第四部/第七章 汝らは獣のごとく生くるためつくられたものにあらず

第351話(4-79)万人敵の脅威

351


 ――アンドルー・チョーカー死す。

 悲報は、瞬く間に大同盟を駆け巡った。


「勝手ですわよ。私は貴方と生きたかった。こんな形で別れるなんて、望んでいなかった!」


 恋人であるミーナは、人の目も気にせず泣き崩れた。


良人おっとも、チョーカーさんも、善い人から亡くなってゆく……」

「おじさん。いやだ、こんなのいやだよっ」


 ヴォルノー島からマラヤ半島の本陣にかけつけた、アネッテ・ソーンとエステル・ルクレもまた、空の棺を前にさめざめと涙を零した。


「チョーカー。今度という今度は、絶対に許さないから」


 因縁のあったローズマリー・ユーツもまた一筋の涙を零して、慟哭するアネッテとエステルの背をさすりながら黙祷した。


「チョーカー、似合わない真似をしたね。ありがとう、あの子達を返してくれた。けれど、アンタも帰って来て欲しかった」

「アマンダさん、こんなの嘘ですよ。どうせまたお風呂を覗いて隠れてるんです。あのチョーカーさんがいなくなるはずなんて、そんな筈はないんだっ」


 チョーカーの上司であるアマンダと部下のロビンもまた、驚きと悲しみのあまり膝をついた。


「……っ」


 喧嘩友達であったミズキは銃を曇り空へ向けて撃った後、口を閉ざした。


「隊長に敬礼!」


 チョーカーは女癖が悪く、ちゃらんぽらんではあったが、苦難を共にした兵士達には慕われていたのだろう。

 彼の葬儀には、ソーン領、ルクレ領だけでなく、多くの兵士が駆けつけて早過ぎる死を悼んだ。


「チョーカー、ばっきゃろう」


 クロードは、葬儀の最中も待っていた。

 死んだはずの当人が、ひょっこり顔を出すとか、そんな夢想を信じたかったのだ。

 けれど、マラヤデイヴァ国を巡る情勢は、クロードに友の喪失を嘆く時間すら許しはしなかった。

 クロードは、大同盟の盟主として、想定以上に拡大してしまった戦線を引き締めるべく、前線部隊に拠点までの後退を命じていた。

 しかし、木枯の月(一一月)四日。マルグリット・シェルクヴィストと、ラーシュ・ルンドクヴィストが率いるユーツ領軍二〇〇〇が、メーレンブル領南部で避難民を誘導中に緋色革命軍と接敵する。

 敵軍の先頭には、熊に乗って大斧を担いだ偉丈夫、ゴルトの姿があった。

 マルグリットとラーシュは、領主として、騎士として、軍人として、民草を守るために交戦を決めた。


「皆さん、住民は近辺の村から退避しました。彼らを逃がす時間を稼ぎ、チョーカー隊長の仇討ちをしましょう!」

「マル姉、やっけよう。チョーカーさんには故郷を救って貰った恩がある。山岳戦はユーツ領軍が望むところだ」


 マルグリットとラーシュは、仇討ちに燃える兵達を率いて山中に堅陣を敷き、ゴルト隊を待ち受けた。

 簡易ながらマルグリットが技巧を凝らした野戦築城である。糧食も村人が放棄した保存食があり、水の流れる川も付近にあった。二人は少々の期間なら籠城できる鉄壁の備えを固めていた。


「敵ながら、その意気や良し。住民を逃してくれたお陰で、存分に戦える!」


 ゴルトは獰猛な笑みを浮かべて、手をかざした。

 指揮官の合図に応え、アリ型装甲服を着た土塊人形と、破壊能力に長けた神器の盟約者が、山の一部を破壊して川の流れを変えた。

 氾濫した水は、マルグリットとラーシュ達が待ち受ける村を押し流した。


「信じられない。こんなやり方でっ」

「マル姉、神器の力を合わせるんだ。脱出しよう」


 マルグリットとラーシュ、二人は重さと軽さを操る神器を使って、辛うじて互いを守り抜いた。

 しかし、この戦いで、マルグリット達が率いていたユーツ領の前線部隊は半壊した。不幸中の幸いだったことは、ゴルトが非武装の避難民に手出しをすることなく見逃したことだろうか。


「クローディアス・レーベンヒェルムが命じる。ユーツ領軍救出の為に予備兵を投入、僕が陣頭指揮を取る。他の部隊は後退して再編に備えてくれ」


 クロード達が救援に追われる中、木枯の月(一一月)六日。

 ユングヴィ領北部にて、別の避難民を乗せた輸送船を護衛するヴァリン領艦隊が奇襲を受けた。


「艦隊長、船底に異物が発見されました」

「機雷か? 魔術探査では確認できなかったぞ!?」


 一〇隻の武装商船で構成されたヴァリン領の艦隊は、メーレンブルク領の港から脱出を図ったところ、湾内に仕掛けられた鎖によって電撃の魔術攻撃を受け、船のコントロールを失った。


「艦隊長、敵軍が小舟で襲撃してきます!」

「これは、セイ司令がボルガ湾で行った作戦か!? 救難信号を送れ!」


 ヴァリン領艦隊は善戦したものの、民間人を庇いながらの戦いには限界があり、武装商船はことごとく轟沈させられた。

 一方、孤立した輸送船から救難信号を受けたマルク・ナンド侯爵は、負傷を押して馬に乗り、前線部隊を率いて現場に急行した。


「怪我如きで寝込んでいられるか。私が手本を示さねばならんのだ。賊軍から民草を救い出す!」

「……マルク・ナンドね。そういう血の熱いところは嫌いじゃないが、まだ成長途上、といったところか」

「なにっ!? うおおおおおっ」


 長蛇の列を組んで港へと向かっていたナンド領前線部隊は、ゴルトが伏せていた少数の騎兵に後背を突かれ、恐るべき突破力で粉砕された。


「マルク侯爵を守れぇ」

「チョーカー隊長に続いて旦那様まで。絶対に殺させるものですか!」


 落馬したマルクは、あわや敵軍に踏み潰されるところを部下達に救出された。

 ナンド領前線部隊は、指揮を引き継いだガブリエラによって、辛くも港へと辿り着いたが、陸も海も被害は甚大だった。

 ゴルト・トイフェルが立ってからわずか一週間。クロード達、大同盟優位に進んでいた戦況は、たった一人の鬼才によって今まさに覆ろうとしていた。

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