第四部/第六章 回天

第340話(4-68)国主と懐刀

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 復興暦一一一一年/共和国暦一〇〇五年 紅森の月(一〇月)一二日。

 マラヤディヴァ国最北に位置するメーレンブルク公爵領は、目覚ましい発展を見せるレーベンヒェルム辺境伯領を除けば、国内随一の稲作地帯として知られている。

 しかし、ほんの一ヶ月前に豊かな黄金の稲穂が実っていた陸稲りくとうの畑は、今や領内に侵入した緋色革命軍マラヤ・エカルラートの軍靴に踏み潰されて、見る影もなかった。

 国主グスタフ・ユングヴィ大公と、彼の懐刀であるマティアス・オクセンシュルナ議員は、少数の手勢と友に西の海岸に近い砦に追い詰められて、最後の時を迎えようとしていた。


「閣下……。先ほど魔術による通信が届きました。三日前に領都メレンが陥落した、と。メーレンブルク公爵は最後まで領民を守って奮戦し、戦死したとのことです」


 長きにわたる戦生活に疲弊しながらも、オクセンシュルナ議員の猛禽のように鋭い視線には、いささかの陰りも見られなかった。

 簡素な砦の中、申し訳ばかりに作られた貴賓室。その玉座に腰掛けた国主は、自らの右腕がもたらした悲報に鷹揚に頷いた。平静を装っているものの、彼の瞳から一筋の涙が零れる。


「――悔しいね。私はかの公爵を見誤っていた。政治上はわかり合えなかったが、彼は間違いなく十賢家の棟梁たる人物だった」


 一〇の大貴族が中心となって治めるマラヤディヴァ国の政治体制は限界に達していた。

 領土拡大の野心を隠さない西部連邦人民共和国の圧力に抗うためには、一〇の力が分散して抗うよりも、明確な一つの国家としてまとまる必要があった。

 グスタフは選挙制度を導入して議会を組織し、十賢家に法の枠をはめつつ近代化を図ろうとしたが、その方針に真っ向から反対したのがメーレンブルク公爵だった。

 封建的な古い貴族制度に拘泥した公爵の暗躍が、マラヤディヴァ国を停滞に導いたことは否めない。

 しかし、緋色革命軍の蜂起の後、多くの貴族が自らの責務を果たさず敵に寝返り、あるいは領地を捨てて逃亡する中で、メーレンブルク公爵は最後まで大貴族としての意地と責務を果たし抜いた。


「領都メレンを失った以上、もはやこの砦に補給も見込めない。オクセンシュルナ、必要ならば私の首を使って降伏したまえ」

「閣下のお言葉といえ従えません。私は民草に選ばれ、閣下に任命された議員です。あのような無法の賊徒に屈服しては、代議士たる資格がない」

「君ならば、将軍としてもやっていけると思うのだがね。その才を使いこなすことが出来なかったことだけが、私の心残りだ」

「いいえ、閣下の元でこそ、私は全力を尽くせたのです」


 マティアス・オクセンシュルナは、首都クランの陥落後、ユングヴィ領から逃れた国軍残党を率いて驚異的な戦果をあげていた。

 時には敵軍を湿地帯に引きずりこんで魔法の集中砲撃を浴びせ、時には火をつけた空船を使って補給艦隊を灰塵かいじんに変えて、ありとあらゆる手段を講じて緋色革命軍の進軍を遅滞させた。

 彼の稼いだ時間があればこそ、クロード達大同盟は、グェンロック領沖海戦で大敗した後、艦隊を再建することが出来たのだ。

 されど、長きに亘る戦闘で国軍兵士達も一人減り二人減り、砦に詰め居ている兵士もわずか一〇〇人を残すのみだ。

 貴賓室の周囲がざわめき、警戒を告げる銅鑼の音が響き渡る。


「閣下! 見張り台より連絡がありました。緋色革命軍が西の海岸沿いに展開して、こちらに迫ってきます。数はおよそ二〇〇〇」

「覚悟を決めようか、オクセンシュルナ。あとは、ヴァリン公爵とあの少年に任せよう」

「はい。最後の戦をご覧あれ」


 そうして、国主と議員が陣頭に立ち、雲霞の如く迫り来る敵軍を寡兵で迎え撃とうとしたまさにその時――。

 海岸に展開した敵軍が爆音をあげ、砂埃と共に吹き飛んだ。


「援軍です。旗はレーベンヒェルム領、大同盟の艦隊が到着しました!」

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