第160話(2-114)黒幕たちの年越し

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 復興暦一一一〇年/共和国暦一〇〇四年 晩樹の月(一二月)三一日。

 燃える炎のように赤い髪と、高く通った鼻筋が華やかな少女、レベッカ・エングホルムは、エングホルム領領都エンガを守る要、エングフレート城塞を訪ねた。

 彼女の悪逆令嬢ぶりに恐れを為したか、領民たちだけでなく緋色革命軍の兵士たちさえも、畏敬と恐怖の表情を隠すことなく出迎えた。


「ふん、つまらないこと」


 レベッカは兵士たちの前で簡単な挨拶を終えると、そのままエングフレート城塞付近に建てられた、今は亡きドクター・ビーストの研究所を訪ねた。

 約二○万m2の敷地には、かつては研究施設だけでなく、工場や牢獄、植物園などをはじめ多数の建築物がところせましと並んでいたのだが、彼女が見る限りその大半が壊されて屍のような残骸をさらしていた。

 レベッカは、ヒールを折らんばかりの速度でめくれあがった石畳を歩くと、唯一外見が無事だったドクター・ビーストの私邸へと足を向けた。


「ゴルト・トイフェル! いったい何がありましたのっ?」


 研究報告書や資料で埋め尽くされていたはずの邸内もガランドウで、キッチンに設置されたバーカウンターとテーブルセットだけが唯一残されていた。

 レベッカを呼び出した男――。ぼうぼうに伸びた芥子色の髪と牛のような雄大な体躯が特徴的な異相の青年、ゴルト・トイフェルは椅子に座ってグラスに入った酒をちびりちびりと流し込みながら日焼けした手を振った。


「先日、ドクター・ビーストの家族を名乗るショーコという娘がやってきてな。おいが連絡を受けて飛びこんだ時には、このざまじゃった。娘の名前は獣のおやじどのから聞いておったし、間違いはないだろう。他の遺産はすべて引き渡すが、形見の酒だけはおいていけと死守したわけだ。じきに年も明ける。アンタも一杯やらんか?」


 ゴルトの報告に、レベッカは動揺を隠せず顔色を失った。


「なんてこと、貴重な資料なのよ。今は無理でも、いずれはワタシたちの手で量産できたかもしれない。それをみすみす奪われるなんて……」

「レベッカ、祭りは終わる。早ければ来年にも、な。アンタはいつまで遊ぶつもりだ。後のことははもう関係あるまい?」

「そうね。仮にあの悪徳貴族の手に渡っても、実用化するには時間が足りない。焦る必要はなかったわね」


 レベッカはゴルトの向かいからわずかに離れた椅子に座ると、艶めいた唇を舌先でちろりと舐めあげて片目をつむった。


「でも、お酒に誘われるなんて意外でしたわ。ゴルト、貴方、ワタシを抱きたかったのね?」


 ウインクしたレベッカに、ゴルトは無言で新しいグラスに蒸留酒を注いで手渡した。


「レベッカよ。倫理的、霊的に生まれ変わってくれたなら、万分の一の確率でおいとしてもアンタとの付きあいを考えても……」

「今はどれだけ眼中に入ってないのよ?」

「酒も入っていないのに酔っ払った台詞を抜かすからだ」


 レベッカは、ゴルトの失礼千万な言動に顔をひきつらせつつも、酒の入ったグラスを受け取った。


「ゴルト、もうひとつグラスを用意してくれる? 実は、この場に特別なゲストを呼んでいます」

「ほう。誰ぞ?」


 その時、玄関の呼び鈴が鳴って、ゆっくりと扉が開かれた。

 ゴルトは、反射的に己が契約神器たる大斧を掴み、まるで砲弾のように来訪者へと向かって突っ込んだ。

 彼の顔から酔いが失せ、野の獣なら散り散りに逃げ出すほどの濃密な殺気が、玄関ドアのわずかな隙間から漏れていた。

 瞬時に浮かべた迎撃手段は都合一〇。しかし、その全てが一方的な返り討ちに終わると予測して、ゴルトは玄関入り口で足を止めてしまう。


「ゴルト・トイフェル。そんなに怯える必要はないよ。何も取って食おうって気はないんだ。レベッカやクローディアスとは一緒に食事したこともあるんだよ」


 金銀の糸で織られたシャツを着た、見かけだけは華奢な少年は、緋色の瞳を輝かせて口元を歪めニイと笑った。


「おいは、やっこさんたちより繊細なんじゃ。ようこそオッテル……。いやさ、邪竜ファヴニル。ともあれ歓迎しよう」


 ゴルトは塩をあてに酒を飲んでいたのだが、さすがに客人を招いてそれだけというわけにもいかず、非常食の乾パンや干し肉、干し果物、チーズの塊を取り出してドンと皿にのせた。


「さあ、飲むか」

「……飲むか、じゃありませんわよ。もっとこう風情とかムードとか、欠けているものがありません?」

「馬鹿か。酒がある。食い物がある。それ以上にいったい何が必要じゃ?」

「色んなものが必要ですわよっ。ファヴニル様、しばしお待ちください。すぐに支度しますから」


 レベッカはファヴニルにことわると、自らキッチンに立ってなにやら調理をはじめ、わずかな時間の後には、串に刺した干し肉のチーズ焼きとドライフルーツをのせた乾パンのカナッペがテーブルの上に用意されていた。


「ほらこのとおり。火を通して盛りつけ方を工夫するだけでも、雰囲気が変わるでしょう?」

「ば、馬鹿な、あのレベッカが料理などと。そうか、これで毒殺……」

「ひとをなんだと思ってますの!?」

「美味しいよ、レベッカ。さすが、ボクの巫女を自称するだけのことはある」


 ゴルトが恐る恐る口に入れた食事は、元は粗末な素材ながら、計算しつくされた火の通り包丁捌きによって見事な逸品となっていた。


「レベッカ。考えてみれば、おいはアンタのことをろくに知らなかった。アンタもそうじゃろう? いずれ互いに敵となるのを承知で、遊び仲間としてつるんだ。だが、クローディアス・レーベンヒェルムは強敵ぞ。情報交換をしよう。もはやバラバラに当たってどうにかなる相手とは思えん。それとも、今回の”偽姫将軍の乱”――すべてはお前の目論見通りだったのか?」

「答えは否よ。ワタシはクローディアス・レーベンヒェルムが勝ち得た戦果が、セイという類い稀なる戦術指揮官と、レ式魔銃という新兵器によるものだと誤認していた。本当はもっと大きなもの、いわばレーベンヒェルム領そのものが彼の切り札だった。最低でも半年と見込んだ内戦を、わずか七日で鎮圧したのです。たとえ緋色革命軍マラヤ・エカルラートといえど、攻め入れば無傷ではすまないわ。ええ、この時だけは手を組みましょう。ゴルト・トイフェル」


 柳眉をつりあげて語るレベッカに、ゴルトは杯を仰ぎつつ賛同した。ファヴニルは、朗らかな笑顔で酒を次々と干している。特に口を挟むつもりはないようだ。


「……同感だ。では、おいの方から明かそう。ルクレ領、ソーン領旧政権の残党から、クローディアス・レーベンヒェルムを暗殺したいから協力して欲しい、という申し出があった。乾坤一擲けんこんいってきというのもおこがましい、無茶な特攻作戦だったが、アンドルー・チョーカーのやつがいたく乗り気でな。マラヤ半島を統一するまでの時間稼ぎと、レーベンヒェルム領と、ルクレ領、ソーン領との間に溝を作る布石として、作戦を許可した」


 レベッカは白い指をグラスに沿わせてつまむと、意外そうにゴルトへ尋ねた。


「今、二領を支配している楽園使徒アパスルとは協力しなかったのかしら?」

「おいたちが盟を結んだのは、二領の政権ぞ。組むのは筋違いだろう。そもそも、楽園使徒は西部連邦人民共和国政府、パラディース教団の傀儡団体。まるで信用できん」


 ゴルト・トイフェルは、非情な策こそ用いるものの基本的には武侠肌の軍人だ。ゆえに、虎の威を借る狐のような振る舞いで権力の座に就いた楽園使徒に心を許さず、警戒していた。


「ワタシも貴方と同じように、マラヤ半島を統一するまでの時間を稼ぎ、辺境伯と二領の間に楔を穿とうと試みたわ。でもアプローチは逆ね。楽園使徒を誘導して”偽姫将軍の乱”を仕立て上げたの。欲深い相手は都合がいいわ。笛を吹くだけで踊ってくれる」

「ふん」


 ゴルトは、喉の奥に苦みを感じた。なるほど楽園使徒は、隣人の良心や常識の空隙につけこんで扇動する手腕に長けた団体には違いない。だが、失敗したといえ内乱という業火にまで拡大させたのは、間違いなくレベッカの指導と計略によるものだと彼は確信した。


「密偵からマクシミリアン・ローグが死んだと連絡があった。表向きは処刑だが、捕縛時には致命傷を負っていて、安楽死に近いものだったらしい」

「残念ね。マクシミリアンのことは好きだった。だって、彼は悪党だったから。でも、無駄死にではないわ。おかげでワタシたちは三つの勝機を得られた」

「三つの勝機じゃと?」


 首を傾げるゴルトの前で、レベッカは妖艶ようえんに微笑んだ。


「ひとつは、マクシミリアンの死によって、緋色革命軍はユーツ領の兵権を奪うことができるわ。彼は大局の見えない男だったし、何より軽々しく裏切る男なんて味方にいると困るでしょう?」

「よくも言う。しかし、采配を取っていたあいつが死んだ以上、旧ユーツ領軍は嫌でも緋色革命軍に組み込まれるだろう」


 レベッカは、まるで血のように赤い葡萄酒をあおって唇を濡らした。


「もうひとつ。クローディアス・レーベンヒェルムは、どうやら親しい者を絶対に切り捨てられない。少なくとも、レア、アリス、セイ、そしてソフィ姉様の四人は、彼にとって最大の弱点になる」

「勝敗を分けるまさにその瞬間、ボクの仕込んだ毒がクローディアスの心臓を食い破るってわけさ」


 大人しく酒を飲んでいたファヴニルは、茶目っけたっぷりに嗤うと、カナッペを左手の指先で宙に飛ばすや、右手ですぐさま串刺しにした。


「……そう上手く進むと良いがね。レベッカよ、最後の勝機とは何だ?」

「ええ、マクシミリアンが死んだ以上、クローディアス・レーベンヒェルムは事実を知る。だから二領の旧家臣団だけでなく、楽園使徒とも戦わざるを得なくなる。時間稼ぎと決裂工作はこれで完了。すべてが目論見通りとはいかなかったけど、大枠では戦略目標を達成できたわ」


 酒に上気したレベッカに思わず苦言をこぼしたのは、ゴルトもまた酔っていたからかもしれない。


「レベッカよ。アンタはたいした女だ、だが人を道具として使い捨てるなら、必ず報いとなって帰ってくる。たとえ悪を自認していたとしても、ゆめそれを忘れるなよ……」

「あら、不思議なことを言うわね。貴方も、なついていた女の子と、アンドルー・チョーカーを捨てたじゃない。ワタシと同じ立派な悪人よ」

「ミズキは西部連邦人民共和国の工作員じゃ。それにチョーカーのやつは、――味方にするより敵にした方が面白い」

「へえ」


 こうして、ゴルトとレベッカの、この年最後の日は暮れていった。

 同席したファヴニルはその後は口を挟むことなく酒と食事を満喫し、ドクター・ビーストの私邸を出た後、楽しそうにステップを踏みながら歩き出した。

 ふと気が向いたのか、踊るようにして後方のレベッカを振り向いた。


「ねえ、レベッカ。封印破壊のことはゴルトに言わなくて良かったのかい? さっき彼に告げたことは、あくまで工作員を送りだすための建前だろう?」

「それこそ、無粋でしょう。ファヴニル様。緋色革命軍は、ワタシたちの夢、共に楽しむお祭りです。ならば、他のことを持ち込む必要はない」

「ハハッ。これだから、人間は……面白い。レベッカ、お前は偽りでも確かにボクの巫女だよ」

「光栄ですわ」


 時の流れは止まらない。多くのひとの意志と生命を飲みこんで……。

 復興暦一一一一年/共和国暦一〇〇五年 芽吹の月(一月)一日の朝がやってくる。

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