第47話(2-5)青年と傭兵と、革命

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 赤い導家士どうけしの構成員だったイヌヴェにとって、生まれ育った地、マラヤディヴァ国レーベンヒェルム領は、ひどく息苦しかった。

 参加する前の日々を思い返せば、水溜まりに映る細面の顔色は青白く、ダークブラウンの短髪も栄養不足なのかくすんで見えた。

 税は重く、取り立ては厳しく、くたくたになるまで働いても、未来にはまるで展望が見えない。それでも、先代領主の治世ならばまだ生きてゆくことが出来た。

 しかし、クローディアス・レーベンヒェルムが親族を粛清して新たな辺境伯になると、儚い安寧あんねいすらも失われた。


(今なら、理解できる。先代領主がなぜ重税を課していたのか? どうして邪竜ファヴニルと盟約を交わしていたのか? おそらくは、軍事力でもって、西部連邦人民共和国の圧力と干渉を抑止するためだった……)


 亡き父の信念を愚かな息子が理解することはなく、役所職員、騎士団、代官、皆が邪竜のあぎとに飲まれ、あるいは刑場の露と消えて、レーベンヒェルム領は共和国の支配下に置かれた。

 働く場所は、共和国の運営するプランテーションか、鉱山か。生命すら省みず、奴隷のように酷使されて、怪我をして死ぬ大人と飢えて死ぬ子供たち。

 そんな惨状を見て育ったイヌヴェが、『支配者などいらない。皆で家族になろう』という、平等を掲げた革命団体、赤い導家士に心奪われたのは当然の帰結だった。


「自分は、邪悪な悪徳貴族を討って、この大地を人民の手に取り返したい。革命万歳!」

「「革命万歳!!」」


 喝采がこだまする歓迎の宴で、イヌヴェは、丁寧に結わえたドレッドロックスヘアとやたら頑丈そうな篭手が特徴的な、年齢不詳の男を見つけた。

 ひどく鉄くさい、どこか血の匂いがする男は、部屋の隅でひとり蒸留酒を飲んでいた。

 同志の証である赤いバンダナを巻いたイヌヴェが、挨拶代わりに一献と男が持ったスズの杯に酒を注ぐと、視線を合わせぬままぽつりと呟いた。


「にーちゃん、やめときな。お前、向いてねぇよ」

「え?」


 男は篭手をつけたままの手で杯をあおり、まるで水のように、むしろ”味覚がないかのように”イヌヴェが注いだ酒を飲み干した。


「悪いことはいわん。今すぐここを出て行った方がいい。――家族になろう、助け合おう。その理想は美しいとオレも信じる」


 まるで焦がれても得られなかった宝物を思い返すかのように、男は家族という言葉を口にした。


「だが、どんな理不尽な命令でも、子は父に、弟は兄に従わなければならない。……赤い導家士が進める家族像は、本当にまっとうなモノかい?」

「家族の中にもルールは必要です。家長が家を良き方向に導くのは自然なこと。自分は、赤い導家士がエリートとして民衆の模範となり、啓蒙けいもうすることを、素晴らしい事だと信じています」

「そうかい」


 イヌヴェが、初めて男に抱いた印象は、ひどく捻くれた参加者だった。

 ただ、底がないうろのように暗く淀んだ男の瞳は、強く彼の脳裏に刻まれた。

 赤い導家士は、ゆっくりと勢力を伸ばし、蜂起の日に備えた。

 武器を集め、訓練し、あるべき未来について言葉を重ねた。


「革命とは哲学であり、人間性そのものである。革命精神にのっとった自己規範を持って、我らは来るべき殲滅戦に備えなければならない」

「自己批判と相互批判により、我々は我々自身を革命する。我々は、殲滅戦を超えて革命者となるのだ!」


 山中につくられた基地で、大勢の同志が白熱した議論を交わす中、男は相変わらず部屋の隅で武具の手入れをしていた。 


「参加されないのですか?」


 聞いた話では男は傭兵らしく、それを裏付けるかのように、大小のナイフ、弩、針など、様々な武器を持っていた。

 イヌヴェの目を引いた点があるとすれば、男の持つ袋に今まで見たことも無い文字か、絵のようなものが書かれていたことだろう。

 魔術文字でも無く大陸の言葉でもない不可思議な文字が記された袋から、男はひとつひとつ武器を取り出して磨き、丁寧に研いでゆく。


「にーちゃん、あんなものは言葉遊びだよ。薄っぺらなちり紙みたいなものだ。ちとほねで作った出来損ないの城を、まるで歴史ある芸術品のように囃し立てて、聞いていて滑稽ったらないぜ」

「おい、貴様等! 尊い革命討論の場で私語とは何事かっ、たるんでいるぞぉっ」


 論戦の熱気に酔ったのだろうか、一人の若者が血走った目で、イヌヴェと男に棍棒で殴りかかってきた。


「――おい、クソガキ」


 だが、棍棒が振り下ろされるよりも早く、傭兵が踏み込み、拾い上げたナイフを閃かせた。

 若者の上着チュニックは、ビリビリに裂けて、紙ふぶきのようにハラハラと落ちた。


「オレは、世界を変える。宿命シックザールを革命する。そのためだけに、ここにいる。覚悟もない半端者が、何か言ったか?」


 ロジオンが叩きつけたのは、殺気という言葉すら生ぬるい、地獄そのものを煮詰めたような禍々しい瘴気だった。

 半裸になった若い男は、振り上げた棍棒を手から落とすと、股からちょろちょろと小便を漏らして、卒倒した。

 イヌヴェも気迫にあてられて腰を抜かしてしまい、しばらく立ち上がれなかった。


「ロジオン、やり過ぎだよ。ここは戦場ではないのだから」


 赤い導家士の南西方面支部長だという白スーツを着た青年、指導者イオーシフ・ヴォローニンが割って入り、ロジオンを人の輪へと連れ出した。


「イオーシフの旦那」

「皆さん、紹介しよう。彼はロジオン・ドロフェーエフ、歴戦の戦士だ」

「よしてくださいよ」


 急に同士たちからの脚光を浴びたロジオンは、居心地が悪そうにうつむいた。

 不意に、イヌヴェは気づいた。ロジオンの目指す革命は、必ずしも赤い導家士の目指す革命と同じではないのかもしれない。


 それは、赤い導家士というイデオロギーに、自らの判断を委ねてしまったイヌヴェが、初めて違和感を取り戻した瞬間だった。


 同志イオーシフが、ロジオンを特別扱いする理由はすぐにわかった。

 傭兵は強すぎた。強すぎて、強すぎて、まるで人の枠から外れてしまったかのように。

 腕利きの警察官も、ベテランの冒険者も、名高い軍人も、まるで相手にならず、臓物を撒き散らして血煙と消えた。

 イヌヴェは、その後も多くの戦に参加し、大勢の盟約者や怪物とも遭遇そうぐうした。

 しかし、契約神器を持たず、ただの人間に過ぎないドレッドロックスヘアの剣客は、ずっと彼の胸中で最強の座を占め続けた。

 

(もしもあのひとを殺せる者がいるとしたら、それはあのひと自身以外には考えられない)


 そんな矛盾した憧憬どうけいをイヌヴェが抱くほどに、ロジオン・ドロフェーエフは圧倒的だった。


――

―――


 復興暦一一○九年/共和国暦一○○三年 晩樹の月(一二月)八日。

 赤い導家士は、マラヤディヴァ国首都クランと、領都レーフォンで武装蜂起した。

 それは、イヌヴェが思い込んでいた栄光ある革命などではなく、実態は忌まわしいテロルに過ぎなかった。


 警官の虐殺 / 反革命分子は狩り尽くさねばならない。

 領民からの略奪 / 物資がなければ 革命の大義は果たしえない。

 拉致誘拐、人身売買 / 革命の、革命の、革命ってなんだ!?


(嘘っぱちじゃないか)


 イヌヴェは、手遅れになってから今更のように気がついた。

 ロジオン・ドロフェーエフは知っていたのだ。だから、最初に『向いていない』と、『出て行け』と忠告したのだ。


(すべてが、嘘だった。聞こえのいい言葉なんて、悪事をごまかすための詭弁に過ぎなかった)


 なにが哲学だ、なにが人間性だ。なにが革命者になる、だ。

 赤い導家士が現実にやっていることは、最低で下劣な非道に他ならなかった。

 イヌヴェは冒険者を中心とした領主軍との乱戦の中で、赤い導家士の同志に拉致された、レーフォンの子女を救うべく馬を駆った。

 いったい何があったのか、逃走を図った同志はいずこかへと消えて、横転した馬車と檻に閉じ込められた女性たちだけが取り残されていた。

 イヌヴェが鍵を無理やり棍棒で殴りつけて壊し、彼女たちを逃がそうとすると、――そこにやってきたのは、厚く頑丈な篭手を身に着けた、ドレッドロックスヘアの剣客だった。


「ど、同志、ドロフェーエフ殿」


 イヌヴェは、覚悟を決めた。殺される、と。だが、返ってきたのは予想外の反応だった。


「おい、にいちゃん、そいつらを連れて早く逃げな」

「い、いいのですか?」

「いいも、わるいも、お前にとっての革命は、悪徳貴族にめちゃくちゃにされた故郷をただすことだろう。同胞を奴隷としてうっぱらう為に、戦ってるんじゃないだろう?」

「は、はい」


 奇妙な感覚だった。蜂起は、革命は失敗した。だというのに――、ロジオンは今まで見たこともない安らいだ顔で、イヌヴェを眩しそうに見つめていた。 


「この領は幸せだよ。領主自ら音頭を取って、変化の風が吹いてやがる。そいつらを連れて故郷へ帰れ。お前の革命を続けろ」


 レーベンヒェルム領に、変化の風が吹いている?

 イヌヴェはロジオンの言葉に、戸惑いながらも頷いて、同志の証である赤いバンダナを外して手渡した。

 これが今生の別れだと、直感したからだ。


「ドロフェーエフ殿、貴方にとっての革命は――?」

「オレの革命?」


 イヌヴェが問いかけると、まるで奈落のように澱んだロジオンの瞳、その深奥にかすかな光が見えた。


「世界を救うことだ。オレは、そのために戦っている。さあ、行け! お前の革命を続けろ」


 光は、言葉は、狂気だったのかもしれないし、妄執だったのかもしれない。

 それでも、微塵の迷いもなく、ロジオンは言い切って去っていった。

 傭兵の背中を、イヌヴェは決して忘れない。

 赤い導家士は間違っていた。テロリスト集団が犯したのは、人倫にもとる鬼畜の所業だった。

 それでも、イヌヴェは受け入れると決めた。どれほどなじられても、罵倒されても、生きて自分にとっての革命を成し遂げる、と。

 だから、人材不足に苦しむレーベンヒェルム領が司法取引を持ちかけてきたとき、これを飲んだ。

 血塗られた茨の道かもしれない。けれど、他にあがなうすべを、理想を叶える方法を、彼は知らなかった。


「我々は元赤い導家士です」

「そっか。ところでひと風呂浴びないか? 勝利の祝杯をあげるにも、これではちょっと、な」

「たぬ」


 花咲の月(四月)二二日午後。

 新しい守備隊長セイが、イヌヴェたちの一世一代の告白をあっさりと受け入れたこの時、彼らは彼女の表情に、一切の憎しみが宿っていないことに気がついて、心の底から驚いた。


「……隊長殿」

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