第165話(2-119)悪徳貴族と龍神神話

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 ソフィにとってグリタヘイズの村は、故郷と呼ぶには確信の持てない場所だった。

 彼女の父母は、外国人に乗っ取られた宗教団体によって村を追われ、先代(ほんもの)のクローディアス・レーベンヒェルムの悪政によって亡くなった。

 それからは、ササクラ・シンジロウによって手ほどきを受けた武術の技と、両親から受け継いだ神職の知識を活かして冒険者として生計を立てた。

 ソフィは、領主の暴政で同じように父母を亡くしたエリック、一族を粛清されたアンセル、ダヴィッド、レベッカ、一家が離散したヨアヒム、家出したブリギッタたちと身を寄せ合い、領都レーフォンの片隅で生きてきた。だから、彼女が育った場所というのなら、領都の下町の方がふさわしい。

 時は流れてクロードが辺境伯となると、宗教団体を牛耳って麻薬や人身売買といった犯罪行為に手を染めていた外国人が捕縛され、湖を穢していた共和国企業も経営が傾いて倒産した。

 野に下っていた信徒たちは、長い雌伏しふくの時間を耐えて再びグリタヘイズの村に集い、代表であるカロリナがファヴニルによって殺害されたとみなされていたため、神官・巫女の家系であるソフィを招いて湖と龍神を奉る祖霊信仰を再興しようとした。

 そうしてこの地を訪れた彼女は、湖を渡る山の風を受けて、茶葉の匂いに包まれた時、心の底から深く感じたのだ。ああ、帰ってきた――と。


(クロードくんは言ってた。カロリナ様は生きて、先輩に保護されているって。だから、わたしは代役。でも、ちゃんと務めなきゃ、ね)


 ソフィは巫女の装束に袖を通し、神楽殿で奉納のための舞を踊る。

 境内には老人から子供まで大勢の人が詰め掛けて、彼女の一挙手一投足を見守っていた。

 わずかに身がすくむも、視線を受け止めるように、軽やかに手足を伸ばして拍子を踏む。

 ソフィが好きな男の子は、同じように彼へ想いを寄せる女の子たちは、こういった時に決してひるまない。

 そして、生まれた故郷の役に立ちたい、そんな確かな気持ちも彼女の中に芽生えていた。


(クロードくん、レアちゃん、アリスちゃん、セイちゃん。わたし頑張るよ)


 奉納する劇は、グリタヘイズの村の始まりと、龍神降臨の物語だ。

 はるか昔、傷ついた人や身寄りのない人々が、湖の傍に集まって暮らし始めた。

 他所から棄てられた人々は、互いの身分を問わず、過去を問わず、支えあって生きていた。

 だから、いつの頃からか、村はこう呼ばれるようになった。


 ”抱擁者ファフナーの村”……と。


 しかし、やがて村に危機が訪れる。

 古代遺跡ダンジョンから徘徊怪物ワンダリングモンスターがあふれ出て、人を喰らい、毒を撒き散らして、瘴気しょうきの沼をつくりだした。

 弱き人々には為すすべもなく、もはや万策が尽きたその時、グリタヘイズの湖を守護する龍神がファフナーの村に降臨したのだ。

 巫女の祈りを聞き届けた龍神は、モンスターを炎の吐息で追い払い、毒を草や石に、瘴気の沼を緑の森へと――”変化させた”という。

 幼い頃、ソフィは母から昔話として聞かされて、こう尋ねたことがある。


『どうしてりゅうじんさまはいなくなっちゃったの?』

『きっと寂しかったんじゃないかしら』


 もしも母の推測が正しくて、胸を刺すソフィの予感が当たっていたならば、かつて龍神であったものは、今、ようやく孤独ではなくなったのかもしれない。


(クロードくんという、――宿敵を得たから)


 奉納劇はいよいよ佳境に入る。ガスパル翁が演じる龍神が舞台に上がるのだ。

 迎えるために舞を止めて伏せるソフィの目に、舞台袖で手を振る友達の姿が見えた。


(みんな、来てくれたんだ……)


 姿は見えないけれど、きっとどこかでクロードも見守っている。そのことが、彼女の胸の内を熱くさせた。

 龍神の面を被り、装束に身を包んだ細身の老人が神楽殿にあがる。

 そして、彼は降臨の祝詞を読む……ことはなかった。


「……っ」


 ソフィは知っていた。祝詞ではなく、平易な言葉でグリタヘイズの地と湖を愛していると吟じた少年の声を。

 それは、彼女が世界で一番大好きなひとの声だった。



 刻限が迫る中、クロードは宣言した。


「ガスパルさんの代わりは僕がする。レア、服の準備を頼む」

「領主さま。本当によろしいのですか?」


 レアが困惑するのも無理はない。リハーサルなしのぶっつけ本番で、台本は一度目を通しただけ。そんな有様で舞台にあがるなんて、普通なら絶対に無謀だ。

 現にクロードは、台詞なんて覚えちゃいない。いや、覚える必要がなかった、というべきか。

 なぜなら、クロードはモデルとなったであろう存在の一人を深く知っている。宿敵たる彼の面影を追い求め、息の根を止めるために、先の見えない長い道程を駆け抜けてきた。


「もうすぐ時間だ。頼む」

「わかりました。鋳造――」


 レアが予備の服に魔法をかけて、寸法をクロードのものに合わせる。

 クロードは、大道具や小道具担当の氏子に手伝ってもらって着付けをすると、深呼吸して神楽殿――舞台へと踏み出した。


(いまさらになって気付いてしまったことだけど、どうやら僕とファヴニルは……似ているらしい)


 クロードが氏子たちから聞きだした伝承と、奉納劇の脚本によれば、龍神は怪物たちから村を守り、山を切り開いて田畑に水を引いたという。

 グリタヘイズの村に作られた段々畑や灌漑水路は当時のものとは違うだろうが、そのはじまりをファヴニルが行ったとしても不思議はないのだ。


(あいつは、レーベンヒェルム領を自分の玩具箱だと言っていた。たとえ独占欲であったとしても、奴なりの愛情は確かにあったんだ)


 クロードはレーベンヒェルム領を第二の故郷として愛し、ファヴニルはレーベンヒェルム領を自分の玩具として愛している。

 クロードは邪竜を討ち果たすために多くの人々の力を借りて領を切り盛りし、ファヴニルは契約神器という自身の強大な力で領に生きる人々に恐怖政治を敷いた。

 クロードは領民の人命を守るためなら城塞一つを水攻めで再建不能にすることを辞さず、ファヴニルはニーダルを討つためなら複数の街を巻き込むテロルの実行をためらわない。


(向いている方向が正反対だから、どうやったって相容れないけど!)


 クロードは、グリタヘイズの地と民を愛していると高らかに詠った。

 ひょっとしたらモデルと意味は異なるかもしれないが、気にすることはない。彼が演じる役柄は人間に仇なす悪竜ではなく、人間を守護する龍神だ。宿敵に有り得たかもしれない可能性、あるいは、あったかもしれない過去なのだから。


「……クロードくんっ」


 舞台で伏していたソフィが驚きの声を漏らす。けれど、彼女は気丈に立ち上がって一礼し、手を差し出した。まるで一緒に踊ろうとでも言うかのように。


(ななな。むむ、むりだよ、ソフィ。わからないって!)


 動揺したのはむしろクロードだ。

 けれど、彼は冷や汗をかきながらも、ソフィの白い手をとって同じステップを踏んだ。

 この日の奉納劇を見た観客と氏子たち、その多くの者は”脚本になかった”巫女と龍神の舞について、こう感想を述べることになる。

 振り付けも足運びもまるで調和せず、混沌としていた。神聖な神楽舞ではなく、情熱的で村の恋人たちの踊りのよう。でも、不思議と魅入られた――と。

 やがて二人の舞は終わる。ソフィは感極まったかのように、クロードの胸元に飛び込んだ。


「クロードくん、好きだよ」

「うん、僕も、ソフィのことが好きだ」


 クロードは、ソフィの暖かな身体を守るように抱きしめた。

 舞台袖ではアリスがぷうと頬を膨らませ、セイが小声ではやし立てている。レアの顔は物陰に隠れているのかよく見えない。

 咄嗟とっさのことだ。社交ダンスだか神楽舞だかわからない代物になってしまったが、クロードは湖と祖霊に最大限の敬意と祈りをもって踊った。


(そして、これは僕なりの決意表明せんせんふこくだ)


 クロードは、観客達の中に、懐かしくも恐ろしい気配が紛れ込んでいることを見逃さなかった。

 力を使うことはほぼなくなったといえ、彼、ファヴニルとの契約は未だ生きている。きっとすべてが終わる決戦の日まで。

 龍神を装った悪徳貴族の黒い瞳と、領民に紛れこんだ邪竜の緋色の瞳が、一瞬だけ交錯して変わらぬ意思を伝えあう。


『ファヴニル。ここは、様々な民族ひと信仰かみが共存するマラヤディヴァの大地だ。そのすべてを己が色に染めなきゃ生きられないというのなら、いさぎよく滅べ。僕がこの身に代えても介錯かいしゃくしてやる』

『クローディアス、それでこそボクの盟約者だよ。無様にあがき苦しむといい。キミの命をもってボクを楽しませてよ』


 クロードは、ソフィを抱きしめて視線をおおった。アリスとセイは、舞台袖に居て気付かなかった。

 領民の中で、二人の間で交わされた視線を気に留めるものなどいなかっただろう


「……さま」


 ただひとり、手伝いのため境内に出ていた青い髪の侍女を除いては。

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