第287話(4-16)ヘルバル砦攻防戦
287
復興暦一一一一年/共和国暦一〇〇五年 涼風の月(九月)一九日。
この日の天候は、まるでユーツ領の情勢を映すかのように荒れていた。
乾季にも関わらず、山間には激しい雨が降り、谷は白絹のような霧に覆われた。
領を東西に横断するオトライド川は轟々とうなりをあげて流れ、河川敷に横たわる石や流木を飲みこんゆく。
午前から降り始めた雨は、正午を過ぎても続き、午後を迎えた頃ようやく勢いに陰りが見えた。
そのような悪天候の中、オトライド川の扇状地に建つ要塞、ヘルバル砦では反乱者の処刑が行われようとしていた。
付近の村落から狩り集められてきた数十人の老若男女が、砦の北口につくられた墓地に集められ、丸太にくくりつけられて最期の時を待っていた。
しかし、予定時刻を過ぎても処刑は行われなかった。
午前中、ユーツ家の家紋をつけた不審者が、緋色革命軍親衛隊の制服に酷似した灰色の軍服を着て、砦付近を徘徊していたことが判明したからだ。
砦の中にユーツ家の信奉者がいるかもしれない。スパイが入り込んだかもしれない。最初はささやかな陰口だった疑惑は、たちまちのうちに怒声となって広まって、親衛隊兵士達を疑心暗鬼に陥れた。
「貴様が内通者か!」
「馬鹿な。お前こそ裏切りものだろう!」
緋色革命軍の指導者”一の同志”ことダヴィッド・リードホルムが取り立てた親衛隊は、たとえ最新の装備で外面を飾ろうとも、実態は経歴も定かではない外国人やあぶれ者の集まりに過ぎなかった。
彼らは同僚を信用せずに、魔女狩りじみた容疑の押し付け合いを繰り返し、ついにはマスケット銃を構える者まで現れた。
「疑わしきは殺せ。反動主義者は死ね!」
「死ぬのは貴様だ。いったいいくらで俺たちを売った?」
しかし、いままさに同士討ちが始まろうとした瞬間、ひとりの中年男が将校用宿舎から姿を現して、ならず者達を一喝した。
「諸君、待ちたまえ。これは我らに仇なす者の陰謀だ!」
「ベック同志……!? 申し訳ありませんでした」
親衛隊員たちは、雷に打たれたかのように整列し、声の主に向かって敬礼した。
彼は、柿色の髪を短く刈って顎髭を丁寧に整え、首にはひときわ目立つ赤いスカーフを巻いていた。
身につけた清潔感のある衣服も気品があって、どこか威風を感じさせる男だった。
名をエカルト・ベック、ユーツ領を占領した緋色革命軍幹部の一人である。
「なるほど、正体を偽って我らの中に入り込む。ネズミらしい姑息な手段ではないか。けれど怖れることはない。この砦に集った同志は私の顔見知りばかりだ。侵入者を感知するセキュリティなども万全を期した。私達はあくまで紳士として為すべきことを為せばいい」
「はっ。見苦しいところをお見せしました」
先ほどまで互いを罵り合いっていた隊員たちは萎縮して、素直に頭をたれた。
まるで鞭打たれた犬のように俯いて歩く彼らの姿は、上官への敬意と恐怖をまざまざと見せつけていた。
「さあ、始めようか」
「これより、革命の大義に背き、汚い貴族に協力する愚かな畜生どもの処断を始める。死して正義と平和の礎とならんことを!」
「ひっ」
歯を食いしばるもの、聖典を暗唱するもの、ただ瞳を閉じるもの。それぞれの形で最期を迎えようとする村人たちに、親衛隊は容赦なく銃弾を浴びせかけた。
けれど、突如として中空に魔法陣が展開され、凶弾はあさっての方向へと逸れてしまう。
「こ、これは矢避けの魔術。誰だ?」
隊員が誰何の声をあげると同時に、砦を守る門が一斉に爆破されて、ユーツ家の家紋をつけた兵士たちがなだれ込んでくる。
「忍び込んでいたのは、ネズミどころではなかったわけか。貴様、どうやって我らが城へと踏み入った?」
エカルド・ベックは、見慣れない軍服を着た敵兵に問いかけた。
もやしのような青年は、大混乱の中、軍刀を手に淀みのない足取りで近づいてくる。
一〇人を越える親衛隊員が、”
「どんな金城鉄壁も、運用するのは人だ。心は無敵と行かないものさ」
「なるほど、村から挑発した資材に潜んでいたのか。今後の戒めとしよう」
青年の背後には、親衛隊員が人狩りのついでに奪った食料や家財を収めた倉庫があった。
「懐古主義者め。時代という時計の針を逆回しには出来ないぞ?」
「だから、前に進めようとしているんだ」
砦の支配者は、息を浅く吸った。彼がこれまで出会ってきたユーツ領の敵兵は、前時代的な雇用関係に縛られた将や兵士ばかりだった。目の前の青年はどこか違う。その上で、うなじがひりつく怖さがあった。
「ユーツ家が雇った傭兵というところか。ならば、商売の話をしよう。給金を今の三倍出そう。私の下で働かないか?」
「興味が無いね」
「ベック様、危険です。お下がりください」
部下が悲鳴をあげてベックの手を引く。青年は会話を交わす間も親衛隊員達を斬り伏せてゆく。遂にはマスケットで狙い撃たれたが、これまた事もなげに銃弾を避けて見せた。
「素晴らしい。一〇倍出そう、いいや、一〇〇倍ではどうだ?」
「いらないって」
「ハハハハハ。ならば、革命について話し合おうじゃないか。共に同志として、この国を、世界を変えよう!」
ベックは部下の手を振り払い、上気して胸襟を開いた。
その時、純粋な叫びが戦場を引き裂いた。
「エカルド・ベック! バーツ義兄さんの仇っ」
栗色の髪を紐で結わえ、儀礼剣を背負った少年。
ラーシュ・ルンドクヴィスト男爵が、もやしの青年が切り拓いた血路を踏みわけて迫っていた。
「術式――”
エカルド・ベックは、知っている。
少年男爵の契約神器は、周囲のあらゆるものを軽くする。自らの体重を軽くして速度をあげることも出来るし、敵が振るう武器の重量を軽くして被害を抑えることも出来る。効果範囲が極めて狭いことを除けば、極めて強力な神器といえよう。
「ラーシュくん、我々は大人の話をしている。子供が噛みに来るんじゃない」
ユーツ領の現支配者たる彼は、首元の赤いスカーフから水滴のように小さな宝珠を引き抜いた。
「これは君が背負ったものと同じ契約神器でね。ルーンオーブという。躾の時間だっ」
ベックの宝珠から放たれる光線が、狙い違わずラーシュの右足を焼き焦がした。
無様に転倒する子供を見ながら、彼は嘲笑う。
なるほど剣も矢も銃弾も、およそ重さを持つものならば、ラーシュの持つ玩具は有効に機能するだろう。しかし、魔法が存在するこの世界では、単純な物理に留まらない攻撃手段などいくらでもあるのだ。
「マルグリットは言っていたよ。君は彼女に憧れて、その力を手に入れたとね。対となる力を欲っしたそうだが、本当のところは違うのではないかね。子供らしい
ベックは、再び光線を放った。されど、その攻撃は焔のカーテンによって阻まれた。
「鋳造――
「は、ハハハッ」
青年が使った鋳造魔術は、遠い昔に廃れた術式だ。
武器や道具を生みだしあるいは変化させるが、広い視野で見るならば、いくらでも代用が利くために習得する者がいなくなった骨董品。
今の世で、それを用いる有名人はわずかに二人。ひとりは共和国の処刑人、そしてもう一人こそ緋色革命軍の仇敵たる悪徳貴族――。
「クローディアス・レーベンヒェルムっ……」
「重いさ。男が女を想うんだ。軽いはずがないだろう。僕にとっても、いんちき革命なんかよりもずっとね」
「残念なことだっ」
悪徳貴族の斬りつける刃と、エカルド・ベックの放つ光線が交錯し、二人の戦闘開始を告げる火花が散った。
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