第76話(2-34)二人の秘密協定

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 復興暦一一一〇年/共和国暦一〇〇四年 紅森の月(一〇月)二四日夕刻。

 ”セミラミスの庭園”という愛称を与えられた、レーベンヒェルム辺境伯領新式農園の応接室で、二人の少女が長座椅子ソファに腰掛け、向かい合ってお茶を飲んでいた。


「ソフィ殿、すまないな。事前の相談もなく、急に訪ねてしまって」


 赤いおかっぱ髪と黒い大きな瞳が愛らしい、豊かな胸を盛りあげる白いドレスシャツの上に若草色のベストと橙色の上着を身につけ、臙脂色のキュロットパンツを履いた少女の名をソフィといい、領主付の女執事を務めている。

 現役の冒険者としてならした彼女は、古代魔法技術にも精通していて、農園に据え付けられた数々の魔導機械のメンテナンスを担当しているのだ。


「セイちゃんなら大歓迎だよ。ひょっとして遠征のこと?」


 薄墨色の髪をポニーテールにまとめ、凛とした輝きを宿す葡萄えび色の瞳が美しい、濃紺の小袖を羽織った少女の名前はセイ。警備隊を率いて、数十倍もの賊軍を打ち破り、領軍総司令官に就任した異世界出身の若き才媛さいえんだ。


「さすがソフィ殿、話が早い。戦闘糧食せんとうりょうしょくのことなんだが……」


 二人は、お茶請けの焼いた干し芋を摘みながら、一週間後に予定されている、緋色革命軍マラヤ・エカルラートというテロリスト集団に占拠されたエングホルム領への出兵について、いくつかの意見交換を行った。

 二〇コーツほどが経って話がひと段落した頃、セイは瞳を閉じて深く息を吸い、そのまま祈るように告げた。


「ソフィ殿。私は、棟梁殿が好きだ」


 彼女の突然の告白に、ソフィはまるで心臓を斬りつけられるような激痛を胸の奥で感じた。

 動悸が激しくなり、目頭が熱くなり、今にも零れそうになる涙をこらえ、震えそうになる声を必死でとりつくろって、セイに答える。


「セイちゃんなら、きっとクロード様とお似合いだと思うよ」


 無法の地に法を敷き、秩序でもって苦しむ人々を救おうとする。

 セイは軍事を得意とし、クロードは内政を得手とする。得意分野こそ違っても、二人は同じ理想を求め、足りないものを支えあっている。

 その有様は、とても自然で素晴らしいものだとソフィは感じたから、彼女はこう答えた。


「わたし、貴女を応援するね」


 セイはソフィの答えを聞いて、カップをセンターテーブルに置いた。


「嘘つき」


 セイの右手が飛ぶように一閃し、ぱぁんと音を立てて、ソフィの頬を強かに打った。


「っ」


 なぜだろう。考えるよりも先に、ソフィの右手もまたセイの頬を打ち返していた。

 ぱぁんという乾いた音が、再び応接室に響いた。


「セ、セイちゃん、わたしは貴女の恋を応援するって、お手伝いをしたいって……」

「ははっ。有難いことだ。偽物の好意を押しつける。嬉しくって、私も涙が出そうだよ」


 ソフィとセイ。窓から差し込む夕暮れの光に照らし出された少女二人は、互いの頬を赤く染め、立ち上がってにらみ合った。

 

「なあ、ソフィ殿、わからないか? 今は夕暮れだ。アリス殿の忠言に従うなら、ここが河川敷でないのが残念だが、お膳立てには良い時刻だろう。さあ、喧嘩をしようじゃないか、ソフィイアッ!」

「勝手ことを言わないでっ」


 セイは、センターテーブルを越えて襟を取ろうと右手を伸ばすも、ソフィは左手の甲で弾いてするりと側面に逃れた。

 ソフィは、そのままセイの伸びた右腕を掴もうとするも、セイは左肘を突き上げて応戦、互いに絶妙の足捌きで間合いをとって仕切りなおす。


「ソフィ、お前はファヴニルをどう思っている?」

「レアさんたちから聞いたでしょう。怖いよっ、近づきたくない」


 セイとソフィ、互いの手と指が鞭のようにしなり、かみ合って音を立てる。

 しかし、奇妙なまでに静かな争いだった。

 木とガラスを組み合わせた机の上に置かれたティーポットとカップを倒すこともなく、互いに狭い応接室で位置を変えながら、打ち、投げ、極めようとしては外しあって距離をとり、決定打を避け続ける。


「そうか。だったら、これはどうだ? ”オッテルなんていない。ダヴィッド・リードホルムのちからは、ファヴニルとおなじものだ”」

「っ!?」


 セイはテーブルに手を添えて、まるで前方倒立回転でもするかのように跳躍して間合いを一息で詰め、着地と同時にソフィの足を払って長座椅子に投げとばした。


「どうした、顔色が変わったぞ? やはり読めていたのか。だったら、なぜエングホルム領への同行を決めた?」


 セイの声を荒げた詰問に、ソフィは思い出した。

 クロードと一緒にご飯を食べたことを、地下遺跡へ潜ったことを、テロリストに襲われた村で炊き出しをしたことを、セイの着物を縫おうとしたことを。


「クロードくんが好きだからに決まっているでしょうっ。だから、わたしは、貴方がうらやましいっ」


 首筋を押さえつけようと掴みかかってきたセイの右腕を、ソフィはまるでしなるツタのように絡めとり、長座椅子へ向けて投げ返した。

 しかし、そのまま腕を極めようとしたのが悪手だった。まるで武術を忘れた獣のように、セイはソフィの額に己の額をぶつけたのだから。あとはもうめちゃくちゃだった……。


「ふざけるなっ。嫉妬しているのは私だ。仲のいい幼馴染がいて、友達と楽しそうに笑いあって、帰る故郷があって。私が欲しいもの全部をもったソフィが、私を妬むのか。どれだけ強欲だ!」

「セイちゃんにだって、イヌヴェさんとかサムエルさんとか、キジーくんとか、頼れるひとならいっぱいいるじゃない! 皆が讃える戦乙女、レーベンヒェルム領軍総司令官、いったい何が不満よっ」


 セイとソフィは、長座椅子の上で絡み合ったまま、互いの頬を叩き、つねり、髪をひっぱりあう。


「彼らが讃えているのは姫将様としてのセイだ。私の友達は、私を見てくれる人は、棟梁殿しかいない! レーベンヒェルム領最高司令官? そんなのいらない。私は、ついて行きたいよ、皆と一緒にいたいよぉっ」

「だったら、クロードくんにそう言えばっ……」

「言える訳がないっ。棟梁殿が抜けて、棟梁殿の大切な領を護れるのは私だけだ。私は行けない。だったら、もう頼るしかないじゃないか」


 ソフィは、普段の凛とした仮面を投げ飛ばし、泣き叫ぶセイと掴みあいながら、ようやく理解した。

 将として期待され、将として振る舞い、将として賞賛され、そのために女の子として生きることが叶わないセイの孤独を……。

 ソフィは殴りあうのを止め、セイを抱きしめて柔らかなクッションに身を沈めながら、彼女に訊ねた。


「なんで、セイちゃんは、こんなことしたの?」

「わからなかったから。私は神も宗教も信じていない。望むのは、人が定める法と、人が創る秩序がもたらす静謐せいひつだけ。だから、ソフィ殿のことが恐ろしくて知りたかった」


 ソフィにとって、セイが皆に讃えられる姫将という偶像アイドルであったと同様に――セイにとって、ソフィは理解できない巫女という指導者アイドルだった。


「正直に話そう。私はソフィ殿を疑った」


 ソフィの両親がかつて神官を務めた湖と竜を祭る地元宗教は、外国人によって乗っ取られた後、クロードに教団を解体されたといえ、敬虔な信徒はいまだ領内に残っている。

 いま役所を取り仕切っている警察隊長のエリック、外交折衝担当官ブリギッタ、出納長という名前で事務方を取り仕切るアンセル、領軍参謀長ヨアヒムは、ソフィの幼馴染であり、庇護者であった彼女を尊敬している。

 つまり、現在のレーベンヒェルム領で、ソフィは、ソフィだけは――。


「貴女だけが、クーデターを実行し、棟梁殿に成り代われる立場にいる。以前、ソフィ殿は、クローディアスから受けた拷問で、瞳を奪われたそうじゃないか。動機だって十分だ」

「わ、わたし、領主なんてできないよっ。クロードくんはわたしに光を取り戻してくれたのに、そんなことしない」

「ソフィ殿……。どうやら、貴女、今の棟梁殿が抱えている秘密に気づいてるな」


 息が触れ合う距離で寄せられた、セイのじっとりとした視線から逃れるように、ソフィは明後日の方向に目を泳がせた。


「ソフィ殿が棟梁殿を慕っているのは、鈍い私だって感づいていた。だから心配ないと思っていたのに、さっき誤魔化しただろう。応援するなんて、心にもないことをうそぶいて。あれは、さすがに私も頭にきたぞ」

「だって、セイちゃんの前で、クロードくんのことを好きだなんて言えないよ」

「それでも言って欲しかった。だって、私たち恋敵で、と、と、……トン汁を一緒に食べた仲じゃないかっ!?」


 肝心要の言葉を口に出せず、あたふたとどもるセイを見て、ソフィは思った。

 この子は、こういうところでもクロードとお似合いだ、と。


「うん、友達だもんね」

「とも、だち。そうだ。ソフィと私は友達だ」


 妙にうっとりと頬を染めるセイは、ソフィから見ても立派な司令官などではなく、年頃の可愛らしい女の子だった。

 それでも、ソフィは気づいてしまった。オモイに貴賎きせんなんてない。自分はクロードの隣に居たいのだ、と。


「セイちゃん。友達でも負けないよ」

「それでこそ、だ」


 その後、簡単な手当てと治癒魔法で傷跡を隠し、二人で応接室を片付け終わった頃には、陽はとっぷりとくれていた。

 セイとソフィは、改めてお茶を入れなおし、テーブル越しに向かい合った。


「ソフィ殿。この農園の愛称の由来を知っているか?」

「クロードくんは、昔遠い国にいた女王様がつくった庭園にあやかったって言ってたよ。まるで空中に浮かぶように見える、色とりどりの植物が咲き乱れるアーチ状の庭園という伝説があったって」


 ソフィの返答に、セイは右手で持ったカップの紅い茶で喉をしめらせ、片目を閉じて左手の指を鳴らした。


「そう。セミラミスとは、棟梁殿曰く、美貌と英知を兼ね揃えた女傑とも、残虐非道の悪女とも謳われた伝説の女王らしい。四○年以上にわたって国を支えた彼女は、愛する我が子によって国を追われ、あるいは謀殺されて命を終えたそうだ。なぜ棟梁殿は、そんな不吉な名前を農園につけたのだろうな?」


 セイの問いかけに、ソフィは返答できない。

 わからないのではなく、わかっているからこそ、安易に言葉を口に乗せられない。


「棟梁殿に直接聞いたら、”セミラミスの庭園”とは、実在したのか実在しなかったのかわからない庭園、摩訶不思議まかふしぎな建築物だから名前を借りたのだ、と言った。でも、それだけじゃないと思う。棟梁殿は、きっと破滅を、贖罪を望んでいるんだ」


 かつて、クロードはソフィに言った。自分の首を受けとって欲しい、と。

 そして、今日、セイの懸念を聞いて、ソフィは改めて理解した。偶然なんかじゃない、必然なのだ。

 彼は未だに、自らを滅ぼす裁き手として彼女を望んでいる。


「クロードくんの馬鹿。すっとこどっこいのおたんこなす。絶対にそんなことさせないんだから」

「なあ、ソフィ殿。私たちは恋敵だ。でも、これだけは共闘できそうだ」

「うん」


 ソフィとセイは、ぱぁんと手のひらをぶつけ合い、固く握手を交わした。


「クロードくんを生き延びさせる」

「棟梁殿を守る。たとえ、棟梁殿自身を相手にしても」


 二人が秘密の協定を結んだ時――。

 クロードのエングホルム領への出兵は、もう間近まで迫っていた。

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