第266話(3-51)悪徳貴族と豊穣祭『文化展』

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 文化展は、ヴォルノー島に残る伝承を寺子屋の子供たちが絵物語に書いたコーナーだった。

 アリス・ヤツフサとアネッテ・ソーン、エステル・ルクレは、レーベンヒェルム領教育福祉部の職員と協力して各地の口伝を掘り起こし、寺社に納められていた古文書を譲り受けたのだ。

 クロードとテルは、木炭で描かれたモノトーンの絵や、木や粘土を使った版画、染めた紙を張り重ねたちぎり絵などの力作をひとつひとつ鑑賞した。

 侯爵令嬢として芸術にも造詣の深いアネッテ・ソーンが指導しただけあって、展示された作品はどれも不可思議な迫力に満ちていた。


「アリス・ヤツフサ作、と。セイ、アリスの描いた絵はこれみたいだよ」

「ほう、炎の吟遊詩人か。単騎で竜を討ち、百の魔獣を祓い、千の軍勢を鎮める。いかにも伝説の英雄という風情だな」


 赤い顔料と黒い墨を一面に塗り付けて書かれた英雄の絵は、アリスらしい豪胆さと素朴さがほの見えて、見る者に強い印象を与えた。

 中心に描かれた男の顔や輪郭が微妙にクロードっぽいのは、彼女の趣味だろう。共に旅したカワウソ曰く、勇者は中肉中背ながらも筋肉質な体格だったらしい。


「テルの話だと、これって史実らしいんだよ」

「ふむ。新しく屋敷に来た、人語を解するというカワウソ殿か。レア殿と親しいようだが、私はこれまで話す機会がなかったな」

「親しいのかな、アレは?」


 テルの方はともかく、レアは敵意を向けている気がする。

 ……とはいえ、露骨に交尾などと勧められれば、あのそっけない対応も無理はないだろう。


「私は、レア殿が棟梁殿の次にテル殿に心を許している気がするよ。そもそも彼女が侍女という役回りを外れること自体が、珍しいだろう?」

「うん。そうかもしれないね」


 レアは、出会った当初、クロード以外に感情をあらわにすることは少なかった。

 徐々に変わってきたものの、今でも例外なのは、ソフィとアリス、セイ、ショーコくらいだろう。


「レアとテルか……」

「たぬったぬう。クロード、セイちゃん。たぬの絵、カッコいいたぬ? かわいいたぬ? お土産のスープを持ってきたから一緒に飲むたぬ♪」


 クロードたちを見つけたのだろう。アリスが上機嫌で三人分の小さな竹筒を持ってきた。

 中には、大量の豆と根菜を煮込んだスープが入っていた。

 発見された古い料理本に記されていた料理で、美容と健康に良いレシピらしい。


「メア・ファフナーっておばあちゃんが残したメニューたぬ。とってもわかりやすいたぬ。お料理は苦手だけど、たぬも頑張ってエステルちゃんたちと作ったぬ」

「へえ、やるじゃないか」


 クロードは、スープを飲み干すとぱちぱちと手を叩いた。

 美容と健康などと言われても実感はないが、スープは複雑ながらもすっきりした旨みがあった。

 アリスは、レアやソフィやクロードに丸投げして、料理当番からも逃げていた時期がある。その頃から比べると、長足の進歩だろう。


(ソフィと同じファフナーの一族か。メアさんには感謝しないと、……って、メア!?)


 クロードは、唐突に閃いた。

 彼はその名前を知っている。メアとは――十賢家のひとつユングヴィ家を開いたマーヤ・ユングヴィの妹であり、アリスが描いた炎の吟遊詩人こと、神剣の勇者ルドゥイン・アーガナストと共に旅をした少女の名前に他ならない。

 

「アリス、今の名前っ」


 クロードは愕然としてアリスを振り返ったが、彼女はセイと談笑中だった。


「それにしても先客万来だな。今飲んだスープも絶品だったし、これなら一位も夢ではないのでは?」

「むふん、テルさんと、新しい友達が手伝ってくれたぬ。あ、ちょうど返ってきたぬ。ガっちゃん、こっちたぬう」


 アリスが大きく手を振る。

 彼女の視線の先では、美しい銀の毛並みの犬が、観光客らしい家族連れを文化展へと誘っていた。


「前は銀ちゃんって呼んでたけど、ガルムっていう名前だって教えてもらったぬ。ガっちゃんは、とても可愛い女の子たぬ」

「ガルム? 変わった名前だな。待てよ、ひょっとして?」


 クロードは夜の水面に映る月影のように麗しい、銀色の犬に見覚えがあった。


「あれは、オズバルトさんの神器じゃないか?」


 ガルムはアリスに応えるように尻尾を大きく振って、同じように手を振ったセイにウィンクした。

 そうして、彼女はクロードを見た。不意に動きが止まり、身にまとう空気が変わる。


「ウー、ワウッ、バウッ(また違う女。恥を知りなさい、この不埒者)!」


 犬の吠え声なのに、もっともな理由で叱られた気がしたのは何故だろうか。

 銀の犬は、クロードを視認した次の瞬間に大地を蹴って矢のように飛び出した。


「アリス、セイ、下がって!」

「ガっちゃん?」

「馬鹿者。狙われているのは、棟梁殿だっ!」


 ガルムは突進を阻もうとしたアリスを踏み台にして方向転換、セイが迎撃のため腰から外したサーベルを前肢の爪で鞘ごと断ち切った。


鮮血兜鎧ブラッドアーマー――起動!」


 もしもここで避けたなら、来場客に被害が出かねない。

 クロードは、ガルムの攻撃を避けることなく受け止めようと試みた。


「何暴れてンダ。馬鹿」


 しかし、次の刹那。

 一匹のカワウソが、クロードとガルムの間に割り込んだ。

 彼はまるで一枚の絵のように銀犬の前肢をからめとると、自然に背後を取って押し倒した。


「わ、ワウ、バウ」

「キュ、キュウ」


 あまりに動きが速すぎて、観光客からは、二匹の動物がぶつかったようにしか見えなかったのだろう。

 大丈夫? とか、可愛いね? とかいうささやき声が聞こえてくるが、クロードたちはそれどころではなかった。

 テルはわずか一歩で遠く離れた間合いを詰めて、一瞬でガルムを無力化したのである。


「ワウウ」

「ミャウミャウ、キューン」


 クロードたちには、ガルムとテルが何を話してるのかわからなかったが、どうやら説き伏せていたらしい。

 カワウソが拘束を外すと、銀の犬はしょんぼりと頭を下げた。


「ワオーン(ごめんなさい)」


 どうやら謝罪らしい。ガルムは一声鳴くと、とぼとぼと歩いて人ごみの中へ消えていった。


「ガっちゃん……」

「いいよ、アリス行っておいで」

「たぬ。ガっちゃんは、テルさんに会いにきたっていってたぬ。きっと、あんなことする子じゃないたぬ」

「うん、わかってる。怒ってないよ」


 クロードには、むしろ彼女には怒ってしかるべき理由があった気がした。


「テル、ありがとう。助かった」

「キュキュ」


 カワウソは朗らかに鳴いた。どうやらいいってことよ、と言いたいらしい。


「知り合いだったのか?」


 クロードの問いかけに、テルはしばらく無言を通して、やがて人語で答えた。


「憶えテナイ」

「そうか……」


 テルがルンダールの遺跡に封じられてから、もう千年も経っている。

 当時の知人など、それこそファヴニルくらいしか残っていないのかもしれない。


「ダガ、良い抱き心地だっタ。次は雄犬に化けテ、交尾を申しこモウ」


 クロードはそっとテルを抱き上げて、逃げられないよう厳重に腕で掴んだ。


「セイ。僕は用事を思い出したから、一度試作農園に戻ろうと思うんだ」

「奇遇だな、クロード殿。私もレア殿に所用があったのだ」

「みゃう!?」


 テルがじたばたと暴れ出したが、時すでに遅しだ。口は災いの元とはよくいったものである。


「キュキュキュキュウッ!」


 腕の中で何をする気だ薄情者とか叫んでいる気がするが、外交関係にヒビを入れられてはたまったものではない。


(それにしてもテルのやつ、自分を使い魔程度なんて言ってたけど、戦えるんじゃないか)


 しかし、とクロードは思う。

 テルは、オッテルはもう十二分に戦っただろう。

 彼をこれ以上、ファヴニルとの戦いに巻き込むわけにはいかない。

 それはそれとして、レアには事情を話してテルを引き渡すのだが。


「ミャウミャオウッ!」


 テルの必死の悲鳴を聞き流しながら、クロードは未来に思いはせた。


(あと見ていない展示は、契魔研究所と夜会だけか。楽しかった豊穣祭もあと少し。内戦で傷ついた領軍と同盟領の再編が終われば……緋色革命軍との決戦が始まる)


 なお、テルの命運が――決戦の日まで持つかはあやしかった。


「ミャーッ(誰か助けテェ)!」

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