第八章 悪徳貴族と政略結婚?

第139話(2-93)悪徳貴族と夢

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 復興暦一一一〇年/共和国暦一〇〇四年 晩樹の月(一二月)六日。

 クロードがアリスと共に地下遺跡ダンジョンに潜り、好敵手たるスライムに惨敗……否、歴史に隠れた名勝負を繰り広げた日の夕刻。

 彼はへとへとになって屋敷へ帰りつくと、収穫物であるいくつかの魔術道具マジックアイテムと、壊れた記録装置らしき碑石ひせきの残骸を地下室に放り込み、食事と風呂もそこそこに自室で眠りについた。

 碑石からは、千年前の戦いについての記述がわずかに読みとれたものの、大半が磨耗まもうして解読不能だった。

 しかし、その夜、クロードは変わった夢を見た。


――

―――


(そう、これは夢だ)


 明晰夢めいせきむとでも言うのだろうか。

 自分が夢を見ていることを、クロードはすぐさま自覚できた。

 まず視点が普段より頭ひとつ低く、肉体はもやしを通り越してまるで子供のようだった。

 視点の主である少年は、フードを目深に被った小柄な少女の手を引いて、彼女を妹だと認識していたものの、クロードには当然のことながら妹なんていない。

 そして何よりも――。眼前には、連なる山岳の狭間から成層圏を貫いて宇宙へと伸びる巨大なトネリコの樹がそびえ立つという、前代未聞の風景が広がっていた。


(大きいというか、おかしいだろ。富士山の何倍だよ? ひょっとしてアレが世界樹なのか! そういえば、下の方に橋みたいな虹がかかっている。あれを渡れば元の世界に戻れるかも……。無理だ。あんなところには、とても近づけないっ)


 円球状ドームじょうに葉と枝を伸ばすトネリコの木、世界樹の付近では、いままさに戦闘が行われていた。

 大気が満ちる青空を”黒い槍が埋め尽くしていた”。地表の緑なす山々を”紅い炎が焼きつくしていた”。

 二色に分かたれた槍と炎が混じり合っては消し飛ぶ境界線の中で、黒衣をまとった女性と半身が燃え上がった青年が、槍と炎の塊を手に斬り結んでいる。


(この世界の神話なのか? 千年前に”黒衣の魔女”と”神剣の勇者”が戦ったという旧世界の終焉。あの二人の持つ得物が、七つの鍵――第一位級契約神器なのか)


 クロードは、出会った当時のファヴニルが故意に触れなかったのも、もっともだと実感した。

 理由はわからないが、遠目から見るだけでも理解できた。彼らが振るっている力は、世界を書き換えるという魔法の、契約神器という存在の極限だ。

 ”黒衣の魔女”と”神剣の勇者”は、それぞれ自らが運命に干渉する世界と森羅万象しんらばんしょうを焼き滅ぼす世界を生み出して、お互いの世界を喰らいあいながら戦っている。


(なんだ、なんでだろ、二人とも泣いてるのに笑ってる? 遠いし、速過ぎて顔がよく見えない)


 クロードが目を凝らす間にも、万、億、兆、京を越える数の槍と太陽の紅炎プロミネンスを連想させる焔の渦は衝突を続け、やがて魔力の余波が衝撃波を撒き散らして何も見えなくなった。

 どれほど時間が経ったのだろう。クロードは、二人がまるで折り重なるように堕ちたのを見た気がした。

 そして巨大過ぎるトネリコの樹は、まるで世界から拒絶されたかのように真っ二つになって焔を発し、崩れながら燃え尽きた。


『そん、な』

『あ、あ……』

(……)


 視点の少年と彼が手を繋いだ少女は声もなく慟哭どうこくして、世界樹の残骸ざんがいへと駆けだした。

 しかし、彼らは敵対しているらしい軍勢の兵士たちに阻まれて、已む無く逆方向へと逃走する。

 少年と少女から見た世界はまるで地獄のようだった。あらゆる街がすべて燃え尽きて、人々は折り重なるように死んでいた。辺境の村々に住む人々はやがて来た冬の寒さに凍え、病によって朽ちて行った。

 それでも、都市部よりは平穏だったかもしれない。戦災を免れた都市には食料や燃料の蓄えがあって、比較的多くの人々が集まっていた。しかし、備蓄は無限ではない。ひとかけらのパンを奪うためにひとを殺すものが出た。刹那的な快楽を得る為に、騙し、犯し、弄ぶものが現れた。……人間にとって、他の人間こそが生きるための最大の天敵となった。

 特に、少年と少女は敗軍に所属していたらしい。すれ違う人すべてに石もて追われ、あるいは殺されそうになった。あたかも世界の全てが、兄妹に憎悪と悪意を向けているようだった。

 死ね悪魔め! と男や女が口々に叫びながら、斧や鈍器を手に追いすがってくる。


『なぜだ!? あのかたは世界を救おうとした。平和な世界を創ろうとしたんだ。憎むべきは偽りの勇者だろう! あいつは世界を』

『兄さま、やめて』

(なんだろう? この二人の声、聞きおぼえがあるような……)


 少年は、妹の手を引いて逃げ続けた。

 いまは人の心が荒んでいるだけだと。どこかに、彼ら兄妹の知るような誇り高く、慈愛に満ちた人々がいるはずだと励まし合い、山を越えて海を渡った。

 しかし、世界はどこまでも残酷だった。数え切れない悪意が兄妹を幾度となく襲った。少年は妹を守って勇敢に戦い、少女もまた兄を庇い支えた。きっと二人だからこそ耐えられた。それでも、遂には限界が来る。

 傷だらけの少年は、歩けなくなった少女を負ぶって、泥だらけの河を渡った。


(あれ、今の川はどこかで……)


 もはや満足な言葉を発する気力さえないのだろう。おろしてとささやく妹へ首を横に振り、兄は一歩また一歩と足を進める。

 やがて海が見えて、大地は砂浜に変わっていた。二人分の、ひとつの足跡が刻まれては、風に吹かれあるいは波にさらわれて消えてゆく。

 流木につまずいたのか、あるいは疲労の限界か。少年はばったりと倒れた。頭から砂に突っ込んで、立ち上がろうにも手にも足にも力が入らなかった。

 同じように倒れた少女が手を伸ばしていた。妹の指先に触れて、兄はとうとう意識を失った。


『坊や、大丈夫かい?』


 少年が意識を取り戻した時、そこには柔和な雰囲気の屈強な男が、彼の口に水を含ませていた。少女もまた、別の女性の手当てを受けていた。

 そして、クロードは驚きに慄いた。


(この磯辺、この海岸線、景色が少し変わってるけど間違いない。ファヴニルと契約を交わしたあの浜だ。それに、この男性と女性、どこか雰囲気がソフィに似てる……!?)

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