第二章 姫将隊と賊軍と、オーニータウン攻防戦
第53話(2-11)領主と刑務所長と、利害の一致
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セイとの作戦会議以降、クロードは決行日である恵葉の月(六月)三〇日に向けて、急速に準備を進めていた。
被害にあった町や村を回って領民たちを慰撫すると共に、「もうすぐ新兵器が完成するから、山賊だって一網打尽だ」と大口を叩いて回ったのである。
一方で、練習場は領主館や廃墟となった市街地に限定し、銃の存在と射撃訓練は徹底的に秘匿した。
肝心のオーニータウン守備隊が元テロリストや傭兵という機密保持に危ぶまれるメンバーだったため、クロード自身は露見してもそれほど問題はないと考えていたのだが、セイは部下たちを信じており――彼女の信頼は報われることになる。
ともあれ、山賊たちが意図どおりに動くとは限らず、極めて危険度の高い作戦であったため、複数の事前策と事後策を構築し、他領や共和国企業連といった第三勢力とも折衝を重ねていた。
レーベンヒェルム領全体が緊張に包まれる中、事前約束もなく、ナロール国の外交官が突如としてレーベンヒェルム領を訪れたのは、恵葉の月(六月)六日のことだった。
「ガートランド聖王国が、ある無人島を大陸の歴史文化遺産として登録しようとしているが、我々ナロール国はこれを断じて認めるわけにはいかない。弟分であるマラヤディヴァ国も反対し、ついては手付けとして反王国の記念碑をレーベンヒェルム領に建てるように!」
館の応接室で開口一番こう怒鳴りつけたナロール国外交官に、クロードと折衝担当のブリギッタは口をあんぐりあけた。
この忙しいときに何を言い出すかと思えば、いつマラヤディヴァ国はナロール国の弟分になったのだろうか? そもそも外交交渉の場で相手国を
無理難題を押し付けあい、あるいは解きほぐすのも、交渉担当の仕事だ。ブリギッタも最初は丁寧に受け応えしていたのだが、一切メリットを見出せず、極めて横柄なナロール外交官の振る舞いにとうとうカチンときた。
「あのね。最大五千人程度しか住めない島に、数百万人が強制的に徴用されて奴隷のように働かされたですって!? そんなデタラメな話があるわけないでしょう!」
「賠償金を支払えと王国にタカるネタにしたいんだろうけど、だったら、うちの国やうちの領を巻き込まず、王国と直接交渉しなさいよ。そもそも大昔に、ナロール国と王国は、条約で両国間の財産、請求権の一切を完全かつ最終的に解決済みじゃなかったかしら? 他の国まで巻き込んでいつまでも過去にしがみつくんじゃない!」
ブリギッタからすれば、レーベンヒェルム領が生きるか死ぬかの
が、彼女の正論に、招かれざる客はいたく気分を害したらしい。
「あんなものは無効だ無効! 東方礼儀を司る人権先進国にして、大陸をリードする偉大なる強国家ナロールに対して、小国の木っ端貴族と娼婦風情が無礼であろう!」
条約を無効にするという意味がわかっているのか? とか、ナロール国内では大使が暴徒に襲われたり、記者が正当な理由もなく長期にわたって拘束されたりといった事件が立て続けに起きて、人権もなにもあったもんじゃないとか、そもそもお前の礼儀はどこにいった? とか、思い当たるツッコミどころが多すぎて、クロードは外交官相手に指摘するのを放棄した。
代わりに一計を案じて、唇を吊り上げるように無理やり笑みを形作った。
「な、誰が娼婦ですって!?」
「――ブリギッタ、落ち着け。失礼しました。僕としても、是非偉大なるナロール国のお力になりたい。ですが、非才の身ゆえ、領が不安定な状況にあり、国政に関与することは難しいのです。ところでナロール国は今、脱税や徴兵から逃れるために国外へ逃れようとする輩に困っているとか。そちらの方ならひょっとしたらお力になれるかもしれません」
会談は、午後には円満に終了し、ナロール国の外交官は意気揚々と帰っていった。
ブリギッタは乱れた山吹色の長い髪を手櫛でなでつけ、灰色の目を細めて、クロードのわき腹を肘でつついた。
「文化遺産問題に手を出さず、反王国記念碑も立てず、よく話をまとめたわね」
「WINWINが交渉の基本だろう? 彼らも我々も得をする、いい取り引きだったじゃないか」
「辺境伯様。悪徳貴族ぶりに磨きがかっているわよ?」
「心外だ」
二人が丁々発止と言葉のジャブを交わしながら、二人が一階のロビーに出ると、グレーのシルクハットに燕尾服を着た浅黒い肌の男、ハサネ・イスマイールが、玄関扉の傍で葉巻をふかしていた。
「ハサネ公安情報部長か?」
「刑務所長ですよ、辺境伯様。セイさんの作戦と連動した摘発の準備が八割がた終わったので報告に参りました」
ハサネに手渡された書類を、クロードは胸を高鳴らせて受け取った。恵葉の月(六月)三〇日の決戦に向けて、着々と準備が整っている。
「ハサネ刑務所長、尽力に感謝する」
クロードとセイのスキャンダルを新聞社向けにでっちあげたこともあるハサネ・イスマイールは、妙に人脈が広く、他領や共和国企業連、果ては非社会組織にまで顔が利く異色の刑務所長だった。
そんな彼が、役所での新年演説の後に感銘を受けたと称して、諜報と防諜を請け負う情報機関を作らないかとクロードに持ちかけてきたのだ。
レーベンヒェルム領で、誰よりも情報機関を必要としていたクロードは、ハサネの提案を二つ返事で了承し、公安情報部が結成された。
いま、ハサネはエリック達と協力して、レーベンヒェルム領の治安維持や情報収集に大きな役割を果たしている。
「次はこっちを頼めるか」
「ふむ、詳細な戸籍調査と在留外国人証明書の交付ですか? これで、何か変わりますか?」
「情報を把握しやすくするだけだ。領民たちの生活は、何も変わらないよ」
「そうね。マラヤディヴァ国人にも、帰化した共和国人である楽人、海外からの観光客や、まっとうな出稼ぎ労働者にも影響はないんじゃない?」
敢えて言うなら、もうすぐ銀行が本名以外での口座開設ができなくなるくらい? なんてうそぶくブリギッタだが、ハサネの黒い目は笑っていなかった。
「ふむ。……では、在留外国人証明書を申請できない不法滞在者、不法労働者、あるいは外国人犯罪者はどうでしょうか?」
クロードは、即座に焦点を読み取ったハサネの有能さに舌を巻いた。
「本国へ帰ってもらうさ。いつ邪竜に襲われるかもしれない、きな臭いレーベンヒェルム領で死ぬよりも、安全な故郷で暮らすべきだ。ナロール国の外交官だって諸手を挙げて賛成した。人道的だろう?」
クロードの目的は、大量に流入した海外からの出稼ぎ労働者に法を敷くことだった。
ナロール国の目的は金を得ることだが、冒険者と偽って国を捨てて逃げ出した脱走者から税金を搾り取り、あるいは兵士としてこき使えるなら、それはそれで文句はなかった。
在留外国人証明書の交付によって、適法な在留者か、不法な犯罪者かをより分けて、不法な犯罪者はナロール国にひきとってもらう。
――ここに、両者の利害は一致したのだ。
「ほうほう、ナロール国ですか。聞けば、国民が老人から幼子にいたるまで、でたらめな歴史を教えられて嘘をつき、他人の物を奪って恥とも思わず、公には外交官に暴力行為を加え、民間では一日に平均七〇件以上の性的暴力事件を引き起こし、危険な流行病が生じれば患者がお前も道連れだと
私は、故郷では敬虔な信徒とは言えませんでしたがね、と添えて、ハサネは言葉を続けた。
「……そういった場所があるならば、それは地獄と呼ぶのですよ」
「めったなことを言うものじゃない。彼らは大陸をリードする大国で、人権先進国だと主張している。信じてあげようじゃないか。彼らが」
「彼らがそう思うんならそうなんだろう、彼らの中ではね――といったところですか?」
葉巻からスゥと紫煙をくゆらせるハサネに、クロードは肩をすくめた。
「比較すると、このレーベンヒェルム領は、邪竜や賊徒が我が物顔で暴れ回り、様々な外国が厚顔にも干渉し、そしてイカレた貴方という未熟な指導者がいる。なんて……なんて……、素晴らしい!」
「え、素晴らしいの!?」
「な」
灰色の目を点にするブリギッタと絶句するクロードに向かって、ハサネは大仰に一礼して見せた。
「素晴らしいですとも。この状況で諦めずに抗いを選ぶ者はまずいない。無謀にも挑む手合いがいるとするならば、――それは馬鹿か、英雄と呼ぶのですよ。だからブリギッタ嬢、貴方も、私も、この場所にいるのではないですか?」
「なるほどそうね。馬鹿というのには、同意しちゃおうっかなぁ」
「ブリギッタ、ハサネ。褒めてるんだよな?」
二人は、据わった目で見据える上司に微笑みかけた。
「当然じゃない。これが嘘をついてる目に見える?」
「もちろんですとも。見てください。この輝く瞳を?」
ブリギッタの灰色の瞳と、ハサネの黒い目は、うさんくさいほどに輝いていた。
クロードはため息ひとつ吐いて、中庭を指差した。
「ハサネ。実は、うちは分煙だ。喫煙場所はあっちにしてくれ」
「なん……ですって……!?」
ハサネが慌てて、携帯灰皿で葉巻の火を消した時には遅かった。
彼の背後には、すでに青い髪のメイドと、赤いおかっぱ髪の執事見習いが忍び寄っていたからである。
「ハサネ様、玄関は禁煙です」
「それでは、辺境伯様。これにておさらば!」
「待てぇー、逃げるなぁ」
しずしずと歩くレアと、葉巻の灰を箒とチリトリで集めたソフィに追いかけられて、ハサネは脱兎の勢いで逃げ出した。
「レアさんとソフィ姉、怖いもんね」
「うん」
ハサネ・イスマイール。
クローディアス・レーベンヒェルム辺境伯の統治下で、刑務所長を務め、公安情報部長を兼任した男として歴史に名を残す。
彼は更生した元囚人を、子飼いの部下として
クローディアスの死後は公安情報部長を引退するも、刑務所長を続け、囚人の社会復帰に尽力し続けたとされる。
後年、ギルド新聞の記者に「なぜ刑務所長を続けるのか」と問われた時の答えが、記事に残されている。
「この地に、私の信じる神はいません。それでも神は見守ってくださっているし、守りたい神の教えがある。つまりは、寛容と相互扶助というものですよ」
ハサネ・イスマイールは、なんらかの宗教を信じていたが、それはアース神教でもなく、ヴァン神教でもなかった。
重度の愛煙家にも関わらず、一年のある一定の期間のみ煙草を吸わず、日中に食物をとらず、水さえ口にするのを拒んだという奇行が、彼を知る友人知人には宗教儀式と解釈されて、研究者による議論の対象となっている。しかしながら、彼は自らが信じる神について多くを語らず、また他者に布教したという事実も確認できない。
ハサネ・イスマイールは、異境の地であるマラヤディヴァ国レーベンヒェルム領で、彼なりのやり方で多くの人を救い続けた。
それこそがきっと、彼が、彼の中で思い信じた、揺るぎのない信仰であったのだろう。
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