第三部 悪徳貴族とヒロインズの日常
第三部/第一章 アンセル編
第216話(3-1)出納長(戦闘職)さん達のグルメ事情
216
復興暦一一一一年/共和国暦一〇〇五年、春一番の風が吹く晴れた日のこと。
その日、アンセル・リードホルムは、クローディアス・レーベンヒェルム辺境伯の名代として、ルクレ領の下級貴族たちとの交渉に臨んだ。
彼はトウモロコシ色の髪を丁寧に油で整え、そばかすを化粧で隠し、緑色の瞳と小柄な身体に覇気を宿して貴族たちに向き合った。
『皆様方にお会いできて光栄です。僕はアンセル・リードホルム、レーベンヒェルム領の出納長です』
『大罪人ダヴィッドの弟か。いいか、ルクレ領は我々の自由にする。レーベンヒェルム領は金だけ出せばよい』
開口一番で、代表が放った言葉がコレである。
なるほど統治できるならば、クロードもアンセルも任せることに異論はない。
しかし、内輪もめで領を荒廃させた挙げ句に、テロリスト団体”
『わかりました。ではいただいた返答は持ち帰って、辺境伯様と検討します』
やむを得ずアンセルがそう回答した途端、貴族たちは罵詈雑言を尽くして脅し始め、途中で泣き落としに変わり、終いには別荘に招いてよくわからない接待を始めようとした。
おそらく、彼らは恐ろしいのだ。悪徳貴族クローディアス・レーベンヒェルムが――。
(内戦を続けてきたはずなのに、レーベンヒェルム領だけは疲弊するどころか、食糧増産して経済振興してるからなあ)
アンセルたちが仰いだリーダーは、間違いなく歴史に残る快挙を成し遂げた。
しかし、それはクロードという大将が、自らを焚き木にくべることで実現した危うい奇跡だ。
真似できるものではないし、真似るべきでもないとアンセルは思う。
「といっても、いまのルクレ領は、アマンダさんたちが懸念していた通り、領民から違法に税を取り立てる悪代官や、領民の陳情を踏みつぶすことだけが得意な悪官僚が幅を利かせているのが現状だ。早く統治機構を再建しないと……」
アンセルは、ルクレ領出身のレジスタンス参加者や協力者から職員を選抜し、どうにか役所と領軍の体裁を整えた。
もちろん万全には程遠い。緋色革命軍との決戦までに、ルクレ領の領民たちが単独で回せる統治機構を創り上げなければならなかった。
しかし今日の会見を見る限り、どうやらまっとうな貴族たちは楽園使徒に潰されて、性質の悪い小悪党や
彼らは生まれ持った貴族という地位や特権を振りかざしこそすれ、領民たちの安全や生活を守る気はまるで無いようだ。
「うーん、お腹空いたなあ。宿舎に帰る前にどこかで食べていこうか」
緊張とストレスによって空腹を覚えたアンセルは、夕闇に沈む街へと歩き出した。
強い風が吹きすさぶ中、訪ねたのは路地裏にあるバラックだ。
イカの
「あぁっ、香ばしい。炭が焼けるいい匂いだ」
アンセルは、皿に盛られた鳥の肉、肝や腸の串焼きに魅入られた。
マラヤディヴァ国では一般的なピーナッツソースをつけて、口いっぱいに頬張る。
野菜と落花生のフルーティなタレに、鶏肉の脂が染みわたり、えもいわれない口福を感じた。
〆には椰子の葉で巻いたおにぎりにかぶりつくと、お腹がくちくなると同時に、たまった一日の疲れが洗い流されてゆく。
アンセルが食後の紅茶を楽しんでいると、年季の入ったフード付きローブを被った一人の中年男性が、隣のカウンター席に座った。
「オヤジ、米焼酎と漬けものをくれ。串焼きは――塩で」
(え、塩……!?)
男はフードを脱ぎながら注文し、終わると同時に席へ腰を下ろした。
彼の堂々とした流れるような動きに、アンセルはまるで嵐にでも向き合ったような奇妙な衝動に突き動かされた。
何よりも、焼き鳥を塩だけで食べるというのが、これまで彼が想像もしなかった切り口だったからである。
「おや、コンラードの旦那じゃないか。久しぶりだねえ」
「再就職が決まった。今夜は、前祝いのようなものだ」
「そいつはめでたいねえ」
アンセルが紅茶で喉を湿らせている間に、コンラードと呼ばれた中年男は美味しそうに米焼酎をちびりちびりと飲んでいた。わざわざ漬けものを頼んだのは、焼き鳥が焼き上がるまでの
(なんて完璧な布陣なんだ。このおじさん、できるぞ!)
圧倒されたアンセルは、お勘定を払うつもりだったにも関わらず、つい注文を重ねていた。
「オヤジさん。ぼくも串焼きを塩で」
「はい。塩、一丁」
店主の熟練の技で焼かれた串焼きは、塩というシンプルな味付けでより旨味を引き出され、まるで剣豪が刃を一閃するが如き感動をアンセルに与えた。
(……完敗だ。セイ司令に敗北した敵将たちも、こんな気持ちを味わったというのか!?)
串焼きと酒を楽しむコンラードを横目に、アンセルが心に抱いたものは、交渉の疲れも吹き飛ばすような敗北感と新たな闘志だった。
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