第221話(3-6)悪徳貴族の宿泊旅行
221
時を遡ること数日前、クロードがヴァリン領への出張で帰れなかった日。
セイが夕食後の
「レア殿、ソフィ殿、アリス殿……。ミズキ殿から勧められたのだが、いめーじちぇんじ、なるものを試してみないか?」
「イメージチェンジ? どういうこと、面白そうっ」
唐突な彼女の提案に、朗らかな笑顔で真っ先に食いついたのはソフィだった。
「ミズキ殿は、髪型を変えたり普段とは異なる私服を着たりして、今までとは違う魅力を棟梁殿に訴えてみてはどうかと言うのだ」
「……」
「たぬたぬ」
気がつけば、レアもアリスも身を乗り出して聞き入っていた。
「棟梁殿も、最近はおしゃれに気をつかっているだろう。ここは我々も負けじと踏み込むべきだ」
クロードは、アルフォンスとの会談以降、身だしなみに気をつけるようになった。
正しくは、以前から服装に注力していたのだが、先輩達の影響で斜め上にかっとんでいた
「それで、夜着にどうかと、人数分の
「こ、これは過激すぎるよセイちゃんっ!」
「す、透けてるたぬ。これじゃあ裸と変わらないたぬっ」
セイが風呂敷から取り出した夜着は、どんな素材で作られたのかシースルーのネグリジェだった。
「……絹とゴムノキの樹液を魔術加工した素材を編んだ生地ですか。興味深いです」
きゃあきゃあと持て余す他の三人を尻目に、レアはネグリジェを確認して丁寧に折り畳んだ。
「あ、あのレアちゃん、それをどうするの?」
「明日、これを着て領主さまをお迎えします」
「そ、それはダメっ」
「は、
「クロードがケモノになっちゃうたぬっ」
ちゃんとした服を着て、上着として重ね着をすればいいじゃない、と、レアに諭されるまでその夜の混乱は続いた。
それはそれとして、イメージチェンジという言葉は強くアリスたちの心に響いたのだった。
「むふふっ。次の旅行はチャンスたぬ」
旅館でお着替えして、新しい自分をアピールしよう。
素敵な旅になりそうたぬうと意気込んだアリスだったが、盛大に出鼻をくじかれることになった。
ルクレ領から集合場所にやって来た妙齢の女軍人が、ややウェーブがかったニンジン色の髪をなびかせながら、とんでもないことを口走ったのである。
「不肖、騎士ミカエラ、婚活に来ました!」
「!!??」
瞬間、大半の旅行参加者は呆気にとられたが、アリスだけはよくわかっていなかった。
「コンカツって美味しいたぬ? たぬはトンカツもチキンカツも大好き、むぐっ」
「ちょっとアリスさん、こっちへいらっしゃい」
ミーナがモフモフの尻尾を伸ばし、マフラーのように使ってアリスを引っ張った。
クロードやチョーカー、ミーナたちも、その場で円陣を組んで対応を検討する。
「どうなっているのだコトリアソビ、小生は観光振興の研修旅行としか聞いていないぞ」
「ま、まさかまだエステルちゃんに未練がっ。許しませんよ。もう少し大人になってから」
「エステルちゃんはここにいないから。あと研修旅行だから。そりゃあ、ちょっとは遊ぶのも考えてたけどさ。いったいミカエラさんは何を勘違いしてるんだ?」
目にクエスチョンマークを浮かべているアリスを不憫に思ったか、あるいはまたひと騒動を目論んだのか、ミズキが黒髪からピンと立った黄金色の虎耳に口を寄せて
「あの子、結婚相手を探しに来たんだってさ。アリスちゃん、新しいライバルの出現だね?」
「たぬ? ……ふしゃああああっ!」
「アリス、ストップ! 爪を仕舞って!」
「な、なんとレーベンヒェルム領では、最初に剣舞から入るのですか。然らば、郷に入れば郷に従うまで」
「だからやめろ――!」
結果めちゃくちゃになって、大型馬車で出発するのは予定から三〇
「ハサネさんも笑ってるくらいなら、手伝ってくれれば良かったのに……」
「そんなせっかくのスクープネタを、いえいえ。私はご覧の通り非力ですから」
馬車に乗り込んだ後、中折れ帽を膝の上に置いて白手袋をつけた手をパタパタと振るハサネを、クロードは恨めしげな目で見た。
「そうですね。辺境伯様は、若い男女が集団で宿泊することについてどう思います?」
「ただの旅行だろ。それもこれはれっきとした仕事のものだ」
たとえば互いに妻子ある男女がダブルベッドしかない部屋へ一緒に泊まって、『一線は越えていません、不倫ではなく仕事でした』と強弁しても他人を納得させるのは困難だろう。
しかし、観光振興で研修旅行しますと計画をたてて、事前に宿泊先から大まかなスケジュールまで公開して参加者を募ったのだ。それが、クロードにはなぜ婚活という誤解に繋がったのかわからない。
「ルクレ領はどうやら、いまだ貴族や騎士の因習が根強いのですよ。公的な旅行だからこそ、古い血族はこう考えたのでしょう。複数の領にまたがる社交パーティーであると。それも、嫁取り婿取りが絡む、ね」
「そういうものか」
「本当に失礼しました」
誤解が解けたミカエラ女史は平謝りに謝って、しゅんとしていた。
「いえ、わかってくればそれでいいんです。ミカエラさん、今日から二泊三日楽しい旅行にしましょう」
「本当ですか!? でしたら、お姉さんと――」
「ふしゃああぁっ。がるがるっ」
「ああっ。アリスさんが、たぬきではなく虎みたいな吠え声を」
「ひいいいっ」
こうして騒がしいままに馬車はトンネルを抜けて、山に隔てられたルンダールの港町へと向かった。
「コトリアソビさん、今日は別荘にお泊まりするんですよね」
「貴族の別荘に入るなんて、初めてです」
「うん。僕のじゃないけど、亡くなった子爵が遺した別荘で、『時刻館』って愛称で呼ばれているらしい」
「なんでもその子爵、変わり者で有名だったそうです。貴重な時計を収集したり、魔術師を雇って降霊会を開いたり、イシディア国の異邦人シンジロウ・ササクラとも交流があったとか」
「へえ」
クロードはソフィも来られれば良かったのになあ、と思いつつロビンやドリスと共に宿泊する別荘の資料を見た。
『時刻館』は、北東、南東、南西、北西の四方に塔を建てて、四つの館で結んだ独特の造りだ。広大な中庭には、一二の偉人を祭った銅像と短針・長針に似た石碑が飾られて、なるほど愛称通り時計に見える。
「――鼠は鮮血の花を散らし、蛇は琥珀を抱くだろう。狗が蒼海を呑む時、海神エーギルが約束の地へと誘わん――時刻館の中庭には、そんな碑文が掘られてるんだって。ルンダールの町が空飛ぶサメで騒がしいのは、海神エーギルの使いじゃないかってことらしいよ。ロマンがあるよね、ワクワクしない?」
「……観光客寄せにはいいかもね」
「か、枯れてる!?」
ミズキには悪いが、クロードは
ともあれ、二泊三日の旅行を大過なく過ごし、観光振興についての糸口を得られれば、とそんなことを考えていた。
馬車に揺られてどれだけ走ったか。一行は変わり者の子爵が残し、町が管理していた時刻館に到着後、荷物を下ろして小休止を取った。
クロードが割り当てられた個室で伸びをしていると、黒髪を白いリボンでサイドテールに結わえ、フリルのついた空色の
「クロード」
アリスは活動的な衣服を好む。今、着ている服もおおまかには変わらない。
しかし、ワンポイントのフリルや女性らしい
「どうしたんだ、その服。行きと違うじゃないか」
「驚かせたかったぬ。可愛いたぬ?」
「うん、どきっとした」
アリスはクロードの隣に座って、手を握った。
血の流れの音と心臓の鼓動が、二人を包み込む。
「えへへ、たぬったぬう♪」
「しばらくこうしていようか」
そうして二人は、静かな幸せな時間を過ごしたのだった。
だから、クロードたちは知る由もない。
数時間後、先日の嵐のせいか土砂崩れが起きて、ルンダールの町は閉ざされることになる。
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