第137話(2-91)悪徳貴族と好敵手(前編)

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 クロードは、裸足で駆けだしたショーコが、固く握りしめた拳で自分の頬を打つのを受け止めた。

 一発、二発。三発。彼女はうつむいて、まるで嗚咽をこぼすかのように、拳を何度も打ちつける。


「……最初は、気のせいだと思った。街の人に大怪我をしたって聞いても、まさかって半信半疑だった。でも、たった今確信したわ。クロード、貴方、生きのびる気がないのでしょう」


 クロードは、痛みでチカチカと眩む目で、ショーコを見た。

 彼女のアメジストに似た輝く瞳は、いっぱいの涙をたたえて濡れていた。

 白い頬を伝って零れ落ちた熱い雫は、砂塵さじん舞う大地に吸い込まれてゆく。


「勝ちなさいよ。戦うのなら、完膚なきまでに勝ちなさいよっ」


 クロードは、ショーコがなぜ自分の為に涙を流すのか、理由がわからなかった。 

 だから、正直に胸の内を話すことにした。自分たちは、やむを得ずといえ彼女の父、ドクター・ビーストを討ったのだ。せめて、真実だけは伝えたいと決意した。

 

「ショーコさん。僕が戦う相手は、緋色革命軍マラヤ・エカルラートだけじゃない。彼らの背後で糸をひく黒幕、千年を生きる邪竜、レーベンヒェルム領に巣くった悪魔――ファヴニルだ」


 クロードは、この世界に初めて来た日、遺跡地下の血生臭い出会いを思い出した。

 あの日、先代ほんもののクローディアスは死に、影武者に選ばれたクロードの心には、癒えることのない恐怖という爪痕が刻まれた。


「勇者アラン、エングホルム侯爵夫妻、君のお父さん……。数え切れない命がファヴニルの為に失われた。誰かがアイツを討たなきゃいけない」


 ショーコの震える手を、クロードは両の義手でそっと包んだ。いかなる細工が魔術か知らないが、少し冷たい、だけど確かな温もりが伝わってくる。それは、なんて幸せなことだろう。

 でも、死んでしまったひとたちは、そんな温もりさえ感じられない場所へ逝ってしまった。


「僕は、ファヴニルを倒すと決めた。あいつに勝つためなら、腕なんていらない、足もいらない。この心臓、命だってくれてやる。たとえ力尽きても、邪竜の命へ届く刃の礎となれるなら本望だ」


 クロードの覚悟を、歪みと呼ぶ者もいるだろう。狂気だと罵る者もいるだろう。

 しかし、誰かが千の綺麗事を並べ立て、万の罵詈雑言で責め立てようと、あの暴竜を止めるすべをもたないならば意味なんてない。

 他に勝てる手段が無いのなら、己が生命というリソースを十全に消費しきるだけのことだ。


「クロード、何を言っているの。そんなの、民を率いる領主の、君主の考え方じやないでしょう?」

「ショーコさん、僕は悪徳貴族だ。民草を惑わし、自身の意地を通し、最後に討たれるべき邪悪だ」


 クロードは、ズボンからハンカチを取り出して、ショーコの目元に添えた。


「僕には夢がある。レアが微笑み、ソフィが料理を焦がして、アリス昼寝する、セイが目指すところの静寂な世界だ。でも、そこには僕のような悪党ひとでなしは必要ない」

「クロード、貴方は――」


 クロードは預かり知らぬことだが、ショーコは彼がこの世界に来た時から知っていたのだ。凡庸な少年が、地獄絵図とも言えるレーベンヒェルム領にやってきたことを……。

 当初は空回りばかりしていた少年は、いつからか明確な戦略をたて、達成までの道筋をつくり、多くの仲間の力に支えられ、領を強く豊かに導いてきた。

 もしもクロードがいうところの先輩たちが、この事実を知ったのなら、きっと誇りに思うことだろう。我らが後輩はこんなにも大した男なのだぞと。

 だが、ショーコは確信する。クロードの足取りは危うい。つり橋をおっかなびっくり歩くのではなく、まるで奈落に突き進むように疾走している。


「クロード、貴方は、本当は腕を治せたのでしょう。でもやらなかった。契約神器の力を行使すれば、ファブニルとの繋がりが強くなってしまうから。貴方から得た力で、邪竜が惨劇を引き起こすから」

「レアたちが助けてくれた。恥ずかしかったけど、穴があったら埋まりたいほど恥ずかしかったけど、大丈夫だっただけさ」


 魔法があったといえ、決して楽な生活ではなかったはずだ。

 それでもクロードは平然と答えた。決して強くない。しかし、弱いが故に、彼の根底は柳の如く揺るがない。

 ショーコは、自分の不明に顔から火が出そうだった。殴る? 説教する? 赤の他人が上から目線でしゃしゃり出たところで、覚悟を決めた彼が進む道を阻むことなんて出来やしない。

 だからこそきっと、アリスたちは自分と同じ手段を選ばなかった。ある者は傍らで見守り、ある者は彼の助けとなり、ある者は彼の心と体を癒やそうとしたのだろう。


「痛みを知っているからこそ、肉体からだは苦痛に耐えてしまうのね。だったら、私は、ここで貴方の精神こころを折る」


 クロードは、ショーコの呻くような言葉に、はて? と首を傾げた。

 今更何を折るというのか、心なんてファブニルと出会った一年前にポッキリと折れている。


「聞いて。むかし、一人の女の子がいたの。彼女には、ちょっと変わった父と優しい母がいて、平凡だけど幸せな日々を過ごしていたわ」


 クロードはショーコの言葉に、今では遠い学生生活に思いを馳せた。

 性癖の困った、しかし頼れる先輩たちと過ごす日々は、波乱万丈で騒々しくも楽しかった。


「だけど、ある日異界から侵略者が現れて、彼女の母と、ただ日々を過ごしていただけの人々が大勢殺された。だから、彼女は決意したの。二度と繰り返させないって。たとえニンゲンをやめて、ケモノに堕ちたとしても」


 クロードが、この世界にやってきて、目撃したのはファヴニルがもてあそぶ叫喚地獄。

 多くの領民たちが玩具のように遊び殺され、苦しみに喘ぎ怨嗟と絶望に嘆くのを見て、許せないと激情に駆られた。

 だから、決めたのだ。悪徳貴族クローディアス・レーベンヒェルムだけが、邪竜と戦う手段をもつのなら、その役柄を演じ抜こうと。


「走り出した選択肢が正しい道なのか、間違った道なのかなんてわからない。でも彼女と父親は、侵略者から技術を奪って解析し、抗うことを決めた。だって彼女には守りたい友達や家族がいて、彼女たちの後ろにはもっとたくさんの人達がいた。多くの人が泣いていて、戦って生きのびることが出来たなら、ほんの少しだけ微笑んでくれた。それで、良かったの」


 戦いの日々は、誰に強いられたわけでもなく、クロードが自ら選んだ道だった。

 罵声や怒号に心がひび割れても、傍らにはレアが、ソフィが、アリスが、セイがいてくれて、だからどうにかここまで続けることができた。

 返せるものなんて無いだろう。でも、叶うならば……、邪竜のいなくなった自由で平和な領を残したい。それでいい。それだけでいい。英雄ならざる凡人のクロードには、それでも過剰な目標だ。


「彼女たちが始めた反抗の狼煙は、いつしか世界を焼き焦がすうねりとなった。でも、勝利を重ねれば重ねるほどに、人々は彼女に恐怖を感じ始めたの。当然よ、恐るべき侵略者よりも強いケモノが目の前に居るのだもの。やがて彼女は棄てられて、その時さえもまあいいかと思っていた。守りたいものは守り抜いた。だから未練はあっても悔いはなかった」


 いつかクロードは竜殺しひとならざるものへと至るだろう。十把一絡じゅっぱひとからげの雑兵が、背伸びして背伸びして、英雄だと偽った報いを受けて転ぶだろう。それでいい、きっと愛執に囚われて泣き叫ぶだろうけど、それこそが自身が望んだ結末だ。


「でもね」


 ショーコの唇が、決定的な言葉を紡ぐ。

 言うな、と、クロードの肩が震え、手からハンカチが滑り落ちる。

 言わないでくれと太ももがおののいて、足元がぐらぐらと揺らめいた。

 言わせてはいけない、聞いてはいけない。ずっと目を逸らし続けた真実に気が付いてしまうから。


「ひとり残された彼女の父は、私のパパは――狂ったわよ」

「っ」


 クロードは、胸を激痛に引き裂かれて、崩れるように膝をついた。


「ちっぽけな自分だけど大切なひとを守りたい。敵は強大で何かで埋めなきゃかなわない。だったら自分の命だって使おう。私が私自身の意志で選んだ戦いだ。たとえこの身が砕け散ろうとも悔いはない。わかるわよ。それしか道がないって気持ちはわかってる。でも、どうしてかしらね。パパは、会いに行った娘の、私の顔さえわからなくなってた。こんなはずじゃなかったのに!」


 ショーコは、まるで泣き顔を隠すように、クロードの背に腕を回して抱き寄せた。


「だから、クロード。自分の命に代えてなんて言っちゃ駄目。勘違いをしないで、貴方はもう”ひとりぼっち”じゃない。ちゃんと生きて、大切なひとたちと幸せになりなさい。それが、私のパパを間違いから止めてくれて、私から大好きなパパを奪った、貴方達にかける祈りで呪い」


 クロードは、強張った唇を開いて動かした。意味のある言葉は結べず、感情は形にならぬまま空へと溶ける。


「またいつか逢いましょう」


 ショーコは、こつんと互いの額を当てて、まるで霧にでも化けたかのように溶け消えた。

 クロードは、誰もいなくなった作業場で言葉もなく立ち尽くした。

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