第232話(3-17)悪徳貴族と悪夢

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 クロードは、夢を見た。

 いつかどこかで見た夢の続きだと、彼はゆっくりと理解した。

 普段の自分よりも背の低い少年が、全長五mはあるだろう赤い鱗と翼持つ火竜と戦っていた。


(って、あれはさっきまで戦ってた火竜じゃないか!?)


 異なっているのは、戦場が狭く息苦しい古代遺跡ではなく、青空の下の湿原だということだ。

 大空を自由に舞うドラゴンに対し、少年はグリタヘイズの湖を背に一方的な防戦を余儀なくされていた。

 弓を携えた少年の仲間たちは善戦空しくひとりまたひとりと火竜の手にかかり、少年が迎撃に放つ攻撃魔法はすべて無力化されてしまう。


(ああ、そうか。あの火竜は魔術師にとって天敵なんだ。火も水も風も効かず、大地系の拘束魔法が多少通じる程度。しかも、ダンジョンじゃなくて外だから、有効な物理攻撃も当てられない)


 ゆえに、クロードたちが相対した時と危険度も比較にならなかった。

 加えて消耗しているのか、少年の一挙一動は明らかに精彩を欠いている。

 泥だらけになりながら湿原を逃げまどい、森を抜けて川原へと転がり出た。

 火竜は、獲物を見晴らしの良い狩り場へと追いこんだとばかりに咆哮ほうこうをあげた。前肢の爪を鳴らしながら急降下し、少年の華奢きゃしゃな肉体を掴み取ろうとする。


「ふっ」


 ――少年がわらう。

 視点を共有しているからこそ、クロードにはわかる。

 少年は逃げて逃げて、それでもまだ勝負を諦めてはいない。

 彼の白く細い指が綴るは魔術文字。円状に隠されていた一二本の射出具が、川原の砂利と石を吹き飛ばして起動した。

 三六〇度全方囲から剣や槍が撃ちだされ、川辺に舞い降りた火竜へ突き刺さった。

 痛みか衝撃か、ドラゴンの動きがわずか一瞬止まる。

 少年はその好機を逃さず火竜へと飛びかかり、空間断絶の爪で引き裂いた。

 ドラゴンの胸部を深々と断ち切って、コアに当たるのだろう心臓の半分を抉り取った。

 しかし、火竜は死なない。未来において、クロードが喉首に刀をぶっ刺しても死ななかった生命力は健在だ。

 ドラゴンは上半身を寸断されながらも翼をはためかせ、少年を振りほどいて逃げ出した。

 少年は亡くなった仲間たちの遺体を背負って、グリタヘイズの村へと帰って行った。


「ふざけるな。偉大なる我々をこんな危ない目に遭わせるなんて。何が神様だよ、この役立たずめ!」

「まあまあ、蛮族どもの数が減って良かったではないですか。神様サマサマですよ」

「なんて汚い蛮族に似合いの神様かしら。早く穴倉へ戻ればいいのに」


 村にたどり着いた少年を迎えたものは、ねぎらいの言葉ではなく罵倒だった。

 グリタヘイズの湖に近い村は、いつの間にか町に、否、都市へと変貌を遂げていた。

 だが、変わったものは町並みばかりではない。

 住人がそっくり別の集団に入れ代わっていたのだ。

 元の村民たちはスラムのようなゴミ捨て場へと追いやられ、どこから来たのかも知れない他所者たちが着飾った身なりで高笑いをあげる。


「兄さま、こちらへ」


 少年は人ごみから飛び出してきた妹に庇われて、よろよろと住み処を目指す。

 クロードには状況はよくわからない。ただ周囲の反応から、おおよその事態を把握した。


(まさか、こいつらに軒を貸して母屋を取られたのか!?)


 妖精のように美しい紅顔の少年は、緋色の瞳に憎悪と哀愁をたぎらせてクロードに告げた。


『組織は大きくなればなるほどに、方向性が揺らぐ。善意が、悪意が、どっちつかずの個々人の思惑が、統率者の意図を外れて暴走する』


 気真面目で淑やかな侍女は、赤い瞳に諦念と悲壮を宿してクロードにささやいた。


『縁をむすぶということは、世界を広げるということです。世界が広がれば広がるほど、傷つけることや、傷つけられることが増えてゆく』


 クロードは、他者の権利や利益を現実的かつ具体的に侵害しない限り、領主としてあらゆる宗教を認め、文化を尊んだ。

 同時に、演劇部で経験した危機を踏まえて――。ある民族だから貴い。ある思想だから優位だ。法律や約束よりも民族情緒や原理主義が上に立つ。そういった価値観には、絶対に賛同しなかった。

 だからこそ、彼は赤い導家士どうけしと、緋色革命軍マラヤ・エカルラートと、楽園使徒アパスルと対立したのだから。

 もしもかのテロリストたちを野放しにすれば、その時待ち受けていた未来はきっと惨々たるものだったろう。

 兄と妹が掴んだ幸せだったはずの物語は、黒々とした悪意によって塗り潰されてしまった。


『もしもキミが純粋な意志を貫きたいなら、絶対的な力をもった唯一人の英雄として……』


 おそらく其れが為に、兄は絶対的な力をもつ審判者えいゆうたらんと欲し、ついには邪悪な竜セイギノミカタとなった。


『私は、小さな世界がいい。閉ざされた館で愛するひととふたりぼっちで暮らしたい。それこそが本当の平穏ではありませんか?』


 妹は憎むよりも望みを絶って、停滞の中へと沈んだ。

 やがて時は流れ、千年の果て兄妹の元へと何も知らない少年が落ちてきた。

 ……そんな悲しい、救いのない夢を見た。



 どこからか、お湯を沸かす音が聞こえてくる。

 クロードは起き上がろうとして、手足に力が入らなかった。

 目を開こうとしても、頭が痛くて身体が冷たくてままならない。


(やっぱり便利な道具ブラッドアーマーに頼り過ぎるのは良くない。血を流し過ぎた……)


 誰かの、否、ソフィの気配がする。

 清潔な消毒液と包帯の匂いに混じって、微かに甘い花のような匂いを感じた。


「クロードくん、どこか痛む?」 

「ううん。ソフィ、痛みはないよ。ただ悪い夢を見たんだ」

「どんな夢?」

「忘れちゃったよ……」

「うん、大丈夫だよ。クロードくん。どんな悪い夢も、目が覚めれば終わるもの」


 ソフィの言うことは正しい。正しいけれど、クロードは頷けなかった。

 彼の悪夢は続いている。千の昼と夜を越えて、再びあの邪竜とあいまみえる約束の日まで。


「でも、いつか思い出さなきゃいけない。きっと僕が、僕だけが、ファヴニルが見る悪夢ゆめを終わらせてやれるんだ」

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