第112話(2-66)人間と獣を分かつもの

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 アリス・ヤツフサが放った竜巻と、ドクター・ビーストが撃ちだした冷凍レーザーは、ベナクレーの丘中腹で衝突、相殺して消滅した。

 それは、本来なら有り得ないことだ。いくら人間という新しいカタチを得たとしても、勘だけで初めて放ったアリスの魔法と、一部とはいえ丘下の森の木々まで氷漬けにしたヒトデ怪人の魔技が互角であるはずがない。

 ドクター・ビーストのヒトデ体中央部にある口は、クロードの左手によってズタズタに裂かれ、痛々しい傷口をさらしていた。


「おっちゃん。さっきの戦い、勝ったのはクロードたぬ。急所への一撃は痛かったぬ? 降参するなら今のうちたぬ」

「ありえぬよ。お主たちの軍門に降るなど、わしにとって呼吸を止められるも同じことじゃ。空を飛べぬ鳥、水を泳げぬ魚、地を駆けること叶わぬ獣をどう思う? それらは、もはや生きているとはいえまい」


 ドクター・ビーストは降伏勧告を拒絶し、ヒトデの管足、触手を束ね、槍のように突き出してきた。

 アリスが拳で受け流すや、足元の土を割って、新しい触手が飛び出してくる。狙いは、ガードが空いて、無防備になった上半身だ。後方に飛び退こうと、確実に己の腹を貫かれると予感した。


「たぬっ」


 アリスの肉体が、瞬間的に四つ足の黒虎へと変わる。空を裂いた触手を爪で薙ぎ払い、ドクター・ビーストを尻尾で打ちすえた。

 彼は衝撃で跳ね飛ばされ、何度もバウンドしながら着地した。しかし、これまでと同様に明確な手傷を負った気配がない。

 再びヒトガタに戻ったアリスだが、自慢の尻尾はぬるぬるの粘液で汚れていた。


「むかつくたぬぅっ」

「ひょほほっ。そう焦るでない、アリスよ。降伏勧告をする前に、そもそも戦争はどうすれば終わると思う?」


 アリスは、ドクター・ビーストのひょうひょうとした態度がかんにさわる。加えて、ヒトデなので、笑っているのか、真剣なのか、彼の表情が見当もつかないのだ。


「たぬに聞かれても困るたぬ。敵を全部ぶっ飛ばすのが、たぬの役目たぬ!」

「じゃろうな。では、ちゃっかり悪徳貴族の治療をしている執事のお嬢さんはどうじゃ?」


 ドクター・ビーストに、不意に水を向けられて、岩陰でクロードの止血処置と治癒魔法をかけることに明け暮れていたソフィは、困惑しているようだった。


「憎みあうのを止めて、武器を降ろせばきっと」

「と、頓珍漢とんちんかんなことを言うのう。お主は先ほど、レベッカが憎くて刃を向けたのか? あやつやわしが、お主らを憎んでいるとでも? ルクレ領とソーン領が、レーベンヒェルム領に宣戦を布告したのは、金と領地と資源が目当てじゃぞ?」


 ソフィは、悲しそうにうつむいた。

 アリスは思う。彼女は善人だ。善人だからこそ、レベッカやドクター・ビーストの相手を担うには、ちょっと相性が悪い。


「お主の膝を枕に眠りこけている悪徳貴族にも、あとで尋ねてみるがいい。わしの友人同様、きっとこう答えるのではないかな? 戦争は外交の一手段に過ぎない。異なる二者が、金銭や領土や資源、宗教や、思想、あるいはメンツか? 己が目的を果たそうとして始める。ゆえに、どちらかが見事達成するか、あるいは継戦能力を失った時点で、落とし所を決めて戦争は終わる――とな」


 アリスには、ドクター・ビーストが示唆した情景がありありと想像できた。

 クロードはきっと仏頂面して言うことだろう。そういえば以前、執務室かどこかで、セイと似たようなことを話していた気がする。


「ひょほほっ。割り込んだのは、マナー違反じゃったかな? 年寄りゆえつい先走ってのう。ま、今の答えもまた正しくはあるが、理屈通りに進まぬのがいくさというものじゃ。ソフィ、お主のいう憎しみ、いや、感情という側面もあながち軽視できぬものじゃ……」


 天を仰ぎ、会話を続けながらも、ドクター・ビーストは攻撃を再開した。

 上方から降り注ぐ触手の雨を、アリスは受け流し、払い、引きちぎり、あるいは避けながら間合いを詰めてゆく。


「わしの故郷。わしらの世界は、それなりに平穏に暮らしていたよ。しかし、異界から侵略者が来て、すべてが変わった。侵略者どもは、わしらを同じ知的存在として認めていなかった。交渉を試みたが相手にもされず、いくつもの国が滅ぼされた。生き残ったわしらは連中の兵器を解析し、反撃して退散させたのじゃ」


 ドクター・ビーストの表情は読めない。声色にも変化はない。だというのに、なぜだろう? アリスには、彼が背を震わせて泣いているように見えた。


「反攻が始まり、わしらはやつらの拠点へと攻めのぼった。立場が逆転して、ようやく連中の気持ちがわかったよ。だって楽しいじゃろう、戦争は! 兵器が蹂躙じゅうりんしてゆく光景、わしらを見下しておった自称高等生命体が焼き印ひとつで玩具になりさがる有様、すべてがわしに感じたこともない高揚をくれた。平時では得られぬ自由を、思惟しいの飛翔を、謳歌おうかして何が悪いっ!?」

「おっちゃん……」


 アリスは、ドクター・ビーストの全身が喜びに満ちているように感じて、おぼろげに理解した。

 彼はいくさに憑かれたのだ。人類の守護者としての一翼を担った兵器学者は、悪鬼羅刹あっきらせつに堕ちた。


「のう、アリス。人間は、理性という仮面で覆い隠しているだけで、素の感情は誰もが残虐で狂暴な獣じゃ。ならば、わしの生物兵器たるこの姿、我が生き様こそ、真の人間と呼ぶべきではないか?」

「おっちゃんは、たぬがここで倒すたぬ。たぬは、クロードが、ソフィちゃんが、セイちゃんが、レアちゃんが大好きたぬ。皆と生きていきたいと思ったぬ!」


 鎖から解き放たれて、獣になりたいと願ったドクター・ビースト。

 愛するものと共にあるために、人間になりたいと望んだアリス・ヤツフサ。

 二人は共に天を戴くこと叶わず、目指す道は完全に分かたれた。


「ならばアリスよ、わしは」

「ドクター・ビースト。たぬは」


「「おまえを認められない!」」


 こいつは敵だ! そう互いに認識した二人は、異なる直線が十字に重なるように交差し、アリスは激突の瞬間に、ドクター・ビーストを天高く投げ飛ばした。


「おっちゃんは、切り札を見せすぎたぬ。クロードはおっちゃんの守りを破った。たぬの竜巻をおっちゃんは氷の吐息ではらった。その身体を守るねんえきは、物理攻撃だけを防ぐたぬっ」


 アリスの両腕に風が渦巻く。竜巻や衝撃波をありったけ宙空のドクター・ビーストにぶつけて、無敵の鎧を剥いでゆく。


「よくぞ見破った。アリス、お主こそわしの」

「たぬうううっ」


 アリスもまた彼を追って、大地を蹴り、天へと飛翔した。

 風を身にまとい、彗星の如く急降下し、声高らかに笑うドクター・ビーストの腹部中央の口を目がけ、超音速の飛び蹴りが撃ち込まれる。


「最高傑作じゃ!」


 山鳴りのような轟音と、津波のような風圧がベナクレーの丘を震撼しんかんさせた。

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