第350話(4-78)不帰

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 ゴルト・トイフェルは、アンドルー・チョーカーと兵隊越しに向き合いながら、無惨に蹴散らされた北面の部隊を見据えた。

 愚かな代表ダヴィッドによる粛清。マルグリットを初めとする真っ当な貴族の寝返り。更に敗戦を繰り返した緋色革命軍には、もはや熟練兵は少ない。北側部隊は新人兵も多く、影響を大きく受けていた。

 ゴルトもまた、包囲が完成する前に破られる可能性は想定していたのだ。その対策こそが命なき人形と邪悪な遺産を用いたアリ型装甲人形だった。

 しかし、過去に商業都市ティノーの守備隊長として緋色革命軍に入り、今や大同盟の主力隊長として大きく成長したひとりの男は、ゴルトが仕込んだ保険を逆に利用して、見事に友軍を逃して見せた。


「なるほど、チョーカー。お前は役名クローディアスではなく、本人コトリアソビに恩があると言いたいのか。将の真価は負け戦にこそ問われる、と言う者もいるが、お前は確かに立派な将になったようだな」


 ゴルトの呼びかけに、チョーカーは愛剣を高々と掲げて応えた。


「馬鹿か、負けの算段をして何の意味がある? 小生は、コトリアソビは勝つ。これは、その為の布石だ!」


 チョーカーが笛をかざし、人形達が円陣から▲を描く魚鱗の陣へと変わる。

 防御を意図した円陣を組んだのは、あくまで目標たるゴルトと相対するまでの時間稼ぎだったのだろう。


「全軍、攻撃を開始しろ」


 ゴルトは残念そうに顔を歪め、大斧をチョーカーに向けた。

 もはや三方ではなく、完全に包囲を完成させた緋色革命軍が、ただ一人の敵に向かって銃を、魔法を撃ち込んだ。

 

「ハハハハッ。矢玉如きで、小生を討ち取れるものか!」


 チョーカーは、そう笑った直後に銃弾を受けて、四肢から色鮮やかな赤い血が噴き出した。


「術式――〝人形使役〟――起動! 小生の身体よ、たとえ人形となっても我が意を成し遂げよっ」


 ここに、たったひとりの隊長と、万人敵率いる数千人の激突が始まった。

 実際に、どれだけの時間を稼げたのかはわからない。チョーカーは、数に劣る土塊人形でゴルトに抗っても、一呑みにされることを予測していた。

 だからこその、大将首を狙った突貫だ。大同盟はクロードを失えば瓦解するだろうが、緋色革命軍もまたゴルトを欠けば無事ではいられない。

 千にひとつ、万にひとつの可能性であっても、無視できない。そう敵軍に思わせるよう、チョーカーはわざと神器の力を見せつけた。

 満身創痍まんしんそういとなったチョーカーは、砕け行く人形に守られながら、子供が駄々をこねるように剣を振り回し、這うようにしてゴルトを目指して進んだ。


「奇妙だな。身体はまともに動かないというのに、心だけは軽やかだ」


 あるいは、とチョーカーは思う。

 自分が一度、ある意味で死んでいたことを自覚しているからだろうか?


(もしも、の話だが。商業都市ティノーでローズマリー嬢に焼印を使っていたならば、小生はどうしようもなく堕ち果てていただろう)


 邪竜に魅入られたダヴィッド・リードホルム、〝血の湖〟という怪物に堕落したアルフォンス・ラインマイヤー。

 チョーカーは、哀れな悪党二人と自分にそれほど差があるとは思わなかった。道を分けたのは、ほんの少しのきっかけと、愛するミーナ。そして悪友たる……。


「コトリアソビ、恩返しなどとは言わんぞ。小生は、ただやりたいことをやるだけだ」


 惚れた女とダチの為に命をかける。なんと満足な人生だろうか。

 アマンダは怒るだろうか、ロビンは悲しむだろうか。

 ミズキの反応は今から怖い。ローズマリー・ユーツはどうだろう?


「ありがとう、みんな。愛しているぞ、ミーナ殿。後は任せたぞ、コトリアソビ!」


 チョーカーは全身から血を噴き出しながら、遂にゴルトの前へと躍り出た。

 牛を思わせる大男は、大斧の一振りでアリ型装甲人形を粉砕しながら、大口を開けてげらげらと笑っていた。


「見事だ、アンドルー・チョーカー。お前を敵に回して正解だった!」

「馬鹿野郎、ゴルト・トイフェル。貴様こそ、着くべき陣営を間違えたのだっ」


 そして、この日。アンドルー・チョーカーが帰ってくることは無かった。

 クロードは、メーレンブルク領沖に停泊中の艦隊から連絡を受け、国主を匿ったヴォルノー島から転移魔法と加速魔法を駆使して、合戦場となったラポズ峡谷に急行した。

 血染めの戦場には撤退戦中に命を落とした同盟軍二〇〇人と遺体と、肉体も神器の名残すらもわからぬほど粉砕された過酷な戦闘痕、そしてチョーカーの真っ二つに折れた剣だけが残されていた。


「おい、何の冗談だよ。お前が、お前が死ぬわけないだろ。チョーカァあああッ!」


 クロードの叫びが、夕刻の河川に悲痛に響き渡った。

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