第215話(第二部最終話) ヴォルノー島の覇者

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 復興暦一一一一年/共和国暦一〇〇五年 花咲の月(四月)二〇日午前。

 クロードがこの世界に召喚されてから、およそ一年と半年が経っていた。

 最初は何もない荒野に膝をついた彼も、領役所と領軍を復興させたことで、堂々たる領主の振る舞いを……。


「領主さま、次の決裁書類をお持ちしました」

「レア、なんだよその山。いやだあああっ僕もう屋敷帰るぅうっ」


 ……身につける日はまだ遠そうだった。

 長く青い髪をヘッドドレスでまとめた小柄な侍女は、緋色の瞳をわずかにつりあげた。

 逃亡しようとした主の襟首えりくびをむんず掴んで椅子へと座らせ、書類を机上に積み上げる。


「帰しません。まずは領警察からの報告書です」

「ぐぬぬ。エリックは良いよなあ。パトロールが出来て」

「午後からは出張です。それまでに終わらせましょう」

「しくしく」


 クロードが奪われていた行政権を奪還して経済植民地から独立、更には赤い導家士どうけし山賊軍さんぞくぐん楽園使徒アパスルといったテロリスト集団を尽く打ち破ったことで、かつて無法者どもがたむろしていた領内の治安は完全に回復した。

 

「次は共和国企業連と商工連絡所からの陳情です」

「食糧輸送を目的とした運河利用についての方策か。パウルさんは相変わらずやり手だなあ。商工連絡所は新市街計画の要望……」


 クロードが領主就任後、最優先で取り組んだのが飢餓問題きがもんだいだった。

 経済植民地として商品作物の単一栽培を強いられていたレーベンヒェルム領の食料収穫力は低く、おまけに先代ほんものの暴政で港や街道が失われて、他領からの購入すらままならない陸の孤島と化していた。

 クロードは農園や道路を整備しつつ、河川の浚渫しゅんせつ工事や小規模運河を引くことによって、治水に務めた。

 最初に手掛けた農園はファヴニルの暗躍によって焼かれたものの、新式農園”セミラミスの庭園”の成功以来、技術をフィードバックした小規模農園が続々と作られて、レーベンヒェルム領の食糧事情と雇用状況は一気に改善された。

 街道も整ったことで、安定した雇用と食糧供給を目的とした多くの人々が集まって、レーベンヒェルム領は急速に変化していた。

 中でも、最も大きな変貌へんぼうを遂げたのは、共和国企業連だろう。

 かつては西部連邦人民共和国の工作機関に過ぎなかったこの組織は、後ろ盾であった軍閥の壊滅や奴隷酷使企業の倒産が相次いだことで、今では帰化人である”楽人”が強大化して実権を握り、比較的穏健な企業集団となってレーベンヒェルム領と協調していた。

 とはいえ、彼らの利益追求という根本姿勢は引き継がれたままであり、トップが無能からやり手のパウル・カーンに変わったこともあって、クロードの胃は荒れっぱなしだった。

 更には、企業連に対抗する為、ヴァリン領の中小企業やレーベンヒェルム領の商店や工房が商工連絡所という新たな組織を立ち上げて、領の経済情勢は発展と共に混迷も深めていた。


「王国のウェスタン建設から鉄道敷設工事の中途報告が入りました。進捗しんちょくはおよそ三割ほど、また共和国企業連と商工連絡所が、鉄道を自身の勢力圏に延長させようと工作している模様です」

「正式開通まであと一年はあるっていうのに、もう延長の話? なるほど、こいつは厄ネタだ。やり過ぎるようなら対処するさ。それにしても、店舗が増えたなあ」


 クロードが進めた改革の結果、暴利をむさぼっていた植民地運営企業は本国に撤退もしくは倒産し、代わりとなる新興企業が勃興ぼっこうしたことで賃金と雇用は安定した。

 更に高すぎた諸々の税金が是正され、鉄道や道路、トンネルの整備といった公共事業そのものが経済効果をもたらす呼び水となったことが、レーベンヒェルム領の経済活動を爆発的に拡大させていた。

 庶民の生活水準向上は、領民たちの力そのものを強化して、共和国企業連の変貌や商工連絡所の設立といった変化をもたらすことに繋がった。

 レーベンヒェルム領で起こったこれらの変化は、地球史において産業革命がフランス革命の遠因となったように、中世的な封建社会の身分制度崩壊に繋がる危険性を有していた。

 しかし、クロードはこのリスクを無視した。むしろ地球の日本という民主主義社会で生まれ育った彼にとって、民衆の地位向上は当然のことだった。

 メーレンブルク公爵も、ヴァリン公爵も、正しくクロードを評価していたのだろう。

 クロードは決して意図しなかった。しかし、彼の政策はマラヤディヴァ国の変化を加速させる。

 そして、急激な変化は――レーベンヒェルム領においても、歪となって現れた。


「ねえ、レア。ひょっとして部課長職、足りてない?」

「領主さま」


 クロードの問いに、レアは沈鬱ちんうつな表情で頷いた。

 レーベンヒェルム領役所は、再興してわずか一年と少しである。

 そのわずかな期間に、役所が担う裁量と重責は爆発的に増えていた。

 他領からの流入もあって、不足した人員は募集すれば補えた。

 問題は――、指揮官クラスがまるで足りていないということだ。

 どれほど職員が増えたとしても、陣頭に立って問題解決を主導できる熟練の指揮官がいない。

 はっきり言えば、事務から戦闘までこなすアンセルの才覚と、領軍と役所の橋渡しとなったヨアヒムの尽力、そして秘書的立場にあるレアの献身に依存しているのが実情だった。


「じゃあ、この決裁の山も……」

「今、復興と組織再編支援のために、アンセルさんとイェスタさんヴィゴさんをルクレ領に、ヨアヒムさんとローズマリーさんをソーン領に、それぞれ領主さまの名代として派遣しています。皆さん、全力で頑張っています」

「わかったよ。領軍から人員の移動を検討しようか」


 ぼやきながら、クロードはどうにか書類の山を片付けた。


 そして、同日正午。

 会議のため、ソーン侯爵領の港町ヴィータに集まったルクレ領、ソーン領、レーベンヒェルム領の担当者たちは開口一番、まったく同じ言葉を叫んだ。


「「指揮官が足りない!」」


 それは、クロードの思惑を吹き飛ばす残酷な事実だった。


「ちょっと待ってくれ、アンセル。ルクレ領には、まだ豪族が残っていて……」

「あいつら家のためにしか働かないんです。領役所も領軍も名前だけ、自分の家を富ませるしか頭のない連中だけで、どう仕事しろって言うんですか? エステル姫が幼いからって舐められてるんですよ。至急幹部級の増員をお願いします」


 言うまでもなく、レーベンヒェルム領役所にそんな余剰人員はいない。


「ヨアヒムはどうだ? ほら頼……れる? チョーカー隊長や、女傑のアマンダさんとか人材が豊富だから大丈夫だろ」

「武門だけ豊富でもどうしようもないんですよ。アマンダさんとドリスちゃん、ミーナさんが必死で支えてます。あとチョーカー隊長は秘密―にしておきたい―兵器枠じゃないですか。ロビンくんなんて先日倒れましたよ。すぐに内政担当官を増員してください。領内の空気はピリピリしてもう限界です」


 繰り返すまでもなく、そんな人員はいない。


「棟梁殿。先日、キャメル平原でグェンロック方伯軍とメーレンブルク公爵軍が緋色革命軍に大敗したと聞く。ロロン提督に救援を命じたそうだが、海軍はともかく陸軍はしばらく動かせん。ボルガ湾海戦、ドーネ河会戦、マクシミリアンによる偽姫将軍の乱に、先の怪物災害鎮圧だ。負傷者続出で、小隊長級が揃って入院中だ。士気も下がっているし、可能ならば増員をお願いしたいのだが……」


 薄墨色の長い髪をひとつにくくったセイの葡萄色の瞳に見つめられ、クロードは目に入った彼女のうなじにどきりとして、目を閉じながら重々しく口を開いた。


「どうしよう……?」

「「ええーっ!?」


 結局、具体的な対策は何も出せないまま、正午の会議はお開きとなった。


 ――同日、午後。

 転移魔術でレーベンヒェルム領に戻ったクロードは、魔術道具・契約神器研究所を訪ねた。

 ファヴニル戦を意図した大規模災害対策術式の研究報告という名目だったが、それ以上に人員問題について相談したかったからである。


「どこもかしこも指揮官不足、というかベテランが絶望的に足りないんだ。こればかりは、ハサネやブリギッタも職員の成長を待つしかないって言うし、何かいい方策はないかな? 推薦のあった者から優先して教育講習と幹部試験を行ってるけど、それじゃあとても追いつかないんだ」


 赤いおかっぱ髪と黒真珠のような瞳が印象的な少女ソフィは、クロードの話を聞いて、執事服に包んだ豊かな胸の下に腕を通して組んだ。


「そうだ。お祭りをするのはどうかな?」

「お祭りだって。ソフィ、それは――」


 余計に負担が増えるじゃないか、とクロードは顔をしかめたが、どうやらソフィの意図は別にあったらしい。


「クロードくん、戦いが続いたじゃない。これからは緋色革命軍マラヤ・エカルラートとの決戦も控えているし、皆不安なんだよ。お祭り騒ぎをすれば、きっと気持ちも晴れる。それに、闘技大会とか論文コンペとか開けば、町にいる優秀な人を見つけられるでしょう? お祭りの業務で働きが凄かったひとを抜擢ばってきすれば、今いるひとたちの中で新しい幹部候補を見つけられるかも」

「なるほど!」


 多少の準備は必要だろうが、今はレーベンヒェルム領もルクレ領もソーン領も動ける状態にない。

 緋色革命軍との決戦で軍を動かす前に組織の再編は必須で、ソフィの提案は魅力的だった。

 早速執務室に戻ったクロードは、部課長たちを招集して計画作成を命じた。

 そうこうしているうちに日は暮れる。

 レアの管理が巧みだったのか、クロードの仕事は無事定時に終わった。


 ――同日、夕刻。

 ボーが操る馬車に乗ったクロードとレアは、領都レーフォンにあるヴァン神教の神殿を訪ねた。

 寺子屋に通うエステル・ルクレを迎えに行くためだ。


『エステルちゃんには負担をかけるけど、ちゃんと学校に行かせるべきだと思う』


 隔日でもいいから寺子屋に通わせるべきだ、というクロードの提案は、アネッテ・ソーンを始め、アマンダやミーナたちレジスタンスの全面的な賛同を受けた。

 クロードにとって、学校は良い思い出ばかりではない。いじめや、宗教勧誘などの思い出したくない騒動にも巻き込まれたからだ。


(それでも、僕は先輩達に出会った。喜びと楽しみと、恐怖や怒りを知った。だから、今の僕がいる)


 クロードは、エステルに万が一のことがあってはいけないと、自身がもっとも頼る戦力であるアリスを彼女の護衛につけた。

 寺子屋ではもう授業は終わっていたらしい。少数の子供たちが、両親の迎えを待つばかりだ。

 境内に腰かけた老いた巫女の周囲に集まって、エステルのように本を読んでもらったり、アリスのようにドッヂボールらしき球技で遊んだりしていた。


「あ、エステルちゃんと、アリスちゃんのおにいさんがきたよ!」

「こんにちはっ」

「はしゃさまだ、かっけー」


 歯医者とは何ぞや、とクロードは疑問に思ったが――黄色い声で迎えられて悪い気はしなかった。

 だから、つい調子に乗った彼は、馬車からリュートギターを引っ張り出した。


「よし、皆。いいものを聞かせてあげよう」


 それを見たエステルたちの反応は早かった。


「みんな、教室にはいろっ」

「逃げるたぬ。クロードの演奏は”あくとくきぞく”たぬっ」

「あくとくきぞく!?」

「たぁすけてぇ」


 子供たちは、アリスと巫女を残して散り散りに逃げてしまった。


「……あぁりぃすぅ」

「お待ちください。いまのは、リュートギターへの評価であって、辺境伯さまのことでは決してありません」

「そうたぬ。クロードの演奏は子供には早いだけたぬ」

「ちょ、僕だってあれから上達してるんだぞ」


 クロードは一曲奏でた。

 聞き終えた巫女は、パチパチと拍手してくれた。


「誤解してはいけません。貴方は決して下手なのではない。根の国を這う蛇が奏でる歌のような、あるいは神焉戦争ラグナロクを彩る剣の音のような、名状しがたい芸術性が確かにあります」

「な、なんでそんなに冒涜ぼうとく的なの褒め言葉なの? それって本当に褒めてるの、ねえ?」

「蛇除けにもなる、正義の音色です」

「どんな音楽だよぉおおっ」


 クロードは嘆き悲しんだ。

 だから、彼を覗き見ていた少年が突っ伏して、離れた木の上から無様に落下したことにも気付かなかった。


「頭がいたい。吐き気もする。ボクをここまで追い詰めるだなんて。やるね、クローディアス・レーベンヒェルム!」


 こうして日々は続いてゆく。

 久々に休日が合致したクロードとレア、ソフィ、アリス、セイは、古代遺跡ダンジョンに潜ることにした。

 彼らはダンジョン周辺のキャンプに馬車を停めて、入口へと向かって歩き出す。


「そういえば最近ショーコさんを見ないけど、何をしてるんだろ?」

「た、たぬ。きっとすぐに逢えるたぬ」


 怪物災害を鎮めた後、ショーコはアリスと共に屋敷のお菓子を食べたことを謝って、何処かへと去っていた。

 彼女の正体こそ、クロードが百連敗を重ねた好敵手ライバル、青く輝くスライムなのだが、彼はいまだ気づいていなかった。


「それよりクロードくん、義手はつけなくていいの?」

「頼りきりと言うのも怖いし、途中までは無しで行くよ」

「ふふん。だったら!」


 セイがクロードの右肩に抱きついた。


「私が棟梁殿の右手になろう」

「じゃあ、わたしは左手」


 ソフィが左肩に手を添える。

 クロードが彼女たちの温もりに思わず赤面すると、レアがそっと背後に寄り添った。


「まるで花束、ですね」


 更に金色のもふもふした虎ともたぬきともつかないぬいぐるみに変じたアリスが、クロードの頭上に抱きついた。


「たぬぬぅ。ここはたぬの指定席たぬ」


 四方を囲まれたクロードは、全身真っ赤になってしまった。

 やがて地下へと続く扉が見えてくる。

 自然は強い。あるいは魔力が土壌に影響したのかもしれないが、荒れ地だった古代遺跡周辺にも、わずかな野草と花が生えていた。


「棟梁殿、花の道というのも良いものだな」

「うん……」


 クロードは思う。

 たとえこの先に待つのが地獄の業火だとしても、もはや彼は歩みを止めることはないだろう。

 そして、彼女たちもまた同じ道を歩んでくれる。ならば、きっとこの先へ続く道は。


「僕たちが進むのは花の道だ。今日こそは、あいつに勝つ!」


 かつて、クロードは何も持たない異世界からの来訪者としてこの地に現れた。

 だが、マラヤディヴァ国を巡るうねりは、いまや間違いなく彼を中心に動いていた。

 余人は、いつしか彼を評してこう囁くようになった。

 ヴォルノー島の覇者、と。


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復興暦一一一一年/共和国暦一〇〇五年 花咲の月(四月)二〇日のレーベンヒェルム領


農業      A 生産加工を一元化した施設園芸農業が充実しています。

商業      B 基幹道路と海路が安定したことで、商業が花開きました

工業      C 隣領との交流で工業も活性化しています。

治安      A ヴォルノー島からテロリストが追放され、一般民衆の安全が確保されました。

支持率     E 0%(但し、人民通報による)

          冒険者ギルド瓦版等の調査では、40%前後を推移しています。


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 第二部 了

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