第265話(3-50)悪徳貴族と豊穣祭『畜産展』

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 ヴァリン領が用意していたお土産は、野菜とハーブをふんだんに使ったパゲットサンドだった。


「ふむ。酸味があって爽やかだな。地の恵みだけで勝負するヴァリン領の潔さ。素晴らしい!」

「キャベツとニンジン、トマトを刻んで発酵させて、ザワークラフト風に仕立てたのか」


 セイは素直に喜んでいたが、クロードの感想はやや異なった。

 新型農場でテコ入れしたレーベンヒェルム領は例外として、実はマラヤディヴァ国の野菜自給率は五〇%程度とあまり高くない。

 畑で一般農作物を作るよりも、パーム油がとれるアブラヤシの方が高い利益が見込めるからだ。

 ヴァリン領はこのサンドイッチを配布することで、自領の多様な農作物と商業圏の大きさを改めて誇示したのではないか? そう考えたのだ。

 

「さすがは、ヴァリン公爵だ」


 なおその頃――。


「という風に、あの若造は深読みすることじゃろう。お前さんと同じようにのう。なあ、ローズマリー嬢ちゃん?」

「あら、ヴァリンのおじいさま。その通りではありませんの?」


 ヴァリン公爵もまた、野菜サンドをつまみながら、ローズマリー・ユーツと差し向かいで茶を楽しんでいた。

 豊かな口髭を蓄えた老公爵は終始笑顔で、彼の本心はローズマリーにも伺い知れなかった。


「ふぉふぉ。うまいものを用意しただけじゃ。そう言えば、わしはユーツの蕎麦そばに目が無くての」

「ええ、我らが故郷を取り戻した日には、必ずや御馳走しますわ」


 このように、同盟領が展示を駆使した宣伝に力を惜しまなかったのと同様、レーベンヒェルム領役所内でも熾烈な争いが行われていた。

 豊穣祭はレーベンヒェルム領をあげた一大イベントだ。表立った影響はなくとも、各部門の意地と誇りが試される。


「いよいよ後半戦、稼ぎ時だ。ぼく達こそは、レーベンヒェルム領を担う一騎当千の銭闘士だ。財貨で山を築き流通で海を埋め尽くそう。行くぞお」」

「「おおーーっ!!」


 アンセル・リードホルムと財務部職員たちが、露店の裏側で円陣を組んで盛り上がる中、クロードとセイは畜産展コーナーへとやってきた。

 会場は、領では珍しい肉料理やチーズを求める来客が殺到して、立錐の余地もないほどに混雑していた。

 広報の事務員が、針を縫うように練り歩きながらイベントの開始を呼びかける。

 

「羊の毛刈り、午後の部が始まりまーす」

「く、クロード殿。行こう」

「ちょっと待って。鋳造――」


 クロードは慌てて魔術を発動し、早速向かおうとしたセイに雨合羽を着せた。


「汚れないように、ということか。気にし過ぎだ。きっともふもふして楽しいぞ」


 セイはこうして喜び勇んで毛刈りに参加したが、クロードが危惧したように、毛刈りは思いのほか重労働だった。

 羊は嫌がって動くし、毛には油がついていてべちゃべちゃするし、鋏を入れたあとで汚れを落とすだけで相当の時間がかかった。

 今回のイベントは、一般参加歓迎のショーなのである程度の下準備をして簡略化したのだが、普通に毛刈りをすると一頭あたり二、三時間はかかるという。


「やった。ふわっふわだ」

「喜んでもらえて良かった」


 しかし、そこは体力にも自信のあるセイである。

 クロードが目を丸くするような手際で作業を進めて、あっという間に真っ白でもこもこの毛玉を手に入れた。


「鎧の裏当てに使おうか。揃いのハンカチというのもいいな? クロード殿、使ってくれる?」

「もちろん。嬉しいよ」


 そうやって二人がニコニコと戦果を眺めていると、盆を持った職員が小さな竹筒を差し出してきた。


「こちら、お土産のヨーグルトドリンクはいかがですか? あちらではニコラス・トーシュ教授が講演されていますよ」


 セイは、筒の中身を一口飲んで首を傾げた。


「牛の乳に先ほどの野菜を混ぜたのか? 変わった味だ」

「セイ。これは米や芋から酒を造るように、大根や菜っ葉から漬けものを作るように、牛乳を発酵させたものなんだ」


 クロードが農業改革の初期に導入した酪農だが、意外な罠が待ち受けていた。

 せっかく採った牛乳が、レーベンヒェルム領はもちろん、他領でもさっぱり売れなかったのである。

 孤児院に持ち込んでも大不評で、ソフィが砂糖を加えたところ、手のひらを返すように子供から大人まで大好評になった。

 しかしながら、領内のサトウキビはほぼ輸出先が決まっていたため、砂糖の確保が難しかったのである。


「牛乳が売れなかったから、ヴァリン領大学に相談したら、発酵食品を作ろうってもちかけられたんだ」


 ニコラス・トーシュ教授は、農業に留まらず畜産や微生物まで研究していた。

 ヴァリン領がヴォルノー島最大の栄華を誇っているのも当然だろう。

 整った教育設備によって、とにかく人材の層が分厚いのだ。

 簡易舞台の上では教授が魔術投影器を使いながら熱弁を振るっていた。


「乳酸菌は、このように小腸の善玉菌を増加させて健康を維持します。また乳酸菌の一種であるビフィズス菌は大腸のバランスを良好に保ち、病への耐性を向上し、アレルギー反応を抑制します」

「つまり、ヨーグルトやチーズを食べることで、善良な菌が腸に生きて届き、更なる健康の増進が図られると言うことでしょうか?」

「いいえ、多くの乳酸菌は胃酸で死滅します。ビフィズス菌の場合、生きて届く場合もありますが、大腸に長時間は定着しません」


 質問者と教授のやり取りを見て、まずいと、クロードはあんぐりと口を開けた。

 昔、痴女先輩が似たようなことを言っていたはずだ。

 乳酸菌食品が世に出てから幾度か実験が行われて、口から入れた菌が、体内に住みつくわけではないという結果が出てしまっている。


「それでは、発酵食品をとることに意味はないのではありませんか?」

「もっとも重要なことは、食べる乳酸菌・ビフィズス菌の生死ではありません。発酵食品を摂取することで、人体内の善玉菌が活性化して増殖することです。腸内健康の改善は美容や若返りにも効果があり、記憶力・集中力を向上させるという実証結果も確認されています。こちらに比較資料が――」


 ふう、と、クロードは息を吐いた。

 群衆の反応を見るに、どうやら持ち直したらしい。チーズの売れ行きが上々なのも納得だ。

 ヴァリン領の人員だから目立たないが、あの人はあの人で凄まじく優秀だ。うまく聴衆をのせている。

 露店を伺うと、アンセルが露店中でガッツポーズを決めていた。


『辺境伯様。健康食品はいいですよ。他領の貴族や金持ちはきっと飛び付くはず。がっつり儲けましょう!』


 畜産展で発酵食品を扱った動機は、実にアンセルや財務部らしいものだった。

 しかし、巡り巡って人々の健康に役立つなら悪いことではないのだろう。

 いまは供給が追い付かないが、幼い子供や老いた者の健康にも確かに効果があるのだから。


『都市と農村の共存を、必ずこの手で成し遂げます!』


 ニコラス・トーシュ教授は、異なる思想を葬り去ることをリベラルと称する偽物達とは違い、正しい意味で自由主義リベラルに立つ人物といえる。

 けれど、とクロードは思うのだ。

 彼の知る地球史をあてはめるならば、きっと教授の夢は叶わない。

 都市が農村という機能を飲み込むか、あるいは農村が都市化する。

 それが果たして彼の望んだ夢なのか、クロードには判別がつかなかった。


「……クロード殿。今から買えるだけ買ってくる」

「ちょっと待って、セイ。影響を受け過ぎ!」

「でも健康が、う、美しくなれるならいくらでも」

「きっと量をとればいいってものでもないからあ」


 取り過ぎた乳酸菌やビフィズス菌は、体外に排出される。過剰摂取はあまり意味がない。

 クロードはどうにかセイをなだめすかして、教育福祉部の『文化展』へと連れてきたのだが……。


「待ってたぬ。クロード、セイちゃん。こもんじょ? から見つかったキレイになれるスープたぬ。一緒に飲むたぬ」

「アンセルぅううっ!」


 こちらも健康志向のお土産だった。

 もっとも、文化展を主導したのはアネッテ・ソーンと多くの女性職員である。なるべくしてなった結果かもしれない。

 そして、クロードとセイはいまだ知らなかった。

 平穏に見える豊穣祭の裏側で、恐るべき謎の計画が進行していたことを。

 導火線に火はついている。祭りを揺るがす大騒動が、ついに始まろうとしていた。

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