第五章 悪徳貴族死す!?

第91話(2-45)悪徳貴族、邪竜と再びまみえる

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 復興暦一一一〇年/共和国暦一〇〇四年 木枯の月(一一月)八日早朝。

 クロードは、旧エングホルム領の商業都市ティノーに設営したキャンプを出て、ストレッチ体操を済ませると、高台にある神殿跡地まで走り始めた。

 よほど才能に恵まれなかったのか、地球時代の不摂生が原因か、相変わらず筋肉が薄くて体格はもやしのままだ。それでも、クロードは走る。強くなるために。わずかでも持久力を伸ばし、生存を勝ち取るために。

 クロードは朝の爽やかな空気を胸いっぱいに吸って、わずかに残る硝煙しょうえんや血の匂いを嗅ぎ取りながら階段を上った。

 数日前まで緋色革命軍マラヤ・エカルラートの奴隷オークション会場として使われていた神殿跡地は、今や無人だ。神域を守っていた神祇や巫女たちはテロリストによって連れ去られ、占拠していた犯罪者たちはクロードたちが捕縛した。

 要地なのだから拠点として使うべきでは? と、キジー隊長が提案したが、クロードは却下した。万が一にも神殿を接収すれば、彼が治めるレーベンヒェルム領内のヴァン神教勢力との友好関係に亀裂が入る可能性があったし、商業都市ティノーの住民にも反発される恐れがあったからだ。


(でも、僕は手段を選んで、後手に回っている。それでいいのか?)


 クロードの足が大地を蹴るたびに、彼の胸中から迷いが溢れでてくる。

 それでも彼は走り続けた。迷いを捨てるために。混乱の中から光明を掴むために。

 そして、ある予感があったが為に――。


「やあ、クローディアス。調子はどうだい?」

「ファヴニル」


 天使のように愛らしい顔の少年。クロードの宿敵であり、盟約を交わしたファヴニルが、いつもの金銀の糸で織られたシャツを着て、切り株の上に腰掛けていた。


「僕の方は、まずまずだ。ファヴニル、緋色革命軍をけしかけた”第三位級契約神器オッテル”とやらは、お前か?」

「御名答。オッテルとは、原典神話におけるファヴニルの兄の名前さ。それにしても、よくわかったね。ひょっとしてあの女、レアが気づいたのかい? それとも赤い導家士の傭兵くずれ、ロジオンあたりが伝えたのかな?」


 クロードは、足を止めて深呼吸をした。屈んで、足元に落ちていた手頃な枯れ枝を一本拾って、右の手で握り締める。


「やめなよ、クローディアス。約束の日はまだだだろう? 今闘っても、ボクの勝利は揺るがない。それじゃあ面白くないから、困るんだ。キミはボクを卑怯だと罵るかい?」

「いいや。約束は”お互いへの直接攻撃を避ける”だ。僕は、お前を討つためにレーベンヒェルム領と軍を鍛えているし、お前が僕を滅ぼすために手駒を増やすのは当然のことだろう。僕が許せないのは、わかっていた悲劇を止められなかった我が身の無力さだ」


 ファヴニルは、緋色の瞳を細め、白い歯をむき出しにして笑った。


「アハッ、クローディアス。思い上がったものじゃないか。キミは、ひょっとして竜殺しの英雄シグルズにでもなったつもりかい?」


 クロードは、答えられない。内戦の拡大を避けて、可能な限りの被害を押さえたい。そんな身の丈を越えた願いを叶えようとして、手が届かなかったことを自覚していたからだ。


「良いことを教えてあげよう。ひとつは、もう通信を傍受しているかもしれないけれど、首都クランは昨夜、ボクの玩具によって陥落した。そしてもうひとつ、今日明日中には、レーベンヒェルム領と接するソーン侯爵領とルクレ侯爵領がキミに宣戦を布告するよ。小賢しいキミにもわかるだろう? おおかた、このティノーあたりに前線基地を築いて援軍を呼び寄せるつもりだったのだろうけど、キミの戦略は完全に破綻した」

「なるほどレーベンヒェルム領を守るために、セイが率いる領軍は海の向こうから動かせない。僕たちは寡兵のまま、マラヤ半島で孤立して圧殺されるのを待つだけ、ということか」


 クロードは、あまりに絶望的な状況に、むしろ笑いたくなった。

 心が震える。走って熱かったはずの肉体は、恐怖で冷え切って、今にもガタガタと震え始めそうだ。

 それでも、彼はまるで他人事のように口を動かしながら、脱出プランを捻り出そうと思考を続けた。


「クローディアス。助けてあげようか?」

「は?」

「ボクはこれでもファヴニルの名前を受け継いだ第三位級契約神器だ。原典神話の悪竜のように、明確な予言を語ることはできなくとも、未来予測ぐらいはできる。クローディアス、キミは死ぬよ」


 クロードは、一瞬、白昼夢を見た気がした。

 どこかで誰かがささやいている。

 クローディアス・レーベンヒェルムは死ぬ。

 それこそが……宿命だと。


「さっきも言ったとおり、それじゃあ面白くないから、困るんだ。寛容なボクはもう一度キミに許しをあげよう。さあ、ひざまずいてボクの靴を舐めろ。ジャムのついたパンを味わうようにね」


 ファヴニルが、切り株に座ったまま、泥にまみれた木と皮のブーツを突き出してくる。

 クロードは迷いなく、その足を左手でうやうやしく受け取って……。


「変化魔術――斬奸刀ハリセン!」


 空いた右手に掴んだ枝を魔法でハリセンに変化させ、ファヴニルの頭をスパーンと叩いた。


「な、何をするのさっ、クローディアス!」

「え、ツッコミ待ちじゃなかったのか?」

「違うよ。本気だよ。せっかく情けをかけにきたのに。ここは心が折れてボクに依存するところでしょ?」

「僕の行動も見通せない、穴だらけの未来予測は信じられないなあ」

「もう帰る!」


 クロードに叩かれたファヴニルは、顔を真っ赤にして地団太を踏むと、舌をベーッと出して木々の中へと消えていった。


「はい、またね――と。今の話、たぶん嘘じゃないんだろうな」


 先の4日。奴隷オークション会場で、クロードはアンドルー・チョーカーという敵指揮官をわざと見逃した。

 直前までは逃がすつもりはなかったが、偶然囚われていたローズマリー・ユーツ侯爵令嬢が、クローディアス・レーベンヒェルムの名前を明かしたことで、咄嗟とっさに逃がすことを決めたのだ。

 クロードの当初の戦略は、囲魏趙救ぎをかこんでちょうをすくう。即ち、緋色革命軍の根拠地である領都エングに軍事圧力をかけることで、首都クランへの攻撃を思いとどまらせ、時間を稼ぐことだった。

 緋色革命軍の放置を決めた他十賢家との約束を重んじる以上、おおやけにはクローディアス・レーベンヒェルムの名前で義勇軍を率いることはできない。だが、現場指揮官が目撃したという噂程度なら、伝わってもかまわない。むしろ緋色革命軍に広めさせるため、メッセンジャーとして使うべきではないか? と考えたからだ。


「国軍が敗れて、首都クランが陥落した今となっては、策も裏目に出たか。どうせファヴニルが裏で糸を引いている以上、僕の居場所は筒抜けだと割り切っていたけれど、あいつはいったいどういうつもりで僕へ忠告に来たんだ? まさか言葉通りの降伏勧告じゃあるまいし」


 小鳥遊蔵人たかなしくろうどという少年は、自身の価値を過小評価する悪癖があった。

 ファヴニルにとって、彼は失うには惜しい盟約者パートナーであったのだが、そのことを想像さえしなかったのだ。


「僕が死ぬ、か。ははっ。たとえそうだとしても――」


 クロードは、商業都市ティノーで、港町ビズヒルで、緋色革命軍が引き起こした残虐非道な振る舞いを思い起こした。


「許せないことがあるんだよ」

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