第25話 女執事たちの即興曲(アンプロンプチュ)

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 時は少しさかのぼり、復興暦一一○九年/共和国暦一○○三年 晩樹の月(一二月)八日午後。

 クロードの指示に従って、マラヤディヴァ国議員、マティアス・オクセンシュルナの邸宅を訪ねたソフィは、屋敷の門前で、紅の外套コートをまとった冒険者、ニーダル・ゲレーゲンハイトに、彼の娘、イスカをレーベンヒェルム領で預かることを伝えた。

 直後、ニーダルに同行していた館の主、オクセンシュルナ議員が目を見開き、眉を吊り上げて一喝した。


破廉恥はれんちなっ。つまり人質だと言いたいわけか」

「違うよ! クロード様は、そんなことしないっ」


 ソフィは、思わず大声をあげた後、口を両手で覆って赤面した。

 自分が身につけている服を思い出したのだ。

 橙色の上着ジュストコールと若草色のベスト、臙脂えんじ色のキュロットパンツは、屋敷にあった執事服を彼女自身の手で仕立て直したものだ。

 今のソフィは、冒険者ではなく、レーベンヒェルム辺境伯家の家臣であり、クロードの名代だ。

 礼を欠いた振る舞いは、そのままクロードの評価へとはね返る。


「し、失礼しました。オクセンシュルナ様、ゲレーゲンハイト卿。クロード様は、先ほど市街で”赤い導家士どうけし”を名乗るテロリスト遭遇し、彼らに追われていた御息女を保護しました。レーベンヒェルム領で預かるのは、イスカちゃんの安全のためです。人質とか危害を加えようとか、そんなことはしません」


 ソフィは、緊張で我を失っていた。

 もしも酒場で他の冒険者と交渉するのなら、彼女は余裕をもって応対しただろう。

 しかし、眼前にいるのは、次期首相候補とも噂される大政治家マティアス・オクセンシュルナと、一流冒険者ニーダル・ゲレーゲンハイトであり、二人はソフィにとって雲の上の存在に等しかった。


(行かせちゃ駄目だ。もしも、ゲレーゲンハイト卿がレーベンヒェルム領に入ったら、クロードくんが死んじゃう)


 ソフィは、別れ際、クロードが生気の消えた瞳でかけてくれた言葉を思い出す。


『レアの話では、ファヴニルはニーダルと一度引き分けたらしい。もしも戦闘力が互角なら、その場で僕が自害すれば、ファヴニルは僕という契約者を失って弱体化する。上手くいけば、レーベンヒェルム領から悪徳貴族と邪竜が消えるんだ。こんなことで償いになるなんて思わないけど、ソフィ、どうか僕の首を受けとって欲しい……』


 ソフィはクロードに背を向けて離れたものの、もしも彼の目論見通り、ニーダルがイスカを追ってレーベンヒェルム領に入れば、あのすっとこどっこいは、本気で自害しかねない。


「ソフィさん。うちの娘が世話になったようで感謝する。クローディアス・レーベンヒェルム辺境伯には、直接会って礼を言うよ。案内してもらえるか?」


 ニーダルの返答は、当然といえば当然のものだった。

 困ったように無精ひげのういた顎に手をあてた、ニーダルの顔が膨らんで弾けた。

 ソフィの瞳から、ぽろぽろと涙がこぼれおちた。


(クロードくんは、暗闇の中に居たわたしを支えてくれたのに。奪われた目を取り返してくれたのに。わたしは、彼の命を諦めるの? だめだ。それだけは、駄目っ)


 門前が、ざわざわと、どよめいた。

 警官が訪れ、オクセンシュルナ議員に市街地での騒乱を報告しはじめたが、ソフィには聞こえていなかった。

 両手を広げ、豊かな胸を弾ませて、ニーダル・ゲレーゲンハイトの前に立ちふさがる。


「だ、だめ。行かせない。クロードくんを貴方なんかに殺させない」

「クロード、くん? 俺が殺す?」


 ニーダルはこめかみに手をあてて、ブツブツと何かを呟き始めた。

 一方、マティアス・オクセンシュルナは、呆れたように肩を竦ませて、傍にいた家宰の青年に命じた。


「リヌス、ソフィ殿は興奮されているようだ。別室で休んでもらおう」

「はっ。ソフィ殿、こちらへどうぞ。お話をお聞かせください」

「だめっ。駄目なの。絶対に行かせないんだから……」

「失礼。ここでは目立ちます」


 家宰の青年、リヌスが多少強引にでもソフィを屋敷へと誘おうと、彼女の右手をとったが、制止の声をあげたのは、意外にもニーダルだった。


「旦那。リヌス、ちょっと待ってくれ」

「ゲレーゲンハイト卿?」


 オクセンシュルナ議員は、ニーダルの紅潮した顔を訝しげに見やった。


「旦那。時間がないのにすまない。リヌス、新聞はあるか? クローディアス・レーベンヒェルムの写真が載った、なるべく新しいやつを持ってきてくれ」

「人民通報になりますが、構いませんか?」

「あぁ、……アレか。大事なのは、記事じゃないから、それでいいや」


 近くにいた使用人が慌てて走り、屋敷から人民通報を一部取ってくる。

 日付は、復興暦一一○九年/共和国暦一○○三年 紅森の月(一〇月)五日のもの。


『名君、反乱を鎮圧す』


 と、一面に見出しが踊り、仏頂面で写ったクロードの顔を見たニーダルは、まるでのっぺらぼうのように表情を失い、直後、失敗した福笑いの絵図が如くめちゃくちゃになった顔で、声を殺して笑い始めた。


「ありえない。ありえないと思ったが、こうなっていたのか。わかったよ、ソフィさん。俺は、レーベンヒェルム領には行かない。イスカのことを頼む」


 ニーダルは、ソフィの左手にハンカチを握らせると、オクセンシュルナ議員を振り返った。


「旦那。俺は予定通り、今から、クランの遺跡に潜るよ」

「卿! それでよいのか?」

「ああ、詳しくは説明できないが、たぶんこうするのが最良だ。邪竜の相手は俺がする。旦那は、マラヤディヴァの民を、テロリストから守ってくれ」

「言われるまでもない。ゲレーゲンハイト卿、武運を祈っている」

「こいつは、負けられねぇな。リヌス、旦那を頼む」

「はっ!」


 ニーダルは、一礼してオクセンシュルナ議員とリヌスに別れを告げた。


「そうだ、ソフィさん、落ち着いたら食事でもどうだい?」


 そうして、すれ違いざま、ソフィの肩を抱いて耳元で囁いた。


「わ、わたしは、クロードくん、じゃない。クロード様の家臣だから、そ、そういうのは困ります!」

「じゃあ、コレでいいや」


 紅のコートを羽織った冒険者ニーダルは、窮屈な執事服に押し込められたソフィの胸に手を伸ばして、ひとモミした。


「ひゃあ」


 触れた手つきは優しかったけど、雷にでも撃たれたように、ソフィはしゃがみこんだ。


「やる気充填完了。じゃあ、行くかい」


 意気揚々と出立しようとしたニーダルだったが、カシャンと音が鳴って腕に手錠がはめられた。


「そこの貴方、わいせつ罪の現行犯で逮捕します」

「マジで!?」


 警官が、制帽の下、額に青筋を浮かべて微笑んでいる。

 オクセンシュルナ議員は天を仰ぎ、リヌスは頭を抱えていた。


「ゲレーゲンハイト卿。君という男は……」

「ニーダルさん、時と場所をですね」

「ちょ、まっ。決死の覚悟で邪竜に挑むんだぜぇ、こぉれっくらいの役得はァ、あってもいいんじゃね」

「よくわかりませんが、痴漢は痴漢です」


 マラヤディヴァ国有数の大政治家の邸宅前で、民衆の取り巻く中堂々とセクハラに及ぶ――警官からすれば、許しがたい犯罪行為だった。


「ソ、ソフィさん、アンタからもなんか言って」

「馬鹿ぁっ」


 ソフィは、力いっぱいニーダルの横面をひっぱたいた。

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