第33話 悪徳貴族、美姫を幽閉す

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 時は、しばし先へ飛ぶ。

 復興暦一一○九年/共和国暦一○○三年 晩樹の月(一二月)一三日。

 クロード達に助けられた少女は、三日三晩昏睡した後に、屋敷の一室で目を覚ました。

 命を落としたはずの自分が生きていること、まったく見知らぬ場所にいることに戸惑ったものの、医師や看護師から大まかな事情を聞くと、古代遺跡ダンジョンなる場所で、重傷を負って倒れていたところを、屋敷の主に保護されたのだという。


(そんな馬鹿な。ここは幽世かくりよか? それとも神隠しにでもあったというのか?)


 少女もまた、クロードやアリス同様に記憶が混濁して、自身の名前すらも明確に思い出せなかった。

 だが、自らを裁いた時の、刃の冷たさと燃えるような痛みは、いまもはっきりと胸に焼きついている。


「セイ様。辺境伯様は多忙のため、しばらくお戻りになりません。屋敷の中では、自由に過ごして欲しい、と、仰せつかっています」

「医師殿、セイとは、私の名前か?」

「はい。そう伺っていますが……」

「すまない。怪我のせいか、まるで頭に霞がかかったようだ」

古代遺跡ダンジョンの中は、人智の及ばない魔の領域です。生きて戻られただけでも良かった」


 ”へんきょうはく”なる者は、屋敷の広さや、飾られた調度品を見る限り、どうやらかなりの大家らしい。


(おそらくは、いずこかの地方くにを治める棟梁だろう)


 一日目、ともかく自分のいる場所を把握しようと、セイは屋敷の中を散策した。

 屋敷の広さにも関わらず、ほとんど使用人がいないことをいぶかったが、疑問はすぐに解けた。

 宙に浮いたはたきがほこりを落とし、箒が勝手に布を敷いた床を掃き清め、ちりとりがゴミ箱へふわふわと運んでいたからだ。


(こっ、ここは、あやかしの館かなにかか!)


 セイは、しばらくの間、葡萄えび色の目を見開き、口を閉ざすことも忘れて、呆然と立ちすくんでしまった。


(本当に仙境か、魑魅魍魎ちみもうりょうの住む異界へ来てしまったのかもしれない)


 セイから見れば、医師達が身に付けていた衣服は、仙人や鬼人のものと言われれば信じてしまいかねないほど、見慣れない異装だった。

 彼女自身が今着ているのは、白単衣を参考に作られたらしい濃紺の着物だった。

 肌着の襦袢じゅばん等を含めて、茜色のものと二着分、部屋に用意されていたのだ。

 他にもチュニックやスカートのような洋服も置かれていたのだが、とても着る気にはなれなかった。


(あんな長い腰巻なんて着れるものかっ。見えてしまうじゃないか!)


 セイの目から見れば、スカートはとてつもなく卑猥ひわいな服に見えていた。

 そもそも、今身につけているている下着自体、初めて見るもので違和感が大きかったのだ。


胸当ブラジャー下穿ショーツも、さらしや腰巻と違って奇妙な着心地だし、どうにも落ち着かない)


 診察を終えた医師達は正午には帰ってしまったが、入れ替わりに神殿の修道女だという老婆がやってきて、食事を作ってくれた。

 昼食は、粥と山菜を使ったあえ物と汁物で、空腹のあまり飛びついてしまったが、少し薬味を効かせ過ぎているように感じた。


(醤油や味噌汁はないのか、残念だ……)


 老婆は本を読んだり、掃除をしたり、さりげなく悩みを聞き出そうとしたり、つかず離れずセイの傍にいたが、ある行動をとった時だけ、わずかに距離を詰めてくることがあった。

 最初は物盗りでもしないか監視しているのだろうと、セイは判断したが、すぐに間違いだと気がついた。

 セイが刃物やひもを手に掴んだり、調理場や高所に近づいたりする時だけ、老婆は警戒をあらわにする。


(これは、私が悪さをしないか見張っているのではなく、もう一度自殺するのを恐れているのか?)


 修道女の代わりに、夜に来た中年の女性たちは、もっとざっくばらんにお茶会を始め、セイもしばらく同席したが、じきに部屋に戻って眠ってしまった。


 ――翌日。晩樹の月(一二月)一四日。

 早朝、素振りに使う木刀を探していたセイは、台所の隅で壺を見つけておおいに喜んだ。


「梅干があるじゃないかっ!」


 セイの故郷でも、軍用食や病よけの栄養食として用いられた漬物だ。

 二度漬けしてあるのか、上品な味わいで、酸っぱさに顔をしかめつつも懐かしい味を堪能する。

 セイは、午前中に医師達の診察を受けて、午後からは再び屋敷の探索を始めた。鍵のかかっている部屋以外、地上部分の大半を回って見取り図をてきぱきと完成させる。

 そうして彼女は、次に地下フロアの探索を始めた。

 本来なら、階段の突き当たりで閉ざされているはずの扉は、彼女が目覚める二日前に、アリスが鍵を誤って壊してしまったことから中を覗くことができたのである。

 ――通路の先には、狂気の残滓ざんしが、残されていた。


「どこ行ったのかと思ったら、早く上がって! 見ないほうがいい」


 人は、人の尊厳を踏みにじるためにこのような器具を思いつくのかと、あっけに取られていたセイは、医師たちと入れ替わりに来た年若い少女に手を引かれ、一階へと連れ戻された。


「本当は、こういうこと言ったら危ないんだけどさ。アンタ、逃げた方がいいよ」


 以前、両親が屋敷で働いていたという少女、イーニャは、そう言ってセイに逃亡を勧めた。


「ここの主は悪魔みたいな男だよ。人が、壊れてゆく姿をニヤニヤ笑って眺めてるんだ。アンタは戦利品だよ! あいつが帰ってきたら、きっと酷い目に遭わされる。だから逃げてっ」


 イーニャの両親は、屋敷の主に難癖をつけられて処刑され、彼女自身も地下牢で惨い辱しめを受けたのだという。

 そして半ば狂気に陥りながらも、数え切れない同朋が、彼の犠牲になる様を間近で見続けたと告白した。


「ソフィって子は特に酷かったよ。両手に穴を空けられて、散々殴られて罵倒されて、最後には目までえぐられてた」

「……非道い真似をする」


 武門に限らず、権力者が綺麗事だけで済まないことは、セイだって承知している。

 それを差し引いても、屋敷の主の振る舞いは、まさに悪鬼の所業といえた。


(けれど、私に責める資格があるのか? 私の手だって……)


 セイは、おぼろげながらも思い出す。

 戦の剣戟、流れる血の赤。泥にまみれた屍の山。

 それは、確かに彼女が経験した記憶だった。


(そうだ。私が、私たちが殺して、覚えがないなんて、言えるはずがない)


「その時は貞操だけは無事だったみたいだけど、あの子、あの悪徳貴族に気に入られちゃったみたいだからさ、そういうことだと思う。逃げ出したらって勧めたら、”わたしが見ていないと駄目だから”なんて、へんなこと言いだすんだ。きっと薬かなんかでおかしくされちゃったんだよ。そういうやつなんだ、あいつは!」


 血に汚れた手で触れることに、わずかな逡巡をおぼえながらも、セイは泣き崩れるイーニャを支えて背をさすった。

 セイの背丈は高いほうだ。ここは故郷よりも背の高い者が多いが、それでもイーニャの支えくらいにはなりたかった。


「苦しかったんだな。ずっとずっと抱え込んでいたのだろう?」

「こ、怖いんだよ。二ヶ月前に、急に優しくなって、でも、腹の底じゃあたしたちを嘲笑ってるんだ。あ、あたし殺されちゃう。こんなこと言って、無事で済むはずない。殺される。もういや。あんな目にあうのはいやぁあああああっ」

「私は言わないよ。約束する」

「ああああああっ」


 獣のようにき叫ぶイーニャが落ち着くまで、セイはずっと隣に寄り添っていた。

 イーニャがようやく泣き止んで、肩を落として帰る頃には、もう日は暮れて、月が冷え冷えとした光で照らしていた。


「……たとえ仇に許されようと、天は綺麗な死など許さない、か」


 不思議と、セイは、イーニャの告白を聞いても、逃げる気はなかった。

 静かな覚悟が、彼女の心と体を満たしていた。なぜなら、もはや悔いなどなかったからだ。

 血を流して死を与えてなお、守ろうとした家があった。叶えたい秩序と平穏があった。そして至らなかったが故に、宿敵に敗れた。


「人間としての誇りすら奪われて悪鬼にむさぼられる。それが血塗られた道の果て、私に相応しい末路というならば、受け入れるまでのことだ」

 

 月下、白銀に染まる髪を風になびかせ、セイは澄んだ葡萄色の瞳で、イーニャを見送った。


 ――更に明けて翌日。晩樹の月(一二月)一五日。

 屋敷の見取り図を書き終えたセイは、この日から、屋敷の主人である”へんきょうはく”なる人物についての情報を集めることにした。

 医師も含めて、皆、口を噤んだが、思うところは多いようだった。

 ハンナという神殿の修道女である老婆だけは、『人は変わる。生き方を変えられる。二ヶ月前からの、あの子が重ねた努力をワタシは信じたい』と結んだが、他の誰もが恐怖していた。

 人から聞けぬのなら書物からと、セイは見たこともないのになぜか読める文字を辿り、現状を把握しようとした。


 この国の名前を、マラヤディヴァ国という。

 国主は、俗に十賢家と呼ばれる、十の大貴族が持ち回りで務め、各々の領における裁量権は極めて強い。

 棟梁は、国主と議会が定めた国法以外に、領独自の立法、行政、司法のすべてを行う資格を持ち、そればかりか、自ら定めた法律にも従う必要のない、超越的な特権を許されている。

 ここ、レーベンヒェルム領も十賢家のひとつだが、四年前に先代当主が死亡、お家騒動が始まった。

 当時一六歳だった末子クローディアスがファヴニルなる竜? と、外国企業の後押しを受けて、母兄弟姉妹親戚のことごとくを抹殺、自らレーベンヒェルム家の棟梁となった。


(あ、こいつ、だめだ)


 情報をまとめるにつれて、セイはクローディアスに失望した。

 各地の土豪、商人、寺社といった小勢力をまとめるには、才覚がいる。

 領、家とは、そこに生きる人々の集合であり、だからこそ様々な意思を尊重し、編み合わせねばならない。

 だが、クローディアスは、自らが担うべきはずの民草を滅ぼし、あらゆるものを壊すしか能のない醜悪な権力者だった。


「この人民通報とやらは、クローディアスの愚行を革命的だのと褒めたたえているが、おべんちゃらにもほどがある。それとも、この地方では革命的という言葉は、最大級の侮辱を指すのか?」


 その太鼓持ちも、イーニャとハンナが変わったという二ヶ月と少し前、紅森の月(一〇月)から徐々に、批判を浴びせるようになった。

 棟梁、クローディアスの政策も一八〇度変わって――。


(!!??)


 セイには、概念が、理解できなかった。

 おおまかに言えば、突如改心した悪徳領主が領民を慰撫いぶし、新畑を開拓し、銭金と物品の流通を促して、地方くにを富ませようとしているのだろう。

 だが、手段が突飛すぎる上に、セイには理解できない理屈で領を運営しようとしていた。


「領主が領民を大事にするのは、自らの財産だからだ。しかし、これでは――」


 あたかも領主こそが、領民の奉仕者であるかのような、あべこべに見えてしまって。


「わけがわからない。散々、土地を切り売りして、民人を虐げて、これではまるで、まるで……まさかっ!?」

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