第108話(2-62)悪徳貴族 対 狂魔科学者

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 クロードは、拘束されて奇怪な光を浴びせられ、泥の沼に溶け落ちるアリスへ向かって走っていた。

 ドクター・ビーストを名乗る白衣の老人が新たに魔法陣から呼び出した、菌兵士が行く手を阻もうと立ちふさがるも、燃える槍を拾い布切れをまきつけて即席の松明たいまつを作って焼き滅ぼす。


(情報通り! こいつら剣も銃も通じないけど、温度変化には弱い)


 いまやベナクレー丘の戦場に立つのは、四人だけだった。

 緋色革命軍の大将格であるレベッカは、先ほどソフィが宣言した通りに時間を稼いでくれている。

 ならば、クロードは最後の一人であるドクター・ビーストを排除して、アリスを助けるだけだ。

 右腕を失ったクロードは、左手でひびの入った刀、八丁念仏団子刺しを突きだし、ドクター・ビーストは杖で受け止めた。

 火花が散って杖が削れ、半ばから裂けはじめた。雷切や、火車切のような特殊な使い方こそできないが、万全に遠い状態であってなお、八丁念仏団子刺しの切れ味は両の刀をも上回る。


「良かろう。小僧、ここまでわしを追いつめた褒美に、狂魔科学者マッドサイエンティストの矜持を見せてやろう。わしが生み出した最強の兵器のひとつ、それは、わし自身のことじゃ!」

「わけのわからないことをっ」


 斬り合いでは勝てぬと踏んだのだろう。ドクター・ビーストは、鍔競り合いを続けながら、杖を爆破した。

 クロードは衝撃で吹き飛ばされ、距離がわずかに開いた。

 爆風をまともにあびた老人は、顔と上半身の皮膚が焼けただれる大火傷を負いながらも、真っ赤な裏地が目立つ漆黒のマントを取りだして己を包んだ。


「吸血鬼かよ。爺さん、その年で一四歳みたいなセンス」


 悪ふざけかと思いきや、なんらかの魔術道具であったのだろう。クロードの眼前で、老人の肉体は溶け落ちて、再構成を始めた。

 ドクター・ビーストが変貌した姿を例えるならば、人間大の真っ白なヒトデだろうか? 五芒星形の腹部中央には大きな口があり、体表には触手に似た無数の管足が生えている。


「つまらん、つまらんぞ、糞ガキ。夢を忘れ、ニヒルを気取って無気力に生きる。貴様らは去勢でもされたのかぁ? 貴様も男ならば、ロマンのひとつでも語ってみせい!」

「ロマンだって?」


 クロードは思い出す。ロマンという言葉は、高城部長の大好物だった。

 彼は演劇部で川へ行った時、無駄に鍛えた肉体に赤いふんどしを履いて、蒼穹を指さして言い放ったのだ。


『これが漢のロマンってやつだ』


 当時のクロードは意味がわからなかった。今だってやっぱりわからない。

 むしろ部長のロマンを理解したら、人間として問題がある領域に踏み出してしまう気がする。

 でも、これだけは確かなことだ。高城悠生たかしろゆうきは、演劇部の仲間たちと過ごす日常を愛していた。クロードと同じように。


「アリスはさ、たぬたぬ言いながら子供たちと遊んで、暇さえあれば寝っころがって、忙しいのに僕の仕事はツッコミだぁなんてからかってさ。そういう奴なんだ。……何がロマンだ。何が最強の兵器だ。僕の友達をかえせ、クソヤロウ!」


 クロードは上段の構えから刀を振り下ろした。だが、ヒトデのミュータントと化したドクター・ビーストの体皮は透明な粘液に覆われていて、切った感触がまるでなかった。


「気合いこそ及第点。じゃが、剣の攻撃は、わしには通じん!」

「だったら、これで!」


 クロードは菌兵士の焼死体に放置した松明を掴み、再びドクター・ビーストに躍りかかった。


「目の付けどころは良いが、雑兵と一緒にされては困る」

「つめ、たい!?」


 ドクター・ビーストは、ヒトデの腹部中央にある口から息を吸い込み、あたかもレーザー光線のような苛烈極まる凍気を放出した。

 クロードが避けながらも投じた松明は、瞬く間に氷漬けになって砕け、レーザーがかすめた木々もまた凍りついてしまう。


「小僧、呆けている暇はないぞ」


 ドクター・ビーストの星型の体から、管足である触手が伸びてクロードを襲った。

 クロードは、上方から落ちてくる一本目を弾いて、左から迫る二本目にぶつけ、右から突いてくる三本目の触手を蹴り飛ばしつつ、地中から伸びる四本目をかわす。

 終わりのない綱渡りが始まった。血が足りない。息が上がる。わずかでも意識を失えば、先ほどの凍気を浴びるだろう。そうなれば、待っているのは死だけだ。


(まだ死ねない。ソフィが、レアが、皆が繋いでくれた命だ。せめてアリスだけでも!)


 走って、斬って、蹴って、避けて、触手に打ちすえられて、それでもクロードは進み続けた。


「爺さん、あんたの触手なんて、うちの近くにあるダンジョンのスライムに比べれば、まるで怖くないんだよ」

「ほう。面白い意見じゃな。この世界ではあまり強力な印象はないが、スライムは粘液状生物であるがゆえに、高い耐久力と延性をもち、分裂し、増殖し、同化し、進化する能力を有したおそろしい生物兵器じゃ。かくいうわしも、遠い昔に最強のスライムを作ろうとしたことがある」

「はた迷惑な爺さんだ」


 いったい、どれほどの数の触手をさばいたのだろうか?

 アリスを背にするドクター・ビーストまであとわずかという距離で、クロードが固く握りしめた愛刀の全身をひびが覆い、ついに光の粒子となって消えた。


「残念じゃよ、小僧。魔力欠乏ガスけつとは、しまりのない結末じゃな」

「まだだよ、爺さん。このナイフがあれば十分だ」


 クロードは、もはや原形を留めていない皮鎧のポケットから、一本のナイフを取りだした。

 それは、介錯かいしゃくといえ、彼がはじめて人を殺めた凶器だった。あるいは、はじまりのナイフを手に、戦場で果てるのも因果応報と言えるのかもしれないと、クロードは想った。


「領主が最前線に来るな、魔術師がチャンバラをするな。小僧には言いたいことは山ほどあるが、ふむ、これもまた男の本懐というべきか。認めよう、クローディアス・レーベンヒェルム。お主は、ゴルトが恐れ、わしが打ち倒すに足る強敵じゃった。ほまれと思って、先に冥府へゆけい!」


 一本の触手が槍の刺突がごとく、高速でクロードの首の皮一枚外れた空間を貫いた。

 クロードは走る。今の一撃がドクター・ビーストのけん制だなんてこと、最初からわかっていた。

 次に、襲い来るのは、四方八方からの槍衾だ。一瞬だけ足をとめて、諦めたかのように表情をなくした。

 もしも演劇部の先輩たちや、あるいはレアが見れば、クロードが浮かべたのは絶望の表情などではないと感づいただろう。

 だが、ドクター・ビーストは演技に釣られた。触手の群れが八つ裂きにしたのは、投じられたクロードが着る皮鎧の破片であり、彼自身は地面に伏せている。

 わずか一瞬の混乱、それこそがクロードが見出した勝機に他ならない。すべての触手を使ってしまったドクター・ビーストは、止めを刺そうと残されたジョーカーをきり、すなわちヒトデの腹部中央にある口で息を吸い込んだ。


「爺さん。こいつが僕のロマンってやつだ!」


 クロードは大地を蹴って、ヒトデの口部を思い切り左手で殴りつけた。

 吐き出しかけた凍てつく息で左手が氷結するも、ドクター・ビーストもまた無傷ではいられず、開口部を氷でずたずたに切り裂かれて倒れた。

 老博士は勘違いをしていた。クロードの意図は、最初から彼の打倒などではなかった。

 アリスと、ソフィの救出。それこそが、クロードの勝利に他ならない。

 クロードは、ナイフを口でくわえて、アリスに光を浴びせる機械に魔術文字を刻みこんだ。

 機械が爆発し、アリスがいる泥沼の方向へ吹き飛ばされながら、クロードは手を伸ばそうとして……左右とも失われてしまったことに今さら気がついた。


「アリス、すまん。手が足りない」


 これぞまさに猫の手も借りたいだ、なんて馬鹿馬鹿しいことを考えながら、クロードは目を閉じた。

 目蓋まぶたを光がやいて、ドクター・ビーストが何かを叫んでいる。ソフィとレベッカの声は遠すぎて聞こえない。

 でも、アリスの声は、クロードの耳にはっきりと届いた。


「大丈夫。クロードを抱きしめる手は、ここにあるたぬ」


 最初に目に入ったのは、日焼けした頬の上で金色に輝く猫目だった。

 目をすべらせると、腰まで伸びた長い黒髪に、ぴょこんとたてられた虎耳、なぜかクロードの首筋まで伸びた真っ黒なもふもふの尻尾。そして、柔らかな大きな胸と、なだらかな曲線を描く細い腰と、丸みをおびた小さく愛らしいお尻が順に視界へ入った


「クロード、大好きたぬ。たぬが絶対に守るたぬ!」

「……アリス?」


 アリスの声音で話す、見たこともない女の子が自身の身体を抱きしめていて、クロードは真偽を問おうとしながらも、ついに意識を失った。

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