第413話(5ー51)ドゥーエの逃亡劇

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 隻眼隻腕の剣客ドゥーエは、殴られた顎と腹の痛みに耐えながら、丹田に力を込めた。


「ハハッ。勇者とか、何言ってるんでゲスか」


 彼は、唯一残された黒い右目で、逃亡の障害となる一人と二匹を目視する。

 一人は、薄桃色がかった金髪の少女ミズキ。腕利きのガンナーにして破壊工作員、単純戦闘力だけでも要警戒だ。

 もう一匹は、両の前足をだらりと伸ばして、ビーカブースタイルで拳の構えをとった川獺カワウソのテル。高位契約神器のアバターである可能性が高く、油断ならない。

 最後の一匹は、オズバルトがズィルバーと呼ぶ第五位級契約神器ルーンビースト。ただし、ガルムという別の役名で呼ばれているあたりきな臭く、おまけに彼の味方をしてくれそうな気配は微塵もない。


「ミスター・カワウソ。夢みたいに痛々しい妄想は程々にしとくでゲスよ。でないとロクなことに……」

「なぁに、厨二病とでも言いたいの? あたしの彼氏ダーリンに文句があるのなら、殺すよ」


 ドゥーエが自虐的に抗弁、むしろこの世界で生きるもう一人の自分自身を揶揄やゆしたところ、ミズキが怒気もあらわに胸ぐらを掴んできた。


「……変わらんな」

「こんの、ニセモノめっ」


 ドゥーエはミズキの腕を掴んで足を払い、氷漬けになった灰色の地面に転がすと、そのまま離脱を図った。


「……待テ。逃がスものかっ」

「バウ!」


 逃げるドゥーエの背中を追って、テルは驚異的なステップから鋭い拳撃を繰り出し、ガルムもまた強烈な飛び蹴りを浴びせてくる。


「遅ェ。退路は準備しておくものでゲス」


 だが、ドゥーエは義手から鋼糸を射出して、簡易防御施設の残骸に絡みつかせて盾にした。

 ベックによって凍りついた丸太や土嚢袋は、テルとガルムによって即時粉砕されたものの、ドゥーエは間一髪のタイミングで逃げ出すことに成功する。


「それじゃあ上がりまーす。お疲れ様でしたァ」


 ドゥーエは、氷雪に蝕まれた地面を蹴って、領都レーフォンに向かって疾走した。

 しかしそんな彼の前に、中折れ帽を被った浅黒い肌の紳士と、見るからに体育会系の青年が立ち塞がった。


「いけませんよ、新人の〝ロジオン〟さん。皆がまだ働いているでしょう。終わるまでが仕事ですよ」

「あいにく徹夜は、この領じゃよくあることだ。なんなら眠気覚ましに、赤い導家士や、オズバルト・ダールマンとの関係でもゲロってくれていいんだぜ?」


 公安情報部を束ねる年齢不詳の男ハサネと、若くして領警察の幹部となったエリックだ。

 二人は、もうドゥーエの身元を大凡掴んでいるらしい。


「み、みなさーん、この領ブラックです。真っ黒でゲスよー」

「「最近はやっと白くなり始めたんだ! いいから働け!!」」


 ドゥーエの叫びに、周囲から憤怒の声がこだました。

 レーベンヒェルム領は、これまで邪竜の試練という大きすぎる障害を、クロードを筆頭とする人間の力マンパワーで乗り越えてきた。

 なんて言えば聞こえはいいが、やはり領役所や領軍の過酷な労働環境は、いつまで経っても〝悪徳貴族〟の悪名が消えない理由のひとつだろう。


「冗談じゃない。うおおっ、オレは無職に戻るぞぉおっ」

「いけませんねえ。ちゃんと退職届を出さないと。受け取る気はありませんが」

「いやお前、無職じゃなくて元テロリストじゃないの?」


 ドゥーエは、ハサネとエリックのツッコミを無視した。

 彼は鎖で封じた刀から、煙幕代わりに霧をぶちまけて、何処へともなく跳躍する。


「ふはは。孤独な狼を鎖に繋ごうなんて笑止千万。これぞ自由への第一歩!」


 そうやって高飛びしたまでは良かったが、ドゥーエにはもはや着地点を見定める余力すらなく、何処ともわからぬ人混みの中へと落下してしまう。


「すまんすまん。ってここは何処だ?」

「どうしたんだい、酷い怪我じゃないか。無理をしてはいけないよ」

「あ、あんたは、こここ国主」


 彼が落下したのは、よりにもよって国主グスタフ・ユングヴィの御前だった。


「……おや、私と何処かであったことはないかい? 其方の顔、私の先祖、〝神剣の勇者〟の肖像画にそっくりなんだ」

「他人の空似です。お気遣い、あざーしたぁ」


 ドゥーエは国主に深々と頭を下げるや否や、何事かと集まってきた兵士達の包囲を振り切って、白く澄み渡る夜空の彼方へと走り出した。


「ちくしょう、どうしてこうなった?」


 クロードがいる以上、そもそも逃げる必要も無かった気もするが、ここまで来たら意地だった。


「そうさ、オレは世界滅亡からも逃げきったんだ。オレは、オレは自由だぁああっ」


 ドゥーエは走った。

 虹色の明日へ向かって。

 あるいは体を休める布団と、美味しい寝酒を求めて。

 しかし邪悪なる魔手は、最後の最後でドゥーエを捕らえてしまう。


「ドゥーエさんじゃないか。いいところに来てくれた。担架を運ぶ人手が足りないんだ。力を貸して欲しい」

「私からもお願いします」


 そう。最後の関門とばかりに、救助活動に励んでいるクロードと、小さな身体で手伝うレアに出会ってしまったのだ。

 ドゥーエには裏切り者ベックを打倒してくれた、恩人の頼みを断ることは出来なかった。


「いいですとも。まったく、アンタ達にゃあ勝てないよ。どこへ運ぶんでゲス?」


 ドゥーエは足を止めて、クロードの向かい側から担架を掴んだ。

 視線を上げれば、遠くで川獺と銀犬と、中折れ帽を被った紳士と、体育会系青年が生暖かい目で彼を見守っている。

 けれど、過去の嫁と同じ顔をした少女だけは本気の殺意を向けていて、正直なところ勘弁して欲しかった。


「……辺境伯様。救助活動も大事でしょうが、マラヤ半島はいいんですかい? ゴルト・トイフェルは、おそらく動いていやすぜ?」

「それなら大事ない。僕は、アリスとセイを信じている」


 クロードの黒い三白眼には、確かな信頼があった。

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