第166話(2-120)悪徳貴族と侍女の孤独

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 復興暦一一一一年/共和国暦一〇〇五年 芽吹の月(一月)五日未明。

 クロードは、仕事始めから日付をまたぐ長い残業を終えた。役所から屋敷に帰るなり、シャワーを浴びて自室へと向かった。

 新年の始まりで緊張したからか、山積みの仕事に追われたからか、あるいは……宿敵と再会して気が高ぶっていたからか。

 クロードの意識は、一日の疲労と眠気で黒く塗りつぶされて、廊下で足をすべらせた。


「領主さま」


 深夜という遅い時間にも関わらず、起きて彼を待っていたレアが駆けつけて、クロードの身体を支えてくれる。


「だいじょうぶだよ、れあ。ちゃんとねる」

「はい。寝室まで御案内します」


 レアに手を引かれて、クロードはどうにか自分のベッドに辿り着き、うつ伏せに倒れ込んだ。

 

「領主さま、どうかお体を大切に。もしも貴方がいなくなれば多くのひとが悲しみます。孤独だったアリスさまとセイさまは、貴方の優しさを知ってしまった。ソフィも、貴方の傍らにあればこそ、きっと試練を乗り越えるでしょう」


 レアの声が遠い。まるで遠くの浜にうちよせる潮騒しおさいのように小さく、儚くなってゆく。


「御安心ください。私は、御身の為、盾となり、剣となりて御守り申し上げます。だから――」


 何も心配はないのだと、母親が幼子をあやすようにレアはクロードの額に手を当てて、結んだ手を離した。


「おやすみなさい。良い夢を。私は幸福でした――」


 瞬間、クロードの脳裏を忘れたはずの夢が稲妻のように奔った。兄と妹。繋がれた手。湖で交わされた守るという誓い。結末は知らず、しかし推測できる。おそらくバカは龍神となって、妹の手を手放した。

 クロードは無意識のままにレアに手を伸ばし、腕を掴んで彼女を抱き寄せた。


「り、りょうしゅさま。クロード……」

「レア、僕は」


 クロードは何か大切なことを伝えようとして、今度こそ意識を手放した。


「うーん。もうあさか」


 芽吹の月(一月)五日朝。クロードは心地よい温もりに包まれて目を覚ました。

 睡眠時間は短かったはずなのに、なぜか気力が充実している。これならば、憂鬱ゆううつな会議も気合い十分で乗り切れそうだ。

 クロードがそんな決意を込めて目を開くと、頬をまるで熟れた林檎りんごのように紅潮させた、青い髪と緋色の瞳の少女、レアの顔があった。


「……」

「……」


 クロードが最初に考えたのは、まず手と足を使って距離を取ろう、だった。


「り、領主さま、おはようございます」

「おはよう」


 が、息も触れそうな距離で挨拶を交わしたところ、クロードはまるで離さないと言わんばかりに、己の手足でレアをしっかと抱きしめていることがわかった。

 触れた腕や太ももから伝わってくる柔らかな感触に、クロードは顔から火が出そうになるも、とっさに息を止めた。

 声を上げてはならない。屋敷には他に三人の女の子がいる。もしもこういった情景を目撃されては、今後の生活に支障が出るだろう。


「ん。クロードくん、もう朝?」

「たぬう。おなかへったぬ」

「棟梁殿。おはよう。新しい一日の始まりだぞ」


 問題は、すでに全員がベッドの上で一堂に会していたことだろう。

 もはや隠すどころか逃げ場だってありはしない。


「ぼ、僕は堕落しているっ!?」


 なにか大切なことがあったはずだった。でも、それどころではなくなって、クロードは対応と釈明に追われているうちに、微かな記憶を忘れてしまった。

 だから、彼は知らない。少女が昨夜、屋敷から去る決意を固めていたことを。その決意が、まるで朽ちた老い木のように崩れてしまったことを。


「……レアちゃん。今朝の様子なら、もう心配ないかな?」

「ソフィ殿の言うとおりだったな。妙に思い詰めていたようだったが、顔からうれいが消えている」

「たぬはてっきり皆で夜這いをするのかと思ったぬ」


 クロードには女ごころがよくわからない。そのうえ、目も節穴だった。残念ながらというべきか、あるいは幸運にも、というべきか。



 芽吹の月(一月)五日午前。

クロードたちは役所へと出勤し、およそ二週間後に迫った楽園使徒アパスルとの和平交渉について協議した。

 対策会議は始まると同時に、紛糾ふんきゅうした。ブリギッタが持ち帰った楽園使徒の要求が酷い代物だったからである。


「これは和平案ではなく、こちらの無条件降伏案の間違いでは?」

「賠償金の支払いに、ルクレ領、ソーン領における共和国人による政権運営を認めること。二領の将来的な共和国への割譲に賛同すること。こんなの飲めるわけないでしょう!」

「他には、レーベンヒェルム領の政治運営に共和国人を優先して参画させること。共和国人へ特権と利権を保障すること。共和国人の生活地区への立ち入りは重罪とみなすこと。領軍、領警察は理想郷の維持に全面的に協力すること。イカれてるのか、こいつらは?」


 アンセルは呆れて和平案が書かれた資料を投げだし、ヨアヒムはくるくるとまるめて机を叩き、エリックはぐしゃぐしゃに握りつぶした。

 ブリギッタと共に和平を推進していたハサネも、ひきつった顔で書面をあらためている。


「西部連邦人民共和国における少数民族弾圧に比べれば、まだしも穏当といったところでしょうか。楽園使徒は、共和国の制圧下にあるネメオルヒスやトラジスタンのような目に遭いたくないだろうと脅しているつもりでしょう。先の内戦で、我が領は疲弊ひへいしたように見えますし」


 楽園使徒に誤算があったとすれば、彼らが手引きしたレーベンヒェルム領の内戦を、クロードたちがわずか十日あまりで収拾してしまったことだろう。それでも、多大な被害を与えることができたといわんばかりの傲慢ごうまんさが、和平案からはほの見えた。

 クロードは、書面を裏返すと、議長席から会議室に集まった面々の顔を見つめた。


「最初は高値をふっかける・・・・・・・のが交渉のセオリーといえ、これは論外だ。相容れないもの同士の共存が不可能なら、離れて暮らすしかないだろう。侵略者は叩きだして、自分の国に帰ってもらう。それが、一番安い・・・・解決法だ。二人の侯爵令嬢を救出し、ルクレ領とソーン領をマラヤディヴァ国に取り戻す。皆、力を貸してくれ」

「「はい!」」

「「おうっ」」

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