第37話 新しい契約

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 復興暦一一○九年/共和国暦一○○三年 晩樹の月(一二月)一二日夜。

 邪竜と恐れられる契約神器ファヴニルは、かつて「自分を楽しませろ」と盟約を交わし、暗闘を続けていた少年、クロードに三年の休戦を持ちかけた。

 マラヤディヴァ国辺境伯クローディアス・レーベンヒェルムを演じるクロードは、ファヴニルを倒すため、彼と先代領主によって荒廃した領を復興するために休戦を受諾する。

 しかし、続くファヴニルの言葉は、クロードの予想を裏切るものだった。


「同盟? 仲良くしよう? ファヴニル、お前、僕をからかっているのか?」

「まさか、ボクはキミをかっているんだよ。クローディアス」


 ランプの灯火に照らされた輝く金髪の下、緋色の瞳を細めて唇を濡らし、ファヴニルは微笑した。


「クローディアス、以前、玩具と馬鹿にしたことは撤回するよ。この三ヶ月、ボクを心から楽しませてくれたキミは最高の遊び相手だった。だからさ、休戦なんてまどろっこしいことはやめて、一緒に楽しもうよ」

「何をふざけたことを」


 鼻で笑おうとするクロードに、ファヴニルは再びジョーカーを切った。


「キミは、元居た世界に戻りたいんだろ? ボクなら、その願いを叶えてあげられる」

「見え透いたブラフだ。お前は以前、戻る手段は知らないと答えたはずだ。いまさらそんな嘘にだまされるものかっ」


 クロードは頭から否定して、しかし、動揺を隠せなかった。

 元の世界に戻れるなら、家族の元に帰れるなら、それはどんなにか素晴らしいことだろう。


「そうだね。そして、こうもいったはずだよ。御伽噺おとぎばなしにある七つの鍵で世界樹の門を開けて虹の橋を渡るくらいしかないんじゃない? って。七つの鍵は、実在していた。ううん、今も実在している。第一位級契約神器。この世界に七つのみ存在を許される至高の神器こそ、宇宙の中心たるトネリコの大樹へ至る鍵だ」


(七つの鍵、か)


 クロードも小耳に挟んだことがあった。

 この世界で受け継がれてきた、子供でも知っている伝説だ。

 千年前。神焉戦争ラグナロクで、世界を守ろうとする神剣の勇者が、世界を滅ぼそうとする黒衣の魔女と戦い、これを倒した。

 勇者の持っていた剣と、魔女の振るう槍こそが、七つの鍵と呼ばれる最強の神器だったのだ――と。


「世界樹に至る者、願いの全てを叶えられる……だったか。お前の話が本当なら、伝説が真実なら、神剣の勇者はどんな願いを叶えたっていうんだ?」

「世界を救わないことを。今日と同じ呪われた明日が来ることを。変わらない世界を、あの偽りの勇者は望んだ!」


 叫びをあげた瞬間、ファヴニルの瞳は、激情に燃えていた。


「だから、ボクは変えると決めた。変わらない世界は嫌だから、あの方の代わりに、今度こそ正しい未来を導くと誓った」


 まるで接吻キスでもするかのように、耳元で囁くファヴニルの声には、演技ではない生の感情があった。怨念、あるいは執念とでもいうべき、黒々とした異臭をクロードは嗅いだ気がした。


「ファヴニル、お前、まさか千年前から?」

「生きていたとも。一度は第六位級にまで身をやつし、それでも生きて生きて強くなった。契約神器は、ある種の精霊だ。怒り、憎しみ、悲しみ、絶望、強いニンゲンの感情を食らって糧にする。そして、他の神器を破壊し力を奪うことで更に強くなる。もう少しで第二位級に届いたんだ。クローディアス、キミと組めば、ボクはきっと第一位級にさえなってみせる」


 クロードは絶句した。

 生き延びることに必死で、ファヴニルという契約神器の目的が何なのか、考えることさえなかった。

 ファヴニルの先ほどの言葉が真実なら、少なくとも筋は通ってしまう。

 この悪魔が、先代ほんもののクローディアスと一緒に暴政を敷いたのは、人間の感情を効率よく糧にするためだ。

 小規模な反乱はむしろ望むところだったろう、弱い神器を破壊して、その力を奪えるのだから。


「七つの鍵。第一位級契約神器……」

「何を悩むことがあるんだい? レーベンヒェルム領を立て直す? ボクを討ち果たす? それで、いったい誰が喜ぶのさ?」


 クロードの眼前で、ファヴニルの口元が半月の笑みを形作り、赤い舌がちろりと見えた。


「とっくに気づいているはずだ。――今のキミは独りぼっちだ」


 クロードは、鼻の奥に熱い痛みを感じた。


「ソフィは瞳を奪ったキミを怖れているよ。エリックはキミを無能な領主だと蔑んでいるし、ブリギッタは父親と共に領民を虐げるキミを嫌っている。ヨアヒムはキミに殺されるのが嫌で従っているだけだし、アンセルはキミを腹の中で追い落とそうと企んでいる。あの異世界の虎、今はアリスと名乗っている彼女は、本来は人類種の敵だ。ねえ、どんな気持ちだい? キミがヌルい空気を吸っている連中は、キミのことを悪徳貴族だって心の底から憎んでいるんだ」


 ――ざわざわと、ざわざわと黒い影法師がざわめいている。中学時代と同じように。違うのはただ一点、今度は帰る家もなければ、高校という逃げ場もないことだけだ。


「領民たちがキミの陰口を叩いているのは知っているだろう? 賭けてもいい。後世において、キミは悪徳貴族と罵倒される」


 ファヴニルの推測は的を得ていると、クロード自身が気づいている。たった三年で先代の汚名をすすぐのは、どう考えたって不可能だ。


「頼みの友人さえもキミを忘れてしまった。もう無益な争いはやめよう。キミはボクを悪魔だというけれど、ボクだって、はるか昔には神様とたたえられたことがある」


 ソフィやカロリナが信仰していたと言う、湖と竜を祀る宗教。あるいは、竜のモデルのひとつに、遠い昔のファヴニルがいたのかもしれない。


「キミに与えてあげる」


 ファヴニルが顔を離して、クロードへ向けて右手を差し出した。


「唯一信じられるパートナーを」


 まるで神の御使いのように、慈愛に満ちた顔で。


「無理解なゴミどもに見せつけてやろう。キミとボクが組めばどれだけ凄いのか。一緒に願いを叶えようじゃないか?」


 クロードは目を伏せる。ファヴニルの誘惑に耐えるように奥歯をかみ締めた。


「神様から、反則チートじみた力を与えられて無双する。そういう御伽噺をニンゲンは、いや、クローディアスだって好きだろう?」


 力が欲しいと何度願ったか? 強くなりたいと何度望んだか? その力は今や手の届く場所にあった。

 あとは頷いて、ファヴニルの手を取るだけでいい。だから、クロードは……


「断る。他にあたれ」


 その誘惑を蹴飛ばした。


「っ」


 ファヴニルの顔が、憤怒と敵意で歪む。


「地金が顔に出ているぞファヴニル。部長が忘れても、僕が覚えている。だから、僕が引っ叩いてでも思い出させてやる。――僕は、僕だ。名前を失おうと、他人を演じようと、変わらない僕自身がここにいる」


 クロードは自分の胸を軽く叩いた。心臓の音がうるさいほどに聞こえる。血は巡り、首と肩は張り詰めて、手と足は今にも痙攣けいれんしそうだ。そうだ、自分は生きている!


「最強の力? 好き放題できる? ああ、それはきっと胸が躍る。自分の思うがままに他人を蹴散らせれば、それはきっと快感だろう。――クソくらえ。そんな力、お前なんぞに恵んでもらおうなんて思わない。ましてや、お前を強くする手伝いなんて真っ平ごめんだ」

「後悔するよ、今の選択を。こんな機会、二度とはないんだっ」


 クロードは拳を固めた。後悔なんて、この世界に来た最初からずっとだ。


「ファヴニル。僕は絶対にお前の所業を認めない。どんな力を振るおうと、どんな悪逆で人間を弄ぼうと、ツケは必ず払わせてやる。お前の歪んだ夢のために重ねられた屍に必ず報いて見せる」


 古代遺跡で蟲の苗床にされた名も知らぬ護衛のように、勇者と呼ばれたアランのように、ファヴニルに弄ばれ、殺された者たちがいた。

 テロリストによって殺された警官、外国に売り飛ばされそうになった子女、焼かれた農園、半壊した役所、略奪された家々があった。

 彼らの犠牲を、無念を、無かったことになんてできない。


「死んだ連中は過去に過ぎない。クローディアス、そんな無意味なものに囚われて、キミひとりで何ができる?」

「あいにくぼっちには慣れている。金に汚れた宗教団体や革命を気取る反社会組織じゃあるまいし、友人や仲間ってのは、誰かに与えてもらうものじゃない。自分が信じるものだ」


 クロードは、演劇部を空中分解寸前まで追い込んだ、男装先輩の母親を思い出した。

 宗教団体活動に狂った彼女は、連日の勧誘で部員の家庭を圧迫し、荒らしまわった。あの時は、なんとかすると請け負った部長が、本当に解決したから問題なかった。

 もしも、部長が折れて取り込まれていたら、ひょっとしたらクロードもまた別の価値観に染まっていたのだろう。それはそれで、うそ臭いほどに爽やかな人生かもしれないが、クロードとしてはそんな人生はお断りだ。


(足が震えてる。部長、平気な顔してたけど、本当はキツかったんでしょう? なにせ宗教団体の下部組織だった哲学史研究会を一時活動停止まで追いこんだんだ。どんな綱渡りをやったんだか)


 ここが分水嶺ぶんすいれいだ。

 もう一度思い出せ、大事なことが何なのか。

 演劇部にとって、自分は足手まといだったかもしれない。

 いつだって引け目を感じていて、それでも”僕が演劇部を好きだった”

 己の心と向き合え。自分が何をしたいのか、何を望むのか、それは”チートじみた絶大な力”なんて安っぽい飴玉あめだまと引き換えにしていいものなのか。

 答えは――決まっている!


「元の世界に戻る手段は自分で見つける。……僕はレアを信じている。ソフィを、アリスを信じている。エリックを、ブリギッタを、アンセルを、ヨアヒムを信じている。このレーベンヒェルム領に住む領民たちを信じている」


 言外に告げる。ファヴニルを、彼の走狗そうくであるテロリスト集団や、支援者である西部連邦人民共和国をこれっぽっちも信じてなどいないと。


「神様気取りも程々にするといい、ファヴニル。さっき御伽噺と言ったな。知っているだろう? 悪いドラゴンを討ち果たすのは、いつだって人間だ。ただの人間を舐めるなよ」

「違うよ、クローディアス。悪党はいつだって、まっとうな人間を踏みつぶしてふれ回るのさ。こいつらは悪いドラゴンだから退治しました。ゆえに我々は正義の味方でございますってね」


 それもまたひとつの真実だ。

 クロードとファヴニルは、同じコインを、表と裏の双方から見ているだけ。


「結局、平行線だな」

「そうだね、クローディアス。そして、ボク達に妥協点、境界線は存在しない」


 互いに手を取り合うのではなく、喉首に刃を突きつけあうことを選んだ以上、相容あいいれることは決してない。

 クロードとファヴニルは、まるで握手を交わすかのように、互いの手のひらをパァンとぶつけ合った。

 ふと、奇妙な親近感と共感を覚えた。怒りはある。憎しみもある。だが、互いの腹を割って話し合った今、クロードがファヴニルと出会った当初に感じた嫌悪感が消えている。

 

(あるいは、出会い方さえ違ったら、僕はこいつと一生の親友になれたかも、なんてね)


 もしも、ファヴニルがここまで邪悪に染まっていなければ、クロードは彼の手をとって、ままならない現実を変えようと共に歩んだかもしれない。

 もしも、クロードが先輩たちと出会っていなければ、ファヴニルに流されるままに悪行を楽しめたかもしれない。

 だが、結果は違う。二人は、どこまでいっても不倶戴天ふぐたいてんの敵だ。


「休戦は三年だったな? お互いへの攻撃は避ける。約束は守れよ」

「ボクはこれでも契約神器だよ。キミと、キミの部下、キミの治めるレーベンヒェルム領に直接攻撃を加えることは無い。ハンデだ。赤い導家士どうけしと西部連邦人民共和国企業連は好きにするといい。捨てた手駒だ」

「それは、別の手駒を用意するということか?」

「答える必要、あるのかい?」


 無いな、とクロードは応え、ファヴニルを、緋色の瞳を正面からのぞきこんだ。


「千の昼を越えて、その日こそファヴニル、お前を討つ」

「千の夜を越えて、その日こそキミを全身全霊でアイしてあげる」


 ここに、クロードとファヴニルの間に、新しい契約が結ばれた。

 今度は、玩具オモチャ使用者ユーザーではなく、対等な競争相手プレイヤーとして、相手の首を落とすために。


「クローディアス。三年間は仲良くしよう。また屋敷に遊びに行くよ」

「好きにしろ」


 クロードは、転移するファヴニルを見送った。

 レーベンヒェルム領の辺境、朽ち果てた要塞の中庭へと転移したファヴニルは、まるい月を見上げた。

 月は変わらない。千年前も、そして、今も――。


「お前たちがいかに神々をかたろうと、我は絶対に諦めない。人間の底力を見せてやる! か。……様。千年の果て、ボクはついに見つけました。貴女の意志を継ぐ者を。だから、ボクは彼を殺します。だって、貴女は、ボクにとってただひとつの光だから。そして、もし、彼がボクを討ち果たせるならば、こんなに嬉しいことはない。だから、全力で、髪一筋残さずに、この世から消してみせます。必ず、ええ必ず!」

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