第34話 悪徳貴族、美姫を囲う
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復興暦一一〇九年/共和国暦一〇〇三年 晩樹の月(一二月)二〇日午前。
セイが目覚めてから七日目の朝。クロードはようやく、侍女のレア、ソフィ、そして新たに仲間に加わった護衛アリスとともに、領主館へと帰ってきた。
この一週間、クロード達は、領復興とテロリスト集団”赤い
念のため屋敷へ人を手配したのだが、セイに再び自害する気配はなかったとのことだった。
「まだ混乱してるのかな? 翻訳魔術はちゃんと機能してるはずだけど」
「顔色もよく、落ち着いたご様子でした。もう外へ出られてもよろしいでしょう」
先に様子を見てきたレアは、そう告げた後、ぐっと顔を近づけてきた。
「セイ様が部屋でお待ちです」
(ち、ちかい。近いよ、レア)
クロードの胸が高鳴り、頬が紅潮する。
いい匂いのするレアの青い髪は、クロードが桜色の貝で作った髪飾りが揺れている。
他にも高そうな髪飾りはあるのに、自分の贈った髪飾りを着けてくれるのは嬉しかった。
(ソフィがよく羨ましそうに見ているけど、希少な貝だったのかな?)
――そんな風に、まるで
「領主様。信じていますから」
「へ?」
何を信じているのかわからないまま、クロードはセイの寝室をノックして、部屋に入った。
(きれい、だ)
洋室にも関わらず、屏風に描かれた日本画を連想させるほどに、少女は美しかった。
セイは、薄墨色の長い髪を整えて白装束を身にまとい、三つ指ついてクロードを出迎えていた。
美しいだけでなく、匂いたつような色気に飲まれ、思わず生唾を飲んでしまう。
「身は清めてある。あいにく
(とぎって、あれか。アリスが爪を立ててガリガリする作法? 僕も知らないなあ)
ショックのあまり、思考が斜め上にカッ飛んでしまったが、クロードはすぐに意味を理解した。言うまでもなく伽とは、男女が布団を共にすることだ。
「な、なな、なにを言ってるんだ!?」
「戦利品なのだろう。私は?」
セイが首を傾げると、白いうなじが髪の狭間から見えて、くらくらと目眩を感じた。
(どうして暴君や悪代官が、美姫や町娘を引き出して、さあレッツパーティみたいな状況になってるんだよ!)
どこの時代劇だ。どこのエロ本だ。
これじゃまるで悪徳貴族――と思い至って、クロードは自覚と恐怖に怯えた。
セイの世話を任せた娘の中に、確かイーニャという、
レアはやめようと反対したのだが、ソフィがとりなしたことと、時間がなかったこと、そもそも領内には犠牲者が多すぎて、気にしていたら何もできないことから、クロード自身が許可した。
「ち、ちがう。違うから。ぜんぜん違うからっ。
「ふむ。私には、情けをかける魅力もない、と?」
「そんなこと言ってないっ。貴女はとても綺麗だし、雪みたいな肌とか艶っぽい。じゃなくて! 貴女の話を聞きにきたんだよ、僕はっ」
「聞いた話とはずいぶん違うな。
セイは、まるで鈴が転がるような、澄んだ笑い声をあげた。
からかわれてる。絶対にからかわれてる。と冷や汗をかきながらも、クロードは本題に踏み込んだ。
ひょっとしたら、この異世界で、はじめて見つけた同胞かもしれないのだ。
「く、クローディアス・レーベンヒェルムだ。貴女が、ここじゃない別の国、別の世界から来たのはわかってる。どうか、ささいなことでもいい。思い出したことを教えてくれ」
「あいにく記憶には自信が無い。期待に応えられるかわからないが、それでも構わないなら話そう」
「ああ。どんな世界からここにやってきたんだ?」
セイは、遠い目をして微笑み、長い物語を語り始めた。
「私のいた国は、いわゆる群雄割拠の世だった。私もまた父と共に、我が
いくつもの王朝が起っては滅び、あるものは己が野心のため、あるものは理想を求めて、あるものは安寧の為に互いを相食んだ。
セイもまた、同じ一族の血を分けながらも掲げる旗を違えた従兄弟と相容れず、お互いの血を血で洗い、戦い続けたのだという。
「私は、あの従兄弟を憎んでいたのか、それとも憧れていたのか。結局信じていた理性すら守れずに、最後は獣心をむき出しにして挑んで敗れたよ」
クロードは、レアが告げた言葉の重みの一端を、今更ながらに理解した。
この娘は、生きて、戦って、己の
「我が城と民については心配していない。私の従兄弟はあれで人並み以上に情け深い。きっと、私の愛した民草と大地を、私以上に愛してくれる。私に勝ったのだ。そうでなければ、――困る」
セイの言葉と表情からは、従兄弟への怒りも悲しみも感じ取れなかった。
(わからないよ。どうして、そんなに落ち着いて居られるんだよ?)
セイと、セイの父は、彼女の従兄弟から何もかもを奪った。親弟妹、家臣、家、土地……。
そして、流浪の果て、
名誉も、部下も、城も、愛する土地も。――信じていた志さえも。
「従兄弟さんを憎くはないのか?」
「どうして?」
不思議そうに訪ね返すセイに、クロードは己の不明を恥じるばかりだった。
それさえも覚悟して戦っていたのか、あるいは乗り越えるほどの絶望の果てに、セイはここにいるのだろう。
「気がかりは父のことだが、私の死で、諸将を許す大義名分を得た。そう簡単に従兄弟には負けるまいよ」
「それが、父親のやることかよっ。貴女一人を罰することで、他将の責任を不問にしたのか!」
「違う。敗将の末路は、悲惨なものだ。父が死を命じたのは、私の名誉を守るための温情だよ」
「……っ」
クロードには、これ以上は踏み込めない。彼女の、生き方を、覚悟を、汚す資格なんてない。
「これが、私だ。己の弱さゆえに、何もかもをなし得なかった。弱い女だ」
「弱かったら、死ななくちゃいけないのか! 勝ったら正しいのかよ。そんなの僕は認めない!」
「棟梁殿。貴殿の言葉は、嬉しいが、私が納得したのだ。それに、聞きたいことは他にもあるのだろう?」
クロードは頷いた。――そうだ。一番、聞きたいことが残ってる。
「セイさん、朝廷は何度も変わってるって言ってたけど、天皇陛下って言葉に聞き覚えはない?」
「いや、
「そうか」
(皇室がないなら、やっぱり僕の知る日本じゃない。セイが来たのは、文化は似ていても、別の世界からだ)
希望は散った。わかっていたはずなのに、クロードは喪失と脱力を感じずにはいられなかった。
「やはり、私とは来た世界が違うか? 棟梁を演じる異世界人殿」
だから、セイの不意打ち気味の問い掛けに、表情を繕うことさえできなかった。
「ななななななっ。なんで、そのことをっ!?」
「……ハハ。私の目もまんざら節穴というわけではないらしい。きっかけはいくつかあった」
会った誰もが口を揃えた、二か月前からの変貌。
この地方にはないはずの着物を、
若干の誤解もあったが、点は結んでしまえば線となって、正解への絵図を描き出していた。
「貴殿は、この二ヶ月間で人が変わりすぎだよ。極めつけだったのは年齢の不一致と、貴殿が私につけた名だ。この目で確かめてみれば、貴殿は本物と同じ二十歳にはまだ届いていない。そしてセイという名前は、書物に出てくる名と比較するとひどく浮いている」
「出来れば、広めて欲しくないんだけど……」
「棟梁殿。貴殿は本当に変わった男だな。心配せずとも、こんな夢物語を誰が信じるものか」
セイは、晴れ晴れとした顔でからからと笑った。
「貴殿はどうする? 私の体が欲しいと言うなら好きにするといい。秘密を知ったものを生かしておけぬというなら、この場で死のう。お前に興味はない、故に不要というなら、消えよう」
「消えるって、どこへ!?」
「心配するな。貴殿に迷惑はかけない」
クロードは、眉間にシワを寄せて歯を食いしばった。
(下手に答えたが最後、死ぬ気満々じゃないかっ。きっ、緊急避難的に体が欲しい、と嘘をつくか? 駄目だ。レアとソフィが、悲しむ)
それは、イヤだ。
レアにとって自分は未熟な偽領主で、ソフィにとっては憎むべき仇だったとしても、彼女たちが悲しむ顔は見たくない。辛いのだ。
(ええい、ままよ)
クロードは深呼吸して、セイの顔を正面から見た。
「捨て鉢になっちゃいけない。貴女は、生きている限り、生き続けるべきだと思う」
「なんのために?」
「幸せになるために」
ああ、くそ、とクロードは羞恥で顔が熱くなるのを感じた
自身の未熟が情けない。歯の浮くような台詞だが本心だ。駆け引きをしようにも
「迷わずに言ったな。だが、家を失い、故郷を喪い、記憶さえおぼろげな私には――幸せというものがわからない」
セイは、葡萄色の目を細めて、天井を仰ぎ見た。
寂しげな彼女の横顔を見て、思わずクロードは右手を差し出していた。
「だったら、一緒に探そう」
「それは、口説き文句か?」
「ち、違う。そういうんじゃなくて、ユウジョウ! みたいな?」
クロードの誘いが、よほど衝撃だったのか、セイは相好を崩して吹き出していた。
「私には友などいなかった。いや、いたのかもしれないが捨ててきた。棟梁殿、貴殿がこの国で、私にとって初めての友人になってくれると、嬉しい」
「ああ、友達になろう」
握手する。
小さく、細く、そしてタコの浮いた手だった。
こんな小さな手で、戦い続けてきたのかと、クロードは胸が痛んだ。
「棟梁殿、ひとつ教えてくれないか? 私が呼ばれている、セイとはいう名前は、どういう意味だ?」
「星、だよ。気に入らなかったか? 嫌なら
「いいや、セイがいい。姓はいらない。私の血族は、ここにはいないのだから」
「ずっと閉じ込めていて悪かった。外へ出よう。見せたいものがいっぱいあるんだ」
クロードは、手を引いて部屋を飛び出した。
しかし廊下に出た途端、セイは恥じるように繋いだ手を離した。
「待ってくれ、棟梁殿。こんな格好で外は出歩けない。それとも、そういう嗜好か?」
「ごめんなさい!」
✩
着替えのため、自室に戻ったセイは苦笑した。
「なんなのだ。あのお調子者、いやおひとよしは」
うっすらとだが、宿敵を
だが、そんな従兄弟だって、もうちょっとしっかりしていた。
あの少年は、優し過ぎて弱すぎる。
(あんなに弱いのに、この二ヶ月間、回り中敵だらけの場所で、戦い続けたのか。ああ、それは、なんて強い――)
本物の、
どれだけの憎しみと憤怒を、あの少年が、肩代わりしているのか想像もつかない。
それでも、この二ヶ月で変わったと、誰もが口を揃えていた。
医師は、人の命を思いやれる領主になったといい、婦人たちは生活が少し楽になったと言っていた。
見直した。家族を救われたと、感謝を口にした壮年の男や、年若い女も確かにいたのだ。
「いい天気だ」
冬のせいか、日は高く、空は青い。
雨季というらしく、直に通り雨が来るそうだが、セイの心には光が射していた。
「……我が宿敵、我が恩人。我が従兄弟。お前は一度失ってなお、足掻き続けた。棟梁殿は、謂われのない悪名を背負いながら戦っている。私にも、できるだろうか。もう一度立ち上がることが」
――
――――
後年、記された数々の史書において、クローディアス・レーベンヒェルムの評価は必ずしも一定していない。
ある歴史家は彼を無類の暴君と断じ、ある歴史家はマラヤディヴァ国を共和国の影響下から解き放った
議論百出し、
即ち、クローディアス・レーベンヒェルムに戦の才覚なし。
スライムに負け続けたという逸話を差し引いても、彼は当時の民衆にとって、武に長けた英雄ではなかったらしい。
事実、復興歴一一〇九年/共和国歴一〇〇三年の終わりまで、クローディアス・レーベンヒェルムは、邪竜ファヴニルの暴威を徒に振りかざすだけで、何一つ武才と呼べるものを発揮していない。
それが変化したのは、同年の終わり。
頼もしさと面倒見の良さから、半世紀後においてなおレーベンヒェルムの地で愛される守護虎アリス。
機動戦術で賊徒や敵軍を翻弄し、領内で「泣く子も笑う」と称されるほどの信頼を勝ち取った飛将軍セイ。
この両名の士官を以て、辺境伯は領軍を再編し、西部連邦人民共和国と邪竜ファヴニルの暗躍に備えることになる。
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