第14話 人員増強
14
時はさかのぼり、復興暦一一○九年/共和国暦一○○三年 紅森の月(一〇月)三一日の夕刻。
エリック達は顔を突き合わせて相談し、かつての悪徳貴族『クローディアス・レーベンヒェルム』と、今その名前を名乗っているクロードがまったくの別人であるという結論を出した。
アンセルがトウモロコシ色の髪を右手で押さえ、そばかすの浮いた頬に冷や汗を浮かべて、状況を確認する。
「ソフィ姉さんがさらわれたのは涼風の月(九月)の二五日。翌日には、クローディアス・レーベンヒェルムはファヴニルを連れて遺跡の巡察に向かい、紅森の月(一〇月)二日に帰還した。入れ替わったとしたら、この間以外には有り得ない」
エリックが椅子にもたれかかり、天井を見つめた。事態は、もう彼の想像を越えていた。
「アンセルよお、どうする。マラヤディヴァ国主様に申し出てみるか?」
「エリック。証拠がないし、意味もない。襲撃の前にも説明したかもしれないけど、今、クローディアス・レーベンヒェルムが死んだら、共和国が何をするかわからない。下手をすれば、無理やり併呑されて、マラヤディヴァ国内で内乱という最悪の事態にさえなりかねない」
「最近はすっごいハードワークで領地運営やってるし、今の辺境伯様なら、まかせておいても大丈夫でしょ」
ヨアヒムの言葉に全員が頷いた。
「ね、アンセル。アタシ達が入れ替わりに気づいた事は、彼に伝えるべき?」
ブリギッタの質問に、アンセルは首を横に振った。
「言わないでおこう。彼がファヴニルとどういった関係なのかまだ不明だし、たまに呟いている独り言、”部長”とか”先輩”という単語が気にかかる。ひょっとしたら、どこか別の領の、諜報部や工作機関から派遣されてきたのかもしれない」
「そうそう、痴女先輩なら……とか、言ってるよね。聞いてると、まるで人間じゃないみたいな評価をしちゃってるけど」
ブリギッタ達の目から見ても、今、辺境伯を演じている少年は、相当のキレ者だった。その彼が手も足も出ず、時に恐怖し、時に憧れる先輩達とはいったいどのような人物達なのか、想像もつかなかった。
「なーる。つまり、
冗談めかしてヨアヒムが笑った瞬間、エリックが彼の頭をガツンと殴った。
「ヨアヒムよぉ。辺境伯……、じゃねえな、今の言葉は、いくらなんでもクロードに失礼だろうが」
「アイテテテテ。本気で言ったわけじゃねーよ。どうしたんだよ、エリック、お前、辺境伯、じゃない、もうクロードでいいか。クロード様のこと嫌ってたじゃないか」
ヨアヒムにたしなめられて、エリックはうつむいた。声も心なしか小さくなっている。
「ソフィ姉ちゃんに酷いことをした奴なら、当然だ! でも、よ。ソフィ姉ちゃんの言う通りなら、あいつは犯人じゃなくて。それどころか、俺に殺されかけて、でも、俺を殺すどころか、俺達をファヴニルから守ってくれたんだよな」
自分なら、あっさりと見捨てただろうとエリックは思う。そんな恩人にひたすら噛みつき続けてきたのだ。彼だって己の態度を振り返って反省もする。
「オレたち、襲撃犯だもんな。裁判で、
「ア、 アタシは押し倒されたし。エリックはもうちょっと怒ってもいいと思うよ」
「そうだった。あの野郎っ!」
ブリギッタの言葉でエリックは椅子から立ち上がろうとして、すぐに座り込んだ。
「……やっぱ、許した。クロードは、別にお前に色目使ったりしねーし」
「むしろ露骨に興味ないって感じだよな。ま、ブリギッタの色気じゃ、しょうがない」
「死ねッ。アタシだってちゃんと着飾ったら、ちょっとしたものだし」
「馬子にも衣装ってやつ? よせ。髪のセットどんだけ時間がかかるとっ、グワーッ」
「因果応報」
髪の毛をむしられているヨアヒムをあっさり見捨て、アンセルはため息をついた。
「ぼくたちは、どうするべきなんだろう? 正直、ぼくもまだクロード様を信じきれない。ひょっとしたらとんでもなく危険なことを、企んでいるかもしれないんだ」
ヨアヒムの悲鳴と、ブリギッタがモヒカンをむしる音だけが部屋に響いた。
沈黙、というには騒々しい室内で、言葉を発したのは今まで黙っていたソフィだった。
「えっと、わたしってクロードくんの人質なんだよね」
「そ、そういうことになってるけど……」
今後の交渉次第では、返してもらえるかも? とアンセルは続けようとして、言いだせなくなった。
「じゃあ、人質らしく、クロードくんの傍で見守ってるよ。大丈夫! わたしが命に代えても、皆へ危険なことはさせないから」
――
―――
こんなにも穏やかな眠りは、何時ぶりだろう?
復興暦一一○九年/共和国暦一○○三年 木枯の月(一一月)八日。
クロードは、布団の中で惰眠をむさぼっていた。右手のひらが温かい。鼓動の音が聞こえる。まるで母親に抱かれた赤子のように、ただただ安心できた。
(一週間ぶり、いや、もっと前だ。劇が終わって、片づけて、休日の昼に起きた時、あれはいったいいつ頃だったっけ?)
遠い日の残照に、心が震える。
起きなければならない。鳥の啼き声が聞こえる。早くしないとレアが起こしに来てしまう。最悪の場合、あの
「領主様」
耳元で声が聞こえた。
「起きてください」
まぶたを開くと、眼と鼻の先に、青い髪と赤い瞳が特徴的な美しい少女が、ほんの少し頬を桃色にそめた困ったような顔で、自分と手を繋ぎ、メイド服を着たまま同じベッドの上で横になっていた。
「あsdfghjkl」
クロードの眠気は吹き飛んだ。ついでに言葉とか正気とか、色々と無くしてはいけないものも吹き飛んだ気がした。自分と同じ顔の死体が転がっていた時だって、ここまでの衝撃は受けなかった。
「昨夜、カーン様の邸宅から、ブリギッタさまと戻られた後、ひどくうなされていたので、添い寝をしました」
クロードはパクパクと口を動かすものの、まるで声にならない。
「問題ありません。メイドですから」
(そんなメイドはいなぁあああいっっ!!)
もしも、いたら、それはキャバクラか、部長が大好きないかがわしいDVDの中だけだ。
クロードは衣服を確認した。ちゃんと寝巻を着ていた。これですっぽんぽんだったら言い訳も効かないだろうが、互いの着衣に大きな乱れもない以上、何も特別なことはなかったはずだ。
(そうだ。なにも問題はない。……昨夜、どうやって着替えたか覚えてないけど、問題なんてない!)
レアに促されるまま顔を洗い、歯を磨き、ついたての陰でシャツとズボンに着替えた。今日の起床はいつもより一時間遅い。日課の走り込みは、夕方に回した方がいいだろう。
そういえば、と、クロードは気付いた。レアがもし今まで、クロードに寄り添っていたのなら――。
「レア。今朝の、ちょ、朝食は?」
「領主様、本日の食事は」
レアが冷静に応えようとしたところで、ノックもなく寝室のドアが乱暴に開いて――。
「おっはよう、クロード様。レアちゃん、お食事できたよっ」
赤いおかっぱ髪の少女が、橙色の
彼女の胸は裸で見た時と同様、
(って、部長でもないのに、僕はどうして胸を凝視してるんだぁっ!?)
「ソフィさん。寝室に入る時はノックを忘れずに。それに、廊下を走るなんて、礼儀以前の問題です」
「あちゃ。ごめんね。はしゃいじゃって」
レアがソフィに厳しい視線を向けている。自分も冷たい怒気のようなものを感じるが、気のせいだとクロードは思いこむことにした、現実逃避? 知ったことか。それよりも、尋ねなければいけないことがある。
「ど、どうして執事服を着ているんだ?」
ちがうだろっ。他に聞くことがあるだろうっ? と、クロードは後悔したがもうあとの祭りだ。
「レアちゃんの服って、ちょっと動きにくいんだ。だから、こっちにしたよ」
黒い瞳をパチンと閉じてウィンクする。その姿がさまになっていて、クロードの胸は思わず高鳴った。
(男装先輩! 貴女の知らないところでアイデンティティが奪われてますよーっ!)
男装という数少ない萌えポイントがかぶってしまったら、あとはもう、メンタルブレイクしか残っていないじゃないか!
本人がその場にいたら、無礼討ちにされても文句は言えないツッコミを心の中で入れつつ、クロードは混乱している自分を自覚した。
なぜなら、クローディアス・レーベンヒェルムは、ソフィに対して返しきれない膨大な負債を背負っているのだから。
「レア、聞いていないぞ」
「申し訳ありません」
レアは、しゅんとうなだれている。クロードは、その様子を見て、おそらくソフィが横車を押したのだろうと想像した。
(どうやって断ればいい? どうやって償えばいい?)
クローディアス・レーベンヒェルムは、ソフィの人生を無茶苦茶にして、
奪われたソフィの片目も、どうにか再生し、見えるようになった。けれど、クローディアスの罪は消えない。少女たちの心に刻まれた傷は癒えず、焼き付けられた
少女たちは、いま、教会で子供たちに混じって文字を学び、農園や役所、市場の手伝いで日々の糧を得ている。彼女たちが奪われたものを取り返し、本当の幸せを掴むまで、いったいどれだけの時間がかかるのか、クロードには想像もつかなかった。
(僕は、どうやってこの子に)
目の前にいる、ソフィだってそうだ。
エリック達は気性のまっすぐな連中だが、それでも彼女を気遣うだろう。その気遣いが彼女を追い詰めるだろう。元の世界で、気のいい先輩たちの優しさが、逆に自分の無力さや無能さを、思い知らせてしまったように。
「僕は、いったいどうすれば、あなたに償えるのかわからない」
クロードは跪いて、土下座をした。殺されたって文句は言えない。なぜなら、今の自分は、クローディアス・レーベンヒェルムなのだから。
「え!? え、えええええっ」
ソフィはなぜか泡をくって、目を白黒させ、右手を口にあて、左手を振りながら、蟹のように変なステップを踏み始めた。
レアが、クロードを抱きしめるようにして強引に立たせた。彼女の赤い瞳が、焦燥に駆られたクロードの顔を映し出す。
「領主様。ソフィさんが困っています。領主たるもの、そのように頭を下げてはなりません。貴方は、その肩と背中にレーベンヒェルム領を負っていることを、ご理解ください」
「しかし!」
「そ、そうだよ。ほ、ほらごはん冷めちゃうって。ね、ね!」
朝食は、米のご飯。鶏肉と野菜、キノコに大量のスパイスを加えたスープ、
いつもながら、レアの作る食事は香りといい、絶品だ。と、クロードは思い出した。今朝は確かソフィが朝食を作ったのだっけ。
「ごめんね。クロード様。わたし、高級な料理って知らなくて……」
マラヤディヴァ国では、一般的な朝食メニューだったはずだ。
ソフィが申し訳なさそうに俯いたが、クロードにとっては充分だった。
「いや、いい。美味しそうだ。レア、ファヴニルは、昨夜も帰ってこなかったのか?」
「何かの準備が忙しいと、領辺境にあるペナガラン要塞に篭っているようです」
「軍隊もろくにないのに、あんな廃墟で何をやってるんだか」
最近姿を見せないファヴニルの動向に心を痛めつつ、はて、とクロードは気づいた。ソフィの分だけ、朝食が用意されていない。
「ソフィさん。自分の分を忘れてる。とってこようか」
「え!? ええっ!? わ、わたし、新入りで、使用人だよ。あとでいただくから……」
遠慮するソフィに、思わずクロードは大きな声をあげていた。
「ソフィさんっ。家族は、一緒にメシを食べるんだ」
「は、はいっ」
クロードに怒鳴られて、ソフィは台所へとすっとんでゆく。
慌てふためいた後ろ姿を見て、強く言いすぎたかと反省したが、決して間違ったことは言っていないと後悔はなかった。
それは、クロードと部長先輩が珍しく共有できた価値観のひとつだ。
会計先輩と男装先輩の家は、家族が、組合活動だか宗教集会だか選挙運動だか、わけのわからん活動に没頭して、みんなで揃って食事を取る日もほとんどないという。
(そんなのは、寂しいじゃないか)
今朝の朝食は、レアの絶品料理で肥えたクロードの舌には、若干物足りなく感じたものの、それでもたいへん美味しかった。
―――
――
(べ、別人なのは最初からわかってたけど、全然違うんだ)
クロードが食後の珈琲をブラックのまましかめ面しながら飲む様子を、ソフィは赤いおかっぱ髪の下、黒い両の瞳で見つめていた。
見たところ、年齢は自分よりひとつ下か、同年代。エリック達よりひとつ上か、やっぱり同年代だろう。
(あの子たちよりずっと、落ち着いてるんだ)
ソフィは、エリック達の反対を押し切ってレアに頼み込み、使用人として仕える許可を得た。彼女は並外れて有能で、屋敷の維持管理だけでなく、秘書役から特使役まであらゆるサポートを「メイドですから」の一言でこなしていた。
が、最近になると、肝心のクロードともどもオーバーワークの弊害が、主に体調面で如実に出ていた。人手が足りていないのだ。ならば、自分が、彼と彼女を支えればいい。
(くるくるして可愛い瞳)
ふと、視線が交わった。
困惑するクロードに、ソフィは柔らかくほほ笑んだ。
寝癖の取りきれていない髪、あっちこっち動く三白眼、肌色の悪い顔に、一文字に結ばれた唇。
(わたしを、たすけてくれたひと)
この顔だ。この顔に似た男が、ソフィの瞳を奪った。ある意味で、彼女を穢した。
でも、見ようによっては愛嬌があり、整ってもいるこの顔の少年こそ、ソフィの瞳を取り返してくれた。
真っ暗な闇の中で、毎日『必ず見えるようになる』と、彼女に声をかけ続けてくれた。
(だから、わたしは人質として、貴方が取り返してくれた瞳で、貴方を見守る)
ソフィは自分のカップに入った、たっぷりの紅茶に
食後のティータイムが終わり、クロードは外出の準備のために部屋に戻った。最近になって家族の元へ帰ることが許されたという、御者のボーお爺さんが出勤すると同時に、今日も彼の忙しい一日が始まる。
ソフィもまた、今日から新しい仕事を覚えなければならない。
と、レアが、今まで見たこともない剣呑な表情でソフィに近づいてきた。
「ソフィさん、領主様は美味しかったと仰いましたが……。今朝のスープ、香辛料の使い方が適当すぎます。今日から、私がみっちり鍛えます」
「は、はいっ」
レアの瞳には、なぜか焔がめらめらと揺らめいていて、ソフィは思わず後ずさった。
(な、なんでレアちゃん、こんなに燃えてるのぉ)
――先輩メイドによる新人教育は、たいへんスパルタでした。
☆
復興暦一一○九年/共和国暦一○○三年 晩樹の月(一二月)。
マラヤディヴァ国首都クランに入港する共和国の船に、ひと組の親子が乗っていた。
「わーい外国だ。外国だよっパパっ」
歳は八歳くらいだろうか?
父親の背におぶわれて、嬉しそうにはしゃぐ蜂蜜色の髪の女の子。
「イスカ。仕事が終わったら、色々見てまわろうなあっ」
歳は二〇代の前半から半ばほど。
クランの町並みを少しでも早く見たがった娘をおんぶして、穏やかな笑みを浮かべるがっしりした体格の青年。
二人がマラヤディヴァの大地に上陸すると、ローブを羽織った特徴のない顔の男が近づいてきた。
「マラヤディヴァへようこそ、偉大なる冒険者、ニーダル・ゲレーゲンハイト。マティアス・オクセンシュルナ議員の命により、貴方を迎えに参りました」
イスカとニーダル。
二人の来訪がもたらす運命の風は、マラヤディヴァの大地を渡り、レーベンヒェルム領の扉を大音量で叩くことになる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます