第233話(3-18)悪徳貴族と安らぎの日

233


 復興暦一一一一年/共和国暦一〇〇五年 恵葉の月(六月)二五日。

 クロードは見慣れないテントの中で目を覚ました。

 彼は衣服と軍用寝袋を重ねた即席布団の上で、毛布にくるまって眠っていた。


「あれ、ここはどこだ?」


 テレポートトラップに引っかかった後、ダンジョンで気絶したのかと思いきや、どうやら簡易住居に運び込まれていたらしい。

 最初に目に入った天井と壁は獣皮のシートをかぶせたもので、円錐形の頂点部分には換気口らしき天窓がついている。

 テントを支える大黒柱は、中心部に立つ二本の鉄塔だ。金属製ゴーレムの部品を転用したもので、なかなかに頑丈そうだ。

 屋根部分は様々なモンスターの骨を組み合わせた梁が放射状に渡されて、テントの外周を支える骨格も同じ材料できている。

 天窓の下には、暖をとるための囲炉裏いろりが設置され、四角く区切られた灰の中で、炭火がチロチロと瞬いていた。


「遊牧民族のテントに似ているな。材料から察するにこの世界のものだろうけど、タタミが敷かれているのは、いったいどういうことだ?」


 断熱を意図したものだろう。

 床にあたる獣皮の上には、正しくはコモやムシロと呼ばれる簡素なカーペットが敷かれていた。材料もイグサではなく雑草を麻糸で編んだものだったが、そこまでの判別はつかなかった。

 クロードは、他に人の気配がなかったため、毛布の中からいそいそと這い出した。

 マラヤディヴァ国は南国で、今の季節は夏だ。朝なのか少し肌寒かったが、ひんやりとした空気は心地よいくらいだった。

 そうしてテントから顔を出して、あまりの光景に仰天した。


「な、な、なんだよこれぇえ!?」


 外にあったものは、紺碧の海だった。

 テントは、よりにもよって海底にある洞窟の入口に張られていたのだ。

 海面から太陽光が届くのか、あるいはダンジョンの魔法が作用したのか周辺は明るく、まるで宝石箱をひっくりかえしたような色とりどりのサンゴが溢れ、近くには穴のあいた沈没船が朽ち果てた姿を晒している。

 結界が張られているのか、海水が中に入ってくることはない。

 まるでガラス張りの水族館のように、頭上を魚がゆうゆうと泳いでるのは圧巻だった。

 クロードはあまりの衝撃に放心して、ぺたんと座りこんだ。


「クロードくん、起きた? お魚捕ってきたから食べよっ……」


 洞窟の奥を探索していたのだろう。

 戻ってきたソフィの顔が、彼女の赤髪に負けないくらい真っ赤に染まる。


「どうしたんだ、ソフィ。風邪でもひいたのか?」

「くろーどくん、ふ、ふ、ふく、ふくく」


 茹でたタコみたいになって震えるソフィに指差され、クロードは自分の姿を見返した。

 寒いのも当然だろう。上半身を重点的に包帯を巻かれているが、今の彼はパンツ一丁である。


「な、な、なばな――ッ」

「服はっ、枕元に置いたから」

「す、すぐに着替えてくる!」


 鋳造魔術で作れば良かったとクロードが気づいたのは、予備の軍服に着替えてすぐのことだった。


「ここは、いったいどこなんだろう?」

「たぶん遺跡の最下層だよ。あっちに空いた穴の下の翼、見覚えない?」

「ああ、あのでかいコウモリに似た片翼か。確かにあれは火竜のものだ」


 クロードが首と一緒にぶった切った破片が、ここまで落ちてきたのだろう。

 先に目覚めたソフィによると、二人は少し離れた玄室に転移していたのだという。

 彼女は、深手を負ったクロードを休ませようと安全地帯を探し、このテントを見つけたのだ。


「ソフィ、このテントはやっぱり」

「うん、ササクラ先生のものだと思う。炉に三つ足の調理器具が置かれてるでしょう? あの仕掛けには見覚えがあるし、この竹籠も昔先生が使っていたものに似ているから」


 言われてみれば、囲炉裏に据え付けられた三つ足の鉤は五徳に似ていた。

 ソフィが洞窟の中で採ってきた魚が跳ねる竹籠にも、わずかに日本の意匠が見てとれる。

 クロードはルンダールの子爵邸、時刻館に秘められた言付けを思い出した。


「そっか。子爵の遺言はちゃんと伝わっていたんだ……」

「クロードくん。難しいことを考えるのはあとっ。まずはご飯を食べて身体を治そう!」

「そうだね。どうにか脱出しないと」


 幸いテントの中には、ササクラ・シンジロウの私物がいくつか残されていた。

 薪に使えそうな枯れ枝は洞窟に散乱していて、水もまた洞窟内を流れる海水を蒸留すれば入手可能だ。

 ソフィのバックパックには数日分の食料と衣服が入っていて、包帯や消毒薬などの治療道具も潤沢だから、短期間のキャンプには十分耐えられるだろう。――クロードの着替えまで入っていたのは、彼女いわく執事の嗜みらしい。

 ソフィは魚を手際よくナイフで捌いて、串に刺して囲炉裏で焼いた。

 クロードは五徳の上に鉄網を置いて、イモ餅をあぶる。あとはヤカンで沸かしたお湯をコップに注ぎ、味噌と醤油で煮しめた芋蔓を放りこめばスープの完成だ。


「いただきます」

「いただきます」


 クロードは手を合わせ、ソフィは祖先に祈りを捧げる。

 さあ食事だと言う段になって、ふと気がついた。


「……あ、鋳造魔術で調理器具を作れば良かった」

「だーめ。クロードくんは怪我してるんだから魔法は禁止だよ」


 ことサバイバルにかけて、鋳造魔術は絶大な利便性を発揮する。

 クロードは魔力量が多いため、箸や皿といった小物はもちろん、ベッドのような家具だって作れるだろう。衣服だってちょちょいのちょいだ。


(……長時間もたないから駄目じゃないか)


 数時間後には素っ裸なんて、笑い話にもなりはしない。

 シンデレラの魔法だって、夜の一二時には解けるのだ。

 それはそれでラッキースケベのチャンス! と部長の顔で気勢をあげる悪魔の誘惑を、クロードは必死で振り払った。


「クロードくん、手前のお餅焦げてるよっ」

「いけないいけない。はふっ。あちちっ」

「おさゆお白湯。はい、ゆっくり飲んでね」


 結局この日、クロードは負傷もあって熱を出し寝込んでしまった。

 太陽が沈んだのか、なんらかの遺跡の作用か、いつしか海底も暗くなっていた。

 ソフィが梁に吊るした魔術道具の手鏡が、わずかな光を集めて輝くものの、これ以上の活動は困難だろう。


「すまない。明日にはちゃんと治すから」

「いいんだよ。今日は、クロードくんのお世話ができて嬉しかったんだ」

「でも、僕にもなにか出来ることが……」


 夕食は、乾パンを砕いて煮たおかゆだった。

 皿を運んでくれたソフィを見て、クロードは驚いた。


「あれ、ソフィ。髪が伸びてる」

「えへへ。驚いた? アリスちゃんがイメチェンしたでしょう。私もミズキちゃんに相談に乗ってもらって、時間もあったから伸ばしてみました」


 そういう魔法もあるのだろう。ソフィの短かかった赤い髪が肩まで伸びて、左右でおさげのようにくくっていた。

 彼女は、白いシルクシャツの上に濃緑色のサマーカーディガンを羽織り、スカートと見間違うようなゆったりとしたロングパンツを履いている。

 普段身につけている執事服や研究用の白衣から印象ががらりと変わって、とても女性らしい柔和さを感じさせた。


「どうかなあ、似合うかな?」

「……っ」


 クロードは胸がいっぱいになって立ち上がり、ソフィを抱きしめた。

 伝えたい言葉があるのに、心の中が沸騰したみたいになにひとつ出てこない。

 ソフィは驚いたようにはにかんで、クロードに身を預けた。


「そうだ、クロードくん。ご飯食べ終わったら、髪をすいて?」

「うん――」


 そんな一日だった。

 二人にとって夢のような、安らぎに満ちた一日だった。

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