ってなんだコレ? 家の中でツタとかおかしいだろ」


 甲子園球場や高速道路の壁を覆うようなツタが床から生えて、クロードの身体にからみついた。手も足も縛り上げられて、身動きがろくにとれなくなる。


「こ、コレも、ファヴニルが使ってたのと同じ魔法ってやつか? ちくしょう、動けっ動けよっ」


 あの先にはレアや女の子たちがいるんだ。自分以外に守れる者はいないんだ。だから動かなければ……


(でも、奪還とか言ってたな)


 クロードは全身から力を抜いた。だったら、いいじゃないか? あいつらは命の危険を冒してまで、悪徳領主に奪われた大切な誰かを取り返しに来たのだろう。仲間思いの、友達思いの良いやつらじゃないか。


(僕は彼女たちにとって最低の強姦魔だ。僕が守るより、あいつらに助けられた方がずっといいんだ。レア、お願いだから逃げてくれ)


 クロードは、戦意を失った。もともと彼は演劇部の先輩達のように、血の気が多いわけでもなく、武道を修め磨くことに価値を見出したわけでもなかった。ありていに言えば、戦ったり、争ったりすることが苦手なのだ。けれど――。


「クローディアス・レーベンヒェルム! よくも、よくもソフィの目を!」

「ひっ」


 激高した金属鎧を着た少年が盾を捨て、大剣を上段に振りかざして、駈け戻ってきた。

 彼の嘆きは正しいだろう。彼の怒りは正しいだろう。彼の一撃は、邪悪な領主に対する正義の誅伐となるだろう。でも、クロードだって……


「いやだ。イヤだっ。死にたくない」


 クロードには、これまで戦う意思はなかった。ありていに言えば、襲撃者たちでさえ“傷つけたくなかった”


「命乞いなんざ知るか。この腐れヤロウゥ!!」

「いやだあっ」


 クロードは初めて、自分自身を守ろうと意識した。彼を縛るツタが弾け飛ぶ。チョップだか平手だかわからない手が、一メルカ半はあるだろう長剣に触れる。その刹那、クロードの手は剣を半ばから断ち切り、勢いのまま踏み込んだ襲撃者の鎧に当たった。

 轟音が響く。金属片を編み合わせた鎧は無惨な鉄くずと化し、少年もまた血反吐をまきちらしながら吹き飛んだ。

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