第52話(2-10)姫将と思い出と綺麗な月

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「ま、まいった。もう動けない」

「え、もうちょっと、あと一時間だけ一緒にやらない? 痛くしないから」

「むり。もうちょっと早く手加減して欲し……かった」


 クロードはセイにのされて、竹刀をもつ腕さえ上がらずに練兵場でぶっ倒れた。

 とはいえ半日の間、ずっと彼女と打ち合っていたのだから、彼としては驚異的な進歩である。

 訓練と巡回を終えた守備隊員たちが、丘内に設えられた五右衛門風呂で汗を流して、宿舎へと戻ってゆく。

 クロードとセイも頭から水を被り、小山の上に作られたセイとアリスの寝所、館へと移動した。

 時はすでに夕暮れ。青空は少しずつ藍色に染まり、白い雲は黄金色に輝いている。

 そんな空を見上げながら、クロードはセイと縁側に座り差し向かいで紅茶を飲んでいた。

 彼女が生まれた世界では、お茶はあまり普及していなかったらしく、セイはティータイムがことの他お気にいりだった。


「このお茶は、別領から来た商人から買ったものなんだけど、レアがいい茶葉だって褒めていたよ」

「うむ。旨い! ……棟梁殿は凄いな」

「お茶を入れてくれたのはセイじゃないか」

「違う違う。今朝の新兵器、銃のこともそうだし。このお茶もそう。たった数ヶ月で、市場がずいぶんと賑やかになったじゃないか」

「レアやアンセルたちのおかげだ。僕は、皆に助けられてばかりだよ」


 夕日が沈む。黄昏に染められて、セイの顔はよく見えなかった。


「最近、元の世界のことをようやく思い出してきた」


 乾いた、穏やかな風が小山の上を吹き抜けた。

 セイの声音は落ち着いていたが、どこか悲しみを帯びていた。

 夕暮れだから、そんな風に聞こえてしまったのか。


「私の祖父は、自分が治める大地と民草を愛していた。それだけは間違いない。だから、朝廷が安寧を踏みにじろうとした時、彼らを守ろうと弓を引いた。たとえその決断が、自分が守ろうとしたものに流血を強いることになったとしても」

「そう、か」


 クロードにはわからない。セイの祖父が選んだ決断を、その背後にあっただろう煩悶を。だから、ただうなづく。


「祖父が死んで、伯父が家を継いだ。強い人だった。そして、野心に溺れた人だった。彼はいたずらに戦線を拡大し続けた。だから父は伯父を討って、朝廷と和議を結んだ。それが務めだったと今でも思っている。誰かが止めなければならなかった。平穏を、秩序を取り戻したかった。王朝の旗の下、法と規を敷いて民草に太平をもたらすことが、私と父の唯一の願いだった」

「……辛かったんだな」


 クロードに裁く資格はない。セイの伯父の暴走も、セイの父が負った罪も。彼らはきっと己が立場で最善を尽くそうとしたのだから。


「けれど、乱は続いた。より大きな炎になった。ただ一人生き残った従兄弟は、朝廷に対抗する他家の力と兵を借りて、捲土重来けんどちょうらいを果たした。私は見くびっていたのだろうな。歴戦の将だった近臣に言われたよ。お前は、ただの偶像だ。勝ち方を知らず、戦う術も分からない――と。そして、私は彼の言うとおりに負けた。自らの信念も守れず、人々の期待に応えられず、ついてきてくれた部下たちを犬死にさせて、無様にも一人生き延びた」


 泣いているのだろう。クロードは逆光で見えないセイの顔から視線を逸らした。

 きっと見られたくないだろうし、なによりセイの語る敗北は、ひどく無残で酷薄なものだったから。


「どれだけの武将だったか知らないけど、その人は、セイに甘えすぎだったと思うよ」


 こんな華奢きゃしゃな女の子の背に、どれだけの重責を負わせていたのか。

 あるいは、と、クロードは、うろんなことを思う。彼女の従兄弟は、そんな世界にこそ疑問を抱いて戦っていたのかもしれない。


(……セイには悪いけど、信念がどうとかいう次元じゃない。戦略面で詰められている)


 彼女の話を聞くに、味方は調略されて裏切り、周囲は他家に包囲、連絡網や補給線も寸断されて、選択肢の大半が殺されていた。


(両腕と両足を縛られて両目を潰され、毒を盛られて半身が麻痺した状態で決戦に挑むようなものだ。……勝てるわけがない)


 ある意味で彼女の従兄弟は、セイを高く評価していたのだろう。

 もしも、だ。絶対に有り得ないことではあるが、先輩たちと戦うことになったら、クロードはそれくらいする。

 同時に、それでも勝った自分が想像できないあたり、自分はどこまでも小物なのだろうと思う。

 黄昏は、黄金からに濃紺に染まり、やがて夜のとばりがおりてくる。


「セイ、戦から降りてもいいんだぞ」

「私は、いらない――か?」

「僕は、セイを大切な友達だと思ってる。だから、だからこそ生きてほしい。君の部下たちが望んだように」

「皆が私に望んで……」


 セイは、涙で赤く染まった瞳で鴉羽色の空を見上げている。

 目に見える星はまだ少ない。けれど、たしかに瞬いていた。


「君の部下たちは、家のために尽くしたんだと思う。だけど、セイに生きていてほしかったから命を賭けたはずだ。だったら、血なまぐさい戦場からは手を引いて、女の子として生きてもいいんじゃないか?」

「棟梁殿はどうするんだ?」


 振り絞るように声を出したセイの問いかけに、クロードは腹の底からはっきりと答えた。


「僕はファヴニルを討つ」


 かつて、クロードはファヴニルに怯えて、恐れて、逃れようとして、ソフィたちに加えた所業を知って、燃えるような怒りを得た。

 けれど、今は、憎悪ではない。使命感だけでもない。不適切かもしれないが、絆のようなものを感じている。


「領のこと、ソフィのこと、エリックたちのこと、先輩のこと、何もかもひっくるめた上で、あいつは僕の敵だ」


 高城部長ですら討ち損ねた。そんなファヴニルを倒す者がいるならば、それは、演劇部で最弱だった自分だけなのだと、根拠もなく信じている。


「棟梁殿。そう言ってのける貴方だから、悔いのない道を走る貴方だから、私は貴方が羨ましくて、妬ましくて、憧れているんだ。もしも、あの時、棟梁殿が隣にいたら、変わったのかな?」

「期待されても困る。僕は見た通りによわっちい。何も出来なかったさ」


 彼女の従兄弟は、捕らえたセイを逃がそうとしたらしい。自身の家族の仇とも言える少女をだ。彼はきっと憎しみに勝る、何かの信念を抱いて戦っていたのだろう。


(僕は凡人だ、どこまでも)


「……狭量な私では、きっと貴方の意見も聞き入れなかっただろう。でも、私は、夢をみたいんだ。こんな私でも、棟梁殿の傍で戦って、役に立てるって。だってほら、今夜はこんなにも、月が綺麗だから」


 気がつけば、いつの間にか昇った細い三日月と、星々の輝きが夜を彩っていた。

 涙にぬれたセイの横顔は吸い込まれるように綺麗で、クロードは一瞬見蕩れて、沸いたヤカンのように赤面した。


「どうした、棟梁殿? そんなに冷や汗をかいて」


(な、ナツメソーセキ)


 ”月が綺麗ですね”という言葉は、めったなことでは、口に出せないのだ。日本人的に!


「セイ。僕は君を、信じている。力になりたいと思うよ。……と、友達だから」

「ありがとう。頼みがあるんだ。……新兵器の件だが、こんな兵器が恵葉の月(六月)の末日に砦へ補給されると、できるだけ大仰に噂を流してくれ。山賊を釣りあげたい」

「馬鹿を言うな! そんな危険を冒す必要はない。半年もすれば領兵が機能して」

「隠し事はなしだよ、棟梁殿。それでは遅すぎる。ファヴニルを討つといった先ほどの言葉は偽りか?」


 クロードは言葉に詰まった。

 酷い勘違いをしていたのかもしれない。戦略面だけで見れば、セイはそこまで長じていない。

 長期にわたっていかに領地を運営して行くか、いかなるカタチで民を豊かにするか、どのようにして優位な条件を勝ち取るか――そういった大局的見地、全体を俯瞰ふかんすることを、当人も「うまくやれない」と言っていた通り、苦手としている。

 が、眼前にある盤面において如何に戦術的勝利を勝ち取るか、という一点に絞れば、その冴えは当然クロードでは及びもつかず、ひょっとしたら痴女こと紫崎先輩すら凌駕するのではないか?

 

(セイは、ひょっとしたら、一度も全力を尽くせなかったんじゃないか?)


 彼女と争っていたという従兄弟からすれば、全力を出されたら即死するから、常に出し抜いて正面衝突を避けたとしても、当然の選択だろう。


(最適解じゃないか。隠蔽いんぺい迷彩めいさいを得意とする敵がいるなら、見えるところへおびき出せばいい。時間はこちらの味方じゃない。税収停滞による予算執行への弊害。治安悪化による経済失墜。それだけじゃない。最速で駆け抜けなければ、ファヴニルが動き出す!)


 農業復興において、輪栽式ノーフォーク農法による地道な改善から、植物工場まですっ飛ばしたのも――。

 銃火器開発において、戦国時代の火縄銃から試作して、幕末期の小銃ライフル水準までかっ飛ばしたのも――。


(最速で、迎撃態勢を整えなければ、どれだけの人が死ぬかわからないからだ!)


 セイと兵の命をかけて、彼女の思いを汲むのか、セイの魂を踏みつけても、安全な手段を模索するのか。クロードが選ぶ選択肢は、最初からひとつしかなかった。


「セイ、君の思うがままに。僕は君の友達だ。君を信じている」

「ありがとう。棟梁殿が、クロードで良かった」


 セイの葡萄色の瞳から、一雫、真珠のような涙がこぼれた。


「私は今、選ばれた。死んでいった部下たちに誇れるよ。お前たちが救ってくれた私の命を、こんなにも燃やすことができたのだと、そう伝えることが叶うよう戦ってみせる」

「死ぬのは無しだぞ」

「わかってる。やりたいことが、できたからな」


 それから詳細を詰めて、クロードは転移魔法で帰っていった。

 セイは一人になると、暗闇の中、化粧台の鏡に近づいて、泣いている白髪の少女に手を差し出した。

 幻だ。夢だ。それでも、そうせずにはいられなかった。


「一緒に行こう。もう一人の私」


 鏡に手を触れる。泣き跡がついた顔。けれど、鏡の中のセイは、はにかむように笑っていた。


「期待に応えるためじゃない。私が棟梁殿の為に戦うと決めたんだ」


 孤独も逡巡も消えた。だって、彼の心は共にある。

 しばらくして、もこもこしたぬいぐるみの格好に戻ったアリスが帰ってきた。


「セイちゃん、首尾はどうだったぬ?」

「ああ、月が綺麗って言ってみたんだけど、棟梁殿はまごまごしていて、伝わっていなかった気がする」

「おかしいたぬ。イスカちゃんは確かに、”お月様が綺麗”という言葉は、好きだって告白だから注意して。そう言ったぬ」

「方言というか、地方によって違うのかなあ」


 クロードの真っ赤になった表情で感づかなかったあたり、セイも相当に緊張していたのだろう。


「でも、いいんだ。もう、迷わない」

「元気が出たなら良かったぬ。さあ、晩御飯にするたぬよ♪」


 セイとアリスは、守備隊員たちの待つ、丘陵へと降りていった。

 復興暦一一一〇年/共和国暦一〇〇四年 恵葉の月(六月)三〇日。

 レーベンヒェルム領南部都市オーニータウンの歴史に刻まれる、一大作戦が始まろうとしていた。

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