第153話(2-107)悪徳貴族と鶴の一声

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 復興暦一一一〇年/共和国暦一〇〇四年 晩樹の月(一二月)一九日午前。

 クロードは反乱鎮圧のため、レーベンヒェルム領の首脳陣を集めた参謀本部大会議室を訪れた。

 が、彼の顔はパンパンに腫れあがって、足はガクガク、身体は余すところなく赤タン青タンだらけと酷い有様だった。


「へ、辺境伯様。襲撃を受けたのですか!?」


 騒然とする一同に向けて、クロードは片手を挙げて制止した。


「大事ない。ちょっとソフィやセイと喧嘩しただけだ」


 会議室は水を打ったようにしゅんと静まり返り、直後、列席者は烈火の如き勢いで縄やら紐やら袋やらを手にクロードへ襲いかかった。


「偽物かも知れない。チェックしろ」

「もやしの辺境伯様がソフィ姉やセイ司令と争って無事なわけがない」

「こいつ、神妙にしろ」

「お前たちは僕をどう思ってるんだ!?」


 幸い誤解はほどなくして解け、クロードは備品の薬で手当てを受けて、キジーによって治癒魔法を施された。


「まったくちょっとの時間に何があったんです。まるで高速で殴られて、重いものに押しつぶされたみたいな傷じゃあないですか?」

「男の意地かな……」


 クロードがキジーの手で渦を巻く癒やしの風を受けながら、益体やくたいもないことを話していると、「遅れました」とレア、ソフィ、アリス、セイの四人が会議室の扉を開いて姿を現した。レアとソフィの治癒魔術が巧みだったのか、それとも化粧の技か、わずかに目が充血しているものの、全員が普段と変わりのない様子だった。


「まったくちょっとの時間に何があったんです。まるで優しく撫でられて、軽いものに甘えられたみたいな傷じゃあないですか?」

「キジー。お前、長生きするよ……」

「光栄です」


 クロードは、しれっと澄まし顔で流したキジーに心の中であっかんべをして、議長席に上がった。

 先ほど部屋に入ったレア、ソフィ、アリス、セイに加え、役所からはエリック、ブリギッタ、ハサネが、領軍からはキジーとロロンが、そして避難民のまとめ役を担うローズマリーと、密命を受けて作戦行動中のアンセルとヨアヒムが参席していた。

 負傷したイヌヴェとサムエルは欠席、代わりに新しく出っ歯の目立つ痩せぎすの男イェスタと、はげ頭の巨漢ヴィゴが所在なさそうに議場の隅に座っていた。


「紹介しよう。特別警備隊長代行のイェスタと、公安情報部長代行のヴィゴだ。まず現状を二人に説明してもらう」

「へえ、エリックとハサネさんが推薦したっていう?」

「二人ともあのベナクレー丘撤退戦を生き残ったそうだ。威風が違うぜ」

「ぼくやローズマリー様もなんですが……。まあ頼れるひとたちですよ」

「あ、あれ、誰か忘れてやしませんかねえ?」


 イェスタとヴィゴは参加者の反応に一喜一憂し、極度に緊張していたのが誰の眼から見ても明らかだったものの、大過なく報告をやり遂げた。概略こそ、ハサネとキジーが領主館で説明したものと大差なかったが、より細かい報告と戦況予測が補足されていた。


「以上で報告を終わりやす。領警察は領軍や公安情報部と協同して、治安維持に努めやす」

「公安情報部からも以上だ。ハサネ副部長はリーダー……辺境伯様の特命で行動される。非才の身だが、俺も全力を尽くす。押忍おす!」


 役所と領軍がまとめた二人の報告を聞いて、会議室には沈鬱ちんうつな空気が広がった。

 反旗を翻した領軍は現在の段階で領軍の一割以上、今後は領政に不満を持つ勢力が合流することで三割以上に膨れ上がり、鎮圧には最悪半年以上の時間と領年間予算の半分が必要となる見通しだった。

 無論、緋色革命軍マラヤ・エカルラートも黙ってはいるまい。この状況に至っては、たとえ大幅な譲歩を強いられたとしても、年明けの和平会議でルクレ領、ソーン領を支配する楽園使徒アパスルと同盟を結ばざるを得ないという空気が議場を満たしつつあった。

 クロードは、息苦しいほどに淀んだ沈黙の中で、再び会議室の壇上に上がる。


「イェスタ、ヴィゴ。ありがとう。報告にあったとおり、レーベンヒェルム領を取り巻く情勢は火急の危機にある。しかし、断言しよう。反乱軍なんて、――恐れるに足りない」

「なんですって!?」


 俯いていた列席者たちが顔をあげる。困惑と期待が混じり合った視線が集中する。クロードは懐かしい記憶を思い出した。演劇だ。今まさにスポットライトを浴びている。肩に負った重圧が、まとわりつくような恐怖が、一瞬だけ消えた。あとは彼の独壇場どくだんじょうだった。


「おかしいと思わないか。皆は、セイが反乱したと聞いて何を思った? きっとイヌヴェが忠誠心から暴走したか、サムエルが親心のあまり斜め上に跳躍したか、キジーが思い詰めて断崖に飛んだか、そんな風に想像したんじゃないか?」


 キジーは不服そうに『リーダーこそぼくたちをどう思ってるんですか』と呻いたが、参加者の大半は首を縦に振って頷いていた。


「実際には三人とも反乱軍に襲われている。それどころか、領主館に連絡が入った時、セイは僕と同じテーブルでお茶を飲んでいたくらいだ。セイを御旗に立ててクーデターを起こすなら、彼女を掌中に納める必要があった。仮に偽物を立てたとしても、真似できるやつなんていないからな」


 セイが姫将様と領民たちから愛され敬われる理由は、オーニータウン、ボルガ湾、ドーネ河と大勝利を重ねたから、だけではない。

 なるほど疾風怒濤しっぷうどとうの采配と精緻な戦術で、圧倒的優勢を誇る敵軍を壊滅させた軍功が、彼女の勇名を裏打ちしているのは確かだろう。――しかしそれ以上に、いかなる窮地にあっても、平穏と秩序を守らんと陣頭に立って鼓舞し続けたセイの立ち居振る舞いこそが、共に戦う戦友と活躍を見守る領民たちの胸を打ったのだ。

 クロードは思う。魔術でセイの容姿を模倣することは出来るだろう。あるいは、世界には彼女に匹敵する軍略家だっているだろう。だが、死地においてなお、正しさを貫く意志の強さをどれだけの人が持っていることだろうか?


「おそらくこの反乱劇は、本来、予定されていたタイミングとは違った形で実行されている」


 たとえば来年、第三国で行われる楽園使徒との交渉中に、反乱の火の手が上がったらどうなっただろう? クロードを含む重鎮の大半と、レーベンヒェルム領の連絡が途絶したまま内戦となり、被害は想像もつかない規模となっていたに違いない。


「僕は先日、ハサネ副部長に偽装避難民の再調査を命じた。まだ確たる証拠は出ていないが、何者かがレーベンヒェルム領を転覆させようとうごめいていたことは、今回の反乱を見ても明らかだ。しかし、きっと黒幕か、実行犯のどちらかが準備不足のまま決行せざるを得なかったらしい。ならば、逆にチャンスだ。ここで内憂を根こそぎ粉砕して、緋色革命軍との決戦に備える」


 クロードは会議室に座った仲間たちの目を見た。大丈夫だと信じられた。もはや彼も彼女も誰もかも、瞳は曇ることなく輝いている。


「建設中のグロン城塞は放棄する。反乱軍に墓標としてくれてやれ。ロロン提督は水軍を駆使して、東部の民間人を救出、疎開させてくれ。セイとアリスは西部の反乱軍の説得に向かって欲しい。東部とは違って連携が取れていないようだ。騙されているだけなら、同士討ちは避けたい。キジーには後で特命を与える。今回の作戦の肝だ。イヌヴェとサムエルの仇討ちだ。気張ってくれよ」


 クロードの指示を受けて、ロロン、セイ、アリス、キジーは即座に敬礼した。


「ブリギッタはパウルさんと協力して、反乱に協力する村や町への流通を一時停止してくれ。食糧供給は改善されたと言っても、新式農園が担う部分が大きい。兵糧不足に苦しんだソーン領軍の件もあるから、実際の効果はなくても士気を圧迫することができるだろう。イェスタとエリックは治安維持を頼む。そして、拘束した反乱軍の参加者と逮捕した無許可デモの容疑者は、”すべて実名をリスト化して公表しろ”」


 レーベンヒェルム領の領民によるデモは、ちゃんと事前に役所へ届け出たものだ。いわゆる政治的な街宣というよりも、ファンクラブや地域住民による領主批判を山車だしにしたお祭りという側面が大きい。

 が、いま領都で暴れているデモ隊は、届け出もなければ略奪すら行う犯罪集団だった。彼らを逮捕して名前を公表するということは、無許可デモ隊の構成員がレーベンヒェルム領民ではないと顕示するに等しい。

 案の定、共和国企業連との折衝せっしょうを担当するブリギッタはふてくされ、イェスタとエリックは許可を待っていましたとばかりに立ちあがって、ハイタッチを決めた。


「ヴィゴとハサネは避難民の洗い直しを続けてくれ。ローズマリーさんは捜査の協力をお願いします」

「了解しました」

「ええ、工作員を見つけ出せなかったのは、私たちの落ち度でもあるわ。全面的に協力します。辺境伯様。どうか避難民の受け入れを続けてください」

「もちろんです。同じマラヤディヴァの国民です。手間と不便をお掛けしますが御理解下さい」


 ヴィゴとハサネは敬礼し、ローズマリー・ユーツもまた席を立って一礼した。


「アンセルとヨアヒムは、特命を維持してくれ。場合によっては、”反乱鎮圧後の本命になる”から急いでくれ」

「リーダー、オレたちブラック続行っすか!?」

「経過は順調です。ちゃんと仕上げますよ。ふふふ」


 アンセルとヨアヒムの二人も瞳が輝いていたものの、彼らの目の光は真っ黒だった気がしたが、クロードは気にしないことにした。


「僕はソフィと二人で、反乱軍の協力者に切り崩しを行う。地下に隠れているならともかく、せっかく表に出てきてくれたんだ。正体を掴むまで数日もかからないさ。レアは、その間の領主代行を頼む」

「り、領主さま!?」


 瞬間。会議室がどよめいた。

 クロードは、これまで一度として領主代行を誰かに頼む、ということはなかったからだ。


「……あっ、そっか」

「クロード。この前のミズキちゃんの言いがかり、気にしてたぬ?」

「アリス殿、しっ」


 命令に隠されたクロードの意図をくみ取ったのは、ソフィ、アリス、セイの三人だけだっただろう。

 クロード自身と、アンセル、ソフィが別の任務に専念せざるを得ない以上、限定的であっても領主の役割を担当できそうな人物がレアの他にいないのも確かだった。


「……全力を尽くします」


 レアはしばらくの間沈黙を守ったものの、ついには首肯しゅこうした。


「最後にセイ、一言頼む」


 クロードに促されて、セイは壇上に上がった。


「此のたびは私の不徳から、乱を招いてしまった。すまない」

「なにを言ってるんですか。司令だけのせいじゃない。オレたち皆の責任です」

「公安情報部長代行として、恥ずかしいばかりです。押忍」


 皆の気遣う声が温かかった。

 セイは実感した。否、本当はずっと以前からわかっていたのだ。

 クロードだけではなく、ソフィも、アリスも、レアも、この場に集まった戦友たちは、姫将軍としてだけではなく、セイという女の子を必要としていることに。


「私はこれからも、棟梁殿と、皆と共にいたい。どうか力を貸してくれ」

「任せてください!」


 鬨の声があがる、クロードは歓声が止むと、わざとらしく咳払いして言葉を付け加えた。


「これは独り言だが、もしも普段通りのデモ隊の参加者がいるならば、今のセイの言葉を伝えてほしい」


 レーベンヒェルム領のデモは、政治集団やイデオロギーによって動員されたものではなく、自発的に集まった者たちの祭りの場だった。ゆえに、これはある種の禁じ手とも言えるかもしれない。しかし、クロードは感じていた。この事実は――動員された偽りのデモ隊の工作など及びもつかない速度で広まるだろうと。

 なぜなら、レーベンヒェルム領のデモという祭りには、確かな愛があったからだ。


「じゃあ、新年を祝うため、寝正月をのんびり過ごすため、ふざけた陰謀は一○日で叩き潰す。勝ちにいくぞ!」

「「おう!!」」


 かくしてクロードの呼びかけを契機に、反乱の首謀者たちがまったく意図しない形で、『偽姫将軍の乱』は一大転機を迎えることになる。

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