第四部/第二章 引き裂かれた恋人たち

第283話(4-12)悪徳貴族の川下り

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 復興暦一一一一年/共和国暦一〇〇五年 涼風の月(九月)一八日夕刻。

 クロードたちユーツ領解放軍は、断崖からの逆落としによって緋色革命軍を撃ち破り、オトライド渓谷関所を制圧することに成功する。

 この勝利によって、侯爵令嬢ローズマリー・ユーツは、天嶮てんけんの地であるユーツ領南西部一帯に確固たる勢力基盤を成立させた。

 これまで滅亡の危機に瀕していたユーツ家の遺臣団は、人目もはばからず涙を流して喜びあった。


「ふはは。やった、やったぞ、我々の勝利だ」

「ユーホルト伯爵、おめでとうございます!」


 ヴィルマル・ユーホルト伯爵は、拷問でねじ折られた足にも構わず兵士たちと抱擁ほうようを交わし、ラーシュ・ルンドクヴィスト男爵もまた、婚約者への未練を胸に秘めて笑顔を浮かべた。

 しかし、いまや解放軍の主力となったクロードと、参謀長ヨアヒム、特殊部隊を預かるチョーカーは、弾んだ空気を気にも留めずに追撃の準備を整えていた。


「うん、ちゃんと関所に舟が残っている。ざっと三〇隻か。一隻あたり、七、八人として、二〇〇人は乗せられる」

「リーダーが奇襲を成功させたおかげっすね。でも、八メルカ程度の木造船じゃあ、馬を乗せるのは無理そうっす」

「次の戦場は砦だろう? 連れていく必要もあるまいよ」


 そんな三人の様子を見た侯爵令嬢たちもまた、すぐさま出立支度を始めた。

 ローズマリー・ユーツは旗を丸めてヨアヒムの隣に立ち、ミーナも気つけに葡萄酒を飲んでチョーカーの手を握りしめる。

 そしてアリスは酔いと疲れのせいか、猫にもたぬきにも似たぬいぐるみ姿で、クロードに背負われていた。


「コトリアソビ、本当にお前たちはしまらぬなあ」

「ほっとけ!」


 クロードとしては、そんなアリスだからこそ愛おしいのだ。

 彼は寝息を立てる少女をあやすように撫でさすると、歓喜に沸く遺臣団の中央に進み出た。


「ユーホルト伯爵。我々はこれより川を東に進み、ヘルバル砦を攻めます」


 クロードの発言に、ユーホルト伯爵は唖然とした。


「たった戦いを終えたばかりですぞ。兵士たちには休養と報償が必要だ」

「はい、ユーツ領を取り戻した暁には、ありったけの休暇と賞与を用意します」


 クロードの指示は無茶とも言えるものだったが、意外にも大同盟から来た兵士たちは積極的に従っていた。

 ユーホルト伯爵は知らぬことだが、これまでレーベンヒェルム領が、ひいては大同盟が経験してきた戦いは、絶望と隣り合わせのものばかりだった。

 そんな不可能作戦ミッションインポッシブルと比較すれば、街や関所、砦を攻略するなんて、実に常識的・・・平凡・・な作戦ではないか。そう兵士たちは感じていたのである。

 ――言うまでもないことだが、無補給の山越えも断崖落下騎兵突撃も、ユーホルト伯爵たちユーツ家遺臣団にとっては、前代未聞の奇策に他ならない。


「敵もまさか連戦は想定していないでしょう。今こそ好機です。ユーホルト伯爵は、関所の確保と負傷兵の治療をお願いします」

「無理だったら戻ってくるっす。強行偵察だと思って大目に見てくださいや」


 クロードたちが先陣を切って乗舟すると、ローズマリーら二〇〇人の兵も続いた。


「いけません。ローズマリー様、どうかアクリアへお戻りください」

「ユーホルトのおじさま、ごめんなさい。ここは退けないの」

「お、オレも行きます」

「ラーシュ。お前までっ」


 栗色髪の少年男爵が跳ねるようにしてクロードたちが乗る舟の最後尾に飛び乗ると、ちょうど夕陽が落ちた。

 山合いから仰ぎ見る空はうっすらと紫色に染まり、明星の輝く群青ぐんじょうに変わる。霧も濃さを増して、じきに周囲は黒のとばりが落ちるだろう。


「山の日没って早いっ」


 クロードは船先で迷彩用の魔術文字を刻みながら、事前に調べておいた地形を思い浮かべた。


 オトライド川は、高山都市アクリア付近の山岳地帯を源流とする重要河川である。このまま東へ下れば、やがて領都ユテスを潤す北の本流と、港町ツェアから海に流れ込む南の支流に分岐する。

 ヘルバル砦は、まさにその分岐点に近い扇状地に築かれているという。


「あれ? この魔術文字って自動航行の術式じゃないか」


 クロードが新しく書きこんだ術式の隣には、すでに複数の魔術文字と魔除けの文様が刻まれていた。


「他には、防火と耐衝撃の術式か。ひょっとしてシェルクヴィスト卿の手配か」


 おそらくは関所を守る女男爵バロネスが、万が一の際に仲間たちを脱出させるため、事前に講じていた善後策だろう。

 もしもクロードたちが後方から騎馬突撃を仕掛けなければ、関所の守備隊ごと脱出されていたかもしれない。


「手強いな……」


 クロードは、通信用の魔術貝を用いて他の船へと事情を伝えた。

 川は下りであり、舟はオートパイロットで進んでゆく。 

 速度こそ遅いもの、兵士たちが疲れた体に鞭打って櫂を漕ぐ必要もなくなった。


「アリス?」


 クロードが振り返ると、アリスは彼の背に抱きついたまま寝入っていた。

 ヨアヒムは暗視の魔術を自らにかけて、次の作戦を確認しているようだ。

 チョーカーとミーナ、ミズキはなにやら雑談に興じている。

 そして、ローズマリーとラーシュは所在なさそうに、黒々とした川の水面を見つめていた。


「ローズマリーさん、ラーシュ君……」


 クロードは、今日戦った敵将について踏み込むことを決意した。

 今、舟に乗っているのは見知った八人だけだ。切りだすには悪くないタイミングだった。


「マルグリット・シェルクヴィスト男爵について教えて欲しい」


 かの女男爵は強敵だった。

 重さを自由自在に操る第六位級契約神器ルーンブレスレット”月想げっそう”の危険性は言うに及ばず、マルグリット自身もまた断崖からの奇襲を見抜く聡明さと、関所守備隊が命をかけて守るほどのカリスマ性を兼ね備えている。

 そして、脱出艇の準備等を鑑みるに――、彼女はおよそ緋色革命軍には似つかわしくないのだ。

 

「そうね。貴方には話しておくべきね」

「ローズマリー様。ではっ」

「ええ、ラーシュ。すべてを打ち明けましょう。私もマルグリットの力になりたいから」


 舟がわずかに揺れた。霧がほんの少し晴れて、月の光が射した。

 そして二人は、事の発端を話し始めた。

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