第138話(2-92)悪徳貴族と好敵手(後編)

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「ショーコさん。言いたいだけ言って消えるなんて、ひどいじゃないか」


 クロードは、作業場に落ちたハンカチを拾うと、畳んでズボンのポケットへと突っ込んだ。

 あんなにも恐れたというのに、ショーコの言葉を聞いても折れたという実感はなく、クローディアス・レーベンヒェルムは死ぬべきだという結論にも変わりはない。

 しかし、クロードがファヴニルによって刻まれた心の傷跡、その最も深い部分がわずかに埋まった気がした。


「僕はもうひとりぼっちじゃない、か」


 小鳥遊蔵人たかなしくろうどは生き残るべきなのか? そもそも強大な緋色革命軍マラヤ・エカルラートや邪竜ファヴニルと戦って生き延びることが出来るのか? 彼にはまだわからない。それでも――。


「クロード、無事だったぬ!?」


 正門と裏門を襲った楽園使徒アパスルを制圧して、内部の異変に気付いたのだろう。虎耳と尻尾をせわしなく振り回すアリスを先頭に、ブリギッタとハサネ、十数人の警備員たちが走ってくる。


「く、クロード! その腕はどうしたぬ、いったい何があったぬ?」

「アリス、こっちへおいで」


 事情を説明するためには、長い時間がかかるだろう。

 クロードは、それよりも今はただ、取り戻した腕で彼女の温もりを感じたかった。

 アリスは金色の猫目をしばし瞬かせたものの、彼に導かれるままに駆け寄って身体を預けた。

 二人の鼓動は重なり合い、上気した体温が混じり合って、やがてひとつのリズムを奏ではじめる。


「ようやく君を抱きしめられた」

「幸せたぬぅ」


 そして、クロードとアリスは――。


「むっつり辺境伯様。アリスちゃんの胸に埋もれて御満悦ね」

「警備員の皆さんご注目ぅっ。この助平貴族、手でさりげなくアリスさんの耳や尻尾をモフってますよ。こんな刺激的な場面が流出したら、大騒ぎになるでしょうね」

「お前たち、いい話で終わらせろよ!」

「た、たぬぅ?」


 呆れて天を仰ぐブリギッタと、念写真を撮りまくるハサネ、更には襲撃者たちを引っ立てる警備員たちにはやし立てられて、二人は顔を梅干しのように真っ赤に染めた。

 一週間後、週刊誌にデカデカと念写真付きのスキャンダル記事が掲載されて、『元気過ぎる悪徳貴族死ね!』と、興奮したデモ隊がレーベンヒェルム領各地を練り歩いたのは言うまでもない。



 復興歴1110年/共和国歴1004年 晩樹の月(12月)6日早朝。

 クロードは、『やっといつもの日常が戻って来たぜ』と、デモ隊をイイ笑顔で見守っていたエリックをハリセンでぶっ叩いた後、義手を外してアリスと一緒に古代遺跡へと潜った。


「残念たぬ。ソフィちゃんや、セイちゃんと休日が合わなくなっちゃったぬ」

「年末だからね。年が明けて和平交渉が始まれば、きっと落ち着くさ」


 クロードと領幹部たちによる戦略会議は紛糾ふんきゅうしたものの、楽園使徒アパスルとの和平交渉を進める方針で決着した。

 不戦同盟締結の成否に関わらず、緋色革命軍マラヤ・エカルラートとの本格的な激突に備えて、レーベンヒェルム領は役所と領軍の再編成を始めた。

 人手不足だった役所には、エングホルム領やユーツ領の官僚経験者が参画し、寺子屋を卒業した新卒者が入庁した。『とんだブラック役所だ。風評の通りじゃないか』という悲鳴が各部署から聞こえてきたが、直に疲労と睡眠とデモのぬかるみへと呑まれてゆくことだろう。

 領軍は領軍で、セイの念願だった騎馬鉄砲隊の発足や、ロロン提督が主導する鹵獲ろかくした巡洋艦を旗艦とする新艦隊の設立などが急ピッチで進められていた。こちらも志願兵を募集したのだが、受付がパンクしそうな盛況ぶりであり、揃いのシャツやら団扇やら色付き棒やらを持った屈強な男たちで溢れていた。――兵士募集であって、間違ってもファンクラブ会員募集ではないのだが、気にしてはいけないのだろう。

 また年明けには、新しく設立されたファヴニル対策機関にあたる『契約神器・魔術道具研究所』や、戦闘時に領民避難を担当する『特別災害対策機構』などが始動予定である。


「ソフィちゃんは、農園担当から研究所所長に異動になるから走り回ってて、セイちゃんも、領軍の人事にかかりきりたぬ。アンセルとヨアヒムだけが、のんび~り羽を伸ばしてるたぬ」

「ふ、二人にも隠して仕事頼んでるから。密命だからっ」


 また特筆すべき点として、これまで領をけん引した中心人物のうち二人、役所出納長アンセルと領軍参謀長ヨアヒムが辞職したことが挙げられるだろう。

 二人はクロードに同盟交渉に抗議する上申書を手渡した後、先のマラヤ半島における敗北の責任を取ると告げて退職した。

 これを知った共和国資本の報道機関レーベンヒェルム人民通報は、手のひらを返したかのようにクロードを褒め称えたものの、領民たちはスキャンダル記事が引き起こしたデモに夢中になっていて反応は薄かった。

 またアンセルとヨアヒムが、それぞれ役所と参謀本部で発した第一声が『やったぜ。早めの年末休暇と賞与万歳!』だったため、職員も軍兵もなんらかの脚本があると事情を察して、……阿鼻叫喚あびきょうかん年末進行デスマーチから首尾よく逃亡を図った二人をボコボコにした。


「仕掛けは上々、後は仕上げを御覧じろってね」

「むうっ。よくわからんたぬ。つまんないたぬぅ」


 さて、レーベンヒェルム領の異変を伝え聞いた緋色革命軍マラヤ・エカルラートの幹部ゴルトとレベッカは、不可解な辞職騒動がクロードの策略であると見抜き、失脚中にも関わらず独自に防備を固め始めた。

 一方の楽園使徒は、報道を鵜呑みにして和平の成立を確信した。人民通報の記事は極めて恣意的しいてきなもので、事実以上に飾り立てた希望的観測と独自解釈を含んでいた。そのため、皮肉にも人民通報を信じた楽園使徒だけが、真実の動向を誤認することになるが、……それは少し未来の話だ。


「焦らなくてももうすぐわかるさ。と、そろそろ足だけだと厳しくなってきたな。アリス、栗と芋を用意してくれ」

「クロード、これは羊羹ようかんじゃなくて義手たぬ。あんまりそういうこと言ってると食べちゃうたぬよ。ずっと着けておけばいいのに、まだ慣れないたぬ?」


 クロードは、足先で刻んだ魔術文字から炎の弾と雷の矢を雨あられと放ち、通路の先から駆けてくる真っ白な狼や、天井から襲い来る翡翠色の大蛇を蹴散らしつつ、アリスに向かって首を横に振った。


「そうじゃないんだ。義手が使えない、そんなもしもの時に備えておきたいんだ。最後まで生きることを諦めたくないから」

「たぬ!?」


 アリスは、虎目を大きく見開いてクロードをまじまじと見つめて、直後に花が咲いたように破顔した。


「むふふ~。だったらしょうがないたぬね。クロードの背中はアリスが守るから、存分に練習するたぬ♪」

「な、なんだよ、アリス。急に上機嫌になって」


 クロードは、自覚していない。ファヴニルによって刻まれた深い深い傷は、レアやソフィ、セイ、アリスと出会って、アンセルやヨアヒムやエリック、ブリギッタと、多くの仲間と共に過ごす内に少しずつ癒えていたことに。

 そして、ショーコとの対話によって、彼はほんの少しだけ前向きになった。


「内緒たぬ。動かない動かない」


 アリスが二つの肉塊を皮鎧から見える傷口に押し付けると、暗い通路を一瞬だけ光が満たして、クロードの両腕には本物とまるで変わらぬ義手が装着された。


「ショーコさん。僕のこともよく知らないだろうに、心配してくれるなんて有り難い人だよ」

「むふん、本当に知らないたぬ?」


 クロードはアリスからまた聞きしただけなので、ショーコがドクター・ビーストの娘であること以外、なにも知らない。

 しかし、アリスには確信こそないものの、心当たりがあった。あの老いたる狂魔科学者は死の直前に、スライムについて尋ねたのだ。ひょっとしたらと、そう考えずにはいられなかった。


「ここは地下10階か。中層ももうすぐ終わりだ。そろそろ出てきてもおかしくないんだが」


 狭い通路を出て広間に達した途端、部屋の四隅で石像に化けていた四匹のガーゴイルが黒い魔法矢を放ち、雑多なジャンクから顔を出した八匹の火吹き蜥蜴とかげが広間の半分を埋め尽くすほどの炎の吐息を吐きだした。


「――鋳造ちゅうぞう雷切らいきり火車切かしゃぎり!」


 クロードが、左右の手に掴んだナイフを愛剣に変化させる。

 雷切が発した電撃でガーゴイルの魔法矢を相殺し、火車切が炎のブレスを巻き取って無力化する。

 怪物たちが次の行動に移る、わずかな空白の時間を使って、クロードは二刀でガーゴイルたちをずんばらりと斬り散らし、アリスが伸ばした爪が蜥蜴の首を次々と刎ね飛ばす。


「おかしいな。ドクター・ビースト戦で使った形態変化はやっぱり出来ないのか」

「やり方を忘れちゃったぬ?」


 雷の翼と炎の噴射口による飛行は、あの一戦だけであり、その後何度試しても叶わなかった。


「そうじゃないんだけど、やっぱり火事場の馬鹿力か。友じょ、あ、あいのきせき?」

「むふん。クロード大好き♪」


 そんな風にいちゃつきながら遺跡を探索するクロードとアリスだが、目的の相手とはいつになっても出会えなかった。


「遅いなあ。おーいでてこいよー」

「クロードはいったい何を探しているたぬ? あ」


 顔を合わせるのが恥ずかしいので引っこんでたのに、玄関先で騒ぐからしょうがなしに扉を開きましたと言わんばかりの態度で、青く輝くスライムが床から染み出してきた。


「そんなところに隠れていたのか。ふっ、思えばお前たちとも長い因縁になる。僕たちはこれまで幾多の刃を交え、数々の名勝負を繰り広げてきた」


 アリスが覚えている限り、クロードが一方的にやられて飲み込まれたり、衣服を剥かれたり、マッサージされたり、吐き出されたりする迷勝負しかなかった。


「だが、決着の日だ。今日こそ僕はお前を越える。鮮血兜鎧ブラッドアーマー起動! これがショーコちゃんからもらった力だ」


 クロードが全身を赤い魔術文字で覆い、二刀を手にスライムに斬りかかった瞬間、アリスは彼の敗北を確信した。

 青く輝くスライムが地面に溶けて、雷切と火車切が空をきる。直後、クロードは背後から強烈な砲弾のようなボディアタックを食らって転倒し、そのままスライムに飲み込まれた。


「わぷっ。馬鹿な、なんでこちらの弱点を知って、ごぽぉ」

「やっぱりクロードの目は節穴だったぬ」


 アリスが脱力して顔を覆うと、リリと鈴を思わせる声音でスライムが鳴いた。

 ドクター・ビーストの改造を受けたからか、それともショーコが何かをしたのか、アリスは彼女の言葉を理解できた。


「リリリ……(そういうところが可愛いのよね)」

「ショーコちゃん、たぬ?」

「リリリリ……(ええ。初めまして、ではなかったわね。ショーコよ。アリスちゃん、お会いできて嬉しいわ)」


 クロードは、ショーコの中で溺れそうになっていて、二人の会話を聞くどころではなさそうだった。


「クロードには、言わなくていいたぬ?」

「リリ……(ええ、知られたいことでもないし。貴方たちの仲間になる気もないのよ)」

「一緒に来るたぬ。ひとりぼっちは、さびしいたぬ」

「リリリリリ……(アリスちゃん。私は、人間を守るために改造を受けたの。この身体はきっと夢と同じもので織りなされている。だから私は、どんな人間の軍隊が相手でも戦うつもりはない。パパのことがあるから、手助けはしたいけど)」


 それに、と。ショーコはまるで胸を張るように跳ねて告げた。


「リリッ(私と彼はライバルだから)」

「わかったぬ。でも、いつでも遊びに来てほしいたぬ」


 ちょうどクロードは、天へと向かって手を伸ばしながら、スライムの中で脱力するところだった。跳ねた時の衝撃がとどめになったのかもしれない。これでいったい何敗めだろうか。

 アリスは、レアから預かったムクロジの果皮とハスイモの葉を加工した界面活性剤でスライムの一部を溶かして、クロードを引きずりだした。


「クロード、しっかりするたぬ!」

「げほっ、やっぱり、たよりすぎは、よくなごはっ」

「それ以前の問題たぬっ」


 ショーコは慌ただしく手当てするアリスと、荒い息を吐きながら彼女を庇おうと剣をとるクロードを、やさしい視線で見つめた。

 ほんの少し妬かないでもない。わずかながら憧れないでもない。それでも、彼女は自身の感情を恋ではなく、弟や妹に向ける愛情のようなものだと結論付けた。


(そう、彼と共に生きるのは貴方達。頑張りなさい、アリスちゃん)

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