第97話(2-51)ボルガ湾海戦

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 復興暦一一一〇年/共和国暦一〇〇四年 木枯の月(一一月)一〇日夜明け前。

 レーベンヒェルム領艦隊は、廃墟となった港町ボルガに軍事拠点を建設中のルクレ領艦隊を奇襲した。

 ルクレ領海軍は、朝駆けにも関わらず偵察を怠ることはなく、即応し艦隊をまとめて応戦した。

 レーベンヒェルム領軍の船団がいかにも小さく、操船もばらばらだったのに対し、ルクレ領軍の船団は威風堂々とした体躯を誇り、練度の高さを伺わせた。

 レーベンヒェルム領艦隊は、横一列に並んだ単横陣でゆっくりとボルガ湾へ前進し、ルクレ領軍は駆逐艦を先頭に八艦が縦一列に固まった単縦陣で加速する。

 双方が衝突すれば、重量の差からレーベンヒェルム領艦隊が吹き飛ばされるのは明らかだった。

 昇りつつある朝日を浴びて銀色に輝く髪をなびかせた指揮官セイの指示を受け、飛車丸、角行丸と名付けられた大型商船が、艦隊から離れて楯となるべく先行する。


「あの目障りな船を撃沈せよ!」


 トビアス・ルクレ侯爵の下知に従い、ルクレ領旗艦である巡洋艦の魔力砲がエネルギー弾を撃ちだし、飛車丸に直撃する。簡易の対魔法防御陣やアミュレットが消し飛び、船体が大きく傾いた。

 ルクレ領の駆逐艦からは水雷魔法が、戦闘艇からは大型弓砲バリスタの槍矢が放たれて、角行丸に突き刺さる。武装商船団からも魔杖隊が、火球ファイアボール雷矢サンダーアローといった魔法を雨あられと発射した。

 飛車丸と角行丸は直進してくるルクレ領艦隊の攻撃を受け切れず、遂には爆発した。


「やったぞ!」


 セイが艦橋で叫ぶ。……轟沈ではない。レーベンヒェルム領艦隊は、あえて無人の船内に詰み込んだ火薬と魔法符を遠隔操作で起爆したのだ。

 ルクレ領艦隊は加速していたと言え、爆発の直撃を受けるほどではなかった。けれど、魔法によって拡大された衝撃を受け止めるために、先頭の駆逐艦をはじめとする艦船は全魔力を防御障壁に割かざるを得なかった。

 セイたちの手によって引き起こされた爆発は、予想もしていなかったルクレ領艦隊の隊列を乱し、何よりも兵員たちを動揺させた。

 

「撃て!」


 この隙を逃すセイではなかった。ロロン提督の指揮に従い、歴戦の海賊出身の冒険者たちが半包囲網を敷きつつ、開発したばかりのレ式加農魔砲かのんまほうを撃ち放った。

 これらは、無色火薬の開発以前からクロードが研究開発していた後装式施条大砲であり、大型弓砲に勝る命中率と数倍近い長射程を誇る。

 とはいえ、火薬式大砲は一般的な魔力砲と比較すればどうしても威力に劣り、また知識不足から反動を受け止める駐退復座機ちゅうたいふくざきを作れなかったため、発砲後の後退を金属ロープで無理やり繋ぎ止めて、照準を再調整して発射するという手間がかかった。

 後装式にも関わらず、一分当たり二発の射撃が限度だったのが、試作品の限界を示している。

 ただし、レーベンヒェルム艦隊の船数、火砲数は単純計算でルクレ領艦隊の五倍である。


「賊軍の小娘風情が、小癪こしゃくな真似をっ」

「ルクレ侯爵。若輩の身だがひとつ教授しよう。広域の戦闘では、射程が長く、数が多い軍が勝つのだ」


 セイの指示に従い、ロロン提督は徹底したアウトレンジ戦法に専念し、十字砲火で火砲を浴びせ続けた。あるいは、ルクレ領艦隊が全速力で撤退するか、相討ち覚悟で障壁を解いて魔力砲を乱射すれば、多少なりとも結果は変わっていたかもしれない。

 しかし、トビアス・ルクレ侯爵は勝利を諦めず、踏みとどまった。

 彼と彼の指揮する艦隊は精強だった。為政者としては無能、売国奴の評価を免れないとしても、トビアス・ルクレは、海賊の討伐で少なからぬ戦果をあげて、決して豊かとはいえないルクレ領を守り続けていた。

 緋色革命軍の決起を知り、時代が変わったとばかりに果断に決断を下したこと。多額の借金を背負っても切り札となる巡洋艦の購入に踏み切ったこと。標的が無抵抗な港町という事実を除けば、宣戦布告と同時に陣頭指揮を執り、果敢な攻撃を加えたこと。これらは、良くも悪くも戦時における彼の非凡さを示している。

 ルクレ領艦隊は、護衛の駆逐艦が沈み、戦闘艇や武装商船が次々と轟沈してなお、果断に前進を続けた。狙うは、ただ一点、レーベンヒェルム領総司令官セイの座乗する旗艦のみ――。


「貴様のような小娘にはわかるまいっ。我々はずっと耐えて待ち続けたのだ。変化の時を! 時代は変わる。変えられるっ。貴様らが如き、旧い時代の遺物を壊し、マラヤディヴァ国は回天の時を迎えるのだ。その為には喜んで泥にまみれよう。共和国を、緋色革命軍を、ソーンを利用し、我がこの国の頂に立つのだ!」


 トビアス・ルクレの目には、薄紫色をした夜明けの空と海の狭間に立つ、美しい銀髪の少女しか映っていなかった。もはや僚艦は一隻としてなく、砲撃の音も止んでいる。それでも巡洋艦はまっすぐに進み、セイだけ――が甲板に立つ船へと突進した。


「けれんの娘よ、海の泡と消えよぉっ」

「消えるわけにはいかん。私には愛する友が、ゴホン。大好きなクロ、ゴホン。しまらないなあ、もうっ」


 セイは鉤がついた縄を投げて、巡洋艦へと飛び移った。突進を受けて耐えきれずに沈む、レーベンヒェルム領旗艦”銀将丸”こと中型武装商船には、もはや他に誰も乗っていない。乗員たちは、一本マストで木材を縫い合わせた複数のダウ船で脱出、ロロン提督とサムエル隊長の指揮のもとで、巡洋艦にとりついていた。レーベンヒェルム領艦隊を構成する、他の武装商船もボートやイカダで白兵戦用員を送り出しつつ、じりじりと間合いをつめてくる。


「こ、小娘、なんのつもりだ? これが名誉ある騎士のやることか? これではまるで海賊ではないか?」

「そうとも、ルクレ侯爵。賊軍らしく、この船は我々がいただいてゆく!」

「ふざけるなあっ!」


 トビアス・ルクレ侯爵は絶叫し、緋色革命軍から買い取った鉄と木を組み合わせた飛び道具、銃を這い上がってきたセイへと向けて発砲した。しかし、銃弾はあさっての方角へと飛んで行った。

 セイの大太刀である蛍丸が、彼女の好敵手であるゴルトに『デッドコピーにさえ満たぬ海賊版』とこきおろされたマスケット銃を両断する。


「降伏しろ。トビアス・ルクレ侯爵」

「く、う、おのれぇ」

「……困るんだよね。セイって名前は、イスカから聞いていないし、恨みはないけど命をもらうよ」


 銃声が響いた。

 トビアス・ルクレは知らない。

 一見同じ形のマスケットとライフルの間に、絶大な命中率の差があることを。

 だが、それは、天賦の才をもつ使い手ならば、埋められないわけではない。


「セイ様、さがってっ!」


 侍女メイドであるレアの悲痛な叫びと、弾丸よりも早く投じられたはたきが、セイの命を救った。彼女の眉間を撃ち抜いていただろう銃弾は、はたきに命中してなぜか逸れた。


「何者です!?」

「青髪の侍女ってことは、レアさんか。妹が世話になったようだし、邪魔しないでくれる? あたしは特務部隊”殺戮人形メルダーマリオネッテ”のロットナンバー三番。イスカ・ライプニッツ・ゲレーゲンハイトの姉貴分さ」


 まるで陰から染み出るように甲板に現れた、薄桃色がかった金髪の妖艶な少女は、レアの誰何に、そうささやいて新しいマスケット銃を構えた。 

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