第25話 女執事たちの即興曲(アンプロンプチュ)
25
時は少し
クロードの指示に従って、マラヤディヴァ国議員、マティアス・オクセンシュルナの邸宅を訪ねたソフィは、屋敷の門前で、紅の
直後、ニーダルに同行していた館の主、オクセンシュルナ議員が目を見開き、眉を吊り上げて一喝した。
「
「違うよ! クロード様は、そんなことしないっ」
ソフィは、思わず大声をあげた後、口を両手で覆って赤面した。
自分が身につけている服を思い出したのだ。
橙色の
今のソフィは、冒険者ではなく、レーベンヒェルム辺境伯家の家臣であり、クロードの名代だ。
礼を欠いた振る舞いは、そのままクロードの評価へとはね返る。
「し、失礼しました。オクセンシュルナ様、ゲレーゲンハイト卿。クロード様は、先ほど市街で”赤い
ソフィは、緊張で我を失っていた。
もしも酒場で他の冒険者と交渉するのなら、彼女は余裕をもって応対しただろう。
しかし、眼前にいるのは、次期首相候補とも噂される大政治家マティアス・オクセンシュルナと、一流冒険者ニーダル・ゲレーゲンハイトであり、二人はソフィにとって雲の上の存在に等しかった。
(行かせちゃ駄目だ。もしも、ゲレーゲンハイト卿がレーベンヒェルム領に入ったら、クロードくんが死んじゃう)
ソフィは、別れ際、クロードが生気の消えた瞳でかけてくれた言葉を思い出す。
『レアの話では、ファヴニルはニーダルと一度引き分けたらしい。もしも戦闘力が互角なら、その場で僕が自害すれば、ファヴニルは僕という契約者を失って弱体化する。上手くいけば、レーベンヒェルム領から悪徳貴族と邪竜が消えるんだ。こんなことで償いになるなんて思わないけど、ソフィ、どうか僕の首を受けとって欲しい……』
ソフィはクロードに背を向けて離れたものの、もしも彼の目論見通り、ニーダルがイスカを追ってレーベンヒェルム領に入れば、あのすっとこどっこいは、本気で自害しかねない。
「ソフィさん。うちの娘が世話になったようで感謝する。クローディアス・レーベンヒェルム辺境伯には、直接会って礼を言うよ。案内してもらえるか?」
ニーダルの返答は、当然といえば当然のものだった。
困ったように無精ひげのういた顎に手をあてた、ニーダルの顔が膨らんで弾けた。
ソフィの瞳から、ぽろぽろと涙がこぼれおちた。
(クロードくんは、暗闇の中に居たわたしを支えてくれたのに。奪われた目を取り返してくれたのに。わたしは、彼の命を諦めるの? だめだ。それだけは、駄目っ)
門前が、ざわざわと、どよめいた。
警官が訪れ、オクセンシュルナ議員に市街地での騒乱を報告しはじめたが、ソフィには聞こえていなかった。
両手を広げ、豊かな胸を弾ませて、ニーダル・ゲレーゲンハイトの前に立ちふさがる。
「だ、だめ。行かせない。クロードくんを貴方なんかに殺させない」
「クロード、くん? 俺が殺す?」
ニーダルはこめかみに手をあてて、ブツブツと何かを呟き始めた。
一方、マティアス・オクセンシュルナは、呆れたように肩を竦ませて、傍にいた家宰の青年に命じた。
「リヌス、ソフィ殿は興奮されているようだ。別室で休んでもらおう」
「はっ。ソフィ殿、こちらへどうぞ。お話をお聞かせください」
「だめっ。駄目なの。絶対に行かせないんだから……」
「失礼。ここでは目立ちます」
家宰の青年、リヌスが多少強引にでもソフィを屋敷へと誘おうと、彼女の右手をとったが、制止の声をあげたのは、意外にもニーダルだった。
「旦那。リヌス、ちょっと待ってくれ」
「ゲレーゲンハイト卿?」
オクセンシュルナ議員は、ニーダルの紅潮した顔を訝しげに見やった。
「旦那。時間がないのにすまない。リヌス、新聞はあるか? クローディアス・レーベンヒェルムの写真が載った、なるべく新しいやつを持ってきてくれ」
「人民通報になりますが、構いませんか?」
「あぁ、……アレか。大事なのは、記事じゃないから、それでいいや」
近くにいた使用人が慌てて走り、屋敷から人民通報を一部取ってくる。
日付は、復興暦一一○九年/共和国暦一○○三年 紅森の月(一〇月)五日のもの。
『名君、反乱を鎮圧す』
と、一面に見出しが踊り、仏頂面で写ったクロードの顔を見たニーダルは、まるでのっぺらぼうのように表情を失い、直後、失敗した福笑いの絵図が如くめちゃくちゃになった顔で、声を殺して笑い始めた。
「ありえない。ありえないと思ったが、こうなっていたのか。わかったよ、ソフィさん。俺は、レーベンヒェルム領には行かない。イスカのことを頼む」
ニーダルは、ソフィの左手にハンカチを握らせると、オクセンシュルナ議員を振り返った。
「旦那。俺は予定通り、今から、クランの遺跡に潜るよ」
「卿! それでよいのか?」
「ああ、詳しくは説明できないが、たぶんこうするのが最良だ。邪竜の相手は俺がする。旦那は、マラヤディヴァの民を、テロリストから守ってくれ」
「言われるまでもない。ゲレーゲンハイト卿、武運を祈っている」
「こいつは、負けられねぇな。リヌス、旦那を頼む」
「はっ!」
ニーダルは、一礼してオクセンシュルナ議員とリヌスに別れを告げた。
「そうだ、ソフィさん、落ち着いたら食事でもどうだい?」
そうして、すれ違いざま、ソフィの肩を抱いて耳元で囁いた。
「わ、わたしは、クロードくん、じゃない。クロード様の家臣だから、そ、そういうのは困ります!」
「じゃあ、コレでいいや」
紅のコートを羽織った冒険者ニーダルは、窮屈な執事服に押し込められたソフィの胸に手を伸ばして、ひとモミした。
「ひゃあ」
触れた手つきは優しかったけど、雷にでも撃たれたように、ソフィはしゃがみこんだ。
「やる気充填完了。じゃあ、行くかい」
意気揚々と出立しようとしたニーダルだったが、カシャンと音が鳴って腕に手錠がはめられた。
「そこの貴方、わいせつ罪の現行犯で逮捕します」
「マジで!?」
警官が、制帽の下、額に青筋を浮かべて微笑んでいる。
オクセンシュルナ議員は天を仰ぎ、リヌスは頭を抱えていた。
「ゲレーゲンハイト卿。君という男は……」
「ニーダルさん、時と場所をですね」
「ちょ、まっ。決死の覚悟で邪竜に挑むんだぜぇ、こぉれっくらいの役得はァ、あってもいいんじゃね」
「よくわかりませんが、痴漢は痴漢です」
マラヤディヴァ国有数の大政治家の邸宅前で、民衆の取り巻く中堂々とセクハラに及ぶ――警官からすれば、許しがたい犯罪行為だった。
「ソ、ソフィさん、アンタからもなんか言って」
「馬鹿ぁっ」
ソフィは、力いっぱいニーダルの横面をひっぱたいた。
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