第164話(2-118)悪徳貴族と龍神信仰

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 グリタヘイズ湖は領都レーフォンの南東高地にあり、古来より龍神の住む湖として崇敬をあつめ、また民衆の生活用水として親しまれてきた。

 湖から流れ出る川は、ドーネ河に合流して北の海へと至るため、クロードたちは河を遡るようにして現地へ向かった。


「見えたぞ、あれか?」

「たぬう?」


 クロードは馬車の窓から身を乗り出すようにして、グリタヘイズ湖を見た。

 深い青をたたえた澄み切った湖がまぶたの裏に浮かび、しかし、灰色に淀んだ陰気な姿によって上書きされる。

 セイも、アリスも、はしゃぐのを止めて無言になった。レアは痛ましそうにうつむいている。

 先代のクローディアスが招いた共和国企業が垂れ流す汚染物質によって、グリタヘイズ湖は穢された。

 ”隼の勇者”と称えられたアランと共に、“湖の巫女”と呼ばれるカロリナが冒険者たちと領主館へ攻め入った最大の理由がこれだった。


「以前は、赤潮や藻の異常発生で黄色や緑に染まり、悪臭も酷いものだったと聞きます。領主さまが法律を施行したことで湖も生き返ったのです」


 そうレアが伝えてくれたものの、クロードには気休めにしか聞こえなかった。

 とはいえ、クロードがレーベンヒェルム領の実権を得てから通したいくつかの公害対策は、各町村で目に見える効果をあげていた。

 世界標準から外れた排気汚染、排水汚染、有害物質投棄などを、外国企業や国内企業を問わず、法律で徹底的に取り締まったからだ。

 そんな環境規制をしては経済発展が成り立たなくなる。共和国企業にのみ無制限の開発と運営を許すべしと、一部の共和国企業がワイロや暴動を含む攻勢に出たことからも効果の程は明らかだろう。もちろん、クロードはそんな特権は無用と一蹴した。

 一部の共和国人は、自民族を至上の選良種と信じて疑わず、パラディース教徒は自らを進歩主義者であると主張して傲慢と虚栄に拍車をかける。結果、『他民族よりも優遇されて当然。そうでないなら世界がおかしい』という歪んだ民族思想が成立してしまうのだ。

 他国の為政者たちがどれほど平等や融和を説いても、信仰と文化に根差したこれらの特権意識は、きっと変わることがない。


(そして本当に怖いのは、悪徳貴族クローディアス・レーベンヒェルムと邪竜ファヴニルという”憎まれ役”が退場したあとに、マラヤディヴァの民が共和国人をはじめとする外国人に爆発した敵意を向けることだ)


 そういった共和国人たちは自身の無謬性むびゅうせいを信じるあまり、被害者ぶることだろう。ひょっとしたらお得意のねつ造や流言で批判をそらそうとするかもしれない。だが、そんなことで止まるわけもない。

 悪行によって積もり積もったうらみつらみは爆発し、抗争は終わりのない業火となって国を焼くだろう。傍観者や日和見を気取りつつ、己が利益のために争いを煽りたてる第三国だって出てくるはずだ。民族間による利権争いは過熱して、被害者と加害者が互いの立ち位置を変えながら復讐のロンドを踊り続ける――もしもクロードがファヴニルを倒したあとに待つのがそんな結末なら、歩む意志さえしぼんでしまう。

 だからこそクロードは、共和国企業連の意見を政策に反映させて便宜を図りつつも、信じるのは勝手だが特権は許さないといった風に、法によって折り合いをつけようとした。それが妥協で終わるのか、和解へと続く長い道のりの始まりなのか、いまはまだわからない。結局、ひとはできることをやるしかないのだから。


「レア。王国企業から学んだ湖底の汚染物質除去工事や緑化事業のノウハウは、ちゃんと役所が管理している。今は割り当てられる予算も少ないけれど、内戦を終わらせて、いつかは湖が本当の意味で蘇る日が来るって信じよう」


 自分がやると言えないところが、クロードにも辛かった。

 やがて馬車は坂道を上ってグリタイヘイズの村へと入る。山の斜面は開拓されて棚田となり、緑の絨毯のような茶畑や、陸稲が青々としげっている。村の高台にある神殿こそ、今回の目的地だった。

 マラヤディヴァ国はヴァン神教の信徒が多いものの、アース神教、イシディア法教、パラディース教などの信徒も存在し、地元の精霊や祖霊を奉る小規模宗教もやはり存在する。

 グリタヘイズの村は”湖と竜を奉る”祖霊信仰の中心地であり、ソフィは巫女の家系の出身だった。

 一時期は信仰団体が外国人によってのっとられ、犯罪の温床となっていたものの、クロードが当時の幹部を全員捕縛したため、各地の信徒や有志によって再興されつつあった。

 正当な巫女であり、象徴でもあったカロリナがファヴニルによって殺害された……ということになっているため、ソフィが手伝いに呼ばれたのだ。正月三が日は神楽舞を中心とする奉納劇を演じるのだという。

 領主館を出るまで時間がかかったからか、すでに神主が祝詞を奏上していた。

 正面から観劇して騒ぎになってはいけないと、クロードたちは神殿の裏手に馬車を止めたのだが、突如として悲鳴があがった。


「な、なにがあったんです?」

「ガスパルお爺さんが転んで怪我を、へ、辺境伯様!?」

「僕のことはいいから医者を呼んで。下手すると腰をやってる」


 クロードは、尻もちをついた格好で痛みに呻く白髪の老人を抱き上げた。


「いけませぬ。まつりを、今年の祭りを壊すわけにはゆかぬのです」

「そんなこと言ってる場合か、ってまさかお爺さん、劇の役者……」

「龍神役を拝命しました」


 賑やかしのエキストラならば、穴埋めもできるだろう。

 だが、よりにもよって主要人物では、替えがきかない。

 クロードが医務室にカスパル翁を運んで社に戻ると、劇の参加者たちは戸惑って右往左往していた。

 本職の劇団員ならば、こうはなるまい。あくまでもボランティア故に、非常事態で責任者として差配できる者がいないのだ。


「アリス、舞台はどうなってる?」

「た、たぬ。ソフィちゃんが踊ってるたぬ。もうそんなに時間はないたぬ」

「ガスパルさんの代役をやれるひとはいないのか? もしそうなら、どうにかキリの良い部分で終えて対応するしかない」

「そ、そうだ。棟梁殿は確か演劇が趣味だったのだろう。龍神の出番は短いようだし、代役くらいできるんじゃ……」


 セイが脚本を手に、とんでもないことを言い出したからたまらない。

 クロードは泡をくって彼女から脚本をとりあげた。


「む、むり、無理無理。演劇は、何度も読みあわせして、入念な通し稽古を繰り返して本番を迎えるんだぞ。いくら出番が短くても、そんなすぐに演じられるわけが――」


 言い訳を探すかのように、クロードはペラペラと脚本をめくり、不意に手を止めた。


「――いや、できるか」


 クロードは、龍神という未知の存在を知っていた。

 良きにせよ悪しきにせよ、彼の中で生き生きと息づいていた、と言って差し支えなかった。

 忘れもしない部長を見送った日、その少年は自ら告げたはずだ。

 ボクだって、はるか昔には神様とたたえられたことがある……と。


(僕が悪徳貴族を演じているように、お前もまた龍神を演じたのか。ファヴニル)

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