第176話(2-129)悪徳貴族と侍女の逡巡

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 ルクレ領とソーン領は、緋色革命軍と手を切るべきだ。

 予想もしなかったチョーカーの言葉に、部屋にいる全員の視線が彼に集まった。


「アマンダ殿。今日、懲罰天使アンゲルなどと抜かす暴漢がうろついていたが、領の状況は小生が発った頃から悪化しているな」

「そうさね。レーベンヒェルム領で内乱が起こった頃から、楽園使徒の弾圧がいっそう激しくなったよ。領警察は解体されて、職員たちは大半が牢屋に入れられた。代わりに組織されたのが、連中が気に入らない行動をとれば即時逮捕、拘禁する特権を与えられた思想警察”懲罰天使アンゲル”さ」


 楽園使徒が目指す社会システムは、民族による明確な上下関係を定めた厳密な階級制度らしい。

 下位の民族は上位の民族に絶対服従し、無条件に奉仕するべし。それでこそ理想の共栄社会が築かれるというのが彼らの主張だった。

 楽園使徒の構成員たちの故国である西部連邦人民共和国が、ネメオルヒスやトラジスタンといった失われた国々の民人に強いるように、暴力にる支配と恐怖による秩序をうちたてようとしていた。


「その結果が今の有様さ。少しでも不満を漏らせば即逮捕、ひとが集まっても逮捕、楽園使徒の勘にさわった人間は徹底的に踏みにじられる。楽園使徒の連中が遊び呆けるために、マラヤディヴァ人は酷使されて搾取される。こんな社会のどこが共栄なんだろうね……」

「アマンダ殿。それが連中の望む共栄だ。そして酷なことを言うが、緋色革命軍も楽園使徒と同じ穴のむじなだ。いいや、知っての通りもっと凄惨せいさん悪辣あくらつだ」


 チョーカーの指摘に、アマンダとロビンは顔を伏せた。


「どちらも力によって民草を支配し、彼らが掲げるものとまったく同じ思想と価値観しか許さない。頂点に立つ独裁者かヒステリーじみた集団の方向性が、白といえばどんな悪事も肯定され、疑問を抱く者はどのような善人であっても邪悪として迫害される。そして、支配する側はその横暴な権力に酔いしれて、ますます先鋭化してゆくのだ」


 アンドルー・チョーカーはかつての自身を恥じるかのように、両の拳を固く握りしめた。


「後世の歴史家がどのように評するかは知らん。手段は誤ったが目指したものは正しかったとでも弁護するやも知れない。だがイデオロギーに溺れ、酔いから覚めた小生だからこそわかる。今を生きる我々に、あんなものが正しいはずがないのだ」

「チョーカー隊長……」


 アマンダはチョーカーの説得を受け入れ、彼女が率いるレジスタンスは全面的に協力するとクロードに約束した。


「ひとつだけ教えてくれないか? 親父は、アーロン・ヴェンナシュはまだ生きているかい?」


 ドーネ河会戦で気を吐いた将軍は、やはりアマンダの縁者だったらしい。


「ええ、今も若者たちをしごいています」

「そうか。親父らしいや」


 アマンダはこれから幹部たちを秘密裏に尋ねて説得するのだという。チョーカー、ミズキは同行を申し出て、クロードたちには酒場の二階、冒険者向けの客室が用意された。

 なお、最初は四人部屋だったのだが、アリスとレアの要望で二人部屋に変更された。


「こうやってベッドをくっつければ大丈夫たぬ」

「はい。何も問題はありません」

「じ、じゃあ、僕はソファで寝ようかな……」


 クロードがそう言って取りつくろうとしたものの、酒屋の主人は察したかのようにごゆっくりお休みくださいと言って降りてしまった。


「あうあうあう」

「クロードも早く覚悟を決めるたぬ。でもぉ、夜まで時間があるから、たぬはミーナちゃんと探険たぬ」


 そう言って、アリスはぬいぐるみ姿のまま部屋から飛び出していった。

 クロードとレアは、荷物を整理してひとつに繋げたベッドの脇に腰を降ろした。

 レアの小さな手が、クロードの掌に重なる。


「アリスさんは元気いっぱいですね」

「長旅の疲れもまるで感じさせない。見習いたいよ」

「ええ、それに勇敢です」

「レア?」


 クロードが振り向くと、レアの赤い瞳が触れ合うほどに近づいていた。


「縁をむすぶということは、世界を広げるということです。世界が広がれば広がるほど、傷つけることや、傷つけられることが増えてゆく」


 クロードとレア。お互いの息が重なる。まるで息吹を吸いあうように、唇が近づいて行く。


「同じ思想と価値観である必要なんてありません。心が、体が噛み合えばいい。私は、小さな世界がいい。閉ざされた館で愛するひととふたりぼっちで暮らしたい。それこそが本当の平穏ではありませんか?」


 ふと、クロードは北欧神話の一節を思い出した。

 竜殺しのシグルズと、戦乙女ブリュンヒルデは、炎に守られた館で愛し合い睦みあった。

 もしも、シグルズが館から出なければ、故郷を目指さなければ二人はずっと幸せにいられたのだろうか?


「僕もそう思うよ。でも、それは叶わないことだ」


 ――否だ、とクロードは断じた。


「どんな楽園もいずれは崩れてしまう。外側からの圧力か、内側からのきしみかはわからない。でも、時間は無慈悲に、情け深く進んで、変化は絶対に訪れる」


 シグルズが旅立ったように。

 男装先輩の母親が、演劇部を揺るがせたように。

 そして、ファヴニルは今も歴然とこのマラヤディヴァ国にいて、策謀を張り巡らせている。


「だからもしも楽園を守りたいのなら、強くならなくちゃいけない。世界を知らなくちゃいけない。異なる価値観や文化と向き合って本当に共存共栄を目指すのなら、たとえどんな強大な相手にそこをどけと言われても、自らの信念を貫いて、どくのはお前だと言い返さなきゃいけない時がある」


 接吻せっぷんはしなかった。クロードはただレアの華奢きゃしゃな身体を抱きしめた。


「一緒に行こう。レア。僕は君を信じている」

「はい。領主さま……」


 侍女の赤い瞳からひとしずくの涙がこぼれおちた。

 その意味をクロードは、あるいはレア自身さえもわかっていなかった。

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