第113話(2-67)失ったもの、勝ちとったもの

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 アリス・ヤツフサと、ドクター・ビーストは、ベナクレーの丘上空で激突し、地表へと落下した。

 まるで隕石が衝突したかのように、地上にはお椀型のクレーターが形成され、アリスの眼前では、ヒトデから老人の姿に戻ったドクター・ビーストが息絶えようとしていた。


「おっちゃん、なんで笑ってるたぬ?」

「ひょほほ。アリスよ、わしは実の娘を見捨て、倫理に背いて八徳を失い、畜生道を駆け抜けた悪党よ。ゆえに滅びるは必定」


 アリスは、かつて死に瀕してイヤだと嘆いた。だから、老人が涙をこぼしつつもぎこちない微笑を浮かべて、死を受け入れていることが疑問だった。


「ひょほほっ。最後は、兵器ではなく人間に敗れたか。悔しいのう、涙が出るほど悔しいのう。じゃが、わしはようやく心からの満足を抱いて娘に……ゴホッ」


 ドクター・ビーストは、血を吐いた。

 空を仰ぎ、岩陰のクロードに視線を移して、最後にアリスの瞳をまじまじと見つめた。


「アリス。まさかと思うが、リ、と鳴く青白く光るスライムを見たことはあるか?」

「スライム? そんなの多すぎて区別できない……。そういえば、クロードがよく飲みこまれて、裸にむかれたスライムがそんな感じだったぬ!」


 その言葉を聞いて、ドクター・ビーストは、迷いのすべてから解き放たれたかの如く、天晴れとした表情でアリスに笑いかけた。


「そうか、そうであったか! ひとは泣いて生まれてくる。だから、笑って死ねるわしは幸せじゃ。アリス、ありがとう……」


 過去に異なる世界で人類を守り、緋色革命軍マラヤ・エカルラートに参加して邪悪の限りを尽くした老人は、こうして一生を終えた。彼の犠牲になった人々の無念を思えば、悪霊、あるいは死神と罵られても当然の悪党といえるだろう。

 けれど、アリスは、不思議と憎む気持ちになれなかった。異なる理想を抱き、奇妙な共感を覚え、あいいれずに衝突した。ならば、きっとこの決着こそ、ドクター・ビーストと彼女が闘争の果てに見出した、落としどころであったのだろう。


「おやすみ、おっちゃん。安らかに眠るたぬ」


 そして、アリスは帰るべき場所へ戻る。


(たぬは、生きていたいたぬ。でも前はひとりぼっちで死ぬのが怖くて、今はクロードたちと一緒に居たいから……)


 アリスの身長が縮む。戦闘&子供づくりに特化した大人モードをやめて、省エネルギーモードに変わるのだ。

 日焼けした肌はミルクのように白く透きとおり、長い黒髪ともふもふの尻尾は黄金色に染まる。

 髪を割って立つ金色の虎耳と猫目に変化はないが、手足が短くなって、胸の膨らみが薄くなり、若干寸胴なおこちゃま体型になってしまった。

 外見年齢は、親友であるイスカと同等か少し上くらいだろう。


「クロード……」


 岩陰では、ソフィが治療した甲斐があったか、クロードが顔面蒼白なものの目を覚ましているようだった。


(クロードは、たぬのこと、受け入れてくれるたぬ?)


 アリスの心臓が、鐘のようにドキドキと大きな音を立てる。

 クロードと一番距離が近かったのは自分だと思っていた。一番たくさん遊んで、一番気兼ねなく話をして、一番たくさん馬鹿なことをした。でも、一度として甘酸っぱい雰囲気にはなれなかった。


(クロードはきっと違うけど、恋人になれなかったのは、たぬが獣だったからたぬ? だいじょうぶたぬ。今は人間の女の子、だから、たぬのこと愛して欲しい)


 クロードは、アリスに手を差し伸べようとして、半ば断たれた右腕と、引きちぎれた左腕を見て、諦めたようだった。代わりに、結ばれていた唇をほどいて、口を開く。


「アリス、その胸……」

「お、おっぱいおっきい方が好きたぬ? く、クロードはあまえんぼさんたぬっ」

「女の子だったんだな」


 アリスは、慌てて大人モードに変わろうとして、彼の一言に全身が硬直した。

 疑問に思ったことは何度もあった。クロードは、そもそも相手を見かけで判断する男ではない。

 最初はどこからどう見てもモンスターに見えたはずのアリスと、友達になろうとしたことからでも明らかだろう。

 アリスは、『クロードは、ひょっとしてたぬを男の子だと勘違いしてるたぬ?』なんて考えて、『まさかまさか有り得ないたぬ!』と思いなおして、ずばり大正解だったなんて知りたくなかった。


「たぬぅうううううっ!?」


 アリスが絶叫する声に重なるように、丘下の森から数多くの馬が蹄鉄で大地を踏む音が聞こえてきた。


「に、にげるたぬ。ソフィちゃん、たぬが黒虎になるから一緒に乗っかるたぬ。今戦ったら、クロードが死んじゃうたぬ」


 森で戦闘していた緋色革命軍の騎馬隊が、レベッカがあげた狼煙と花火による撤退指示に従って、戻ってくるのだろう。

 アリスだけならどうということはない。たとえドクター・ビーストとの戦いで消耗していても、騎馬隊を正面から突破する自信があった。

 しかし、クロードは重傷だ。たとえ背中に乗せても、戦闘に耐え切れずこと切れかねない。


「待ってくれ、アリス。せめて死んだ皆の認識票と遺髪だけでも……」

「クロードくん」


 ソフィが、クロードの胸を抱きしめた。彼の目は焦点があっていない。意識が混濁しているのだ。


「クロード、今日は帰るたぬ。帰って、必ずまた、ここに戻ってくるたぬ」

「わがままを言った。すまない。戦闘指揮はヨアヒムに、離脱後はアンセルに任せる。ソフィ、二人の補佐を頼む。アリス、皆を守ってくれ……」

「うん。大丈夫だよ」

「おまかせたぬ」


 ソフィはクロードを抱いたまま、黒虎に変化したアリスに腰かけ、三人はベナクレーの丘から離脱した。

 クロードは、三日間、意識不明のまま生死の境をさまよった。

 アリスがヨアヒム率いる義勇軍、レーベンヒェルム領軍先遣隊と合流した後、彼を診た医者は、「この出血と怪我で、なぜ生きてるのかわからない」と呆れたものの、治療に全力を尽くし、クロードは辛うじて死神の鎌から逃れることができた。



 ベナクレー丘の戦いは、クローディアス・レーベンヒェルムの領世において、最大の敗北のひとつに数えられている。

 マラヤ半島に橋頭保を築こうと海を渡った義勇軍は、一度は商業都市ティノーを解放してエングホルム領領都エンガを臨んだものの、レベッカ・エングホルム率いる討伐隊の迎撃によって壊滅的な被害を受けた。

 漁村ビズヒルを除くすべての都市町村を奪回され、精鋭中の精鋭であった一〇〇人のうち、七割が死亡又は行方不明。避難中の民間人男性一〇〇〇人のうち半数が殺害された。

 素人のくせに無謀な作戦を強行し、民間人を含む貴重な人命を喪失させたとして、クローディアス・レーベンヒェルム辺境伯は、西部連邦人民共和国資本の報道機関、レーべンヒェルム人民通報等によって激しい批難を浴びることになった。

 一方、わずか一〇〇人足らずで一〇〇〇人もの騎馬隊を足止めし、少なからぬ菌兵士を討った参謀長ヨアヒムは、ローズマリー・ユーツ侯爵令嬢救出の功績もあって、おおいに賞賛され頭角を現した。

 彼は一輪鬼ナイトゴーンをのっとって武器に使い、魔術師部隊と協力した落とし穴や即席のロープや木槍を使った罠を駆使して、菌兵士を無力化、騎馬隊を退散させた。

 インタビューを受けた際、参謀長ヨアヒムは以下のように答えている。


「火急の際は、何を利用してでも生き延びよというのが、セイ司令の教えです。オレは、ただアドバイスに従っただけです」

「領軍司令官セイ様との意思疎通も万全ということですね! ヨアヒム参謀長、クローディアス・レーベンヒェルムのような無能な悪徳貴族は廃して、軍政を行うべきであるという市民の声が高まっていますが、どのように思われますか?」

「ふざ……けるなっ! オレは、戦友の多くを失い、民間人を守れなかった無能な参謀だ。辺境伯様はエングホルム領の女性や子供たちを逃がして、数え切れない民衆を救ったんだ。お前たちは、それを、それを無能と言うのかよ!」


 ヨアヒムによるこの発言は、レーベンヒェルム領で認められた報道の自由を行使する人民通報等によって黙殺され、冒険者ギルド瓦版などが細々と記事にするに留まった。


 ベナクレー撤退戦は、レーベンヒェルム領軍の敗北に終わった。

 緋色革命軍は勝利の勢いをかって、マラヤ南半島の戦線を拡大、一気呵成に数十もの都市を攻略して占領下に収めた。

 一方で、レーベンヒェルム領軍もまたビズヒルという橋頭保の確保に成功。

 敗れこそしたものの、菌兵士に対する戦術の確立、呪いの焼き鏝による情報漏えいの対策立案、ユーツ侯爵家の令嬢保護、何よりも緋色革命軍幹部の一人ドクター・ビーストを討つなど、戦いで得たものは大きかった。

 宿命の輪は回り続ける。しかし、巨大な歴史の軌道は、わずかなきしみをあげていた。

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