第365話(5-3)最果ての少女

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「部長め、わかっていたな。わかっていたから、この子は〝違う〟から、ラス☆ボス子なんて戯けた名前で呼んだのか! なあ、見ているんだろう――」



「イスカちゃん!」



 クロードは、彼女の名前を叫んだ。

 瞬間、真っ白な世界が、宝石に記録された終末の映像が砕けた。

 閃光が迸り、何もかもが見えなくなった。

 ただ、柔らかな声が耳に響いた。


「ようこそ、クロードおにいちゃん。〝わたし〟の世界へ」


 気配がする。

 誰かが近づいてくる。

 花のような、果実のような甘い匂いが鼻孔をくすぐる。


「でも、イスカという名前は、あの子が父親から貰った大切なものだよ。だから、〝わたし〟のことはボス子と呼んでね」


 クロードは思わず反駁はんばくしようとしたが、彼女は機先を制するように言葉を続けた。


「それに、あいす子とか、えんま子とか、まうごろうとか、名付けられても困っちゃうし」

「ま、待ってくれ。さすがに、女の子にまうごろうなんてつけないよ」

「ン? あれれ、そうだったっけ?」


 ようやく眩んだ目が慣れてきた。ボス子はどうやら首を傾げているようだ。白い光の中で影だけが見えた気がした。

 クロードは何度も目をしばたかせ、手の甲で目を拭って彼女の姿を視認しようとした。


「……なあっ!?」


 そうしてクロードに視力が戻った時、彼は驚きのあまり言葉を失った。

 雪が降っていることではない。大地が氷であったことでもない。

 息がふれあうほど近い場所で、金髪の女性と向き合っていたからだ。

 彼女の両瞳は、巫女由来の力を宿す青と、神器の影響を受けた赤に輝いて、虹彩異色症ヘテロクロミアのように見えた。

 けれど、衝撃的だったのはそこではない。幼かった少女は、息を呑むほどに美しく成長していた。それ以上に――。

 寒々しい世界だというのに、なぜか背中が大きく開かれ、胸元が強調されて、おまけにミニスカートという明後日の方向に改造された侍女服を着ていた。

 もう幼子でなく年頃になって色々成長しているから、白く抜けるような肌と生命力に満ちた肢体は、はっきり言って目の毒だ。


(世界の破滅を目撃したら、友達の娘がえっちいコスプレ服を着て迎えてくれました。……なんでだぁああっ)


「……ボス子ちゃん、そのヘンテコなメイド服は何なの?」

「ン? クロードおにいちゃんが喜ぶと思って。こういう服が好きじゃないの? ちょっと待ってね」


 ボス子は、足下になぜか置かれている銀色のアタッシュケースに手を伸ばした。


「こっちに執事服と、ネコ耳と尻尾と、和服も用意しているから……」


 しかし、彼女が中から取り出そうとした服は、どれもこれも扇情的というか、デザインがおかしかった。というか、そもそもチョイスが意図的だった。


「待ってくれ、ボス子ちゃん。部長とレアとソフィとアリスとセイに怒られるからやめてくれ。だいたい僕は、彼女たちが好きなのであって、服装だけ変な方向に真似られても困る!」

「……そ、そうなのっ?」

 

 クロードの返答は、ボス子にとって衝撃的だったらしい。

 彼女の青と赤に輝く瞳から光が消えて、生まれついての色だろう、落ち着いた青灰色に戻る。

 といっても、相変わらず様子がおかしい。ボス子は、頬を熟れた林檎のように赤く染めて、クロードが着た軍服の裾を指で掴み、上目遣いで囁くように告げた。


「……もうっ、クロードおにいちゃんは、えっちなんだね? それってありのままの〝わたし〟を見たい、つまり裸になって欲しいっていうことかな?」

「なんで、そうなるんだあ!」


 クロードは、両手で頭を抱えた。

 最近ようやくツッコミ役から解放されていたというのに、どうしてこうなってしまうのか。


(あんのスケベ部長め、イスカちゃんにいったいどんな教育をした!?)


 と、心の中で怒鳴って気がついた。

 さすがに、これはえん罪だ。ボス子は、イスカではない。

 あえていうなら、最初に距離感がおかしかった頃のセイに似ているのか。


(落ち着け。冷静になれ。僕は成長した。先輩達と同期に惑わされていた頃の僕とは違う。ちゃんとした服を着せるなんて容易いこと。鋳造魔術を使えば一瞬だ)


 クロードは、自信満々で魔術文字を綴ろうとして硬直した。


(あれ? 下手な服を着せたら地雷にならないか? よかれと思って僕が選ぶ服選ぶ服、全部レアとソフィに駄目出しされてないか。ひょっとして僕のファッションセンスって、かぶきすぎてるんじゃないか?)


 ここで野暮ったい服、非常識な服を作らなかったあたり、成長が見て取れた。

 ただし、二年経ってもファッション面での成長は、その程度だった。


「もう、そういうところが駄目なんだよ、クロードおにいちゃん。レアさん達だって服装のこととか、おにいちゃんとお話したいんだよ。お洒落の事もちゃんとしないと。忙しいは、理由にならないんだからね」

「……ごめんなさい。面目ないです」


 友人の娘? の忠告はまったくの正論だった。

 

「よろしい。じゃあ、着替えるね。鋳造――と」


 ボス子の服が雪のように輝く。次の瞬間には、白いチュニックに、桜色のカーディガン風セーター、藍色のロングボトムいう気取りのない格好に着替え終わっていた。


「……あのさ、ボス子ちゃん。ひょっとして、僕をからかってた?」

「ン。てへへ」


 悪戯舌をだした彼女の笑顔が、幼いイスカのものと重なって見えた。

 だから、クロードは胸が鋭利な刃物で切り裂かれるように痛んだ。


(たぶん、この子が第一位級契約神器を、鍵を手にして世界を変えた)


 クロードは周囲を見渡した。

 山もなく、海もなく、川もない。

 目に映る一面の世界は、ただただ広い氷と雪だけの世界だ。

 

(はじめてレーベンヒェルム領を目にした時、僕は赤い大地に怒りを覚えた。でも、この世界は悲しくて寂しい)


 ボス子からは、ファヴニルが宿している身を焼き尽くすような激情を感じない。

 怖いとか、神々しいというよりは、それこそ氷や雪のような美しさと儚さを感じてしまうのだ。

 それはそれとして、ソフィやアリスと同じくらい胸が大きいなどと思ってしまったのは、男のサガか。


「ボス子ちゃん、教えて欲しい。この世界は、どうしてああなった?」

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