第171話(2-125)悪徳貴族と救出部隊の出立

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 復興暦一一一一年/共和国暦一〇〇五年 芽吹の月(一月)七日早朝。

 クロードとレアは、揃いの黄色と黒色のきぐるみというペアルックを着て、頭上で丸くなったアリスと共に、レーベンヒェルム領からのお目付役として救出部隊を出迎えた。

 が、待ち合わせの公園に現れた部隊長のチョーカーは、三人を見るなり半ばあきれたような顔で怒り始めた。


「ミズキ。怪しい奴らがいるぞ。領警察に連絡しろ!」

「待ってくれ。僕たちのどこが怪しいというんだ。ありふれたアリスファンのカップルじゃないか?」

「はい。ありふれた、かっ、カップルの侍女です」

「ふ、ふくざつな乙女心のぬいぐるみたぬっ」


 クロードとレアとアリスが顔を赤くして抗議するも、チョーカーは一喝した。


「えーい、黙れっ。一般的なぬいぐるみはしゃべらないし動かないし、侍女は戦場に出ないし、そもそもお前はクローディアス・レーベンヒェルムだろうがっ!」

「おいおい、チョーカー隊長とあろうものが、物事はもう少し柔軟に考えなくちゃ。歌って踊れるぬいぐるみがいるかもしれないし、メイドとバトラーは冒険者ギルド公認の戦闘職だし、僕はただ顔が似ているだけの一般人かもしれないじゃないか? あ、通信が入った。ちょっと待ってね」


 クロードが懐から通信用の水晶玉を取り出すと、ヨアヒムとアンセルが狭い球中に押し合うように顔を押し付け合い、まるで噴火した火山のように怒鳴り始めた。


「リーダー。いったい今どこにいるんですか!? あのメモはなんですか? 目付役にはアリスさんが行くって話でしたよね。なんでリーダーも救出部隊に同行することになってるんですか? 救出部隊といっても、もとをただせばアンタを暗殺する為の部隊なんですよ。レアさんに言いつけられたくなかったら、早く帰ってきてください」

「ヨアヒム、彼らはルクレ領とソーン領の為に、危険な敵地での暗殺作戦に志願するほどの勇者たちだ。だから信用できると判断した。――そして、甘いよ」

「何がです?」

「レアには出発前に見つかって、一緒に行くことになっちゃったよ……」


 ヨアヒムが、しまったその手があったかと呻きながら膝をついた。

 アンセルは、後方にいるらしい役所職員に指示を飛ばしている。


「レーベンヒェルム領全域にレッドアラートだ。辺境伯様をとっ捕まえろ。イェスタ隊長代行とエリックに警察隊を全力動員するように伝えろ。公安は……もぬけのカラだって!? ああっ、フシアナモヤシめ、こういう悪知恵だけは回る」

「アンセル。メモに残した通り、指示書と計画書は僕の執務机に入っている。ルクレ領、ソーン領解放作戦の指揮は、お前とヨアヒムが執ってくれ」

「そうして、作戦が成功すればぼくたちの手柄。失敗すればチョーカー隊に同行した自分の責任として処理されるつもりですか? ぼくたちは、アンドルー・チョーカーよりも信じられませんか!?」

「違う。後を託せるって信じているからだ。今朝一番で、辞令が出るよう手配しておいた。僕の留守を頼む――」


 クロードの言葉を聞いて、アンセルは感に堪えないとばかりに手で目頭を押さえた。


「辺境伯様。出納長(戦闘職)って職名はいくらなんでも無理がありますよ……」

「ごほん。じゃあ、そういうことで」


 クロードは、水晶通信を強制終了させると、唖然とした面持ちで彼を見つめるチョーカー隊の面々を前に咳払いをした。


「おわかりいただけただろうか?」

「今のやり取りで、どう別人だと釈明するつもりだ」

「違う違う。早く出立しないと、面倒なことになるよ?」


 チョーカーはピンとこなかったようで、血色の悪い顔で、しばらく目を白黒させていた。

 見守る隊員たちは隊長並みのバカがいたとささやきながら戦慄せんりつし、ミズキは声を殺して笑い転げ、ミーナはチョーカーの袖口を引いて、町中の交番でカンカンと異常を知らせる鐘が鳴り響く。

 そうしてようやく彼は、自分たちが窮地にいると実感したらしい。


「ひょっとして、今からこの疫病神やくびょうがみを官憲に突き出しても、小生たちは疑われる立場なのか?」

「そういうことだね」


 辺境伯が行方不明になり、暗殺未遂を引き起こした部隊と行動を共にしていたとなれば、たとえ無実であったとしても事情聴取は避けられないだろう。


はかったな、謀ったなっ。悪徳貴族!」

「フフフフ、ハハハハハハ。見せてもらおうか、チョーカー隊の実力とやらを」

「こいつ、ろくな死に方はしないぞ。……散開だ。班ごとに分かれてレーベンヒェルム領から脱出、各々の判断で目的地を目指せ。諸君、高度の柔軟性を維持しつつ臨機応変に対処することを忘れるなよ!」

「隊長。そこの疫病神なバカップル三人はどうしますか?」

「小生とミズキ、ミーナ嬢の班に組み込む。こんな非常識なバカを野放しにできるものか!」


 アンドルー・チョーカーは胃の上あたりを押さえつつ、部下たちにそう宣言した。

 彼のただでさえ陰気な顔は、血の気がひいてもはや蝋人形のように真っ白だ。


「隊長、ご武運を祈ります」

「次は救出の地で会おう」


 二〇〇人近いメンバーは、およそ四から六人ごとの班に分かれ、ある者は馬車で領境界を目指し、またある者は港へ向かって船に乗り込んだ。

 クロードもまた、レア、アリスと共にチョーカーがひく幌馬車ほろばしゃに乗りこみ、見送りにきたヴィゴと公園に潜伏中の公安職員たちに向かって手を挙げた。


「無事の帰りを待ってます。押忍おす!」


 ヴィゴの持つ通信貝に、激昂げっこうしたイェスタから連絡が入ったのは、土埃をあげて馬車が去った直後のことだった。


「待てイェスタ。そう怒るな。こっちも宮仕えなんだ、わかるだろ。今度、酒を一杯おごるから許せって、な。警察職員全員分? 無茶苦茶を言うなよっ」


 クロードの捜索は、領主命令によって公安職員と領海軍が全力でサボタージュをきめこんだことから、領警察の士気もいまいちあがらず、午前中には打ち切られた。

 チョーカー隊は大半が領からの脱出に成功したものの、一部は領警察によって捕らえられ、彼らにはクロード宛ての秘密文書が託された。書面には、『帰ってきたら一発殴らせろ』という簡潔な一文と共に、エリック、イェスタをはじめとする数百名に及ぶ署名が連ねられていた。

 公的には、七日からクローディアス・レーベンヒェルムは内戦の負傷から自宅療養に入り、領警察による騒動は脱走した捕虜の大規模捜索として発表される。

 楽園使徒アパスルは、アンドルー・チョーカー隊が脱走したという事実までは突き止めたものの、まさか隊にクローディアス・レーベンヒェルムが参加して、侯爵令嬢の救出作戦を企んでいるなど想像すらしなかった。

 また人民通報がこれ幸いとばかりに、クロードの健康問題と警察の対応を盛大に叩いたことから、彼らはうかつにも記事が真実であると――信じ込んでしまった。その判断が致命的な誤りであったと、楽園使徒が知ったのはもうしばらく先のことである。



 クロードたちが乗った幌馬車は、悠々と領境の検問所を潜り抜け、ソーン領へと入った。

 御者席にはチョーカーが座り、天井代わりに幌をかけた客車には、クロードとレア、ミーナとミズキが向かい合わせに座っている。アリスは何度もミーナに話しかけようとしたが怯えられてしまって、遂には不貞腐ふてくされてクロードの膝の上で眠ってしまった。


「レーベンヒェルム領が遠くなりました……」


 レアは遠くなってゆく景色を、緋色の瞳に映して呟いた。

 レアがクロードと一緒に、領の外へ出たことは何度もあった。

 だが、それは期日の決まった小旅行であり、今回のような見通しさえ立たない旅は初めてと言ってよかった。


(ソフィさん、セイさん……)


 レアは、太陽が昇る前、アリスと共に屋敷を出ようとしたクロードを見つけて、ソフィやセイと共に止めようとした。

 でも、違った。ソフィも、セイも、クロードを止めるのではなく、レアが一緒に旅に出ることを勧めたのだ。本当は自分たちこそが一緒に行きたいだろうに、笑って送り出してくれた。

 レアの手がわずかに震えた。まるで居るべき場所を失ったかのように、世界が一瞬白と黒のモノクロに染まった気がした。そして、彼女は手に熱を感じた。


「り、りょうしゅさ」


 彼女の手を握ったクロードが、もう片方の手を唇に添えてシーっと合図する。


「クロード・コトリアソビだ」

「クロード様。ご、御用命はなんでしょうか?」


 レアは想う。今朝からずっと調子が狂いっぱなしだと。

 まるで機能不全で、さっぱりパフォーマンスを発揮できていてない。


「しばらくこうして欲しい」

「……!?」


 クロードはレアの肩を抱いた。彼女の顔は血が上って真っ赤になり、やがて手と身体の震えが止まる。


「大丈夫だよ。僕たちやチョーカー隊だけじゃない。公安や領海軍も参加する作戦だ。必ず二人を救出して帰ってこよう。皆がいるレーベンヒェルム領へ。ソフィとセイが待っている屋敷へ」

「はい」


 ミーナは見ていられないとばかりに顔を手で覆い、ミズキはひゅーひゅーと口笛を吹いて、年齢の割には豊かな胸を弓なりに反らして見せつけた。


「クロードさん、クロードさん。あたしにもやってよ。ほら、ぎゅうって」


 クロードは、抱きしめたレアの肩をそっと離すと、親指を立てて宣言した。


「ミズキさんは、部長あとが怖いから嫌だ」


 彼の不用意な一言で、まるで凍りついたかのように、幌馬車内の温度が下がった。

 レアは先ほどとは異なる羞恥しゅうちから手を震わせ、ミズキはポカンと口を開き、ミーナは別の意味で見ていられないと強く顔を覆った。チョーカーですら、御者席で背中をぶるぶると痙攣けいれんさせている。アリスだけが幸せな顔で眠っていた。


「クロードさま」

「……うわあっ、へたれ」

「チョーカーさん、ミーナはとても心配です。このひと絶対ダメ人間です。いますぐ捨ててゆくべきです」

「小生、道を誤ったかもしれない。読めなかった、この明晰めいせきな頭脳をもってしても!」

「たぬう」

「え、なに、なんなのこの反応?」


 こうして凸凹メンバーによる救出作戦が始まった。

 彼らは無事エステル・ルクレ、アネッテ・ソーン両侯爵令嬢を救出できるのか、いきなり底値を割ったクロードの印象は回復するのか、未来はまだ雨季の空に似た暗雲に包まれていた。

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